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月明かりが大陸に広がる森の木々を淡く照らしている。
アージェとラドラは、ピピンとともに森の細道を進んでいた。しばらく行くと切り立った岸壁が現れる。そこには多くの名前が刻まれていた。
「ピピン、ここは……?」
「先人たちが眠る、安息の地だよ」
「つまり墓地ってことなのか」
「そそ、人間は墓地って呼ぶんだってね。昔、ラドラから聞いたことがあるよ」
「アージェよ、大陸の民は亡骸を森の土に還す風習があるんだ。己が持つ魔力を大地に還元するためらしい」
「あたしたちの亡骸に宿る魔力はメルス様の根から吸い上げられて、神聖な存在の一部になると信じられているからね」
ピピンは似た筆跡で刻まれたふたつの名前の前で足を止めた。その足元にはピピンの両親が眠っているのだろうとアージェは察する。ピピンは腰を据え、手を組んで祈りを捧げる。その姿を見たラドラが目を伏せてぽつりとこぼす。
「……俺はピピンの両親を助けられなかった。大陸では英雄なんて呼ばれているが、今でも自身の無力さを許すことができないでいる」
岩壁に向かって深々と腰を折り、謝罪の意を示すラドラ。するとピピンが振り向いてラドラを見上げる。
「そんなことはない。ラドラがいなかったら村は全滅していたし、あたしだって生きていなかったはず。遺された者にとっては命の恩人だよ」
ピピンは立ち上がり、懐から革製の小袋を取り出した。閉じ口から淡い光が漏れている。
「ラドラにあげる。これだけあれば、しばらくは丸腰にならずにすむでしょ?」
「ほぅ、魔法鉱石か。先ほどの戦いで手持ちがなくなり困っていたところだ。だが受け取っていいのか?」
「あたしたちからお願いをするんだから、お礼だと思ってくれればいいや」
ピピンはラドラを見上げてにっこりと微笑んだ。
ラドラはけっして生粋の魔法使いではない。戦いのための魔力を魔法鉱石から得ているため、魔法鉱石を切らせば一介の兵士でしかなくなるのだ。
「ピピンの願いは受け取った。必ず大陸に平穏を取り戻してみせる」
ラドラは受け取った小袋を胸元にしまい込んできびすを返す。手をひらひらと振って背中で別れを告げてみせた。それはピピンとアージェにふたりだけの時間を与えるための忖度でもあった。
足音が遠ざかったところでピピンがぽつりとこぼす。
「……アージェって、想い人がいたんだね」
「ん、まあな」
メメルの意思が生きているのだから否定できるはずがない。ピピンはじっとペンダントを覗き込む。
「アージェの旅の目的は、この人だったんだね」
「生命再生の手がかりを探していたんだ。けれど帝のほうが、先に行き着いてしまった。だから俺はそれを奪い取るつもりだ」
「そこまで必死なんだね。――あたし、ちょっとだけ『メメル』が羨ましいって思うかも」
「なんで? 宝石に閉じ込められているっていうのに?」
アージェはピピンの意図がわからず首をひねる。
「いつだって一緒にいられるからだよ。――あたしはしょせん大陸の民だ。世界が違いすぎる」
「そう言うなよ。俺たちが戦うのは、人間と大陸の民の世界を近づけるためでもあるんだ。平和になったら俺の故郷を案内するよ」
「アージェ……その優しさって罪なんじゃない?」
「はぁ?」
「今、あたしが気持ちを打ち明けたこと、気づいてないの?」
「あ……」
アージェは思わず言葉を失う。ピピンの言った「一緒にいられる」というのは、同じ種族だからという意味ではなく、アージェのことを指して言ったのだ。
ピピンは怒り顔でアージェの両頬を指でつまみ力強く引っ張る。
「いて、いてて! 何するんだよ!」
「アージェなんて変な顔になっちゃえ! それで人間の世界で嫌われ者になっちゃえばいいんだ!」
「それはひでえ!」
「ひどくてもいーの! 行き場がなくなったらここに戻ってくればいいんだからさ!」
「!?」
「なーんて結末、願っちゃ駄目だよね?」
ピピンは表情から怒りを消し、指を離して一歩退いた。
「ところでさ、はっきりさせてほしいことがあるんだけど」
「えっと、今度は何?」
「メルス様の洞穴に現れた『メメル』が言っていたよね。あたしだけじゃなくて、セリアとかリリコとかプリマとか。――その人たちとは、どういう関係?」
「あ……それは……」
彼女たちとの関係を適切に表せる言葉を、アージェは思い浮かべられなかった。複雑な想いが綯い交ぜになってアージェを惑わせる。答えられないと知ったピピンは露骨に不機嫌な顔になった。
「言いたくないことが山のようにあるんだね。――アージェってそんなに見境のない男なの!?」
「違う、そうじゃないって! それは誤解だってば!」
「なのに、何であたしにはそういう雰囲気がないのよぉ!!」
「はぁあぁぁっ!?」
「どうせあたしなんて耳が三角だし、尻尾がついてるし、お転婆な子供だしッ!」
痴話喧嘩さながらの口調にアージェはしどろもどろだ。
「正直に言いなさい! あたしはアージェの何番目!? 何番目なのよ!!」
「順位なんてつけられるわけないだろ!」
「まっ、まさかの圏外!? 思いっきり突き放されたぁ~!!」
「そうじゃないってば!」
演技なのか本気なのか、ピピンは夜空を仰いでわぁわぁと叫んでいる。
「でっ、でも、ピピンだって大切に想われているじゃないか!」
騒いでいたのをぴたっと収め、ジト目でアージェを見るピピン。やっぱり演技だったようだ。
「はぁ? 誰によ!」
「え、と、サシャ?」
ピピンは驚いた顔でぶっと吹き出す。冗談はやめてくれと言わんばかりに。
「そんなわけないでしょ。あいつはただの幼馴染だって!」
「でもサシャはそうは思ってないみたいだぞ。俺のことを目の仇にしたのだって、絶対ヤキモチが入っているから」
するとピピンは両手を目の前で振ってあたふたと否定する。
「ちょっ、ちょっと待て! あたしはそんな目でサシャを見たことはないからな! そっちこそ誤解するな!」
ピピンは呼吸を乱して否定する。けれど月明かりに映るその表情はひどく紅潮していた。アージェは気を取り直し、真面目顔でピピンに語る。
「ふたりの関係ってさ、俺とメメルの関係に似ている気がするんだ。ただちょっと違うのは、ピピンが少しだけ意地っ張りなところかな。空魚釣りの時だって、サシャに対抗意識燃やしまくりじゃん」
「だっ、だってサシャ偉そうなんだもん!」
「けどピピンがそうするのは、サシャに自分を認めてほしいって思っているからなんだろ?」
「そっ、それはそうだけどさ……」
ピピンは言葉を詰まらせる。
「意地張らなくたって、サシャはピピンをかけがえのない存在だって認めていると思う。それは俺がメメルを想う気持ちに似ているからわかるんだ」
瞳を潤ませてアージェを見上げる。
「じゃあアージェはあたしのこと、どう思っているのよ……」
「ああ、心をわかち合える相棒だった。だから、かけがえのない存在には違いないんだ」
「そっか……」
ピピンにとっては嬉しくもあり、寂しくもある答えだ。
「俺は遠い場所にいたって、ピピンのことは絶対に忘れない」
「うん……」
「浮遊島から大陸を眺める時、必ずきみのことを思い出すから」
「うんっ……」
「それから――」
「もうじゅうぶんだよ。これ以上言われたらあたしッ……!」
泣きそうな顔を見られまいとしたのか、ピピンはアージェの肩を掴んでぐるりと反転させる。
「あんまり長く一緒にいると、みんなに怪しまれちゃうでしょ。だから早く戻って!」
「あっ、ああ。でもピピンは?」
「あたしは最後まで祈りを捧げてから帰るからっ!」
「そか、じゃあな」
村に向かって歩き出したアージェは、一度だけ振り返り手を振った。暗闇にぼんやりと映るピピンは手を振り返さなかった。
視線を進む先に戻しふたたび足を進める。その時――たったと地を蹴る音が聞こえた。足音は加速してアージェに向かってくる。振り向いた瞬間、ピピンがアージェに飛びついてきた。
「アージェ、きみと同じ時間を過ごせたのは、あたしの一生の宝物だ!」
震えたかすれ声が鼓膜に響く。ピピンの胸の早鐘がアージェの肌に伝わる。
「あたしはこの大陸で生きている。どんなに悲しいことがあったって、アージェっていう希望が世界のどこかにあるなら、挫けず強く生きてやる。――だから絶対に死なないでッ!!」
最後のひとことは涙混じりの声だった。それは切なる願いなのか、それとも不安の予感なのか。アージェも声を絞り上げてピピンに答える。
「当然だ! 俺はかならずきみの未来にいるからッ!!」
強大な敵を前にして不安に襲われないはずがない。けれど種族を超えて紡ぎあげた絆が支えになると、ふたりは固く信じあっていた。
夜を彩る虫の鳴き声のなか、ひとつの影が分かれてそっと距離を置く。影が、それぞれの道を歩み出していく。
この広大な大陸で交錯した、ふたりの時間を心に刻みつけながら――。
月明かりが大陸に広がる森の木々を淡く照らしている。
アージェとラドラは、ピピンとともに森の細道を進んでいた。しばらく行くと切り立った岸壁が現れる。そこには多くの名前が刻まれていた。
「ピピン、ここは……?」
「先人たちが眠る、安息の地だよ」
「つまり墓地ってことなのか」
「そそ、人間は墓地って呼ぶんだってね。昔、ラドラから聞いたことがあるよ」
「アージェよ、大陸の民は亡骸を森の土に還す風習があるんだ。己が持つ魔力を大地に還元するためらしい」
「あたしたちの亡骸に宿る魔力はメルス様の根から吸い上げられて、神聖な存在の一部になると信じられているからね」
ピピンは似た筆跡で刻まれたふたつの名前の前で足を止めた。その足元にはピピンの両親が眠っているのだろうとアージェは察する。ピピンは腰を据え、手を組んで祈りを捧げる。その姿を見たラドラが目を伏せてぽつりとこぼす。
「……俺はピピンの両親を助けられなかった。大陸では英雄なんて呼ばれているが、今でも自身の無力さを許すことができないでいる」
岩壁に向かって深々と腰を折り、謝罪の意を示すラドラ。するとピピンが振り向いてラドラを見上げる。
「そんなことはない。ラドラがいなかったら村は全滅していたし、あたしだって生きていなかったはず。遺された者にとっては命の恩人だよ」
ピピンは立ち上がり、懐から革製の小袋を取り出した。閉じ口から淡い光が漏れている。
「ラドラにあげる。これだけあれば、しばらくは丸腰にならずにすむでしょ?」
「ほぅ、魔法鉱石か。先ほどの戦いで手持ちがなくなり困っていたところだ。だが受け取っていいのか?」
「あたしたちからお願いをするんだから、お礼だと思ってくれればいいや」
ピピンはラドラを見上げてにっこりと微笑んだ。
ラドラはけっして生粋の魔法使いではない。戦いのための魔力を魔法鉱石から得ているため、魔法鉱石を切らせば一介の兵士でしかなくなるのだ。
「ピピンの願いは受け取った。必ず大陸に平穏を取り戻してみせる」
ラドラは受け取った小袋を胸元にしまい込んできびすを返す。手をひらひらと振って背中で別れを告げてみせた。それはピピンとアージェにふたりだけの時間を与えるための忖度でもあった。
足音が遠ざかったところでピピンがぽつりとこぼす。
「……アージェって、想い人がいたんだね」
「ん、まあな」
メメルの意思が生きているのだから否定できるはずがない。ピピンはじっとペンダントを覗き込む。
「アージェの旅の目的は、この人だったんだね」
「生命再生の手がかりを探していたんだ。けれど帝のほうが、先に行き着いてしまった。だから俺はそれを奪い取るつもりだ」
「そこまで必死なんだね。――あたし、ちょっとだけ『メメル』が羨ましいって思うかも」
「なんで? 宝石に閉じ込められているっていうのに?」
アージェはピピンの意図がわからず首をひねる。
「いつだって一緒にいられるからだよ。――あたしはしょせん大陸の民だ。世界が違いすぎる」
「そう言うなよ。俺たちが戦うのは、人間と大陸の民の世界を近づけるためでもあるんだ。平和になったら俺の故郷を案内するよ」
「アージェ……その優しさって罪なんじゃない?」
「はぁ?」
「今、あたしが気持ちを打ち明けたこと、気づいてないの?」
「あ……」
アージェは思わず言葉を失う。ピピンの言った「一緒にいられる」というのは、同じ種族だからという意味ではなく、アージェのことを指して言ったのだ。
ピピンは怒り顔でアージェの両頬を指でつまみ力強く引っ張る。
「いて、いてて! 何するんだよ!」
「アージェなんて変な顔になっちゃえ! それで人間の世界で嫌われ者になっちゃえばいいんだ!」
「それはひでえ!」
「ひどくてもいーの! 行き場がなくなったらここに戻ってくればいいんだからさ!」
「!?」
「なーんて結末、願っちゃ駄目だよね?」
ピピンは表情から怒りを消し、指を離して一歩退いた。
「ところでさ、はっきりさせてほしいことがあるんだけど」
「えっと、今度は何?」
「メルス様の洞穴に現れた『メメル』が言っていたよね。あたしだけじゃなくて、セリアとかリリコとかプリマとか。――その人たちとは、どういう関係?」
「あ……それは……」
彼女たちとの関係を適切に表せる言葉を、アージェは思い浮かべられなかった。複雑な想いが綯い交ぜになってアージェを惑わせる。答えられないと知ったピピンは露骨に不機嫌な顔になった。
「言いたくないことが山のようにあるんだね。――アージェってそんなに見境のない男なの!?」
「違う、そうじゃないって! それは誤解だってば!」
「なのに、何であたしにはそういう雰囲気がないのよぉ!!」
「はぁあぁぁっ!?」
「どうせあたしなんて耳が三角だし、尻尾がついてるし、お転婆な子供だしッ!」
痴話喧嘩さながらの口調にアージェはしどろもどろだ。
「正直に言いなさい! あたしはアージェの何番目!? 何番目なのよ!!」
「順位なんてつけられるわけないだろ!」
「まっ、まさかの圏外!? 思いっきり突き放されたぁ~!!」
「そうじゃないってば!」
演技なのか本気なのか、ピピンは夜空を仰いでわぁわぁと叫んでいる。
「でっ、でも、ピピンだって大切に想われているじゃないか!」
騒いでいたのをぴたっと収め、ジト目でアージェを見るピピン。やっぱり演技だったようだ。
「はぁ? 誰によ!」
「え、と、サシャ?」
ピピンは驚いた顔でぶっと吹き出す。冗談はやめてくれと言わんばかりに。
「そんなわけないでしょ。あいつはただの幼馴染だって!」
「でもサシャはそうは思ってないみたいだぞ。俺のことを目の仇にしたのだって、絶対ヤキモチが入っているから」
するとピピンは両手を目の前で振ってあたふたと否定する。
「ちょっ、ちょっと待て! あたしはそんな目でサシャを見たことはないからな! そっちこそ誤解するな!」
ピピンは呼吸を乱して否定する。けれど月明かりに映るその表情はひどく紅潮していた。アージェは気を取り直し、真面目顔でピピンに語る。
「ふたりの関係ってさ、俺とメメルの関係に似ている気がするんだ。ただちょっと違うのは、ピピンが少しだけ意地っ張りなところかな。空魚釣りの時だって、サシャに対抗意識燃やしまくりじゃん」
「だっ、だってサシャ偉そうなんだもん!」
「けどピピンがそうするのは、サシャに自分を認めてほしいって思っているからなんだろ?」
「そっ、それはそうだけどさ……」
ピピンは言葉を詰まらせる。
「意地張らなくたって、サシャはピピンをかけがえのない存在だって認めていると思う。それは俺がメメルを想う気持ちに似ているからわかるんだ」
瞳を潤ませてアージェを見上げる。
「じゃあアージェはあたしのこと、どう思っているのよ……」
「ああ、心をわかち合える相棒だった。だから、かけがえのない存在には違いないんだ」
「そっか……」
ピピンにとっては嬉しくもあり、寂しくもある答えだ。
「俺は遠い場所にいたって、ピピンのことは絶対に忘れない」
「うん……」
「浮遊島から大陸を眺める時、必ずきみのことを思い出すから」
「うんっ……」
「それから――」
「もうじゅうぶんだよ。これ以上言われたらあたしッ……!」
泣きそうな顔を見られまいとしたのか、ピピンはアージェの肩を掴んでぐるりと反転させる。
「あんまり長く一緒にいると、みんなに怪しまれちゃうでしょ。だから早く戻って!」
「あっ、ああ。でもピピンは?」
「あたしは最後まで祈りを捧げてから帰るからっ!」
「そか、じゃあな」
村に向かって歩き出したアージェは、一度だけ振り返り手を振った。暗闇にぼんやりと映るピピンは手を振り返さなかった。
視線を進む先に戻しふたたび足を進める。その時――たったと地を蹴る音が聞こえた。足音は加速してアージェに向かってくる。振り向いた瞬間、ピピンがアージェに飛びついてきた。
「アージェ、きみと同じ時間を過ごせたのは、あたしの一生の宝物だ!」
震えたかすれ声が鼓膜に響く。ピピンの胸の早鐘がアージェの肌に伝わる。
「あたしはこの大陸で生きている。どんなに悲しいことがあったって、アージェっていう希望が世界のどこかにあるなら、挫けず強く生きてやる。――だから絶対に死なないでッ!!」
最後のひとことは涙混じりの声だった。それは切なる願いなのか、それとも不安の予感なのか。アージェも声を絞り上げてピピンに答える。
「当然だ! 俺はかならずきみの未来にいるからッ!!」
強大な敵を前にして不安に襲われないはずがない。けれど種族を超えて紡ぎあげた絆が支えになると、ふたりは固く信じあっていた。
夜を彩る虫の鳴き声のなか、ひとつの影が分かれてそっと距離を置く。影が、それぞれの道を歩み出していく。
この広大な大陸で交錯した、ふたりの時間を心に刻みつけながら――。