ヴェルモア島を出発する飛行艇は帰還する冒険者たちを乗せていた。いくばくかの宝を発見した者もいたが、そのほとんどは骨折り損だったようだ。船内に並ぶ暗い顔と同調するように、灰色の厚い雲が空を覆い尽くしている。

 だが、アージェだけは希望に満ちたまなざしをしていた。

 飛行艇の窓から視線を下げると複雑な形をした巨大な湖が広がっている。地図で見たヴェルモア島と似た形だ。大陸から切り離された一部が浮遊島として人間の住み処となっているのだと、リリコの授業で教えてもらったのを思い出した。

 ヴェルモア島では生命の再生は叶わなかったが、多くの収穫を得ることができた。メメルの魂は健在で、ふたりの絆を確かめられたこと、生命の再生に必要な手がかりを掴んだこと、そして自身の能力が未知数であることも。

 ――メメル、いよいよだ。

 秘石を手に取りそっと語りかける。

 アージェが次に目指すのは中央都市(セントラルシティ)。このアストラルにおける政治の中核都市で、帝が率いる軍の拠点でもある。生命再生に必要な条件のひとつがそこにあることは間違いない。もしもそれを奪い取ることができれば、器として捕らえられたリリコを救うこともできる。

 しかし、見知らぬ土地で帝の軍隊やヴェンダールを相手にするとなれば情報収集が必要だ。現地に溶け込んで軍の実態を把握し、突破口を探し出さなければならない。それに戦うための同志を集める必要がある。セリアや魔法学院の教員に応援を頼まなければ。そして、大陸(コンタナ)に眠る『クイーン・オブ・ギムレット』が見つかるよりも先に、こちらから仕掛けなければならない。

 心の中で戦略の青写真を描いていると、突如、飛行艇に警報音が鳴り響いた。船長が野太い声をあげる。
 
「警告! 警告! 巨大な飛行物体が接近しとるでえー! 魔法を使えるやつぁ、戦闘態勢に入りやがれ!」

 またたく間に船内は騒然となった。それからほんの数秒後――ドーン、と激しい衝撃を受けて機体が傾き、室内の温度が急激に下がった。

「飛行艇が損傷したぞいっ! 死にたかねぇ奴は避難用パラシュートを装着してとっとと逃げやがれ! ただし降り立つのは大陸(コンタナ)だ! 魔族に喰われるなよ!」

 あたりを見回すと冒険者たちがパラシュートバッグを奪い取り始めた。十分な数の確保がないことを、この飛行艇の常連たちは認識しているのだ。

 すると乗客のひとりが恐怖に怯えた顔で叫ぶ。

「うわあぁぁぁ! 空に『要塞』が浮いているゥゥゥ!」

 まさか、と思ったが、窓の外に目を向けると巨大な円盤状の要塞が雲の隙間に見え隠れしていた。

 それはかつてメメルが撃墜した『浮遊要塞』そのものだった。巨大なギムレットが円盤の中央で煌々と輝いている。浮遊要塞を起動させるのに十分な魔力を有するギムレットを、グスタフはふたたび手に入れたに違いない。

「くそう……グスタフめ、復活してきやがったのか。でもなんでこの飛行艇を狙って……」

 パラシュートを手に入れた冒険者たちは破損した機体の穴から次々と飛び降りる。いくつものカラフルな円が空に描かれてゆく。すると浮遊要塞は魔導士を乗せた飛龍を放った。

「ああっ、まずいッ!」

 飛龍は口内に炎を充填し、逃げゆく冒険者に向かって容赦なく火炎を放つ。パラシュートが燃え上がり、冒険者たちは次々と撃ち落とされてゆく。ポンヌ島で起きた、悪夢のような襲撃の記憶が揺り起こされた。

 その時はメメルが身を挺してポンヌ島の住民を守り抜いた。だが、この小さな飛行艇には、浮遊要塞に立ち向かうだけの戦力などあるはずもない。逃げなければ、と本能は警鐘を鳴らすが、逃げる手立てはどこにもない。それでも助かる可能性はゼロではない。舵をとる船長の元へと向かう。

「船長、ハッチを開けてください!」
「小僧、何をする気だ!?」
「浮遊要塞がこの飛行艇を攻撃してきたら、俺がその魔法を消滅させます」
「はぁ? 魔法を消すだとぉ!?」
「はい。次の発動までに隙ができるので、大陸(コンタナ)に不時着してください」
「……ほんとうにそんなことができるのか?」
「わかりません、でも助かる方法はそれしかありません」

 飛龍は逃げた冒険者たちを始末し終えると飛行艇から距離を取った。なぜならグスタフ自身が飛行艇にとどめを刺すからだ。浮遊要塞のギムレットは魔力の塊を宿し、火花を散らしている。好戦的な者はみずから手を下さずにはいられないのだと、アージェはヴェンダールとの戦いで痛感していた。

 浮遊要塞は機体を大きく傾け、飛行艇に攻撃の照準を合わせた。天を覆うほどの巨大な要塞の影に、小さな飛行艇が呑み込まれてゆく。

「船長、お願いします!」
「ぐむぅ……」

 船長は力感みなぎるアージェのまなざしに唸り声をあげる。

「俺はこのボロ船と添い遂げるつもりだからどうなろうが構わん。だがこんな船に乗らなければ、おまえにはまだ未来があったはずだ。申しわけない」
「船長……」
「不条理に人生を奪われるなんて悔しいよなぁ」

 船長は奥歯を強く噛み締めて言う。

「だが、何もしなければやられるだけだ。だからおまえさん、生涯最後の魔法になるかもしれねえが、思う存分その牙で噛みついてみろ!」
「はい、やらせてください!」

 船長が手動でハッチを開く。鋭い風が吹き込んできた。アージェは開かれたハッチから身を乗り出し、空を占拠する浮遊要塞と対峙した。巨大な敵に向かって渾身の力で魔法を発動させる。

 ――『魔禁瘴・終焉の宴(ファイナルヴァンケット)!』

 巨大な漆黒の渦巻きが船体と浮遊要塞の間に形成される。同時に浮遊要塞のギムレットから魔力の閃光が放たれた。突き刺すような光の矢を、アージェは闇の渦で受け止める。魔法と魔法がぶつかり合い、光と闇のつぶてがほとばしる。

「止まれェェェェェ!!」

 アージェの腕は強烈な衝撃で悲鳴を上げる。血管と筋繊維が容赦なく引き裂かれ、気を失うほどの痛みに襲われる。だが、たとえ腕が吹き飛んでも耐えきれなければ未来はない。

 ギムレットが放つ閃光はさらに強度を上げ、アージェの障壁を突き破ろうとする。腕から血が吹き出し、骨がひび割れる音がした。

「ぐあああっ!!」

 突然、船体が衝撃を受け、ぐわんと大きく回転した。防ぎきれなかった攻撃が船体をかすめたのだ。強烈な振動で支柱から引き離されたアージェは船内に転がり込み、壁に身体を打ちつけた。

 飛行艇はきりもみ回転をしながら地上へ落下してゆく。アージェは船内の床を転がされ、ハッチから空中へと放り出された。

 直後、閃光が機体を貫き、飛行艇は轟音を立てて空中で爆発した。

 機体の破片が舞い散り、そのひとつが落下するアージェの頭部を直撃した。脳が揺さぶられ意識が薄れ、視界が暗闇に覆われてゆく。

 すると現実なのか幻なのか、闇の中にひとしずくの明かりが灯る。光はしだいに広がってゆき、アージェの全身を包み込んでゆく。懐かしく、あたたかい光だ。眩い光のなか、ふたたびメメルの声が脳裏に響いた。

 ――アージェ、一緒に行こうよ。クイーン・オブ・キムレットが、あたしのことを呼んでいるんだ。

 けれどアージェの意識は深い湖底に沈むように落ちてゆき、その声に応じることができなかった。