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ヴェンダールの背中から多数の触手が伸びる。その先端は強靭な刃を宿していた。
セリアは辛苦の槍による嵐の攻撃を浴びせられ、ローブは原型をとどめていなかった。だが、あらわになった肌には擦り傷ひとつついていない。
セリアは風壁を服の下に発動させて纏い、ヴェンダールの攻撃を弾き続けていた。さらに攻撃の合間を狙って風刃を発動させ、鋭い反撃を繰り返していた。
最初は余裕を見せていたヴェンダールだったが、その表情は徐々に険しくなってゆく。
――なぜだ、どうして防ぐことができるのだ。小娘の繰り出す魔法の速度は賞賛に値する。だが私の魔法をはじき返せるほどの力感を伴っているとは思えない。少なくともこの大聖堂に足を踏み入れた時、それほどの魔力は感じられなかった。
ヴェンダールはセリアの姿を凝視しつつ記憶を遡ってゆく。
――そうだ、思い出した。この小娘は魔法学院を襲撃した時、魔晶板に映し出された女だ。黒髪の男と申し合わせたような合成魔法を成功させ、竜牙戦士を消滅してみせた。その男とは――間違いなくこの場に現れた、『アージェ』という名の青年だ。
ヴェンダールはほんの一瞬、視線をアージェに向けた。
――奴が現れてから、明らかに小娘の魔法が鋭さを増している。奴の存在が小娘の精神状態に影響を与え、魔法の威力を増強させているとしか考えられない。それほどまでに奴は我々に脅威を与えうる存在だというのか?
かすかに狼狽の色が漂い、頬を冷たい汗が伝う。
――しかも奴らは迷わずその男をガルシア様にぶつけてきた。ガルシア様が敗北するとは思えないが、その能力の不可解さがあまりに不気味だ。早く小娘を片付けてガルシア様の援護に回らねば。
その迷いをセリアは見逃さなかった。ヴェンダールの触手の攻撃が止まる刹那の間隙を縫って魔法を切り替える。風壁による防御を解除し、新たな魔法を発動させる。
――『冷淡な風の宝珠!』
掲げる右腕を中心にして、全身を包むように風の刃が宿る。世界のすべてを切り裂くような圧倒的な魔法の力。百戦錬磨のヴェンダールですら、その魔力に威圧された。
「どういうことだ? その噴き出すような魔法の重厚感、この大聖堂に踏み込んできた時とはまるで別人だ……」
ヴェンダールはこの戦いの中でセリアへの畏敬の念を抱いていた。君主であるガルシアのほかに、魔法使いとして認めることのできる人間が存在するなど考えもしなかった。
「――何が貴様を変えたのだ?」
セリアはヴェンダールに応じ、己の胸の内を滔々と語り始める。その表情は凪いた湖面を眺めるかのように静かだった。
「わたしは今まで両親の命を奪った相手への復讐を原動力に生きてきました。憎しみだけが自分の力になると思っていたんです。
だけど憎むべき相手を目の前にして、これほどまでに冷静でいられるとは思いませんでした。
なぜなら――両親の命が奪われたせいで、わたしは孤児院に引き取られました。もしも平和な毎日の連続なら、アージェと出会うことはありませんでした。ここまで魔法の鍛錬をしようとも思いませんでした。身の丈に合わない戦いに、みずから首を突っ込んだりしませんでした。
今、こうしてあなたと向かい合っているのは、怒りが理由ではありません。
大切な人を救おうと、必死に頑張っている人の力になりたいから。
あなたを乗り越えて、誰もが笑顔でいられる世界を作りたいから。
魔法戦争が生み出した悲しみに、終止符を打ちたいと思ったから。
わたしの運命がこんなにも大きく変わったのは、あなたがたくさんの命を虐げたせいです。だからわたしは命を抱えて生きることの重みも、人生という旅路を歩む尊さも、出会いと別れの大切さも知ることができたんです。
わたしはあなたがもたらしたその想いを、あなたに知ってもらうためにここにいるんです」
聞いたヴェンダールは口角を引き上げて愉悦の表情を見せる。
「ふははは、私はとうに命をガルシア様に捧げたのだ。貴様のその美談のような妄想が、私の覚悟の重さに勝ると思っているのか?」
「わたしは両親が命を落としたと知った日から、死ぬことを怖いなんて思わなくなりました」
「死が怖くないだと? 虚勢の戯言だな!」
ヴェンダールはせせら笑った。
「虚勢ではなく覚悟です。だけどそう答えるということは――あなたは内心、死を恐れているんですね」
そのひとことに顔の表情が笑ったまま固まる。
「これだけ多くの命を奪うのは、あなたが死を覚悟する理由があるからなんだとわたしは思いました。違いますか?」
ヴェンダールは答えなかったが、血走らせた眼はセリアの指摘を肯定しているようなものだ。
「わたしもアージェも、大切な人を救うために死を覚悟しています。他人を巻き添えにして自己満足に浸るあなたを赦すわけにはいきません」
するとヴェンダールは紅の唇を開裂させて怒りをあらわにする。
「貴様、何様のつもりだ! 私の忠義は帝のためにある。命を賭けて散れるのなら、私は帝の記憶に刻まれ、帝の永遠となることができるのだ。これほどの覚悟を自己満足と呼ばせてなるものか!」
セリアの視線が切れ味を増す。呼応するようにセリアを囲む風刃の竜巻が速度を上げ、啼くようなハウリング音を響かせる。
「魔法の威力は精神の影響を強く受けるそうです。――ならば魔法の力をぶつけ合い、お互いの覚悟の強さに決着をつけましょう」
「この私に真っ向から勝負を挑むとはいい度胸だ。――小娘よ、貴様の全力を粉砕し、折れた心で愛する両親の元に送ってやるぞ」
宙に浮かんだセリアは全力で加速し、魔力の塊となってヴェンダールに突っ込んでゆく。
ヴェンダールもまた、背中から伸びる触手である辛苦の槍をセリアに向けて迎撃する。
触手はセリアを狙い、目にも止まらぬ速度で間合いに飛び込んでくる。セリアは神経を研ぎ澄まし、その攻撃をぎりぎりで躱す。さらに触手の周囲を回転して相手を翻弄し、触手の柄を断ち切ろうとする。だが柔軟に避ける触手に風魔法でダメージを与えるのは困難を極めた。
「はっはー! 狙いは悪くないが相性は最悪だったようだな!」
「あなたとは相性最悪で結構です!」
触手は巻きついて一体となりセリアを執拗に追う。セリアは上空から床に向かって加速し、床の直前で身を翻した。触手は床に突き刺さり、一瞬だけ動きを止める。その刹那を狙い、風刃で触手の柄を絡め取った。固定され張った状態になれば直接、攻撃の力を伝えることができる。
体液が飛び散り、触手は風刃によってみごとに切断された。
セリアはヴェンダールに視線を向ける。ヴェンダールは触手の魔法を解除し新たな魔法を発動させた。
――『魔法人形の呪い!』
ヴェンダールの手足が屈強な岩石へと変化する。セリアが激突する瞬間、ヴェンダールは両手でセリアを魔法ごと抱え込んだ。だがセリアの勢いは止まらない。止めることができない。ヴェンダールは全身を切りつけられ鮮血を飛び散らせる。
「この私が、小娘の魔法ごときでやられるはずがないィィィ!」
「世界を旅する風よ、激しく舞って敵を蹴散らせェェェ!!」
セリアの魔法はさらに加速し強度を増してゆく。そしてついに爆風となり、ヴェンダールの身体を切りつけながら宙に舞い上げる。
「うっ、うっ、うおおお! このっ、私の不屈の忠誠心がァァァ!!」
ヴェンダールは勢いそのままに回転して天井に激突する。壁が割れて食い込み磔となった。
数秒後、ぼろりと天井から剥がれ床に落下した。
床に横たわるヴェンダールは、ぴくりとも動かなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……やった……」
セリアは魔力を使い果たし、息も絶え絶えとなった。よろよろとヴェンダールに歩み寄り、まぶたを開いて確かめる。意識を失い眼球が上転していた。
戦いの終焉を自覚したと同時に、はっとなって戦闘中のアージェに視線を向ける。
するとそこには信じられない光景が広がっていた。セリアは息を呑み、その光景に目を奪われていた――。
ヴェンダールの背中から多数の触手が伸びる。その先端は強靭な刃を宿していた。
セリアは辛苦の槍による嵐の攻撃を浴びせられ、ローブは原型をとどめていなかった。だが、あらわになった肌には擦り傷ひとつついていない。
セリアは風壁を服の下に発動させて纏い、ヴェンダールの攻撃を弾き続けていた。さらに攻撃の合間を狙って風刃を発動させ、鋭い反撃を繰り返していた。
最初は余裕を見せていたヴェンダールだったが、その表情は徐々に険しくなってゆく。
――なぜだ、どうして防ぐことができるのだ。小娘の繰り出す魔法の速度は賞賛に値する。だが私の魔法をはじき返せるほどの力感を伴っているとは思えない。少なくともこの大聖堂に足を踏み入れた時、それほどの魔力は感じられなかった。
ヴェンダールはセリアの姿を凝視しつつ記憶を遡ってゆく。
――そうだ、思い出した。この小娘は魔法学院を襲撃した時、魔晶板に映し出された女だ。黒髪の男と申し合わせたような合成魔法を成功させ、竜牙戦士を消滅してみせた。その男とは――間違いなくこの場に現れた、『アージェ』という名の青年だ。
ヴェンダールはほんの一瞬、視線をアージェに向けた。
――奴が現れてから、明らかに小娘の魔法が鋭さを増している。奴の存在が小娘の精神状態に影響を与え、魔法の威力を増強させているとしか考えられない。それほどまでに奴は我々に脅威を与えうる存在だというのか?
かすかに狼狽の色が漂い、頬を冷たい汗が伝う。
――しかも奴らは迷わずその男をガルシア様にぶつけてきた。ガルシア様が敗北するとは思えないが、その能力の不可解さがあまりに不気味だ。早く小娘を片付けてガルシア様の援護に回らねば。
その迷いをセリアは見逃さなかった。ヴェンダールの触手の攻撃が止まる刹那の間隙を縫って魔法を切り替える。風壁による防御を解除し、新たな魔法を発動させる。
――『冷淡な風の宝珠!』
掲げる右腕を中心にして、全身を包むように風の刃が宿る。世界のすべてを切り裂くような圧倒的な魔法の力。百戦錬磨のヴェンダールですら、その魔力に威圧された。
「どういうことだ? その噴き出すような魔法の重厚感、この大聖堂に踏み込んできた時とはまるで別人だ……」
ヴェンダールはこの戦いの中でセリアへの畏敬の念を抱いていた。君主であるガルシアのほかに、魔法使いとして認めることのできる人間が存在するなど考えもしなかった。
「――何が貴様を変えたのだ?」
セリアはヴェンダールに応じ、己の胸の内を滔々と語り始める。その表情は凪いた湖面を眺めるかのように静かだった。
「わたしは今まで両親の命を奪った相手への復讐を原動力に生きてきました。憎しみだけが自分の力になると思っていたんです。
だけど憎むべき相手を目の前にして、これほどまでに冷静でいられるとは思いませんでした。
なぜなら――両親の命が奪われたせいで、わたしは孤児院に引き取られました。もしも平和な毎日の連続なら、アージェと出会うことはありませんでした。ここまで魔法の鍛錬をしようとも思いませんでした。身の丈に合わない戦いに、みずから首を突っ込んだりしませんでした。
今、こうしてあなたと向かい合っているのは、怒りが理由ではありません。
大切な人を救おうと、必死に頑張っている人の力になりたいから。
あなたを乗り越えて、誰もが笑顔でいられる世界を作りたいから。
魔法戦争が生み出した悲しみに、終止符を打ちたいと思ったから。
わたしの運命がこんなにも大きく変わったのは、あなたがたくさんの命を虐げたせいです。だからわたしは命を抱えて生きることの重みも、人生という旅路を歩む尊さも、出会いと別れの大切さも知ることができたんです。
わたしはあなたがもたらしたその想いを、あなたに知ってもらうためにここにいるんです」
聞いたヴェンダールは口角を引き上げて愉悦の表情を見せる。
「ふははは、私はとうに命をガルシア様に捧げたのだ。貴様のその美談のような妄想が、私の覚悟の重さに勝ると思っているのか?」
「わたしは両親が命を落としたと知った日から、死ぬことを怖いなんて思わなくなりました」
「死が怖くないだと? 虚勢の戯言だな!」
ヴェンダールはせせら笑った。
「虚勢ではなく覚悟です。だけどそう答えるということは――あなたは内心、死を恐れているんですね」
そのひとことに顔の表情が笑ったまま固まる。
「これだけ多くの命を奪うのは、あなたが死を覚悟する理由があるからなんだとわたしは思いました。違いますか?」
ヴェンダールは答えなかったが、血走らせた眼はセリアの指摘を肯定しているようなものだ。
「わたしもアージェも、大切な人を救うために死を覚悟しています。他人を巻き添えにして自己満足に浸るあなたを赦すわけにはいきません」
するとヴェンダールは紅の唇を開裂させて怒りをあらわにする。
「貴様、何様のつもりだ! 私の忠義は帝のためにある。命を賭けて散れるのなら、私は帝の記憶に刻まれ、帝の永遠となることができるのだ。これほどの覚悟を自己満足と呼ばせてなるものか!」
セリアの視線が切れ味を増す。呼応するようにセリアを囲む風刃の竜巻が速度を上げ、啼くようなハウリング音を響かせる。
「魔法の威力は精神の影響を強く受けるそうです。――ならば魔法の力をぶつけ合い、お互いの覚悟の強さに決着をつけましょう」
「この私に真っ向から勝負を挑むとはいい度胸だ。――小娘よ、貴様の全力を粉砕し、折れた心で愛する両親の元に送ってやるぞ」
宙に浮かんだセリアは全力で加速し、魔力の塊となってヴェンダールに突っ込んでゆく。
ヴェンダールもまた、背中から伸びる触手である辛苦の槍をセリアに向けて迎撃する。
触手はセリアを狙い、目にも止まらぬ速度で間合いに飛び込んでくる。セリアは神経を研ぎ澄まし、その攻撃をぎりぎりで躱す。さらに触手の周囲を回転して相手を翻弄し、触手の柄を断ち切ろうとする。だが柔軟に避ける触手に風魔法でダメージを与えるのは困難を極めた。
「はっはー! 狙いは悪くないが相性は最悪だったようだな!」
「あなたとは相性最悪で結構です!」
触手は巻きついて一体となりセリアを執拗に追う。セリアは上空から床に向かって加速し、床の直前で身を翻した。触手は床に突き刺さり、一瞬だけ動きを止める。その刹那を狙い、風刃で触手の柄を絡め取った。固定され張った状態になれば直接、攻撃の力を伝えることができる。
体液が飛び散り、触手は風刃によってみごとに切断された。
セリアはヴェンダールに視線を向ける。ヴェンダールは触手の魔法を解除し新たな魔法を発動させた。
――『魔法人形の呪い!』
ヴェンダールの手足が屈強な岩石へと変化する。セリアが激突する瞬間、ヴェンダールは両手でセリアを魔法ごと抱え込んだ。だがセリアの勢いは止まらない。止めることができない。ヴェンダールは全身を切りつけられ鮮血を飛び散らせる。
「この私が、小娘の魔法ごときでやられるはずがないィィィ!」
「世界を旅する風よ、激しく舞って敵を蹴散らせェェェ!!」
セリアの魔法はさらに加速し強度を増してゆく。そしてついに爆風となり、ヴェンダールの身体を切りつけながら宙に舞い上げる。
「うっ、うっ、うおおお! このっ、私の不屈の忠誠心がァァァ!!」
ヴェンダールは勢いそのままに回転して天井に激突する。壁が割れて食い込み磔となった。
数秒後、ぼろりと天井から剥がれ床に落下した。
床に横たわるヴェンダールは、ぴくりとも動かなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……やった……」
セリアは魔力を使い果たし、息も絶え絶えとなった。よろよろとヴェンダールに歩み寄り、まぶたを開いて確かめる。意識を失い眼球が上転していた。
戦いの終焉を自覚したと同時に、はっとなって戦闘中のアージェに視線を向ける。
するとそこには信じられない光景が広がっていた。セリアは息を呑み、その光景に目を奪われていた――。