視界を閉ざしていた大聖堂の白煙がゆったりと消えてゆく。煙の奥から姿を現したのは、白馬に乗った初老の魔法使いだった。その瞳は時を経ても薄れることのない怒りを湛えている。

「ヴェンダールよ、ようやっと貴様と相対することができた。これほどまでに胸が震えるのは青春時代以来だ」
精鋭部隊(クーケンス)の一員でありながら、大陸で仲間を見捨てて逃亡を図った裏切り者、ドンペル・シュヴァルツワルトだな」
「とぼけるのもいいかげんにしろ。儂の友人は命と引き換えに儂を逃がしてくれた。その想いに報いるためにも、積年の恨みを晴らさせてもらう」

 続いてうら若き長い黒髪の魔法使いが大聖堂に舞い降りる。彼女の身体は嵐を彷彿とさせる荒々しい風に包まれており、胸の内に秘めた復讐心を荒立たせているかのようだ。

「あなたは帝のために、途方もない犠牲を生み出していった。その所業が不毛だということを思い知らせてあげるわ」
「小娘よ。魔力、権力、統治力――力を持つ者の命とそうでない者の命の重さには、はかり知れない違いがあるのだ。下民の命は崇高な者の肥やしとして存在するにすぎない」
「それなら力でねじ伏せれば納得するってことね。――わたしは命と尊厳の価値を、自分で決めさせてもらうから!」 

 最後に全身を魔法の装備で固めた屈強な魔法戦士が宙を舞い、すたんと華麗に着地する。静謐なたたずまいは、揺るがない意志の強さを感じさせる。

「おまえは大陸を荒らし、多くの民の命を奪っていった。民の心に刻みつけた悲しみと無益な殺戮の対価、ここで正当に評価させてもらう」
「ふっ、かつては参謀長の座を競った相手だが――さては己の立場の差に逆恨みか。むしろガルシア様のための神聖な儀式を穢した罪は、貴様の命をもってしても精算しきれるものではない」
「その思い違い、俺の正義の重さで猛省させてやろう。重いぜ、なにせ俺の双肩には大陸の民の魂が乗っているからな!」

 十字架に縛られたアナスタシアは、三人の姿を瞳に映して涙を浮かべる。

「魔法学院のみんな、私を助けに来てくれたんだ。――ううん、未来を変えに来てくれたんだねっ!」
「リリコさん――いや、アナスタシア王女、しばらく辛抱してください。こいつらを片付けたら開放させていただきます」

 ラドラはアナスタシアに向かって似つかわしくないウィンクをして見せた。アナスタシアにかすかな笑顔が戻る。ブリリアンはその様子を柱の裏から覗き見て驚愕する。

「なぜだッ! なぜ僕が現れた時とは段違いの反応なんだッ!!」

 痺れるような緊張感が張りつめる中、ガルシアの威圧的な声が響き渡る。

「ヴェンダールよ、復活の儀式の好機を逃すわけにはいかない。なれば余も手を貸そう」

 自ら手を下せば瞬時に片がつくという、絶対の自信が込められている。しかしヴェンダールは床にひざまずいて頭を垂れた。

「失礼ながらお断り申し上げます」
「なぜだ、これは余のための儀式ではないか」
「そうであってもガルシア様のお手を煩わせることなど、できるはずがありません」
「気に病むな。余とおまえは、ともに立ちはだかる障害を乗り越えてきたではないか」
「そのお言葉、嬉しゅうございます。しかしご安心を。すでに布陣を固めております。どうぞご覧ください」

 指さした石畳の上には小さな薄黄色の物体が散りばめられていた。まるで生き物の牙を想像させる、円錐形の突起の形状。不穏な魔力を発していることに気づいたブリリアンが声を荒らげる。

「あれは僕が飲まされたやつ――竜牙戦士(ドラゴントゥースウォーリア)だ!」
「えっ!? じゃあ――」

 身の危険を感じたセリアは距離を取ろうとして風魔法を唱える。

 ――『風の遊歩道(ウインド・ブロムナート)!』

 だがヴェンダールは視線を床に向けたままにやりと口元を歪める。

「――その魔法を唱えたな」

 突然、竜牙のひとつがむくむくと膨らみ、大きな骸骨の姿に変貌する。飛び立つ瞬間のセリアの足を掴み取り、強引に空中から引きずり落とす。

「きゃあっ!」

 竜牙戦士はセリアを床に叩きつけて馬乗りになり、石刀を構えて心臓に狙いを定めた。

 セリアは両腕を胸の前で交差させ心臓を防御する。しかし竜牙戦士は躊躇なく腕を振りかぶり、セリアの胸をめがけて剣を突き立てた。

「――ッ!!」

 その瞬間、竜牙戦士の両腕が弾けて飛んだ。中折れした上腕の骨が振り下ろされて空を切る。立て続けに髑髏の首が吹き飛ばされる。

 セリアは閉じた双眸をおそるおそる開く。竜牙戦士の胴体がゆっくりと仰向けに倒れゆくところだった。

 その向こうにはラドラの背中姿。とっさの援護がなければ確実にやられていた。

「助かりました、ラドラ先生!」

 ラドラは振り向き、人差し指を唇の前に立ててみせる。

「奴の竜牙戦士は特定のキーワードで発動するように仕組まれている。魔法の詠唱はきわめて危険だ」

 魔法を詠唱すればどこから不意打ちを受けるかわからない。それは物理攻撃に弱い魔法使いに対する、最大の魔法封じだった。

 けれど魔法戦士であるラドラだけは違った。魔法の装備を発動させれば、それ以上の詠唱を必要とせず戦うことができる。

「どうやら奴は俺との一騎打ちを望んでいるようだ」

 ラドラはヴェンダールの戦い方を熟知している。軍で腕を競いあった相手だからだ。だがヴェンダールにとっても条件は同じである。

「ラドラ・ホーラよ、今こそ互いの正義の重さを秤にかけようではないか」
「命の尊さを軽視するおまえの正義など、質量を持たない幻想のようなものだろうよ!」

 先に仕掛けたのはラドラだった。地面を蹴る音が響いた瞬間――ラドラの姿は残像となっていた。相手に狙いを絞らせぬよう、疾風のごとく高速で移動しヴェンダールとの距離を詰めてゆく。

 しかしヴェンダールは迷うことなく魔法を詠唱する。

 ――『裏切りの大地(ビトレイヤル・グラウンド)!』

 石畳の床がひび割れ、鉾のような鋭い岩が突き出してラドラの行く手を阻む。すかさず飛び退いて着地すると、待ち構えていたかのように次々と岩が飛び出してくる。避けきれずかすめた岩が皮膚を裂き血が滴る。

「くっ、まさに針のむしろだな……」

 ヴェンダールの魔法は容赦なくラドラを追い詰めてゆく。

「ははっ、なかなか楽しいゲームだ。貴様にとってはデスゲームだろうがな」
「だがこの程度で俺を倒せるとは思っていないだろう?」

 ラドラはすかさず盾を外し、盾の上に飛び乗った。勢いよく地面を蹴り、突き上げる床の岩盤を砕きながらヴェンダールに向かっていく。そのさまはまるで濁流をかき分ける(いかだ)のようだ。

「俺は教科書通りの行動ってのが一番苦手なもんでなあ!」

 盾の上に立ち、両手で剣を握りしめて大きく振りかぶる。力強く地面を叩きつけると、バリバリと床が裂けて岩盤が宙に舞う。

 まるで風に遊ぶ花弁のように空中で身を翻し、その岩盤のひとつにすっと剣を添える。刹那、全身の筋肉が唸り声をあげた。

「さあ、真っ向から受け止めてみろ!」

 ラドラは激甚の剣圧でヴェンダールに向かって岩盤を叩きつける。

「殺ってみろ! 己の不甲斐なさを知ることになるだろうがな!」

 ヴェンダールは一歩下がり腕を広げる。全身から魔力が這い上がり、両腕の間に集まってゆく。

 ――『血塗られた斧(ブラッディ・アックス)!』

 悪魔の姿を模した深紅の斧がヴェンダールの眼前に出現する。ぱちんと指を鳴らすと斧が回転して岩盤を迎撃し破壊した。砕けた石礫があたりに飛び散る。

 けれどラドラはその瞬間を狙い、すかさず間合いを詰めていた。放つ一閃の剣筋がヴェンダールの胸元をかすめる。ローブが切り裂かれ肌があらわになる。ぱっと鮮血が飛んだ。

 負わせた傷は深くなかったが、ヴェンダールの表情は一変した。

「やってくれたな! 目眩ましとは裏切り者の貴様らしい姑息な手段だ!」
「知っているか、おまえはその裏切り者に斬られる運命なんだぜ!」
「ならば貴様の十八番でひれ伏させてくれよう!」

 ヴェンダールは斧を手に取り両手を踊らせる。ラドラめがけて斧を振り落とすと、ラドラの剣がその衝撃を受け止める。激しくぶつかり合う武器は強烈な振動を呼び、伝播した衝撃は城壁を轟かせた。

 かつてはカルト教団の暗殺者であったヴェンダールは、近接戦闘においてもラドラに引けを取ることはなかった。

 ガルシアはふたりの一騎打ちを無言で見守っている。ドンペルとセリアは魔法を封じられていたが、ガルシアが勝負をヴェンダールに託していたのは幸いだった。もしもガルシアが仕掛けようものなら勝ち目はない。

 ヴェンダールは斧を操りながら自身の胸元に手を差し込む。取り出したのはひとかけらのギムレット。それを握り、斧を操りつつ魔法の詠唱を開始した。するとギムレットが砕け、握っていた右手の甲に氷の刃が浮かび上がる。

「魔法の二重発動だと!?」
生粋(ギフテッド)ではない貴様は知るよしもないだろうが、自身と異なる属性の魔法はギムレットによって発動が可能だ」
「けれど所詮、氷の魔法は標準魔法(コモンセンス)にすぎないのだろう?」
「ふっ、だが殺傷能力は侮れないぞ。避けられるものなら避けてみろ(・・・・・・・・・・・・・・)!」

 ヴェンダールは三歩分、サイドステップを踏んで氷の魔法を放った。ラドラは盾を外していたが、すかさず腕を折って全身で受け止める。避ける気配はなかった。

 セリアは、あっ、と声をあげた。

 ラドラは魔法に弾かれて大きくのけ反る。ヴェンダールはその瞬間を見逃さなかった。ラドラの懐に滑り込んで低い姿勢を取り、斧を床上ぎりぎりに構えてラドラを睨み上げる。

「貴様はその無益な信念に殺される運命だった(・・・・・・・・・・・・・・・)ようだな!」

 ――『天空を裂く斬撃(ライジング・スラッシュ)!』

「ぐああッ!」

 直撃を受けたラドラの身体が宙に舞い上がる。魔法の鎧が縦に裂け、あたりに血が飛び散った。

「ああっ! ラドラ先生ッ!!」

 ラドラがなぜ避けなかったのか、セリアだけは気づいていた。魔法が放たれたのはラドラとヴェンダールの姿が重なった瞬間だった。もしも避けていれば、氷の魔法はセリアを直撃していた。いや――最初からセリアを狙っていたに違いないのだ。

 ラドラはかろうじて立ち上がったが、鎧は破壊され、受けた傷から拍動に合わせて血液が流れ出している。

 一対一の戦いのさなかでさえ、ラドラは身を挺してセリアを護っていた。魔法の使えない魔法使いなど、この場では足枷でしかない。自身の無力さに打ちのめされたセリアの顔から血の気が引いてゆく。

「勝負あったな、ラドラよ」
「甘く見るな、これしきで倒れられるかよ……」

 ラドラはピピンから受け取った革袋を手に取り、小瓶を取り出して握りしめる。ぱりん、と軽快な音がして若草色の光がラドラを包み込む。草木の香りがあたりに漂った。ラドラの流血がぴたりと止まる。

「大陸で精製される、傷を治す魔法を封じた粉だ」
「ほぅ、かねがね思っていたが、大陸の民のしつこさは称賛に値するな」
「彼らを愚弄しているのか?」
「ああ、そのつもりだが何か?」
「ならばなおさら容赦するつもりはない!」
 
 ラドラは瞳に炎を滾らせ、ふたたびヴェンダールと剣を交える。だがラドラの足の動きは明らかに鈍っている。セリアはわたしのせいだと自身を呪い憔悴する。

「ドンペル先生、わたしたちは邪魔になります。身を引きましょう!」
「ああ、申しわけないがそうするしかなさそうだ」

 散りばめられた竜牙の発動だけは避けなければならない。もしも一体が発動すれば、魔法で対処せざるをえない。そして魔法を詠唱するたび、敵の数が増していくのは目に見えている。

 ふたりが一歩、後退した瞬間――矢のような雷光が足元に突き刺さり、耳をつんざくような破裂音が鳴り響いた。

 驚いて雷光の放たれたほうを見ると、ガルシアが指先をこちらに向けていた。

「退くことは許さん!」
「手を出さないはずじゃなかったんですか!?」

 セリアは叫ぶが、ガルシアは刃のような鋭い目つきを向けている。

「ヴェンダールは三対一の不利な対決(・・・・・・・・・)を受けて立った。余の手助けすら断ってな」
「うっ……」
「その人数が仇となったのはヴェンダールの戦術によるものだ。おまえたちがこの戦いから身を引くのは構わないが、そうなれば余が加勢をする正当な理由となろう」

 ガルシアの言うことは理路整然としており、その言葉は帝王としての威厳に溢れていた。戦いを俯瞰する眼力は完全に及ばないと認めざるを得ない。この瞬間、セリアとドンペルは人質以外の何者でもなくなってしまった。

 けれど一縷(いちる)の望みが残されている。アージェだ。竜牙戦士の魔法を無効化できれば、魔法詠唱の制約はなくなるはずだ。

 しかし今ここにアージェの姿はない。

 ――アージェ、どうしたの? はやく来て!

 セリアは不安になって貫かれた壁に視線を送る。しかしアージェの魔力は微塵も感じられなかった。

 ラドラとヴェンダールのせめぎ合いは明らかにラドラが劣勢だった。ヴェンダールがギムレットの魔法を発動させているせいで、ラドラはドンペルとセリアの位置関係を意識する必要があったからだ。長引くほど体力と精神力が削られ、絶望的に不利な状況に陥ってゆく戦いだ。

 すると突然、柱の陰からブリリアンが飛び出してきた。大胆不敵にもガルシアに向かって声を荒らげる。

「黙って聞いてりゃいい気になりやがって! 三対一の不利な対決(・・・・・・・・・)を受けて立っただと!?」

 ガルシア、ドンペル、そしてセリアの視線がブリリアンに集中する。

四対一の不利な対決(・・・・・・・・・)って訂正しろよォォォ!」

 唖然とするドンペルとセリア。逆上したブリリアンは両手を頭上に掲げて魔法詠唱の構えを取る。

「見ていろよ、もしもヴェンダールがギムレットの魔法を放とうものなら、僕も魔法で反撃してやる!」
「とち狂ってはいかん、ブリリアン殿! 竜牙戦士は発動させた者を狙ってくるぞ!」
「だいじょうぶ、僕の魔法は絶対に(・・・)竜牙戦士を発動させないですから!」

 ブリリアンの表情には怒りだけでなく、絶対の自信が込められている。だがその自信の根拠はあまりにも不明確である。

「待てッ、早まるなァァァ!!」

 これだけ多くの竜牙が撒き散らされていれば、あらゆる魔法の詠唱が発動条件のキーワードになると考えるべきだ。しかしブリリアンはドンペルの制止を振り切って魔法を詠唱した。

 ――『官能爆破弾(セクシー・ダイナマイト)ォォォ!』

 炎の玉がブリリアンの手の上に出現した。燃え盛る火焔の熱量は、今までのブリリアンの魔法をはるかに凌駕するものだった。しかも竜牙戦士はまったく出現しなかった。

「まっ……まさかブリリアン殿はすでに代替詠唱(オルタネイティブ・スペリング)を成功させていたというのかッ!」

 代替詠唱とは異なる言葉の詠唱で魔法の発動を成功させることである。ブリリアンは代替詠唱によって罠となるキーワードを回避したのである。

「そんなにすごいことなんですか!?」
「ああ……儂もかつては代替詠唱に凝ったものだが、魔力は本来の魔法より極端に減弱してしまうものだ。だが彼は本来以上の魔力を引き出している。彼のかっこよさへの追求心が、彼を未知の領域に引き上げたに違いない」
「そっ、そういうものなんですか、魔法って!」
「『魔力は気から』ということわざの通り、精神状態の影響は魔法の神秘のひとつだからな」

 ヴェンダールはブリリアンの発動させた魔法を一瞥して舌打ちする。

「ちっ、意外な邪魔者が入ったか!」
「僕は邪魔なんかしないさ、おまえが先生と武器同士で戦っているうちはな」
「すまないブリリアン、これで存分に戦える!」

 ラドラの動きが機敏になり剣は切れ味を取り戻す。だがヴェンダールの表情は怒りに満ちていた。

「ガルシア様は三対一とおっしゃった。つまり貴様のようなクズ魔法使いは、あのお方の数える数値にすら含む価値はないということだ。ならば貴様から消して帳尻を合わせてやろう!」

 ヴェンダールはラドラから身を引き、氷の矢をブリリアンめがけて放つ。

「うわあっ、こっちを狙ってきたッ!」

 ブリリアンは反射的に炎の魔法を発射していた。氷の矢と衝突して爆発し、大聖堂に魔力の雨を降らせる。威力は負けていなかった。

「ラドラよ、貴様が育ててきたその生徒を、今ここで血祭りにあげてくれるわ!」

 ――『大食漢の大蛇(グルトン・ビッグスネイク)!』

 ヴェンダールは深紅の斧を消滅させ、かわりに具現化の魔法で大蛇を生み出した。武器を失ったが滑るようなステップでラドラの攻撃を躱し、足技で応戦を続ける。

「くっ、こっちは手が離せない! ドンペル先生、お願いします!」

 大蛇はブリリアンを狙いすまし、その巨大な身体からは想像しがたい素早さで獲物に襲いかかる。ドンペルはひたいに汗を浮かべていたが、危機を迎えてついに決断を下す。

「こうなったら玉砕覚悟でブリリアン殿を守らねばなるまい!」

 ――『断絶の牢獄(プリズン・オブ・アイソレーション)!』

 鋼鉄製の巨大な牢獄が空中に出現し、大蛇に覆いかぶさって封じ込める。だが同時に竜牙が膨れ上がり、竜牙戦士が発動した。それも二体だ。

「くっ、この魔法も仕掛けられていたか!」

 ドンペルの魔法はヴェンダールに調査されていたはず。ドンペルは竜牙戦士の攻撃を体術で躱し続けるが、相手はあくまで疲労を知らない傀儡である。努力虚しくついに大聖堂の隅に追い詰められた。

「儂はここまでか……」

 二体の竜牙戦士の振り下ろす剣がドンペルの両肩を捉える。ドンペルは強烈に床に叩きつけられた。

 竜牙戦士は相手の息の根を止めるまで攻撃を止めることはない。引導を渡す一撃をドンペルの心臓めがけて放つ。

 その瞬間――。

 ――『昇爆の風(ライジング・バースト)ォォォ!』

 二体の竜牙戦士が風に巻き上げられ、大聖堂の天井に激突して砕け散る。セリアが風魔法を放ち最悪の事態を回避したのだ。九死に一生を得たドンペルだったが、すでに意識を失っていた。

 魔法の効果は失われ、断絶の牢獄(プリズン・オブ・アイソレーション)は消滅した。

 自由の身となった大蛇はブリリアンに襲いかかり、身体に巻き付いて身動きを封じた。締め上げられたブリリアンは苦悶の声を発する。

「ひいいいっ、苦し……助け……て」
「ブリリアン、今助けるから!」

 セリアは駆け寄りつつ魔法を詠唱しかけたが、真っ青な顔になって足を止める。

「やっぱり……罠が発動した……」

 セリアの目の前には五体もの竜牙戦士が待ち構えていたのだ。ラドラは振り向き危機に陥ったふたりに向かって叫ぶ。

「セリア! ブリリアン! こいつを片付けるまで耐えてくれ!」
「――そんな余裕が貴様にあるのか?」

 ほんの刹那だが、ラドラは致命的な隙を見せてしまった。

 ヴェンダールはその隙を見逃さず、身体を回転させて回し蹴りを繰り出した。鋭い蹴りがラドラの顎を捉える。ラドラは吹き飛ばされて柱に激突し、ずるずると滑るように床に伏す。

「ラ……ラドラァ……」

 十字架に(はりつけ)にされたアナスタシアは戦慄の光景に声も涙も失っていた。

 絶望に襲われて目を伏せ、諦念に潰されて力を失う。ぽつりと叶わないはずの願いをこぼした。

 ――こんな時、あのひとがいてくれたのなら。いつだって皆を支えてくれる希望のひと。

 ――アージェ君……。

 その時――不思議な魔力が大聖堂に流れ込む。朝を迎える光の眩しさと、すべてを呑み込む闇夜を共存させたような、異質で神秘的な魔力。

 淡青色の翼をはためかせながら、黒髪の青年が壁の穴から飛び出した。大聖堂を包み込む絶望の気配は一瞬にして消え失せ、皆の心に眩い希望の光が灯る。

「アージェ! お、お、遅いよぉぉぉ!!」

 誰よりも最初に気づいたのはセリアだった。振り向いて涙声でその名を呼ぶ。 

「あ……あ……アージェ君ッ! い……い……生きてたぁぁぁ!! アージェ君が、まだ生きていたぁぁぁ!!」

 アナスタシアにとっては夢のような再会に涙腺が崩壊する。飛行艇の墜落で死んでしまったものと思い込んでいたから、驚きもあいまって大号泣だ。

 一方、ブリリアンは大蛇に締め上げられたせいで泡を吹いて失神している。

「みんな待たせて悪かった!」

 すぐさま魔法の詠唱が大聖堂に響く。

 ――『魔禁瘴・漆黒の流星群(ダークネス・メテオシャワー)!!』

 アージェは滑空しながら魔力の弾丸を撒き散らす。魔法のエネルギーは無数の光の帯となって大蛇の全身に風穴を開け、竜牙戦士を浄化させ、さらにその余波で散りばめられた竜牙の魔力を消滅させた。

 アナスタシアを縛り上げていた魔法の縄も消え、身体がどさりと床に落ちる。けれど痛みなど微塵も感じなかった。アージェが生きていたという事実で、全身の神経が麻酔をかけられたような感覚に陥っていたからだ。

「ちっ、またしても邪魔者か! だが貴様の到来は予想の範疇だ。洞穴で目撃したからな!」
 
 ヴェンダールは苛立ちの顔に変貌する。戦闘時間が長引けば儀式のための最高の条件を逃してしまう。月はもうすぐ空の頂に達するのだ。

その時、ガルシアがついに参戦の声を上げた。

「いよいよ余の出番のようだな。ヴェンダールよ、この不思議な力を持つ男は余に任せておけ」
「はっ、不躾ながらお願い申し上げます!」

 ヴェンダールはひざまずいて頭を垂れる。

「それならあなたの相手をするのはわたしということね」

 セリアが風魔法を脚に纏い空中で身構えると、ヴェンダールはゆっくりとセリアを見上げた。血の匂いを感じさせるような、爛々と光る双眸がセリアを捉える。

「ほぉ、敗者(ラドラ)たちの報復のつもりか」
「違うわ、わたしという足枷がなければ先生は負けていなかったもの。あえて言うなら、わたしの両親の無念を晴らすためよ!」

 ヴェンダールは薄気味悪い笑みを見せてから、くいっと指先を曲げてセリアを挑発する。

「ならばその怨恨を砕き、親の後を追わせてやろう!」

 ――『辛苦の槍(スパイシー・スピア)!』 

 ――『風の遊歩道(ウインド・ブロムナート)!』

 そうしてセリアとヴェンダールの壮絶な魔法の戦いが幕を開けた――。