メメルが孤児院に引き取られて一年ほど経った頃のこと。メメルはアージェにすっかり懐いており、どこに出かけるのにも真っ先にアージェに誘いをかけていた。

「ねえアージェ、あたし、ミレニアの誕生日にプレゼントをしてあげたいと思っているの」

 けれど学校の試験を控えていたアージェは面倒くさそうな顔をする。

 マザーも子供も誕生日のお祝いは、渡り鳥のモツの煮込みか、空魚(そらうお)のムニエルと決まっている。高級素材を用いた料理に舌鼓を打てるのは、誕生日を迎えた主役の特権だ。誕生日が不明な孤児もいるが、孤児院で引き取られた日を誕生日とみなしてお祝いをしている。そうでなければ特別な一日が公平ではなくなってしまうからだ。

「ミレニアだけプレゼントっていうのは、やめた方がいいんじゃないか?」
「ぶー、だったらマザーのみんなにお祝いするからいいもん!」

 やんわりと歯止めをかけても無駄である。メメルは一度言い出したら引き下がらないことをアージェはさんざん思い知らされていた。

「……しょうがないなぁ。で、何をプレゼントしようと思っているんだ?」
「へへぇ~、それはねぇ」

 メメルがアージェを連れて行ったのは、島の中央にそびえ立つ山のふもと。切り立った岸壁の中腹、アージェの身長の五倍くらいありそうな場所に植物が固まって生えていた。

 夢星草。ポンヌ島の一部にしか生息しない珍しい植物で、星形の花を咲かせることで知られている。目を凝らしてみると、これから開花を迎えるようで、色とりどりのつぼみを蓄えていた。

「ほら、誕生日のプレゼントに最高の花だと思わない?」
「そうだな……けど、どうやってあれを取るんだよ」

 採りたいのなら、風魔法で空を飛べるセリアに頼むべきじゃないか。そう、喉まで出かかった。けれどメメルは口を尖らせて反論する。

「頑張って採ったものには気持ちがこもるんだよ。だからあたしが登って取ってきたいんだ」
「いや危ないだろ、落ちたら怪我するぞ」
「そのためにアージェがいるんじゃない。だから下で待っていてね」

 悪びれもせず純朴な笑顔を浮かべるメメル。つまり落ちたら受け止めろということだ。無謀とも思えるが、アージェはメメルの無邪気さに勝てたためしがない。

「わかったよ、とにかく無理すんなよ」
「へへ~、頼りにしているね、アージェ」

 メメルは深呼吸をしてから、口を真一文字に引き締め壁に飛び乗った。突き出た岩の先端を掴み、四肢に力を込めて岸壁をよじ登る。身軽なのか怖いもの知らずなのか、迷いなくどんどん上を目指す。けれど花に近づくと壁は急峻になり、メメルの手が震え始める。地上にいるアージェにまで荒い息遣いが聞こえてきた。

 無理そうなら戻れよ、と言おうとして思いとどまった。この時期にだけ咲く花を贈ろうとしたということは、前々からミレニアの誕生日に夢星草をプレゼントしようと計画していたはずだ。その思いを止める権利などアージェにはなかった。

 息を飲んで見守っていたが、メメルはついに夢星草にたどり着いた。片手で数株を岩肌から抜き取った。振り向いてアージェに向かって呼びかける。

「草、上から落とすから集め……あっ!」

 ずるりと足を滑らせ、両足が宙に浮いた。右手も草を持っていたので、左手一本で岩肌にぶら下がる。けれど耐えきれるはずがなく、メメルの身体は宙に放り出された。

「きゃあっ!」
「危ないッ!」

 アージェはすかさず落下位置に回り込み、両腕を広げて全身でメメルを受け止める。胸にどん、と強い衝撃が走って弾かれそうになったが、下半身に力を込めてかろうじて体勢を維持した。

 腕の中で丸くなったメメルは「ふーっ」と大きく息をつき、赤らめた顔でアージェを見上げる。

 抱きとめたメメルの体温と肌の匂いで胸がどぎまぎする。ばれては気まずいと思い、アージェはごまかすようにメメルを戒める。

「ふーっ、じゃないだろ! 危ないったらありゃしない!」
「危なくないよ。だってアージェはいつでも助けてくれるから」
「……わかったから、とりあえず降りろよ」
「やだ!」

 メメルは口を真一文字にしてきっぱりと断った。

「だって、お姫様になった気分なんだもん!」
「お姫様……?」

 一瞬、意味がわからなかったが、腕の中から見上げる照れた顔にその意図を理解する。同時に胸の高鳴りが加速した。

「俺は王子様じゃないだろ。そんなに王子様がよければ――」
「ううん、あたしの王子様だよ!」

 遠慮なしに言ってのけるメメルに、アージェは言い返す術がない。この天然なのか本気なのかわからない懐き方を、アージェはどう扱ったらよいのかいまだにわからない。

 そんなアージェの内心をよそに、メメルは腕をアージェの首に回して、絶対に降りないぞという意志を見せつける。拒否する理由を片っ端から奪われた。

「ま、まあ、今回は頑張ったから、大目に見てやるけどな」

 メメルは間近でアージェの顔を見つめている。アージェはずっと目を合わせていられず、メメルの手中に収められた夢星草を確かめるふりをして視線をそらした。

「怪我してないんだから、運んでやるのは広場通りに出るまでな」
「あー、ほんとは恥ずかしいんでしょ! 大人げないなぁ」

 ぷーと頬を膨らまして不機嫌な顔をした。アージェは一瞬たじろいたが、自分が怒られるのはお門違いだと思い直す。

「わかっているなら空気を読んで降りてくれ。ほらっ」

 けれどメメルは全力でふるふると首を横に振り、けっして離れまいとする。アージェが諦念を受け容れて無言で広場通りに向かうと、メメルは希望のまなざしにひとことを添えた。

「そのかわり、アージェがピンチになった時は、あたしが助けてあげるから」
「いや、そんな時は永遠に来ないだろ」
「そんなことないもん! あたし強くなって、ぜーったいにアージェを助けられるようになるんだから!」

 アージェは必死に言い返すメメルの言葉を笑って流した。けれどこの時のアージェはまだ、メメルに対して芽生えた感情を形容できるはずなどなかった。