アージェは深い森の中を疾走していた。

 頭上の木々が太陽の光を遮り、ほの暗い薄闇で覆われた森。そこには奇妙な生き物が巣食っていた。

 牙のような棘を持つ花弁を広げた花――毒牙花。それも数十株――いや、数十体と言うべきか。それらが蛇のように地を這い、アージェを執拗に追いかける。

「まだ追ってくるかッ!!」

 毒牙花は神経を麻痺させる毒を持つ魔法生物。放出する殺気立った魔力からして魔女が仕掛けたものに違いない。アージェはその魔女の住む城へと繋がる道を進んでいるのだ。

「シャァーッ!」

 森を割く獣道の周りから毒牙花が際限なく飛び出してくる。行く手を阻む理由は、魔女に会う資格があるかを問うているからだ。「生粋(ギフテッド)であること」が条件なのは、相応の魔力を試されているという意味にほかならない。

「しょうがない、やるしかないか――」

 アージェは右手を握り精神を集中する。作られた拳から藍色の霧が浮き上がり、手背に魔力を具現化させたいくつもの矢を形作る。すかさず振り向き先頭の一体に狙いを定めた。
 
 ――『魔禁瘴・矢羽(アロウウイング)!』

「ピギャアァァァッ!」

 拳から放たれた藍色の矢が毒牙花を貫く。魔法を無効化させる矢は魔法生物の息の根を止めて蒸散させた。その一矢を皮切りに次から次へと魔法を発動させ、毒牙花に向かって容赦のない矢嵐を降らせる。それでも毒牙花は怖れなど抱くはずはなく、大挙して押し寄せてくる。

 だが、アージェの放つ魔法は敵の大群をものともせず、そのすべてを打ち抜いてみせた。暫時の戦火の後には、砂塵のような残骸が空に舞っているだけだ。

「はぁ、はぁ……ようやっと片付いたか」

 息を整えて残党がいないか確かめ、視線を切って振り向く。いつのまにか森の奥が開けていた。小さな古城がそびえ立つ崖の狭間に淡く浮かぶ。

 ――ここが目的の、「不死の魔女」の城か。

 奥に足を進めてゆくと、城の影からこちらに歩み寄る者の姿があった。漆黒のローブを身に纏い、水晶を備えた杖を握っている。見開いた双眸からまっすぐに見据える大きな瞳、力感みなぎる体躯、それに歪みのない立ち姿。威厳と貫録を感じさせるその女性の姿は、噂に聞く魔女そのものであった。

「おやおや、毒牙花が煩いと思ったら珍しく来客かい。――しかしよく生き残れたものだね」

 まるで心待ちにしていた客人を迎えるような口調でアージェに話しかける。

「大変失礼しました。襲われたのでつい壊してしまいました」

 アージェは魔女に向かってすまなそうに頭を下げる。魔女はアージェを視線で舐め回す。この障害を乗り越えたのが腑に落ちないのか、露骨に眉根を寄せてみせる。

「ちと尋ねるが、おまえさんの能力はなんだね?」
「魔法を消す能力、それしかありません。冒険にも慣れていません。それでもここに来ないといけない理由がありました」

 アージェは正直に答えた。魔女は意外だったのか、ひょっ、と肩を竦めて口をすぼめてみせる。

「ほぅ、なかなか肝の座った子だね。あたしゃそんな無鉄砲な子は嫌いじゃないよ、若い頃を思い出させるからの。――して、その理由とは?」
「『不死の魔女』と呼ばれた貴方様なら、失われた命を取り戻すことができるのではないかと思って」
「はぁ? 死んだ者が生き返るわけはないじゃろうが。なにせ魂が壊れてしまえば生命の再生はかなわないのじゃからな。その前提を知ってのことか?」
「はい、承知しております。ですから――」
 
 アージェは懐に手を差し入れる。取り出した手を開くと、卵円形をした淡青色の宝石が光を放っていた。魔女は宝石の中を覗き込む。とくん、とくんと何かが脈打っていて、それを確かめると目を二倍に見開いて驚きをあらわにした。

「魂を閉じ込めておるのか! ということは、それはクイーン・オブ・ギムレットじゃな?」
「そうです。ですから、この中に眠っている魂の人間を再生させたいのです」
「しかし一介の若造が、こんなたいそうな物を持ち歩いているとは……」

 魔女はしばらく宝石を目で探った後、にやりと口角を上げてアージェの顔を見た。

「ほぅ、中身はかわいい女の子だね。髪は金髪で愛嬌のある顔をしている。齢はおぬしよりもふたつかみっつ、若いかのう」
「そこまでわかるんですか!?」

 魔女は数百年前からこの世界に存在し、もはや歴史の一部となっている。アージェは未知の能力に対する期待で胸を膨らませた。

「もちろんだとも。だが今は宝石の魔力が勝っているがゆえ、その意識が抑えられておるようじゃな。まるで孵ることのない卵、といったところじゃろう。――しかしいい魔力を有しておるわい」
 
 魔女は物欲しそうに宝石に手を伸ばす。ところが宝石に触れた瞬間、パチンと手が弾かれる。

「おっとぉ、あたしにすら触れさせないとは、よっぽど純潔な子なようじゃな。だが、おまえさんにだけは心を許しているんだろう?」
「はい、俺はそう思っています」
「ははぁーん、さてはおまえさん、この子に恋しているんじゃろうて」

 アージェが顔を赤らめて閉口すると、魔女はヒャッハハと笑いだす。魔女の指摘が図星すぎてアージェは観念するしかない。

「さて、おぬしには動機も覚悟もあるようじゃな。その前提で話を進めさせてもらうが――」

 魔女は杖を振りかざし魔法の詠唱を始めた。空中に銀色のリングが出現する。悪魔を模した刻印が施されていた。そのリングは半分に割れて開き、捕食するがごとくアージェの首を挟み込んだ。

 触れてみるがびくともしない。自分で外すことはできなさそうだ。

「これからひとつ、おまえさんに試練を与える」
「すでに覚悟は決めています」
「期限内に課題をクリアできなかった場合、自身の魔法に頼った場合、それから逃げ出した場合は――その首輪がおぬしの首を引きちぎるじゃろう」

 想像するとそら恐ろしいことだが、決心を固めたアージェが怯むことはない。

「メメルを生き返らせられるのなら、俺はどんなことでもします」
「ほっ、それがこの子の名前か。しかし恋の力は偉大じゃな。――試練の内容は後ほどプリマに伝えさせる。部屋をひとつ用意したからそこで休むがよい」

 魔女はそう言って城の一角を杖で指し、薄闇の中に姿を消した。杖の示した方向にはランタンが灯っている。メイドと思われる若い女性がこちらを見てお辞儀をした。

 アージェははっとなった。その服装もシルエットも見覚えがあるものだったのだ。

「プリマさん!?」
「ふふふ、無事にたどり着かれて安心しました。アージェ様」

 穏やかな笑顔で深々と腰を折るプリマ。

「ご主人様って、魔女のことだったんですね。でも俺がこの島を訪れた目的を話した時、どうして内緒にしていたんですか」

 けれど浮かべた疑問はすぐさまプリマに解きほぐされる。

「当然でございます。もしも誰かに話したら、私を捕らえて魔女様まで案内させたり、あるいは人質として魔女様に交換条件を持ちかけたりされます。――そういう輩も多いと教えられていますから」

 プリマは驚くようなことを平気で言ってのけた。

「それ……今までに犠牲者がいたってことなんですか?」
「ええ、ですから私が必要になったようです」

 なるほど、それなら魔女との関係を秘密にするのも当然だと、アージェは納得しかない。

「それではあらためまして。アージェ様の身の回りの世話をさせていただきます、メイドのプリマ・クレッケルと申します。魔女様の課題が決まりましたらお伝えしますので、それまでゆっくりとお待ちください」

 プリマは丁寧な自己紹介を再度行い、それからアージェを城の中へと案内した。