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ここは深緑の樹木が大地を覆う、大陸の内陸部。雄大なヴェルモア湖の湖畔に、人の形をした光の塊がゆったりと落ちてきた。
森の木々の葉はかすかな音を立てながら風に踊り、ときおり木漏れ日を地面に散りばめて遊ばせる。
その木々の間を飛ぶように駆け抜ける少女の姿。動物の毛皮を縫い合わせた服を纏い、腰には小さなポーチと小刀を携えている。露出した顔や手足の肌は迷彩模様の化粧が施されていた。
「んー? たしかこの辺りだったような……」
少女はグレーの毛で覆われた三角の耳をピンと立ててあたりの様子をうかがう。しかし耳に届くのは鳥のさえずりと虫の歌ばかりだ。長い尻尾を掲げてゆらしながら鼻をすんすんとひくつかせる。
「あっ、こっちかぁ!」
さらに奥へと進むと湖岸に出、ぽっかりと空が広がった。少女の目の前に広がる湖は透き通るような色で、多くの魚たちが泳ぎ回っている。少女に驚いて水鳥たちが水面から飛び立った。
少女は丹念に湖畔を目と鼻で探る。湖の周りには色鮮やかな花が咲き誇っており、その色彩はまるで虹が降ったようだ。
その中に淡く光るものを見つけた。けれど空から降ってきた光よりもずっと微弱だ。近づいてみると、自分たちに似た姿の生き物が横たわっていた。
その生き物は目を閉じたまま動く様子がない。少女は足音を忍ばせて近づく。姿を確かめると、少女は目を丸くして驚いた。
「これ、人間だ……」
人間は大陸の民を脅かす存在である。少女はごくりと唾を飲み、おそるおそる観察する。頭部からの出血で顔が赤黒く染まっている。胸は弱々しく上下に動いているが、今にも止まってしまいそうだ。服をめくってみると、全身にはあざがあり、右腕は皮膚が焼けてぼろぼろになっていた。
光はその生き物が身に付けているネックレスの宝石から発せられている。光は時間とともに輝きを弱め、しばらくすると光を発さなくなった。
気を失っているのだと知ると、腰の小刀を取り出してネックレスの革紐を切断する。それから小刀を横たわる生き物の首に押し当てる。
すると手に収めた宝石がかすかに震えた。あれ、と思って宝石に目を向けると、光の奥で拍動している何かが見えた。しかも放つ魔法の気配が強烈で、それがただの鉱石とは思えなかった。
「この魔力、もしかして、『秘石様の欠片』……? でもなんで人間がこれを……」
その一片の疑問が、少女の腕の力を緩めさせた。少女は幼少時から「人間を見つけたら生かしておくな」と教育されてきたというのに。
森の教室に通うようになってから学んだことは、文字の読み書きだけではなかった。人間がどんな武器や魔法を使い、どのように大陸を侵略し、そして何を狙っているのかも。
少女たち大陸の民は、神と崇める世界を統べる秘石を護るために命を賭けている。そのことに疑問を持つ者は誰ひとりとしていない。彼女たちはそれが生を受けた意味なのだと理解しているのだから。
一方で人間は理不尽で、矛盾を抱えていて、理解することができない生き物だ。
貴重な魔法資源を奪うために大陸を侵略し、大陸の民を容赦なく虐殺し続けている。けれどそれでは飽き足らず秘石《メルス》にまで魔の手を伸ばし始めた。
けれど人間の中には同胞を裏切り、大陸の民に手を差し伸べる者もいる。残酷な侵略者でありながら、大陸の民に慈愛の感情を持つ者もいるのだ。
だから人間を一緒くたに否定することもできない。なぜなら少女もまた、裏切り者の手によって命を救われたひとりなのだから。
その矛盾が少女の人間に対する好奇心を激しく煽り立てる。
――もしもこの人間が生き延びれば、なぜ『秘石様の欠片』を持ち合わせていたのか、その理由を聞き出すことができる。もしかしたら、世界を統べる秘石を狙う理由がわかるかもしれない。
――でも、秘石様を危険に晒すことにならないだろうか? ううん、『秘石様の欠片』を奪ったからきっとだいじょうぶ。魔法の嗅覚に疎い者が『秘石様の欠片』なしに森の迷宮を抜けられるはずがない。人間が自力で秘石様へたどり着くなんてこと、あってはならないんだから。
少女は意を決して魔法を唱える。すると地面に散らばった枝葉が命を宿したかのように寄り集まり、つなぎ合わさってゆりかごの姿になる。大陸の民は、誰もが自然を操る古代魔法を使えるのだ。魔力が空や大地に満ちているのは、世界を統べる秘石の恩恵にほかならない。
森の小道に誰もいないことを確かめる。横たわる人間を抱きかかえてゆりかごに乗せ、ゆっくりと宙に浮かせた。集中力を切らさないように呼吸を整え、後ろからそっと押して進む。
森の中には数多の古代遺跡が点在している。まるで森そのものが古代の知識や秘密を隠しているかのよう。だから人間を森の遺跡に隠すことは、けっして秘石様の意志に背くことではない。
少女はそう自分を納得させながら、森の奥へと姿を消していった。
ここは深緑の樹木が大地を覆う、大陸の内陸部。雄大なヴェルモア湖の湖畔に、人の形をした光の塊がゆったりと落ちてきた。
森の木々の葉はかすかな音を立てながら風に踊り、ときおり木漏れ日を地面に散りばめて遊ばせる。
その木々の間を飛ぶように駆け抜ける少女の姿。動物の毛皮を縫い合わせた服を纏い、腰には小さなポーチと小刀を携えている。露出した顔や手足の肌は迷彩模様の化粧が施されていた。
「んー? たしかこの辺りだったような……」
少女はグレーの毛で覆われた三角の耳をピンと立ててあたりの様子をうかがう。しかし耳に届くのは鳥のさえずりと虫の歌ばかりだ。長い尻尾を掲げてゆらしながら鼻をすんすんとひくつかせる。
「あっ、こっちかぁ!」
さらに奥へと進むと湖岸に出、ぽっかりと空が広がった。少女の目の前に広がる湖は透き通るような色で、多くの魚たちが泳ぎ回っている。少女に驚いて水鳥たちが水面から飛び立った。
少女は丹念に湖畔を目と鼻で探る。湖の周りには色鮮やかな花が咲き誇っており、その色彩はまるで虹が降ったようだ。
その中に淡く光るものを見つけた。けれど空から降ってきた光よりもずっと微弱だ。近づいてみると、自分たちに似た姿の生き物が横たわっていた。
その生き物は目を閉じたまま動く様子がない。少女は足音を忍ばせて近づく。姿を確かめると、少女は目を丸くして驚いた。
「これ、人間だ……」
人間は大陸の民を脅かす存在である。少女はごくりと唾を飲み、おそるおそる観察する。頭部からの出血で顔が赤黒く染まっている。胸は弱々しく上下に動いているが、今にも止まってしまいそうだ。服をめくってみると、全身にはあざがあり、右腕は皮膚が焼けてぼろぼろになっていた。
光はその生き物が身に付けているネックレスの宝石から発せられている。光は時間とともに輝きを弱め、しばらくすると光を発さなくなった。
気を失っているのだと知ると、腰の小刀を取り出してネックレスの革紐を切断する。それから小刀を横たわる生き物の首に押し当てる。
すると手に収めた宝石がかすかに震えた。あれ、と思って宝石に目を向けると、光の奥で拍動している何かが見えた。しかも放つ魔法の気配が強烈で、それがただの鉱石とは思えなかった。
「この魔力、もしかして、『秘石様の欠片』……? でもなんで人間がこれを……」
その一片の疑問が、少女の腕の力を緩めさせた。少女は幼少時から「人間を見つけたら生かしておくな」と教育されてきたというのに。
森の教室に通うようになってから学んだことは、文字の読み書きだけではなかった。人間がどんな武器や魔法を使い、どのように大陸を侵略し、そして何を狙っているのかも。
少女たち大陸の民は、神と崇める世界を統べる秘石を護るために命を賭けている。そのことに疑問を持つ者は誰ひとりとしていない。彼女たちはそれが生を受けた意味なのだと理解しているのだから。
一方で人間は理不尽で、矛盾を抱えていて、理解することができない生き物だ。
貴重な魔法資源を奪うために大陸を侵略し、大陸の民を容赦なく虐殺し続けている。けれどそれでは飽き足らず秘石《メルス》にまで魔の手を伸ばし始めた。
けれど人間の中には同胞を裏切り、大陸の民に手を差し伸べる者もいる。残酷な侵略者でありながら、大陸の民に慈愛の感情を持つ者もいるのだ。
だから人間を一緒くたに否定することもできない。なぜなら少女もまた、裏切り者の手によって命を救われたひとりなのだから。
その矛盾が少女の人間に対する好奇心を激しく煽り立てる。
――もしもこの人間が生き延びれば、なぜ『秘石様の欠片』を持ち合わせていたのか、その理由を聞き出すことができる。もしかしたら、世界を統べる秘石を狙う理由がわかるかもしれない。
――でも、秘石様を危険に晒すことにならないだろうか? ううん、『秘石様の欠片』を奪ったからきっとだいじょうぶ。魔法の嗅覚に疎い者が『秘石様の欠片』なしに森の迷宮を抜けられるはずがない。人間が自力で秘石様へたどり着くなんてこと、あってはならないんだから。
少女は意を決して魔法を唱える。すると地面に散らばった枝葉が命を宿したかのように寄り集まり、つなぎ合わさってゆりかごの姿になる。大陸の民は、誰もが自然を操る古代魔法を使えるのだ。魔力が空や大地に満ちているのは、世界を統べる秘石の恩恵にほかならない。
森の小道に誰もいないことを確かめる。横たわる人間を抱きかかえてゆりかごに乗せ、ゆっくりと宙に浮かせた。集中力を切らさないように呼吸を整え、後ろからそっと押して進む。
森の中には数多の古代遺跡が点在している。まるで森そのものが古代の知識や秘密を隠しているかのよう。だから人間を森の遺跡に隠すことは、けっして秘石様の意志に背くことではない。
少女はそう自分を納得させながら、森の奥へと姿を消していった。