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夜が訪れると、村は祭りの喧騒で満たされた。森を切り開いて作られた広場には、多くの民が集っている。いくつものかがり火が燃えて、空高く舞い上がる炎の煙が星の眩い夜空に覆いかぶさってゆく。
さまざまな形の楽器で奏でられる不思議なリズムの音楽。それに合わせて男たちが勇壮な舞を踊る。炎に照らされる彼らの肌は筋肉質で、踊りはしなやかで流麗だ。
舞が終わると女たちは美しい歌声を披露する。彼女たちの長い髪は風にゆらめき、月の照らす夜に優雅に映える。
彼らはピピンと同じような耳と尻尾を持ち、獣のようでありながら、どこか神聖な生き物のようにも感じられた。神秘的でありながら、生命の躍動を感じさせる一族。人間が殺伐とした魔法戦争の中で失いつつあるものを、彼らは今でも大切にしているように思えた。
アージェは全身をローブで覆い、顔だけを覗かせて村の会合に参加していた。ピピンがアージェを遠方からの旅人だと言って皆に堂々と紹介したのだ。大陸ははてしなく広く、さまざまな『魔族』が文化を築いている。
「でも、なんでよそ者の俺が、こんなにも警戒されずにすんでいるんだよ」
まわりは人間の敵だらけで戦々恐々としていただけに、肩透かしを食らったような気持ちになる。
「今夜は大陸に棲むいろんな部族の代表たちが集まっているんだ」
「もしかして、さっき言っていた神崇祭を控えているからか」
「そうだ。それにあたしたちは互いを警戒することはない。人間と違ってね」
それぞれの部族はいずれも世界を統べる秘石――メルス様を崇めている。だからその意志に従い、互いを侵略することはないという。
「メルス様は意志を持っているから、同じ場所に長くとどまることはないんだ。だから毎年、秘石の気配が最も濃くなる村で供物の準備をするんだよ」
ということは、秘石の本体は今、この村のそばにいるということなのか。そうなると、直接合間見えることができるかもしれない。身が引き締まる思いだ。
「ところで秘石――メルス様に供え物をするのは誰なんだ」
「最高の供物を準備できた者、っていうことになっているよ」
「もしかすると手伝いっていうのは、その供物の準備、っていうことなのか」
「そうだ。察しがいいな、狡猾な人間よ」
「……狡猾な人間って、褒められている気はしないけどな」
「いい働きをすれば褒めてあげても構わないけどさ」
ツンと鼻を上げて目を大きく開き、アージェの反応をうかがうピピン。無論、首は縦にしか動かない。メメルを返してもらうためだ。
突然、宴の喧騒が静まる。見ると広場の中心には威厳に満ちた雰囲気の老人が立っていた。そのまわりには意匠を凝らしたローブに身を包んだ者が四人、並んでいる。長老と司祭といった村の重要人物たちのようで、誰もが広場の中心に視線を向けていた。
長老が高らかに声をあげる。儀式のような、謎めいた言葉だった。ピピンが耳打ちする。
「あれは神崇祭の段取りを執り行う合図だ」
「何が行われるんだ」
「まぁ、見ていなって」
すると民衆の中から広場に出、指笛を吹き始める者がいた。その数、十五人。すると森の中から同じ数の飛龍が飛び出し空を旋回する。アージェは驚いたが、民は誰もが平然と見守っている。しばらくすると飛龍は広場に降り立って翼を閉じた。みずからの意志で民に従っており、けっして魔法で操られているわけではない。
飛龍を呼んだ者と飛龍は主従関係にあるようで、それぞれが飛龍をなでたり餌をあげたりし、互いの信頼関係を確かめている。けれど一体の飛龍に対してふたりの民が寄り添っている。それぞれがチームのようだ。
それから司祭が彼らの名前と出身の部族を次々と紹介していった。さまざまな部族からの参加があり、それぞれに喝采が浴びせられる。
その中には「サシャ」と呼ばれた男の姿もあった。背が高くて凛々しい青年で、目が切れ長で鋭い。アージェよりも年上に見えた。隣には屈強な体格の男がついていた。チームを組む相棒なのだろう。
ひととおりの紹介を終えると長老が締めの言葉をつづる。
「すでにご存知だと思うが、本年の秘石様への供物は空魚である。したがって、最も価値のある空魚を釣り上げた者に、秘石様へ供物を献上する権利を与える。ここに集った十五組が、今回の挑戦――」
その時――。
「待ったぁ!」
隣にいるピピンが声を張り上げた。広場中の視線がピピンに降り注ぐ。同時にピピンは指笛を吹き鳴らした。すると一体の飛龍が森から舞い上がり、夜空を旋回した後、広場へと急降下してきた。両翼を大きく広げ、足を地面に滑らせて減速する。舞い起こる風と砂埃が長老と司祭を包み込んだ。
「げほっ、ごほっ……これピピン、厳粛な告知の場で何をするんじゃ!」
「悪いなじいちゃん、今回はあたしも参加させてもらうから」
畏敬の念を感じさせない言い方に、ピピンは長老の孫娘なのだろうと察する。言い返す長老も遠慮がない。
「あぁ? おまえには100年早いわ。いくら龍使いになれたからって、青二才のおまえの相棒となる物好きなどおらんわい!」
けれどピピンはひるむことがない。アージェのローブを掴んで引き、目で合図をした。アージェはピピンの「手伝い」が何なのか、ついにその全容を理解した。ふたりで広場を陣取る飛龍の元へ駆け寄る。
「じいちゃん、あたしはこの村のヘタレなんかには用はないよ。ほら見なよ、相棒は自分で調達してきたから」
ピピンがアージェの背中を押す。長老はアージェを舐めるように見、怪訝そうな顔をする。
「神崇祭は神聖なる儀式だというのに、その供物獲りでどこの馬の骨とも知らぬやつと組むとは。正気なのか、ピピンよ」
「馬の骨なんて言っちゃっていいの? その言葉、撤回する羽目になるかもよ」
ピピンはあくまで強気な姿勢を崩さない。
「ほぅ、えらい自信じゃな。だが、この猛者たちに勝てると思っとるのか」
「やってみないとわからないよ。というわけで、飛龍エール、このあたしピピン、それと――旅人アージェ、この三人で参加させてもらうから!」
つまりピピンはこのチームで最高の供物を手に入れ、秘石と謁見するつもりなのだ。もしもそれが叶えば、メメルと秘石を対面させることができる。メメルの再生に近づける唯一にして最大の機会。アージェにとっては千載一遇のチャンスだ。
司祭のひとりが懐から祭典を取り出す。もうひとりが指先に光の魔法を発動させて本を照らし、四人で記載を確認する。しばらく小声でやり取りをした後、司祭はそっと本を閉じ長老に耳打ちをする。長老は小さくうなずいた。
「断る理由は見つからなかったようじゃ。不本意じゃが認めよう」
長老はしぶしぶながらピピンの参加を承諾した。盛り上がりを期待していたのか、民衆はにぎやかな祝福を与えた。その声はしだいに同調し、神を讃える歌へと移り変わっていった。
そうして「供物を巡る戦い」は幕を開けることとなった。
広場から少し離れた場所に、明かりを灯した家が並んでいる。ここしばらくは人間の侵略がなかったようで、村は安らぎと幸せに包まれているように思えた。
夜が更けると、大陸の民は満足そうな笑顔を浮かべて帰路についてゆく。
アージェは民との接触を避けるため、洞穴で暮らすことにした。作戦会議のため、ピピンと飛龍エールも一緒に戻ってゆく。
「勝負の日程は次の大雲が訪れる日と決まったよ」
「いつなんだよ、それは」
「長老の占いでは3日から6日後になるだろうって」
「だいぶ適当だな!」
「テキトーって言うな! あれでもじいちゃんは部族で一番の占い師だ」
反抗的な態度をとったわりには、信頼しているんだなと、アージェの口元が緩む。ピピンは口が悪いが、情はありそうに思えた。エールを撫でながらアージェに作戦を説明する。
「いい? ひとりが飛龍を操作し、もうひとりが雲の中を泳ぐ空魚を釣り上げる。そのためにふたりでチームを組む必要があるんだ」
「そうすると、俺が釣るほうだろうな」
「いや、あたしが空魚を釣るほうだ。だからエールの操作はおまえに覚えてもらう。それくらいできるだろう?」
「おい、飛龍の操作なんて俺はやったことないぞ。人間の文化に飛龍なんてものはないんだよ」
「まじかよ、おまえの正体は隠れ役立たずか? その期待を裏切る切れ味は鋭いことこのうえないな」
「言い方がひでえ! 悪いのは俺なのか?」
「悪いのは人間だよ」
侵略をする側の「人間」として、一緒くたに否定されると言葉もない。アージェが窮すると、エールはアージェの顔の前でブシャシャシャと唾を飛ばして笑った。馬鹿にされているとしか思えなかった。
「正直、あたしだってエールをあんたに任せるのは心配だ。けど供物を釣り上げた者に供える権利があるんだからしょうがない」
「ええっ、謁見できるのはひとりだけなのかよ……」
「通例ではそうなっている」
目論見が外れて落胆するアージェ。
「とにかく、エールの操作に慣れてもらわなくては困るんだ。だから絆を深めるために、それまでこの洞穴でエールと一緒に暮らしてもらう」
「飛龍と、だとぉ!?」
エールはアージェの引いた表情を見て、ブワッシューと軽い雄たけびを上げて怒りを表した。洞穴に響いて鼓膜が破れそうになる。
「無理だ……。こいつの操作なんて、絶対に無理だ……」
「また明日、様子を見に来るから、せめてそれまでに心を通わせておきなよ」
そうしてピピンはひとりと一体を残し、洞穴を後にした。
その後、アージェは全身が痛むというのに、飛龍エールの要求によって深夜まで毛繕いならぬ鱗繕いをさせられた。気持ちよさそうな顔をする飛龍は中断を許さなかった。眠気に襲われてもたれかかると、翼で顔を叩かれて起こされる。完璧に飛龍の奴隷だ。それでもアージェは折れなかった。せつなる願いがアージェを奮い立たせていたからだ。
「メメル、待っていろよ。必ずおまえを取り返し、クイーン・オブ・ギムレットに会わせてやるからな……」
夜が訪れると、村は祭りの喧騒で満たされた。森を切り開いて作られた広場には、多くの民が集っている。いくつものかがり火が燃えて、空高く舞い上がる炎の煙が星の眩い夜空に覆いかぶさってゆく。
さまざまな形の楽器で奏でられる不思議なリズムの音楽。それに合わせて男たちが勇壮な舞を踊る。炎に照らされる彼らの肌は筋肉質で、踊りはしなやかで流麗だ。
舞が終わると女たちは美しい歌声を披露する。彼女たちの長い髪は風にゆらめき、月の照らす夜に優雅に映える。
彼らはピピンと同じような耳と尻尾を持ち、獣のようでありながら、どこか神聖な生き物のようにも感じられた。神秘的でありながら、生命の躍動を感じさせる一族。人間が殺伐とした魔法戦争の中で失いつつあるものを、彼らは今でも大切にしているように思えた。
アージェは全身をローブで覆い、顔だけを覗かせて村の会合に参加していた。ピピンがアージェを遠方からの旅人だと言って皆に堂々と紹介したのだ。大陸ははてしなく広く、さまざまな『魔族』が文化を築いている。
「でも、なんでよそ者の俺が、こんなにも警戒されずにすんでいるんだよ」
まわりは人間の敵だらけで戦々恐々としていただけに、肩透かしを食らったような気持ちになる。
「今夜は大陸に棲むいろんな部族の代表たちが集まっているんだ」
「もしかして、さっき言っていた神崇祭を控えているからか」
「そうだ。それにあたしたちは互いを警戒することはない。人間と違ってね」
それぞれの部族はいずれも世界を統べる秘石――メルス様を崇めている。だからその意志に従い、互いを侵略することはないという。
「メルス様は意志を持っているから、同じ場所に長くとどまることはないんだ。だから毎年、秘石の気配が最も濃くなる村で供物の準備をするんだよ」
ということは、秘石の本体は今、この村のそばにいるということなのか。そうなると、直接合間見えることができるかもしれない。身が引き締まる思いだ。
「ところで秘石――メルス様に供え物をするのは誰なんだ」
「最高の供物を準備できた者、っていうことになっているよ」
「もしかすると手伝いっていうのは、その供物の準備、っていうことなのか」
「そうだ。察しがいいな、狡猾な人間よ」
「……狡猾な人間って、褒められている気はしないけどな」
「いい働きをすれば褒めてあげても構わないけどさ」
ツンと鼻を上げて目を大きく開き、アージェの反応をうかがうピピン。無論、首は縦にしか動かない。メメルを返してもらうためだ。
突然、宴の喧騒が静まる。見ると広場の中心には威厳に満ちた雰囲気の老人が立っていた。そのまわりには意匠を凝らしたローブに身を包んだ者が四人、並んでいる。長老と司祭といった村の重要人物たちのようで、誰もが広場の中心に視線を向けていた。
長老が高らかに声をあげる。儀式のような、謎めいた言葉だった。ピピンが耳打ちする。
「あれは神崇祭の段取りを執り行う合図だ」
「何が行われるんだ」
「まぁ、見ていなって」
すると民衆の中から広場に出、指笛を吹き始める者がいた。その数、十五人。すると森の中から同じ数の飛龍が飛び出し空を旋回する。アージェは驚いたが、民は誰もが平然と見守っている。しばらくすると飛龍は広場に降り立って翼を閉じた。みずからの意志で民に従っており、けっして魔法で操られているわけではない。
飛龍を呼んだ者と飛龍は主従関係にあるようで、それぞれが飛龍をなでたり餌をあげたりし、互いの信頼関係を確かめている。けれど一体の飛龍に対してふたりの民が寄り添っている。それぞれがチームのようだ。
それから司祭が彼らの名前と出身の部族を次々と紹介していった。さまざまな部族からの参加があり、それぞれに喝采が浴びせられる。
その中には「サシャ」と呼ばれた男の姿もあった。背が高くて凛々しい青年で、目が切れ長で鋭い。アージェよりも年上に見えた。隣には屈強な体格の男がついていた。チームを組む相棒なのだろう。
ひととおりの紹介を終えると長老が締めの言葉をつづる。
「すでにご存知だと思うが、本年の秘石様への供物は空魚である。したがって、最も価値のある空魚を釣り上げた者に、秘石様へ供物を献上する権利を与える。ここに集った十五組が、今回の挑戦――」
その時――。
「待ったぁ!」
隣にいるピピンが声を張り上げた。広場中の視線がピピンに降り注ぐ。同時にピピンは指笛を吹き鳴らした。すると一体の飛龍が森から舞い上がり、夜空を旋回した後、広場へと急降下してきた。両翼を大きく広げ、足を地面に滑らせて減速する。舞い起こる風と砂埃が長老と司祭を包み込んだ。
「げほっ、ごほっ……これピピン、厳粛な告知の場で何をするんじゃ!」
「悪いなじいちゃん、今回はあたしも参加させてもらうから」
畏敬の念を感じさせない言い方に、ピピンは長老の孫娘なのだろうと察する。言い返す長老も遠慮がない。
「あぁ? おまえには100年早いわ。いくら龍使いになれたからって、青二才のおまえの相棒となる物好きなどおらんわい!」
けれどピピンはひるむことがない。アージェのローブを掴んで引き、目で合図をした。アージェはピピンの「手伝い」が何なのか、ついにその全容を理解した。ふたりで広場を陣取る飛龍の元へ駆け寄る。
「じいちゃん、あたしはこの村のヘタレなんかには用はないよ。ほら見なよ、相棒は自分で調達してきたから」
ピピンがアージェの背中を押す。長老はアージェを舐めるように見、怪訝そうな顔をする。
「神崇祭は神聖なる儀式だというのに、その供物獲りでどこの馬の骨とも知らぬやつと組むとは。正気なのか、ピピンよ」
「馬の骨なんて言っちゃっていいの? その言葉、撤回する羽目になるかもよ」
ピピンはあくまで強気な姿勢を崩さない。
「ほぅ、えらい自信じゃな。だが、この猛者たちに勝てると思っとるのか」
「やってみないとわからないよ。というわけで、飛龍エール、このあたしピピン、それと――旅人アージェ、この三人で参加させてもらうから!」
つまりピピンはこのチームで最高の供物を手に入れ、秘石と謁見するつもりなのだ。もしもそれが叶えば、メメルと秘石を対面させることができる。メメルの再生に近づける唯一にして最大の機会。アージェにとっては千載一遇のチャンスだ。
司祭のひとりが懐から祭典を取り出す。もうひとりが指先に光の魔法を発動させて本を照らし、四人で記載を確認する。しばらく小声でやり取りをした後、司祭はそっと本を閉じ長老に耳打ちをする。長老は小さくうなずいた。
「断る理由は見つからなかったようじゃ。不本意じゃが認めよう」
長老はしぶしぶながらピピンの参加を承諾した。盛り上がりを期待していたのか、民衆はにぎやかな祝福を与えた。その声はしだいに同調し、神を讃える歌へと移り変わっていった。
そうして「供物を巡る戦い」は幕を開けることとなった。
広場から少し離れた場所に、明かりを灯した家が並んでいる。ここしばらくは人間の侵略がなかったようで、村は安らぎと幸せに包まれているように思えた。
夜が更けると、大陸の民は満足そうな笑顔を浮かべて帰路についてゆく。
アージェは民との接触を避けるため、洞穴で暮らすことにした。作戦会議のため、ピピンと飛龍エールも一緒に戻ってゆく。
「勝負の日程は次の大雲が訪れる日と決まったよ」
「いつなんだよ、それは」
「長老の占いでは3日から6日後になるだろうって」
「だいぶ適当だな!」
「テキトーって言うな! あれでもじいちゃんは部族で一番の占い師だ」
反抗的な態度をとったわりには、信頼しているんだなと、アージェの口元が緩む。ピピンは口が悪いが、情はありそうに思えた。エールを撫でながらアージェに作戦を説明する。
「いい? ひとりが飛龍を操作し、もうひとりが雲の中を泳ぐ空魚を釣り上げる。そのためにふたりでチームを組む必要があるんだ」
「そうすると、俺が釣るほうだろうな」
「いや、あたしが空魚を釣るほうだ。だからエールの操作はおまえに覚えてもらう。それくらいできるだろう?」
「おい、飛龍の操作なんて俺はやったことないぞ。人間の文化に飛龍なんてものはないんだよ」
「まじかよ、おまえの正体は隠れ役立たずか? その期待を裏切る切れ味は鋭いことこのうえないな」
「言い方がひでえ! 悪いのは俺なのか?」
「悪いのは人間だよ」
侵略をする側の「人間」として、一緒くたに否定されると言葉もない。アージェが窮すると、エールはアージェの顔の前でブシャシャシャと唾を飛ばして笑った。馬鹿にされているとしか思えなかった。
「正直、あたしだってエールをあんたに任せるのは心配だ。けど供物を釣り上げた者に供える権利があるんだからしょうがない」
「ええっ、謁見できるのはひとりだけなのかよ……」
「通例ではそうなっている」
目論見が外れて落胆するアージェ。
「とにかく、エールの操作に慣れてもらわなくては困るんだ。だから絆を深めるために、それまでこの洞穴でエールと一緒に暮らしてもらう」
「飛龍と、だとぉ!?」
エールはアージェの引いた表情を見て、ブワッシューと軽い雄たけびを上げて怒りを表した。洞穴に響いて鼓膜が破れそうになる。
「無理だ……。こいつの操作なんて、絶対に無理だ……」
「また明日、様子を見に来るから、せめてそれまでに心を通わせておきなよ」
そうしてピピンはひとりと一体を残し、洞穴を後にした。
その後、アージェは全身が痛むというのに、飛龍エールの要求によって深夜まで毛繕いならぬ鱗繕いをさせられた。気持ちよさそうな顔をする飛龍は中断を許さなかった。眠気に襲われてもたれかかると、翼で顔を叩かれて起こされる。完璧に飛龍の奴隷だ。それでもアージェは折れなかった。せつなる願いがアージェを奮い立たせていたからだ。
「メメル、待っていろよ。必ずおまえを取り返し、クイーン・オブ・ギムレットに会わせてやるからな……」