その数分前。

 アージェ、セリア、ラドラ、そしてドンペルはハインゲル城の庭に身を潜めて機会をうかがっていた。

 強力な魔力を有する生粋(ギフテッド)の三人と、魔法鉱石を携えるラドラは潜入すればただちに気づかれてしまう。だから潜入捜査はブリリアンが任命された。

「そこはやっぱり僕の役目なんだな……」
「頼りにしてるよ、ブリリアン!」

 屈託のないセリアの笑顔に、ブリリアンは抵抗できるはずもない。

「ああ、大船に乗ったつもりで僕に任せてくれ!」

 ブリリアンはドンペルの夢幻の魔法で姿を隠し、城から出て行く使用人の隙をついて場内に潜入した。儀式が開始されたタイミングを見計らって合図を送り、一気に大聖堂に攻め入る作戦だ。

 ――『熱探知《ヒート・ディテクション》!』

 ドンペルは魔法を唱えて城壁の温度変化を探知する。

「あとはブリリアン殿の合図待ちだ。城壁の破壊はラドラ先生に任せる」

 するとラドラは城壁を剣先で小突いて怪訝そうな顔をする。

「いや――そうもいかないようです」
「どうしたというのだ?」
「壁に違和感があります。触れてみてください。俺では感知できませんから」
「つまり魔法で覆われている、ということか」
「はい。ところでセリア・フォスターはどうだ?」

 セリアはすすっと壁を撫でて確かめる。

「薄くて強力な結果が張られているみたいです」
「そうだったか。アージェ殿、消すことはできそうか」
「やってみます」

 ――『魔禁瘴・終焉の宴(ファイナルヴァンケット)!』

 アージェは魔禁瘴で結界を打ち消して穴を開ける。しかし、結界の魔力が城壁の表面に沿って流れ込み、穴はすぐに塞がれてしまう。

「むぅ、これでは強行突破は困難か」

 ドンペルはひげをこすりながら悩ましい顔をする。

「魔法を打ち消し、なおかつ壁を破壊できる強力な魔法を同時に放たねばならない――複合魔法が必要ですな」

 ラドラはセリアに視線を向ける。

「複合魔法ならアージェとセリアのコンビネーションが確実では?」
「いえ、わたしの風魔法は物理的な破壊能力を持っていません」
「むぅ……ドンペル先生はどうでしょうか」
「儂の攻撃は物質の具現化ゆえ遅延が生じる。複合魔法には不向きだな」

 皆の視線はラドラに移る。ラドラは両手のひらを前に向けて肩をすくめる。

「おっと、俺は合成魔法がとにかく苦手でな」
「たしかにおぬしは他人と息を合わせるのがてんで駄目だからな。期待はしていない」

 アージェとセリアが同時にため息をつく。ラドラは気まずそうな顔をした。するとアージェがこう言い出した。

「ひとつ、試してみたいことがあるんです。受け取った力を応用できるかもしれません」

 アージェは半身の構えを取って腕をだらりと下げ、精神を右手に集中させる。すると全身の血脈が淡青色に光り出し、その光が右腕に集中してゆく。

 脳内に秘石の聲が響く。『汝よ、私の魔力は空を舞う綿毛のように自由だ。汝の発想こそが未来を切り開く鍵となる』と。アージェは呼応するように魔法を詠唱する。

 腕から秘石の魔力が放たれ腕のまわりを高速で回転する。魔力は腕から手、指先へと移動し、その先へと伸びて槍の姿を形作る。さらに魔禁瘴の黒霧が発生して槍に絡みつき、編み込まれるように槍の中へ溶けていった。

 秘石の魔法はアージェの魔禁瘴で消えることはない。それを利用した複合魔法を発現させてみせたのだ。

 じりじりと焦げるほどに緊迫した空気があたりを包む。誰もが無言で城を見上げ続けていた。

 それから数分、時間が流れた。ドンペルが突然、はっとなった。

「熱が発せられた。あそこの壁だ。位置関係からすると大聖堂に違いない!」

 ドンペルが指さしたのは、彩り豊かなガラスで飾られた、城の中央の塔だった。

「撃て、アージェッ!」
「いきます――これが俺たちの戦いの狼煙(のろし)だ!」

 アージェは城の塔に狙いをすまし、構えた魔法を放った。

 ――『魔禁瘴・世界を統べる秘石の槍(スピア・オブ・ラトイーテ)!』

 瞬く間に青と黒の閃光が城壁を捉え、どぉん、と壁が弾ける音が鳴り響く。閃光は勢いそのままに壁の向こうへ抜けてゆく。白煙が夜空に舞い上がる。

「むぅ、これが秘石の力なのか……」
「アージェ、すごい……」

 魔力の切れ味に一同は啞然とする。けれど皆、すぐさま弾かれたように動き出した。急がなければブリリアンが危険にさらされてしまうからだ。

「よし、儂が先陣を切るぞ!」

 ――『百騎夜光(ハンドレッド・ナイト・ナイト・ライト)!』

 ドンペルは白馬を具現化させて騎乗し空へ飛び立つ。

「アージェ、わたしも行く。後を追って!」

 ――『風の遊歩道(ウインド・ブロムナート)!』

 セリアは魔法の風を両脚に纏う。アージェの脚にも風の魔法をかけてから空に舞い上がる。

 ドンペルとセリアは迷わず貫いた城壁の穴の中へと飛び込んでゆく。

「よくやったなアージェ。では作戦通りに頼む!」

 ラドラはアージェにそう言い残し、ピピンから受け取った魔法鉱石のひとつを握って魔法を発動させる。

 ――『最大加速魔法(マキシマム・アクセレーション・マジック)!』

 助走をつけて高々と跳躍する。飛ぶように城壁を登ってゆき、壁の穴に手をかけると、するりと身体を滑り込ませた。

 アージェも後を追おうと飛び上がる。けれどすぐさま足が地面を捉えた。おかしいと思い足元を見ると、纏ったはずの風魔法が消滅していた。あたりには放った魔法の残滓が色濃く漂っている。

「しまった! 魔力が想像以上に強く発動したのか」

 度重なる危機を乗り越えるたびにアージェの魔法は力強さを増していった。けれどそれはコントロールを失う諸刃の剣でもあった。

 ――まずい、俺が行かなければ作戦が失敗する。

 作戦とは、アージェが魔禁瘴でガルシアの魔法を封じて時間を稼ぎ、その間に全員の戦力を注ぎ込んでヴェンダールを仕留めるというものだ。

 だからなんとしても大聖堂にたどり着き、ガルシアを引きつけなければならない。

 アージェはすぐさま自身が可能な潜入方法を模索する。あたりを駆け回るが城門は閉ざされ中へは入れない。魔法の扉なら解除できるが頑丈な錠前には手も足も出ない。失った時間がもたらしたのは無意味な憔悴だけだった。

――破壊した壁の穴を通るしかなさそうだ。でも、どうすればあの高さまで届くのか。

 するとアージェの胸にかけたペンダントが、ぱああと光り始める。鈴の音のような澄んだ声が響いた。

「アージェ、ここはあたしに任せて!」
「メメル!」

 ペンダントから光が放たれ、光彩の帯がアージェをやさしく包み込む。まるで背中からメメルに抱きとめられている感覚だ。

「あたしだってアージェの力になりたいんだ。――ううん、みんなと一緒に戦う仲間でいたいんだ。だってあたしはアージェと運命をともにするって決めたんだから!」

 メメルの魂の熱量がアージェの心に火を灯す。アージェもメメルの想いに呼応する。

「メメル、きみはいつだって俺たちの輪の中にいた。その素直でまっすぐな気持ちが、俺に力を与えてくれたんだ。きみの勇気が、俺に戦う覚悟を決めさせたんだ」
「てへへ、アージェに褒められるのって最高に嬉しい!」
「じゃあ生命を取り戻せたら、もっともっと褒めてやるからな。うまいものもいくらでも食べさせてやる。行きたいところはどこだって連れてってやる。だから一緒に頑張ろうな!」
「よぉーし! やる気が出てきたぞぉ~!」

 アージェの背中から淡青色の光が伸びて翼になる。意思と連動するように翼ははためき肉体を宙に浮遊させた。しだいに地面が遠ざかってゆく。

「アージェ、思ったとおりに飛べている?」
「余裕だな。メメルが呼吸を合わせてくれるおかげだ」
「やったぁ♪」

 アージェは光に包まれて思う。

――俺に世界を変える力なんてない。けれどいつだってメメルが、未知の領域に進む原動力となってくれた。

 ――この先に待ち受けるのは、想像を超える力を持つ相手だ。だけどメメルと秘石の意思があれば、きっと理想の未来を掴み取れる。

 群青の空を背に屹立する城を見上げる。白煙が空に溶けてゆき、場内へ続く道がくっきりと目に映った。

「さあメメル、俺と一緒に行こう! 俺たちの未来を創りに!」
「うんっ!」

 高々と舞い上がったアージェは、空を滑る鳥のように夜空に吸い込まれてゆく。

 夜の街は、歌と踊りと眩い花火でにぎわっていた。そのせいで城の異変に気づく者など、誰ひとりとしていなかったのである。

 そうして世界(アストラル)の運命を握る戦いは、静かに幕を上げた。