ここは首都アストラルにそびえ立つハインゲル城。

 城の周囲には厳重な監視塔と防護壁が建てられており、城門には見張りの兵士が配備されている。

 かつては商人たちが城に向かう大通りで商売をし、人々は交流し合っていた。太陽が眩しい日でも氷雨が冷たい日でも、帝都の城はいつでも活気に溢れていた。

 夜には城壁が魔法で光り出し、集まった人々の歌声やにぎやかな話し声が響いていた。その夜の光景もまた、帝の妻がもたらしたものだった。

 そんな僥倖の時間は、殺伐とした戦いの到来により夢から覚めるように消えてしまった。

 かつて美しい花々が咲き誇っていた城内の庭園は、今や雑草のはびこる荒れ放題の土地となっていた。ただ、乾いた草のささやきと虫の求愛の声だけが城の庭を満たしている。

 花を愛でる妻を失った帝にとって、花壇の姿を維持させるのは妻の死を想起させる痛みでしかないのだ。

 深夜、そんな城の庭に一隻の飛行艇が着陸した。闇と同化する色彩の、軍専用の特殊飛行艇である。

 降り立った警備隊がある人物を連行していた。腕を背中で縛られ、魔法防護のローブで厳重に拘束されている。わずかに覗く華奢な手足はそれが女性だと物語っている。囚人のように縄を引かれ、城の中へと連れられて行く。

 玉座の間では、帝が棺の前にひざまずいていた。暗号を唱えて魔法の錠を開錠し、蓋を開けると氷霧が溢れ出して床の上を覆い尽くしてゆく。

 絶対零度にも迫る低温の棺には巨大な氷の柱が詰められている。霜で白濁した表面を革の手袋でさすると、柱の中に閉じ込められた者の姿があらわになる。

 女王シャルロット。生気を感じさせない血色の肌に、なびくことのない長い白銀の髪、それに閉ざされて久しい、長いまつ毛の並ぶまぶた。

 彼女が息を引き取ってから、すでに十年以上の時が流れていた。ただ、魂を留めておくために、肉体が聖氷の中に閉じ込められているのだ。

 帝、ガルシア・アストラータは目を細めて女王の(むくろ)に語りかける。

「シャルロット……いつか必ず、おまえを生き返らせてみせるからな。待っていろよ」

 動かぬ妻を見つめて顔を近づける。帝の放つ悲哀の吐息が冷気を舞い上げ、空虚な玉座の間に溶けてゆく。

 ふと、人の気配が紛れ込んできた。漏出する魔力から、人数はふたり。どちらも生粋(ギフテッド)の魔法使いだとガルシアは感知した。無論、それぞれの属性も、それが誰なのかもすぐさま把握した。

「ガルシア殿、奥様との逢瀬はなるべくお控えください。魂が衰弱しては元も子もございません」

 振り向いたガルシアはヴェンダールの姿を捉える。次に視線を隣のローブで覆われた者へと移した。申し合わせたかのようにヴェンダールがローブのフードを剥ぎ取ると、艶めいた白銀の髪がこぼれ落ちた。あらわになった顔を確かめ、ガルシアは勝ち誇ったように口角を上げて見せた。

「わが娘よ、まったくもって家出とは困ったものだ。行き場所くらいは言い残しておくのが礼儀ってものだ。覚えておけ」
「娘と呼ばれるような扱いを、あなたから受けた覚えはないわ」

 ガルシアを睨み返したのは、血のつながりのない娘、聖女アナスタシア。

「でもおとなしく戻ってきましたから、これ以上、魔法学院には手を出さないでいただけますか」
「ヴェンダールの持ちかけた交換条件に応じたということか。いいだろう」

 ガルシアが魔法を唱えると棺の蓋がゆっくりと閉じる。現れた草の蔓が頑丈に巻き付いて封をした。

「ヴェンダール、大義であった。褒美をつかわそう。望むものをなんでも言ってみろ」

 けれどヴェンダールはうやうやしく腰を折り、微笑みをもって答える。

「私はガルシア様のためであれば骨身を惜しみません。あなた様の喜びこそが、私の最大の褒美でございます」
「まったく、おまえはどこまでも無欲だな」
「無欲ではございません。今こうしていられることが、最上の贅沢と心得ております」
「もうよい、下がれ」
「はっ!」

 滑るように後退する奇妙な動きで部屋を出てゆくヴェンダール。演技じみてしらじらしいが、その忠誠心が嘘偽りでないことをガルシアは重々承知している。

 思い返せば、ふたりの出会いはだいぶ昔にさかのぼる。強固に築かれた信頼と絆は、長きにわたる互恵関係の賜物でもあった。