★
アージェは全身の痛みにうなされて目を覚ました。あたりは薄暗く、湿った土の匂いがした。布団の代わりなのか、乾いた藁が身体の上にこんもりと積まれている。
――ここはどこだ? 俺は何をしていたんだ?
ズキンと頭に拍動を伴う痛みを感じた。頭を押さえようと右腕を上げようとした時、さらなる激痛に襲われた。何が起きたのか、すぐに思い出せなかった。
記憶の糸をたどると、最初に激しい轟音と襲いかかる閃光、舞い上がる熱風が蘇ってきた。浮遊要塞に襲われ、飛行艇が破壊される。その映像が脳裏に流れ、それから地面に引き寄せられるような感覚を思い出す。確か、飛行艇から投げ出されたはずだ。
もう助からない、そう覚悟した時に頭部に激しい衝撃を受けた。その後に続く、やわらかい残響。きっとメメルの声だ。けれど何と言っていたのかは覚えていない。記憶はそこで途絶えていた。
――俺はまた、メメルに助けられたのか。でも、ここに運んだのは別の誰かのはずだ。いったい誰が?
目を凝らして見回すと、周囲は露出した岩肌と、古代の雰囲気を残す石の構造物に囲まれていた。垂直に切り立った岩肌にはさまざまな壁画が描かれており、読めない字で書かれた文章もある。
明らかに今まで訪れた浮遊島の光景ではなかった。ということは大陸に落下したに違いない、けれどそれなら生きていることが不思議だ。大陸は魔族の巣窟と聞いていたのだから。
ぶるりと身震いを覚えたのは寒さのせいだけではなかった。
胸元のペンダントを握りしめようと、自由の利く左腕を折り曲げる。けれど胸元にあるはずのペンダントがなくなっていた。背筋がさっと冷たくなり、慌てて飛び起きる。全身の筋骨がきしんで痛んだが、そんなことは構っていられない。あたりをくまなく確かめるけれど、やはりどこにもない。藁をどかして探しても見つからない。
「メメル……メメルッ! どこなんだ、どこに行ったんだ!」
必死に呼びかけるが、返事があるはずもない。けれど。
「おまえ、何か探しているのか?」
「お、俺のペンダントが――」
背後から声をかけられ、思わず返事をする。が、すぐさま口を閉ざし全身を緊張させた。ここは人間が棲んでいる場所ではないはず。だから声の主の正体は――。
おそるおそる振り返ると、薄闇の中に爛々と輝くふたつの瞳があった。
「うわぁぁぁっ、誰だッ!」
気配はまるで感じられなかった。いつのまにか背後に現れた相手はうろたえるアージェを面白そうに笑う。高くて響く声が岩肌に反響してひどく不気味に感じた。
岩の隙間から差し込む光が相手の姿を照らし出す。声の主は、くりっとした大きな瞳、毛の生えた三角の耳、背後で揺れる長い尻尾を持つ少女だった。動物の皮でできた原始的な服をまとっていて、年の頃はメメルと同じくらいに見えた。
その少女がどんな生き物なのか、アージェはすぐさま確信を得た。
――魔族かッ!
アージェは魔族がどのような存在なのか、詳しいことは何も知らない。ただ、人間と魔法戦争を繰り広げている『敵』という認識があるだけだ。よからぬ想像ばかりが湧き起こる。
「俺を捕らえてどうするつもりだ。人質のつもりなのか、奴隷として扱われるのか、あるいは食肉にでもするつもりか!?」
身構えて相手を睨み上げると、少女は笑うのを止め、全身に緊張感をみなぎらせる。立てた尻尾に力が入り、ぴんと毛が逆立つ。
「それが命の恩人に対する態度なのか?」
「え、命の恩人……?」
「やっぱり人間ってのは身勝手な生き物だな。覚悟しな!」
少女は言葉を遮り、両手を掲げて魔法を唱えた。周囲に散らばる石礫が浮き上がりアージェを狙う。身の危険を感じ、アージェもすかさず魔法を発動させた。
――『魔禁瘴・矢羽!』
浮いた石礫に漆黒の矢を放ち鮮やかに撃墜する。少女は目を見開いて驚いた。魔法が無効化されたと知ると、小刀を取り出して身構える。けれどその手は震えていて、近接戦に慣れていないのは明白だった。
アージェは両手を上げ、戦う意志がないことを示しつつ尋ねる。
「もしかして、きみが俺を助けてくれたのか?」
「あたしでなきゃ、だれが手当てをしたと思っているんだ。傷をよく見てみろ!」
少女がそう叫んだので、アージェは自身の傷口に目を向ける。血はきれいにふき取られ、肌は光沢を帯びていた。薬を塗られて出血が止まったようだ。
「俺は捕らえられたんじゃなかったのか……」
「なにもしなければ、いまごろは獣の餌になっていたはずだ」
「そうだったのか……命を救ってくれてありがとう。きみと話がしたい。だから武器を収めてくれないか」
「……信用していいのか?」
「ああ、どうせ俺の魔法に殺傷能力はないから」
少女はようやっと応じ、小刀を懐にしまった。距離を置いたままじっと見つめ合う。
「じゃあ尋ねるけど、あんたは何しに大陸に来たんだ?」
少女は侵略ではないかと警戒しているはず。アージェはそう察した。だから正直に経緯を打ち明ける。
「大陸を訪れるつもりなんてなかったよ。じつは旅の途中で飛行艇が墜落したんだ」
「墜落……?」
すると少女は思い出したようにはっとした顔をする。
「そういえばおまえを見つける前、空中で爆発音がしたってサシャが言っていたな。でもどうしてそんなことに?」
「理由はわからないけど、飛行艇が悪い奴らに攻撃されたんだ。たぶん俺以外、助かった者はいないと思う」
「じゃあおまえはただの遭難者なのか」
「まあな……」
船長の最期の顔を思い出す。アージェの憂いた表情を見た少女は警戒を解き、肩の力を緩めた。その様子にアージェも胸をなでおろす。もしも『侵略者』とみなされたのなら、仲間を呼んで殺されたに違いない。
「けれど、どうして俺を助けたんだ? 人間はきみたちの敵のはずなのに」
「ん、まぁ……ただの気まぐれだけどさ……」
少女は困ったような顔で、寝かせた耳をもてあそびながらつぶやく。本心は秘石の欠片を持っていた理由を尋ねたいが、それは奪ったことを自白するようなものだ。
ところがアージェは少女とのやり取りの中で直感が働いた。
「俺もきみに聞きたいことがあるんだ。いい?」
少女はまぶたをおじぎさせて受け入れた。アージェは真剣な表情を崩さないまま尋ねる。
「俺のペンダントを奪ったのは、きみだろ?」
「え……」
思わず視線をそらす少女。やはり隠しているな、とアージェは即座に感づいた。
「だって、あの高さから落ちたら普通は即死するはず。俺は意識を失っていたから、魔法で凌いだという可能性はまずない。けれど、きみは俺が空から落ちたのに、生きていることに疑問を抱かなかった」
少女は何か言おうと口元を動かしたが、結局は何も言葉を発さなかった。表情は硬直し、視線だけが定まらずうろついている。
「きみはペンダントの光が俺を救ったのを目撃していた。だから俺が『墜落した』と言っても驚かなかったんだ。そんな不思議なペンダントを目の当たりにしたら、手にしたいと思うのは自然なことだからな」
言われて認めたのか、それとも開き直ったのか、少女はぷいっと顔をそらして態度で反抗する。
「やっぱりそうなのか。返してくれ」
「助かったんだから、それだけでいいでしょ」
「命を助けてくれたお礼としても渡せない。俺の命より大切なものだから。だから頼む!」
「いやだよ、だってあの宝石はもともと大陸にあったものだ。どーせ人間が奪っていったんでしょ!」
少女は腕を組んで頬を膨らませる。けれどアージェは少女の言い分に対する反論を持っていた。
「いや、そうじゃない。あのペンダントの秘石は、きみたちの仲間を救った人間が、魔族からお礼として受け取ったものだ」
「えっ、そうなのか!?」
その人間とは、ラドラ・ホーラのことだ。アージェはリリコが語っていたことを思い出してそう言った。
「それが人の手を渡って俺の元にたどり着いたんだよ」
「むぅー、そんな偶然が……」
少女は口を閉ざして考え込む。その過去に心当たりがありそうな顔だ。
その時、アージェたちがいる洞穴の入り口から男の声が響いてきた。
「ピピン、いたら返事をしろ!」
「まずい、隠れて!」
ピピンと呼ばれた少女はアージェを藁の中に押し込み、姿が見えなくなるように藁を整えて隠した。藁の山に口を寄せて耳打ちする。
「人間は見つかったら殺されるから。あたしも人間を擁護した罪を着せられたくないし」
「わかった」
アージェはピピンの言うとおりに息をひそめる。足音が近づき、その音の主がピピンに話しかけてきた。
「こんなところにいたんだな。おまえは最近、身勝手な行動が多いとアンドゥラ長老がお怒りだぞ。調和を乱すのは我々ラーゲルドゥーネにとって大罪だ」
「わかっているよ。でもあたし、壁画の解読をしにきているんだよ? 成功したらサシャに一番に教えるからさ」
「成功したこと、俺の記憶では一度もないがな」
サシャと呼ばれた男はため息混じりの声になった。
「ところでその藁の山はなんだ」
突かれてぎくっとした瞬間、どんっ、と背中に重い何かが落ちてきた。人ひとりぶんの重さがあった。衝撃で声を上げそうになったがかろうじて呑み込んだ。
「寝床だよ、昼寝にはちょうどいいんだ。でもあたし専用だからサシャは乗っちゃだめね」
「寝るのは構わんが、日没までには必ず村に帰れよ。今日は神崇祭の段取りがあるからな」
「わかってるよぉ」
ピピンはうまくごまかしたようだ。
「今年はぜひとも奇跡の魚を供物として捧げたいと、みな息巻いているぞ。人間との戦いに勝つためには、秘石様のご加護が必要だからな」
男はそう言い残して去っていった。足音が遠ざかった後、そっと顔を出してあたりをうかがう。すると座り込むピピンの背中姿が目に入る。何か考えこんでいるようだ。
ピピンは突然、意を決したようにすっくと立ち上がり、くるりと振り向いてアージェを見下ろす。ぴんと人差し指を立てて目を輝かせた。
「そうだ、おまえに手伝ってほしいことがある」
「手伝い……?」
「成功したら、秘石を返すって約束するからさ」
「ほんとうか!?」
「もちろんだって!」
ピピンは口元をしならせて期待に満ちた表情をする。断るという選択肢などありえないと言わんばかりに。
「それじゃよろしく。あたしの名前はピピン。おまえたち人間が『魔族』と呼ぶ、『魔法の寵愛を受けた民族』の末裔だ」
アージェは全身の痛みにうなされて目を覚ました。あたりは薄暗く、湿った土の匂いがした。布団の代わりなのか、乾いた藁が身体の上にこんもりと積まれている。
――ここはどこだ? 俺は何をしていたんだ?
ズキンと頭に拍動を伴う痛みを感じた。頭を押さえようと右腕を上げようとした時、さらなる激痛に襲われた。何が起きたのか、すぐに思い出せなかった。
記憶の糸をたどると、最初に激しい轟音と襲いかかる閃光、舞い上がる熱風が蘇ってきた。浮遊要塞に襲われ、飛行艇が破壊される。その映像が脳裏に流れ、それから地面に引き寄せられるような感覚を思い出す。確か、飛行艇から投げ出されたはずだ。
もう助からない、そう覚悟した時に頭部に激しい衝撃を受けた。その後に続く、やわらかい残響。きっとメメルの声だ。けれど何と言っていたのかは覚えていない。記憶はそこで途絶えていた。
――俺はまた、メメルに助けられたのか。でも、ここに運んだのは別の誰かのはずだ。いったい誰が?
目を凝らして見回すと、周囲は露出した岩肌と、古代の雰囲気を残す石の構造物に囲まれていた。垂直に切り立った岩肌にはさまざまな壁画が描かれており、読めない字で書かれた文章もある。
明らかに今まで訪れた浮遊島の光景ではなかった。ということは大陸に落下したに違いない、けれどそれなら生きていることが不思議だ。大陸は魔族の巣窟と聞いていたのだから。
ぶるりと身震いを覚えたのは寒さのせいだけではなかった。
胸元のペンダントを握りしめようと、自由の利く左腕を折り曲げる。けれど胸元にあるはずのペンダントがなくなっていた。背筋がさっと冷たくなり、慌てて飛び起きる。全身の筋骨がきしんで痛んだが、そんなことは構っていられない。あたりをくまなく確かめるけれど、やはりどこにもない。藁をどかして探しても見つからない。
「メメル……メメルッ! どこなんだ、どこに行ったんだ!」
必死に呼びかけるが、返事があるはずもない。けれど。
「おまえ、何か探しているのか?」
「お、俺のペンダントが――」
背後から声をかけられ、思わず返事をする。が、すぐさま口を閉ざし全身を緊張させた。ここは人間が棲んでいる場所ではないはず。だから声の主の正体は――。
おそるおそる振り返ると、薄闇の中に爛々と輝くふたつの瞳があった。
「うわぁぁぁっ、誰だッ!」
気配はまるで感じられなかった。いつのまにか背後に現れた相手はうろたえるアージェを面白そうに笑う。高くて響く声が岩肌に反響してひどく不気味に感じた。
岩の隙間から差し込む光が相手の姿を照らし出す。声の主は、くりっとした大きな瞳、毛の生えた三角の耳、背後で揺れる長い尻尾を持つ少女だった。動物の皮でできた原始的な服をまとっていて、年の頃はメメルと同じくらいに見えた。
その少女がどんな生き物なのか、アージェはすぐさま確信を得た。
――魔族かッ!
アージェは魔族がどのような存在なのか、詳しいことは何も知らない。ただ、人間と魔法戦争を繰り広げている『敵』という認識があるだけだ。よからぬ想像ばかりが湧き起こる。
「俺を捕らえてどうするつもりだ。人質のつもりなのか、奴隷として扱われるのか、あるいは食肉にでもするつもりか!?」
身構えて相手を睨み上げると、少女は笑うのを止め、全身に緊張感をみなぎらせる。立てた尻尾に力が入り、ぴんと毛が逆立つ。
「それが命の恩人に対する態度なのか?」
「え、命の恩人……?」
「やっぱり人間ってのは身勝手な生き物だな。覚悟しな!」
少女は言葉を遮り、両手を掲げて魔法を唱えた。周囲に散らばる石礫が浮き上がりアージェを狙う。身の危険を感じ、アージェもすかさず魔法を発動させた。
――『魔禁瘴・矢羽!』
浮いた石礫に漆黒の矢を放ち鮮やかに撃墜する。少女は目を見開いて驚いた。魔法が無効化されたと知ると、小刀を取り出して身構える。けれどその手は震えていて、近接戦に慣れていないのは明白だった。
アージェは両手を上げ、戦う意志がないことを示しつつ尋ねる。
「もしかして、きみが俺を助けてくれたのか?」
「あたしでなきゃ、だれが手当てをしたと思っているんだ。傷をよく見てみろ!」
少女がそう叫んだので、アージェは自身の傷口に目を向ける。血はきれいにふき取られ、肌は光沢を帯びていた。薬を塗られて出血が止まったようだ。
「俺は捕らえられたんじゃなかったのか……」
「なにもしなければ、いまごろは獣の餌になっていたはずだ」
「そうだったのか……命を救ってくれてありがとう。きみと話がしたい。だから武器を収めてくれないか」
「……信用していいのか?」
「ああ、どうせ俺の魔法に殺傷能力はないから」
少女はようやっと応じ、小刀を懐にしまった。距離を置いたままじっと見つめ合う。
「じゃあ尋ねるけど、あんたは何しに大陸に来たんだ?」
少女は侵略ではないかと警戒しているはず。アージェはそう察した。だから正直に経緯を打ち明ける。
「大陸を訪れるつもりなんてなかったよ。じつは旅の途中で飛行艇が墜落したんだ」
「墜落……?」
すると少女は思い出したようにはっとした顔をする。
「そういえばおまえを見つける前、空中で爆発音がしたってサシャが言っていたな。でもどうしてそんなことに?」
「理由はわからないけど、飛行艇が悪い奴らに攻撃されたんだ。たぶん俺以外、助かった者はいないと思う」
「じゃあおまえはただの遭難者なのか」
「まあな……」
船長の最期の顔を思い出す。アージェの憂いた表情を見た少女は警戒を解き、肩の力を緩めた。その様子にアージェも胸をなでおろす。もしも『侵略者』とみなされたのなら、仲間を呼んで殺されたに違いない。
「けれど、どうして俺を助けたんだ? 人間はきみたちの敵のはずなのに」
「ん、まぁ……ただの気まぐれだけどさ……」
少女は困ったような顔で、寝かせた耳をもてあそびながらつぶやく。本心は秘石の欠片を持っていた理由を尋ねたいが、それは奪ったことを自白するようなものだ。
ところがアージェは少女とのやり取りの中で直感が働いた。
「俺もきみに聞きたいことがあるんだ。いい?」
少女はまぶたをおじぎさせて受け入れた。アージェは真剣な表情を崩さないまま尋ねる。
「俺のペンダントを奪ったのは、きみだろ?」
「え……」
思わず視線をそらす少女。やはり隠しているな、とアージェは即座に感づいた。
「だって、あの高さから落ちたら普通は即死するはず。俺は意識を失っていたから、魔法で凌いだという可能性はまずない。けれど、きみは俺が空から落ちたのに、生きていることに疑問を抱かなかった」
少女は何か言おうと口元を動かしたが、結局は何も言葉を発さなかった。表情は硬直し、視線だけが定まらずうろついている。
「きみはペンダントの光が俺を救ったのを目撃していた。だから俺が『墜落した』と言っても驚かなかったんだ。そんな不思議なペンダントを目の当たりにしたら、手にしたいと思うのは自然なことだからな」
言われて認めたのか、それとも開き直ったのか、少女はぷいっと顔をそらして態度で反抗する。
「やっぱりそうなのか。返してくれ」
「助かったんだから、それだけでいいでしょ」
「命を助けてくれたお礼としても渡せない。俺の命より大切なものだから。だから頼む!」
「いやだよ、だってあの宝石はもともと大陸にあったものだ。どーせ人間が奪っていったんでしょ!」
少女は腕を組んで頬を膨らませる。けれどアージェは少女の言い分に対する反論を持っていた。
「いや、そうじゃない。あのペンダントの秘石は、きみたちの仲間を救った人間が、魔族からお礼として受け取ったものだ」
「えっ、そうなのか!?」
その人間とは、ラドラ・ホーラのことだ。アージェはリリコが語っていたことを思い出してそう言った。
「それが人の手を渡って俺の元にたどり着いたんだよ」
「むぅー、そんな偶然が……」
少女は口を閉ざして考え込む。その過去に心当たりがありそうな顔だ。
その時、アージェたちがいる洞穴の入り口から男の声が響いてきた。
「ピピン、いたら返事をしろ!」
「まずい、隠れて!」
ピピンと呼ばれた少女はアージェを藁の中に押し込み、姿が見えなくなるように藁を整えて隠した。藁の山に口を寄せて耳打ちする。
「人間は見つかったら殺されるから。あたしも人間を擁護した罪を着せられたくないし」
「わかった」
アージェはピピンの言うとおりに息をひそめる。足音が近づき、その音の主がピピンに話しかけてきた。
「こんなところにいたんだな。おまえは最近、身勝手な行動が多いとアンドゥラ長老がお怒りだぞ。調和を乱すのは我々ラーゲルドゥーネにとって大罪だ」
「わかっているよ。でもあたし、壁画の解読をしにきているんだよ? 成功したらサシャに一番に教えるからさ」
「成功したこと、俺の記憶では一度もないがな」
サシャと呼ばれた男はため息混じりの声になった。
「ところでその藁の山はなんだ」
突かれてぎくっとした瞬間、どんっ、と背中に重い何かが落ちてきた。人ひとりぶんの重さがあった。衝撃で声を上げそうになったがかろうじて呑み込んだ。
「寝床だよ、昼寝にはちょうどいいんだ。でもあたし専用だからサシャは乗っちゃだめね」
「寝るのは構わんが、日没までには必ず村に帰れよ。今日は神崇祭の段取りがあるからな」
「わかってるよぉ」
ピピンはうまくごまかしたようだ。
「今年はぜひとも奇跡の魚を供物として捧げたいと、みな息巻いているぞ。人間との戦いに勝つためには、秘石様のご加護が必要だからな」
男はそう言い残して去っていった。足音が遠ざかった後、そっと顔を出してあたりをうかがう。すると座り込むピピンの背中姿が目に入る。何か考えこんでいるようだ。
ピピンは突然、意を決したようにすっくと立ち上がり、くるりと振り向いてアージェを見下ろす。ぴんと人差し指を立てて目を輝かせた。
「そうだ、おまえに手伝ってほしいことがある」
「手伝い……?」
「成功したら、秘石を返すって約束するからさ」
「ほんとうか!?」
「もちろんだって!」
ピピンは口元をしならせて期待に満ちた表情をする。断るという選択肢などありえないと言わんばかりに。
「それじゃよろしく。あたしの名前はピピン。おまえたち人間が『魔族』と呼ぶ、『魔法の寵愛を受けた民族』の末裔だ」