十字架から解放されたアナスタシアはすぐさま立ち上がり、全力でアージェの元に駆け寄る。

「アージェ君ッ! 生きているなら生きているって言ってよぉ!」
「ちょっと待て、俺、死んだことになっていたのかよ!」
「ヴェンダールがそう言っていたから信じちゃったじゃない! それにさっきの背中の翼、いったいなんなのよ!」

 翼はいつのまにか消え、光はペンダントの宝石の中へ収束していた。

「旅の途中で宝石のメメルが具現化したんだ。こうやって俺の力になってくれている。それに秘石の力も受け継いだよ」

 腕を見せると血管が淡青色に輝いている。アナスタシアは涙で濡れた目を丸くした。

「それって……クイーン・オブ・ギムレットに認められたってこと!?」
「まあな。俺に力を貸してくれるってさ」
「アージェ君、すごい成長だよ……」

 アナスタシアは腕のドレスグローブで目をこすって涙顔と別れを告げる。唇を引き締め闘いの決意を宿したまなざしでガルシアを睨みつけた。

「お父様……いえ、敵である以上、『帝』と呼ばせていただくわ!」
「ふっ、連れ子だったおまえが余に歯向かうつもりか。一端の魔法使いなら、余には到底及ばないことなど百も承知だろうに」
「だけど今はアージェ君がいるもの!」
「そうか、その青年がおまえたちの希望ということだな。それならば――」

 ガルシアは指先で宙に不思議な模様を描く。

 ――『支配の雷光(サンダー・オブ・ドミネーション)!』

 するとガルシアの頭上に雲が発生し龍の姿を描き出す。龍が金切り声の雄叫びをあげると、突き刺すような振動が脳に流れ込んでくる。狙われたアージェは頭を抱えてうずくまる。

「うっ……くっ……なんだこれはっ!」
「アージェ君っ!」

 雷撃の音を脳に与えて精神を破壊する魔法だ。閉じたまぶたの裏に断続的な閃光が映り、同時に殴られたような激痛に襲われる。

「まずい……はぁ、はぁっ……」

 アージェは朦朧としながら魔法を詠唱する。

 ――『魔禁瘴・静穏な捕縛(カーム・キャプチャ)!』

 かろうじて発動に成功すると、龍の咆哮はアージェの魔法に吸い込まれて消え失せる。

「これは挨拶がわりだ。おまえには聞きたいことがあるからな」
「やけににぎやかな挨拶だったな……」

 アージェは頭を押さえたまま立ち上がる。痛みは引いたが、咆哮の残響は続いていた。

「アージェと言ったな、なかなか面白い魔法だ」
「まったく帝に一目置かれるなんて光栄極まりないぜ」
「しかし不可思議な翼、血脈から感じる純度の高い魔力――どうして複雑な要素の魔法を共存させられたのだ」

 ガルシアの視線は敵を見る目ではなかった。むしろアージェの持つ魔法の神秘性に対する好奇心が色濃く感じられる。

世界を統べる秘石(メルス・ラトイーテ)が俺に力を貸してくれたからさ」

 祭壇の上に据えられた秘石を指さす。

「秘石が奪われた片割れを取り戻せって言っているんだ」
「笑止な。これほどの魔力を有する秘石は、魔法文明を発展させるための貴重な研究素材だ。やすやすと返すわけにはいかない」

 アージェを見つめるガルシアの視線が刃のように鋭くなる。だがアージェが臆することはない。

「何が研究だ。生命再生の魔導書(アスト・ヴェルケロニック)と秘石の魔力、それにアナスタシア王女の肉体。――ほんとうは生命再生の古代魔法を発動させるつもりなんだろ?」

 ガルシアは一瞬、双眸を見開くが、それでも冷静さを崩すことはない。

「ふっ、まさか儀式の目的に気づく者がいたとは驚きだ。だが余に対するその不遜な言動、それに神聖な儀式への横槍、許すわけにはいかぬ」
「許しを請うつもりなんてないさ。アナスタシア王女も秘石も、俺たちが取り戻すんだ。そのために俺たちはここに来た」
「虚勢だけは一流だな、蛮勇の青年よ」

 ガルシアが手のひらを差し出すと、アージェは全身に激しい衝撃を受けて吹き飛ばされる。まるで空気中から巨大な壁が飛び出したかのようだったが、一瞬のことで何が起きたか理解できなかった。

 背後の石柱に激突した痛みで息が止まり、目の前の景色がぐわんと歪む。

「ぐっ……なんだ今のは……」

 ねじれた視界の向こうには、指を構えてアージェを狙う帝の姿が見えた。

「アージェ君!」

 アナスタシアがアージェに駆け寄る。傘の形をした氷の防護壁を発動させていた。防護壁を掲げて防御を張る。

「『帝』は私と同じ四元魔素の使い手よ。それに『帝』が『帝』であるゆえんは、他者を寄せ付けない圧倒的な魔力の強さと類まれなる魔法詠唱の速度によるものよ」
「くっ……魔法を封じるのでさえ、そう簡単ではないってことか……」

 アージェは血が垂れる口角を腕で拭う。アナスタシアが耳元に唇を寄せて囁いた。

「帝を倒すのは難しいと思う。でも――儀式を止めることはできるはず」
「儀式を止める……?」
「必要な素材を失ってしまえば何もできないはず」
「それって――まさか!」

 思い詰めたようなアナスタシアの表情は、アージェにその意図を伝えていた。

「――氷の棺を壊してお母様の魂を開放するのよ。そうすればすべてを水の泡にできるから」

 アージェは言葉を失った。実母の魂をみずから旅立たせようとするアナスタシアの胸の痛みは想像に余る。

「もう覚悟はしていた。あまりにも多くの人々が、お母様の生命再生のために犠牲になっている。だからお母様の血を継ぐ私が、その不条理な争いに終止符を打たなくちゃならないの」

 アナスタシアの瞳は強い決意に満ちている。

「私が全力で『帝』に挑むから、アージェ君が隙を突いて氷の棺を解除して」
「――ほんとうにいいのか?」
「きみに引導を渡してもらえるなら、私は自分の選択に後悔なんかしない」
「そこまで決意を固めているなら――その役、俺が引き受けるよ」
「ありがとう、アージェ君!」

 アナスタシアは帝に対し、力強いまなざしで盾突く。

「魔法学院で鍛えた数々の技、とくとお見舞いしてあげるわ!」

 ――『絶対☆領域(アブソルート・スフィア)!』

 激しい雷光が大聖堂一帯を駆け抜け、ガルシアを中心に光のつぶてが撒き散らされる。触れれば爆発する、強力な魔力の爆弾だ。

「これでうかつには動けないわね!」
「さあ、どうかな」

 ――『空間摩擦撃(スペース・フリクション・ショット)!』

 空間が締め上げられるように歪み、触発された光のつぶてが暴発する。地を揺るがすような轟音が大聖堂に響き渡った。一瞬にして魔法は消滅させられた。

「たわいもない技だな」

 けれどアナスタシアは視界が遮られる瞬間を狙い、優雅な手振りで先制の魔法を唱えていた。

 ――『紅の花弁の唄(ソング・オブ・クリムゾン・ペタール)!』

 間髪入れず燃え盛る炎が放たれる。渦を巻きながらガルシアに襲いかかる。

「むっ、あの魔法は囮かっ!」

 ――『氷柱砲(アイシクル・キャノン)!』

 ガルシアは凍てつく氷の塊を発現させアナスタシアに向けて放つ。紅炎と衝突すると、紅炎と氷爆は絡み合いながら砕け散った。周囲に魔力の残滓がほとばしる。

 アナスタシアは防御の傘を発動させ身を護ったが、ガルシアは魔法の残滓を全身で受けながら即座に次の魔法を発動させた。

 ――『支配の雷光(サンダー・オブ・ドミネーション)!』

 アージェを苦しめた精神を支配する魔法だ。ふたたびガルシアの頭上に魔力で描かれた龍が現れる。アナスタシアには次の攻撃を繰り出す時間の猶予はなかった。

「これで戦闘不能だ。諦めるんだな、アナスタシアよ」
「しまっ……」

 その瞬間――。

 ――『魔禁瘴・矢羽(アロウウイング)!』

 アージェが龍の姿をした幻影に向けて魔法を放つ。龍にいくつもの風穴が開く。もがくように身をうねらせ、咆哮を放つことなく蒸散した。

「やるな青年よ。ここで葬るにはあまりにも惜しい能力だ。だが容赦はしない!」
「だれが葬られるかってんだ!」
「ならばこれを受けてみろ!」

 ――『多連風刃《マルチプル・ウインドブレード》!』

「アージェ君、時間を稼いで! 詠唱の時間がほしい!」
「ああ、任せておきな!」

 ――『魔禁瘴・多重連射弾(ガトリング・ショット)!』

 ガルシアとアージェの撃ち合いがはじまる。だがアージェはガルシアの魔法発動の速度に徐々に押されてゆく。

「くっ……! 威力も速度も、セリアの魔法を上回っているッ!!」
「余の魔法を庶民と比較するなど、愚弄するにも程があるわ!」

 魔力に圧倒され限界を迎えそうになった時、アージェの背後でアナスタシアが魔法を発動させた。

 ――『装備全装填(フルキャスト・イクイップメント)!』

 アナスタシアは魔法戦士であるラドラの魔法をマスターしていた。魔力が具現化し、全身を覆う白銀の鎧と剣に変化する。瞳は冷たい光を放ち、まるで戦場を支配する女王のようであった。

「リリコ! だてに管理人やっていたんじゃないんだな!」
「その呼び方、懐かしいわね。私だってリリコの姿で鍛錬していたんだから!」

 アナスタシアは俊敏に風刃を躱しガルシアの懐に潜り込む。まるで彼女自身が一陣の風になったようだ。ガルシアはすかさず風魔法を解除し両手に防御の盾を張る。

 ――『反逆の盾(シールド・オブ・リベリオン)!』

 アナスタシアは猛烈な速さで連続攻撃を繰り出すが、頑強な盾によって完全に防がれた。魔法の盾は剣の動きを読んでみずから反応するのだ。

「その程度の攻撃、通るはずもあるまい!」
「けれど防御魔法を解除されたらどうなるか、わかっているでしょう?」

 アナスタシアの背後ではアージェが魔禁瘴を発動させて黒霧を腕に宿し構えている。

「またあの魔法を放つつもりだな。だが同じ手が通用すると思っているのか」

 直後、ガルシアの盾の中央が突き出し巨大な槍を形作る。しかも盾は複製され三重の構造を形成した。

「これは攻防一体の盾、しかも魔法消去に耐性を持つ構造だ。長引く反抗期を終わらせる時が来たようだ」
「派手な親子喧嘩になりそうね。まあ、親子とは思っていないけど」
「世間に擦れて生意気になったな」
「残念ね、もともとの性格よ!」

 魔法の剣と槍が激しくぶつかり合い火花を散らす。猛威を振るう魔法に大聖堂の空気が震えた。アナスタシアとガルシアは互いの武器を交えて至近距離で睨みあう。

「魔法使いとしての成長は認めよう。だがそれは同時に秀逸な『器』となったということだ。余は嬉しく思うぞ」
「へぇー、私が『器』になれるなんて信じているのが馬鹿みたい」
「お気楽だな。余が手加減をしているのに気づいていないのか」
「そう? でも私の相手をした時点であなたは負けているわ」
「どういう意味だ?」
「さあね、教えられないわ」

 アナスタシアはかすかに口元を緩める。近接の戦いでの勝算などあるはずはなかった。至近距離での挑発はガルシアの意識を釘付けにし、視界を閉ざすための作戦にすぎない。

 突然、ガルシアの聴覚に魔法を放つアージェの声が届く。

 ――『魔禁瘴・静音な捕縛(カーム・キャプチャ)!』

 すかさず後退して視界を確保すると、アージェはガルシアではない『何か』に狙いをつけていた。

 黒霧が包み込んだのは――祭壇の前に据え置かれていた『氷の棺』だった。事態を認識したガルシアの表情がさっと色を失う。

「まさか――シャルロットを手にかけるとはッ!!」

 棺を覆っていた草の蔓が解け、蓋が勢いよく開く。魔法の氷が霧散し女王の姿が浮き出した。

「これで儀式は終わりね」
「くっ……!」

 ガルシアは冷静さを失い、戦いを投げ出して棺へと駆け寄った。蒼白の肌をあらわにした女王に生気はない。その身から放たれる魔力の気配が急激に減少していた。

「まずい、このままでは魂が消えてしまう! 今すぐシャルロットを再生させなければ!」

 ガルシアは最大の信頼を置く部下、ヴェンダールに視線を向ける。

「ヴェンダールよ、早く決着をつけるんだ!」

 その時、セリアとヴェンダールの戦いは劇的な終局を迎えていた――。