大聖堂は城の中心部から塔の頂に向かってくり抜かれた、円錐形の空間となっている。その荘厳な造りは、まるで空を突き刺すかのような迫力に満ちていた。

 入り口には天使を模した豪華な彫刻が飾られ、壁面には精巧な浮き彫り細工があり、祈りを捧げる人々の絵が描かれている。

 周囲を覆う渡り廊下には美しく彩色されたガラスが張り巡らされ、月の光を幻想的に修飾して室内に広げてゆく。

 この大聖堂は、本来なら澄んだ歌声や祈りで満たされるはずである。しかし数年間、この場所は静寂に支配されていた。シャルロット女王の逝去以来、大聖堂は帝の願い――女王の生命再生への希求――のためだけに存在していた。

 そして今夜、ついに祭壇のキャンドルに炎が灯る。薄闇の中に煌めく光は、儀式の神聖さを、そして人間が未知の領域に踏み込むことの危うさを象徴している。

 中央に設置された高い祭壇には豪奢なクロスが敷かれ、その上に不思議な形状をした巨大な魔法鉱石――『クイーン・オブ・ギムレット』が据え置かれる。

 祭壇の前には草の蔓が巻かれた棺が横たわっていた。シャルロット女王の眠る、氷で満たされた棺である。

 そして祭壇の奥の壁には巨大な十字架が掲げられ、ひとりの女性が魔法の鎖で手足を縛られていた。透き通るような白い肌に艶のある気品の漂う白銀の髪。そのうら若い女性は――アナスタシア王女だ。

 アナスタシアは粛々と儀式の準備を進めるヴェンダールを睨みつける。ヴェンダールは視線に気づいて手を止めて振り向き、十字架にかけられたアナスタシアを見上げた。

「その反抗的なまなざしは、いまだに救ってもらえるという期待を捨てきれていない証拠だな」

 だが、アナスタシアは何も答えようとしない。ただ、脳裏にはひとりの青年の姿を思い浮かべているだけだ。それが叶わぬ願いであっても、これから儀式に身を捧げる彼女にとって、ただひとつの心の支えだった。

 ヴェンダールはアナスタシアの胸の内を察し、にやりと薄気味悪く笑う。

「ふっ、その期待の理由は想像がついている。だがこれを見てもその瞳の輝きを保っていられるかな?」

 ヴェンダールは魔法を唱え、空中に魔晶板を具現化させる。そこに映し出されたのは古びた飛行艇に乗り込むアージェの後ろ姿だった。

「アージェ君!」

 アナスタシアは悪い予感に思わず声をあげた。

「ふふっ、やはり頼みの綱はそいつ(・・・)なのだな。しかし一国の王女が平民に心を許すなど、王族としての威厳もへったくれもない」

 映像は空中に飛び立つ飛行艇を見送っている。直後、場面は切り替わり、空に浮かぶ飛行艇の姿を捉える。

 突如、画面が眩く光り、飛行艇に一閃の魔法が打ち込まれた。

「ああっ!」

 アナスタシアの喉から悲鳴がもれる。

 続いて飛龍が空を舞い、パラシュートで逃げる乗客を炎で撃ち落としてゆく。さらにもう一撃、放たれた魔法が飛行艇を直撃する。飛行艇はあえなく落下し、空中で派手に爆発した。

 ヴェンダールは紅の唇を裂くように広げて愉悦の感情をあらわにする。

「どうだ、人生とは儚いものだと思わないか?」

 映像は浮遊要塞の一部を映しており、しかも要塞の内部から外に向けて記録されたものだった。それは攻撃を繰り出した側の者が映像を収めていることを意味していた。

 しかもこの記録がヴェンダールの手元にあるということは、ヴェンダールは浮遊要塞の総帥グスタフと共謀してアージェを狙ったに違いないのだ。アナスタシアは怒りに打ち震えた。

「あんたはなんてひどいことをするんだ! この悪魔ッ!」
「そう悲観しないでほしい。これからあなたの魂は、あの男の元へと向かうのだから。幸福と慈愛に満ちた、ここではない永遠の世界ヘと、な」

 奥歯を噛み締めて身震いするアナスタシア。どんなに耐えようと思っても、涙がぼろぼろと流れ出してくる。

「アージェ君、ごめんなさい! 私があなたを巻き込まなければ、こんなことにならなかったのにッ!」

 アナスタシアは十字架にかけられたまま力なくうなだれ、ただ声を殺して涙をこぼし続けた。

 乾いた靴の音が床に響く。ヴェンダールが振り向くと帝であるガルシアの姿があった。儀式にそぐう、刺繍の施された豪奢なローブを身に纏っている。普段は冷静沈着な帝であるが、今日ばかりは爛々と瞳を輝かせている。

「準備は順調か、ヴェンダールよ」
「はっ! ついに長年の望みを叶えるときが来たのです」
「そうか、余はこの時を一日千秋の思いで待ち続けていたぞ」
「ああ、私もガルシア様のお役に立てて感無量です。長い魔族との死闘の末にたどり着いたこの夜は、ガルシア様にとって僥倖の扉となるでしょう!」

 ヴェンダールは感慨深そうに空を眺める。満ちた月が天の頂きを目指していた。視線を下げるとアストラル島の街並みは賑わいをみせており、踊りの音楽が聞こえてくる。

「すべては整いました。では儀式を始めさせていただきます」

 ヴェンダールは祭壇に歩み寄り、ガルシアに振り向いた。

「ガルシア様、その前にひとつだけお伝えしたいことがございます」

「むぅ、何だ?」
「儀式が成功し、女王様が復活されましたら、どうぞ幸せな日々をお過ごしくださいませ」
「何をいまさら。当然のことではないか」
「そして私のことを、どうか心の片隅に留めておいてくださいませ」

 かすかに寂しそうな表情を浮かべた。

「何を言っているんだ? おまえは余が最も信頼すべき部下だ。そして友でもある。余とおまえの関係は、何人たりとも断ち切れるものではない」
「ああ、なんともったいないお言葉……これ以上の僥倖はありません」

 ヴェンダールは帝の言葉に目を潤ませて喜びを表した。

「ガルシア様は牙を剥いた反逆者の私を拾ってくださり、ここまで育ててくださいました。その身に余るご恩、私の全身全霊をもってお返しいたします。では――」

 決意を固めて勢いよく帝に背を向け、懐から一冊の本を取り出した。

生命再生の魔導書(アスト・ヴェルケロニック)』――かつてヴェンダールが魔女から奪い取った、唯一無二の古代魔具である。

 本をかざして表紙を開き、秘石が飾られた祭壇に向けて挙行の合図を送る。

「さあ、生命を繋ぐ道はいま開かれた! クイーン・オブ・ギムレットよ、この魔導書に神秘の力を与えたまえ!」

 すると魔導書に書かれた文章が浮かび上がり、秘石との架け橋を作る。秘石は触発されたかのように光り出し、まるで血液を送り出す動脈のように脈打ち、光を魔導書に送り込んでくる。魔導書が光を帯び始め、強力な魔力を宿して震え始める。ページが嵐のようにバラバラとめくられていく。

 突然、大聖堂に風が吹き荒れ、低い地鳴りのような声が響く。洞穴に残された秘石の残骸とは明らかに質の異なる声だ。

『この魔導書は、失われた命を蘇らせるための契約書である。この契約の求めに応じる意志があるか?』
「もちろん、その意思がございます」

 ヴェンダールは魔導書を掲げて深々と頭を下げる。

『では汝に問う。生命再生をおこなう者の魂は健在であるか?』
「はい、凍結した肉体に封じられています」

 答えると魔導書から神々しく光る魔力の触手が伸び、凍りついた女王の棺を包み込む。魔力で封じた草の蔓が力を失い、外れて床に横たわる。棺の蓋が開いてシャルロット女王の姿があらわになった。

 触手は波打ちながら魔導書に戻ってゆく。

『よかろう。次に生命再生には記憶の喪失が起こり得るが了承するか?』

 ヴェンダールはガルシアに視線を向け答えを求める。ガルシアはすぐさま首を縦に振る。

「構わない。思い出よりも未来が重要だ。記憶を失っても、ふたたび歴史を築き上げればいい」

 ヴェンダールは安堵し、視線を秘石へと戻す。

「了承しました。受諾します」

 生命再生の契約はさらに続く。

『では、術の詠唱を行う者をひとり、任命せよ』

 ヴェンダールは静かに、そして厳かにうなずいた。

「私こと、ヴェンダール・ロッソが請け負わせていただきます」

 帝は無言で儀式の行方を見守っている。荘厳な声は問いかけ続ける。

『よかろう。では最後に術の詠唱者である汝に尋ねる。術の詠唱の契約にもとづき、汝は――』

 すると突然、秘石の声が遮られる。

「その儀式、ちょっと待ったぁ!」

 裏返り気味の若い男の声。直後、黒いローブで全身を覆った何者かが、扉の影から飛び出してきた。帝はこめかみに青筋を立ててヴェンダールに尋ねる。

「ヴェンダールよ、今夜は使用人も城から追い出せと言ったろう!」
「いや、人払いは済ませたはずです」
「誰であっても構わん。すぐさま記憶を消して、この神聖な空間から追い払ってくれ!」

 だがヴェンダールは一歩も動かず、凍るような冷たい瞳を邪魔者に向けていた。

「この声、どこかで聞いたことがある。――そうだ、魔法学院の学生だな!」
「僕を知っているってことは、おまえが僕に竜牙戦士(ドラゴントゥースウォーリア)を飲ませた犯人だな!」

 ローブが勢いよく宙を舞う。姿を現した青年の金髪がふさりと揺れた。だが青年――ブリリアンの足はガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうなほどだ。

 十字架にかけられたアナスタシアは、その人物が誰なのか気づいて声をあげる。

「ブリリアン君! なんでここに!?」

 ブリリアンは声の発せられたほうを見て驚きをあらわにする。

「お姉さん、誰!? それにどうして僕のことを!?」
「聞いてなかったの!? 私、リリコよ!」
「リリコ? あ、あ……あの魔法学院の管理人の女の子!?」
「そうよ!」
「めっちゃ成長速え! すごい艶っぽくなっている!」

 ブリリアンは別の意味で驚愕した。

「違うってば、魔法でほんとうの姿と魔力を封印していたの!」
「封印? ――って、もしかしてその長い白銀の髪は、まさか!」
「そう、アストラルの王女アナスタシアよ」
「あの少女が王女だったのかよ! だったんですかよ!」
「変な敬語はどうでもいいからっ!」

 ブリリアンが単独で乗り込んでくるという不自然な状況は、むしろヴェンダールの警戒心を高まらせた。ヴェンダールは両手を水平に構え魔法を詠唱し始める。

 ――『個体検知(インディビデュアル・ディテクション)!』

 双眸を閉ざして数秒が過ぎる。ふたたび見開いたまなざしは疑念に満ちていた。

「どういうことだ? やはり城内にはおまえ以外は誰もいないようだが、まさか無謀にも、ひとりで儀式の邪魔をしに来たのか?」
「無謀で悪かったな! 僕だって生粋(ギフテッド)だ!」 

 ブリリアンは詠唱を開始し、炎の魔法を発動させた。両手に火焔の玉を宿して身構える。だがヴェンダールはその魔法を脅威にすら感じていない。

「しかし、どうして魔力を消すことができた? この程度の魔力とはいえ、私が気づかないはずはない」
「へっ、教えてやるもんか!」

 ブリリアンはアージェの魔禁瘴で覆われたローブを纏い、漏出する魔力を打ち消していた。だから魔力感知をかいくぐることができた。

「黙秘を貫くなら構わないが――神聖なる儀式を(けが)した対価は払ってもらう」
「いつまでもやられてばかりでいられるかってんだ。僕はおまえを倒して英雄になるんだ!」

 ブリリアンは火焔の玉をヴェンダールに向けて投げつけた――と思いきや、バランスを崩して暴投し、火焔はお門違いの方向に飛んでゆく。壁にあたってあえなく燃えつきた。

「やべっ!」
「それで戦いを挑むとは、たしかに英雄と呼ぶにふさわしい」

 ヴェンダールが手のひらをかざすと、ブリリアンの胸が強烈な衝撃に襲われた。勢いよく跳ね飛ばされ、外れた車輪のように床を転がる。壁に当たって動きが止まった。

「頓死した者を英雄に見立てる者は、世の中にごまんといるからな。弱者は美談に酔いしれたがるものだ」

 けれどブリリアンは床に伏したままかすかに笑みを浮かべた。

「――いてて、でもわかっているって。英雄になるのは僕の役目じゃないってことくらい。狙いは別にあるのさ」
「別にある、だと……?」

 その瞬間、どぉん、と轟音が鳴り響き、強烈な光が床を突き上げて天に抜けてゆく。床が破壊され、砕かれた岩盤が宙を舞う。白煙が立ち込めて視界が閉ざされた。ガルシアとヴェンダールはすかさず身構えた。

「何が起きたんだ!?」
「わかりません! けれど、この城の結界を破る魔法があるとすれば、それは――」

 ヴェンダールの焦燥した表情は、起こりえるはずのない事態が起きたことを意味していた。