アージェに与えられたのは、城の一階にある窓付きの角部屋。ベッドとデスクが置いてあり、蝋燭やランタンも備え付けられていた。しばらく暮らすには不便はなさそうだ。

 荷物を端にまとめてから引き戸の窓を開ける。湿った風が流れ込んできた。目に入るのは深い森とそびえ立つ崖。その上方にはしだいに青を深めゆく空が広がっている。

「アージェ様、食事をお持ちしました」

 プリマがサービスワゴンを転がして夕食を届けにきた。森で採れた獣の干し肉、山菜のおひたし、きのこのスープ、それにお酒まで。アージェは想像だにしなかったおもてなしを受け、思わず恐縮してしまう。

「ああ、突然の来客にこんな豪華なふるまいをしてくれるなんて、魔女は気前のいい方なんですね」
「アージェ様は魔女様に歓迎されているのですよ、きっと」

 そう言うプリマは少しばかり迷いを含む顔をして視線をそらす。あれ、と違和感を覚えたが、プリマでさえ魔女の真意がわからないのだろうとアージェは推測した。

「ところでプリマさんはここに住み込んでいるんですか」
「はい、来客のお世話が私の務めなので」
「でも、この城は何の物音もしませんね」

 気になっていたことだが、城に足を踏み入れてから人の気配がまるで感じられなかった。

「今日は魔女様と私だけしかいませんから……」

 手をかけてもらえるのは余裕があるためなのか。そうだとすると運がよかったのかもしれない。アージェはふと思いついて提案する。

「そうだ、それなら俺と一緒に食事をしませんか」
「えっ、いえ、それは禁止されていますから!」

 プリマは驚いたようで、慌てて顔の前で手を振って遠慮する。

「――でも、そうできれば嬉しいのですけれども」

 まるでその時間を想像するように視線を持ち上げるプリマ。本心で口にしていることだと感じる。
 
「俺、ひとりでの食事ってあまりしたことがないので、なんだか落ち着かなくって」
「そうですか、いつも誰かと一緒にいられるなんて羨ましいです」
「だったらいくらでも話し相手になりますよ。俺でよければ」
「アージェ様はやっぱり親切な方なんですね。――ああ、こうしていては料理が冷めてしまいます、それでは失礼いたします」

 プリマは距離を取るように身を引き、しずしずと部屋を去っていった。アージェは扉が閉じるまで見送ってから食事を口にし始めた。格別高級な料理ではないが、空腹は最高のスパイスだ。ナイフとフォークを持つ手は止まらず、息つく暇もなく完食した。

 空腹が満たされると、城の外にある木造の小屋へと案内された。あたりの空気はほんのりとした温かみを帯びている。

「この小屋には蒸し風呂がございます。それにお湯が湧き出ていますので、存分に体を流せます。ご自由にお使いください」
「やった、ようやっと洗えるんだ。もうすぐきのこが生えるところだった」

 冗談でそう言うと、プリマは不思議そうな顔になる。

「あら、もしかしてアージェ様は女性ですか?」
「は?」
 
 そう尋ねてまじまじとアージェの全身を眺める。どう見ても男にしか見えないはずだ、なんでそんなことを聞くのかとアージェは不思議に思った。

「見ての通り男ですってば」
「ええと、男性には生まれつき、きのこが生えているものだと、魔女様がおっしゃっていたんです。私の記憶違いなのかしら……?」

 何の悪気もなく危険な言動を口にした。好奇心が混ざる視線を浴びたアージェは思わず顔を赤らめる。

「それ絶対、聞き間違えですからっ! じゃあ先に帰ってください!」

 確かめられたらたまらないと思い、アージェはプリマの背中を押すふりをして拒否をした。プリマは頭上に疑問符を浮かべ、何度も振り向きながら城へと戻っていった。

「ふぅ……危なかった。プリマさんって、意外と天然だったんだ……」

 プリマの姿が完全に見えなくなったところで服を脱ぎ捨て小屋に滑り込む。天井から不思議な香りの湯気が立ち込めている。四肢を伸ばして寝転がると、湯気がアージェを包み込み、全身にたまった疲れを拭い去ってゆく。

「はあぁ、癒されるなぁ。――でも、こんなにいい接遇を受けちゃうと、逆に不安になるなぁ」

 疲れた体を癒しながらぼんやりと考える。魔女がどうして来訪者に親切なのか。

 魔女の出す課題は難易度が高く、危険が伴うものなのだろう。だから納得がいくよう、万全の状態で挑ませるつもりに違いない。アージェは根っからの性善説でそんなふうに想像した。

「それにこの蒸し風呂……不思議な効果がありそうだ」

 蒸し風呂の中が魔法の気配で満たされていることにアージェは気づいていた。けれど身体に異常をきたすものではなさそうだ。むしろ意識が浮遊するような感覚で心地よい。

 視線を胸元へと移すと、秘石はアージェの視線に応じるかのようにきらりと光を放った。アージェはリリコの『こんなに価値のありそうな物、狙われるに決まっているじゃない。もっと慎重にならないとだめだって!』という忠告を肝に銘じ、ペンダントを片時も離していなかった。握りしめてそっと語りかける。

「メメル、必ず俺がおまえを蘇らせてやるからな……」

 アージェはぼんやりと蒸し風呂の天井を見ながら、魔女はどんな課題を出すのだろうと想像を巡らせる。不思議なのは、生粋(ギフテッド)しか魔女に会えないという制約がありながら、課題のクリアに魔法を使ってはいけないと言われたことだ。その答えは課題に挑戦すればわかるのかもしれない。

 戻ると部屋の前の廊下でプリマが待っていた。厳しい表情をしているので、その理由はすぐに察しがついた。けっしてきのこを確かめるわけではない。

「課題が決まりましたのでお伝えします」

 何が言い渡されるのだろうと思い、アージェはごくりと唾を飲む。あたたまった身体に鋭い緊張感が走る。

「アージェ様への課題は、生命再生の秘薬に必要な材料を集めていただきたいというものです。足りない材料はたったひとつ――」

 窓に歩み寄り外を指さす。針葉樹の深まる場所に高くそびえ立つ崖があった。

「あの崖の中腹には輪廻草という植物の花が咲いています。課題はそれを採取してくることです」
「その輪廻草が生命再生の鍵になるんですね」
「そうだと思いますが、私には魔女様のお考えはわかりかねます」

 崖の高さは背丈の何十倍に及ぶだろうか。最初はなだらかな斜面だが、しだいに急峻になって挑戦者の行く手を阻む。滑り落ちたら命の保証はない、危険な登攀(とうはん)だ。

「防護服は準備いたしますが、それでも落下した場合は無傷でいられないでしょう」

 そう言われたものの、やはり疑問が残る。この島に着いてから、どうしても心に引っかかることばかりだ。

「魔女であれば、魔法で輪廻草を採取できるんじゃないですか。飛行魔法を使うとか、鳥を使い魔にして採取させるとか」

 けれどプリマはその質問を想定していたのか、すぐさま説明を付け加える。

「魔法には制約と対価があります。願う者が命を懸けて挑むからこそ、得た素材に力が宿るのです」

 プリマの話では、輪廻草は手にしたものの情熱を吸収して魔力を宿すらしい。安易に得ても、魔法のアイテムとして期待した効果が得られないとのこと。つまり、明確な目的と強い意志を持って訪れる人間が必要だということだ。

「だから俺に取りに行かせるんですね」
「たぶんそうだと思います。なお、期限は一週間とのことです。満ちた月が頂に達すると、輪廻草は花弁を散らせてしまいますから」
「一週間、ですか……」

 アージェは窓の外に目を向ける。月明かりが淡く照らす森の中にそびえ立つ崖を眺めていると、ふと、昔の記憶が蘇る。

 それはメメルとアージェが過ごした、なにげない日常の思い出だった。