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飛行艇を乗り継いでようやっとヴェルモア島にたどり着いた。最後の航路は気流が乱れる場所を通るため天候が崩れやすい。結局、嵐に見舞われて三日遅れの運行となった。
乗客はほとんどが冒険者、それも採掘道具をふんだんに携えており、新たな宝を発掘して一攫千金を狙わんとする者ばかり。だから運航の遅れにいらついて怒鳴るものも多かった。だが――。
「命知らずなのは構わねえが、文句を言う奴に帰りの切符は渡せねぇ。お宝を抱えたまま島でくたばるんだな」
旧式の飛行艇を操縦する眼帯と無精髭のいかつい船長は、冒険者の不平不満をことごとく一蹴した。
到着したヴェルモア島の港町は、切り開いた広場に木造の店を立ち並べたこぢんまりとした集落だ。冒険に必要な備品や採掘道具を売る道具屋、壁が剥がれて隙間風が吹き込む宿屋、それに冒険者が拠点として集う酒場が数件。
酒場には柄の悪そうな輩が巣食っている。トサカのような髪型をした者、金属のアクセサリーがうるさい革鎧の者、それに酒樽を枕にして大いびきをかく者。ひとりで足を踏み入れれば絡まれることうけあいの無法地帯。
しかも切り盛りしているのが世を捨てたような老夫婦なので、ひとたびもめ事が起きれば冒険者間で処理するしかない。
けれど、その中に不似合いな人物がひとり。
メイド服を纏い、エメラルドグリーンの髪を頭の上で束ねている、アージェと同じくらいの年齢の女性。大きな革袋を携えて、酒場の隅の椅子に腰を据えている。
気づかれないように、それとなく女性の顔を確かめる。絶妙なバランスで描かれる顔の輪郭の中、爛々と光るダークグリーンの瞳、まっすぐに通る鼻筋、それに鮮やかに浮き出る真紅の唇。凛とした姿勢のまま、ゆっくりと酒場の冒険者たちを見渡していた。
きれいなひとだと、アージェは素直に感じた。もしも神がひとを造形するなら、こんな姿にするのではないかと思えるほどに。
その女性が立ち上がると同時に、酔っぱらいのひとりが絡んできた。
「お嬢ちゃん、こんなところにひとりで来ちゃ危ないんじゃねえか。俺がボディーガードを引き受けてやろうか? もちろんつきっきりでな。へへへ……」
「結構です、お引き取りください!」
その女性が毅然と言い返すと、酔っぱらいは露骨に不機嫌になる。
「てめぇ、人の親切を何だと思ってやがるんだ!」
するとほかの冒険者が酔っぱらいを静止する。アージェはその様子を遠巻きに見ていた。
「おいやめろよ。おまえみたいな奴が冒険者の品格を落とすんだぜ」
「なんだてめぇ、収穫なしの腹いせかよ! 革袋の中、すっからかんだろう?」
「おまえは頭がすっからかんだろうが! せめて獣の餌になって、この島の役に立ったらどうなんだ!」
口論を機に、冒険者たちが次から次へと加勢し小競り合いを始めた。しまいには白熱して互いに胸ぐらを掴み、殴り合いに発展する始末。
テーブルは派手な音を立てて倒れ、グラスが割れて床に散乱する。殴り飛ばされた冒険者がその上に倒れ込み、あたりは血の海と化した。
その隙を突いて、ひとりの男がメイド服の女性を捕まえていた。どうやら魔法使いのようで、草の蔓を具現化させて女性を縛り上げている。
「へへへ……こいつはいい収穫だァァァ!」
「やっ……やめてッ……!」
「黙れ! ここにはどうせ軍の警護隊なんかいねえんだ。俺らにとっちゃ天国の極みだぜ」
男はメイド服の女性の口を押さえて店の外に引きずり出し、森の中へ連れ込もうとする。ところが突然、女性に巻きついていた蔓が黒い霧に覆われて消失した。女性はすかさず身を翻して男の手から逃れた。
「あっ、ああっ! 俺の魔法が消えた!?」
直後、疑問符を浮かべた男の頭がガツンと鈍い音を発した。男は白目を剥いてその場に倒れこむ。背後から姿を現したのは黒髪の青年、アージェだった。両手で薪を握りしめている。
「大丈夫ですか?」
「えっ、ええ……助けていただいてありがとうございます。魔法を解除してくださったの、あなたなんですね」
「そうです。でも、とにかくこの場を離れましょう」
アージェは修羅場と化した酒場からこっそりと荷物を回収し、静まった商店街の裏通りへと逃げ込んだ。呼吸が落ち着いたところで道端に腰を下ろして女性に話しかける。
「はあぁ……。この島、はじめて来ましたけど、大変なところみたいですね」
「はい、なにせ冒険者ばかりですからね。警備もないですし、いつもはらはらさせられます」
そう言いながらも、女性はさほど動揺していないように見えた。もしかしたら絡まれるのは日常茶飯事なのかもしれないとアージェは察した。
「私はプリマと申します。御主人様のおつかいで買い出しに来ていたところなんです」
女性の力では持ち運ぶのが難しそうなほど、荷物の詰まった革袋。その女性――プリマが気の毒に思えた。
「俺はアージェ。荷物を運ぶの、手伝いましょうか?」
プリマは迷いなく首を横に振る。
「荷物運びのことならご心配なさらないでください。じつは荷物を軽くする魔法があるので」
そう言うとプリマはポケットから小瓶を取り出した。中にはきらめく砂と文字の書かれた羊皮紙が詰められている。
「粉末状にしたギムレットと、詠唱した魔法を文字化した紙が入っていて、開くと魔法が発動するんです」
「へぇ、そんな魔法の使い方もあるんですね」
開いてギムレットの粉末を荷物にふりかける。すると荷物は重力を失ったかのようにゆらゆらと地面の上で揺れ始めた。持ち手を掴んでみると、拍子抜けするほどたやすく持ち上げられた。
「うわぁ、なんて便利な魔法なんだ!」
「ふふっ、アージェ様は生粋の魔法使いなのに、魔法に驚かれるんですね」
プリマは手のひらを口に当てて小さく笑う。
「いや、俺のは魔法を消すだけなので芸がないですし、応用も利かないですし……」
いくらプリマを助ける役に立ったとはいえ、ほかの魔法と比較されると引け目を感じずにはいられない。苦笑いを浮かべるアージェを、プリマはきょとんとした顔で見ている。
「ところでアージェ様はどうしてこの島に来られたのですか?」
「ああ、俺は魔女の棲む古城があると聞いてやってきました。もし知っていたら、その場所を教えてもらえませんか」
プリマの肩が、ぴくんと跳ねる。
「それは……魔女様にお会いしたいということですか?」
「はい、お願いしたいことがあって。どうしても力を貸してもらいたいんです」
そう答えると、プリマは少しだけためらいを見せてから答える。
「それでしたら、あの森の小道を抜けて行けば半日ほどで着くと思います。――ただし、その道は人を選びます。アージェ様は、それでも魔女様に会いたいのでしょうか」
アンドレアが言っていた『魔女に会う資格を有するのは若くて生気みなぎる生粋の魔法使い、それもひとりで訪れなければならない』という制約を思い出す。プリマの言うことは間違いないなとアージェは確信を得た。
「そのために来ているのですから。ほんとうにありがとう」
有意義な手がかりを得たアージェはプリマに感謝の意を伝えて立ち上がる。
「そうですか……それではくれぐれもお気をつけください」
「あなたもです、遅くならないうちにその御主人様の元に帰らないと」
「おっしゃる通りですわ」
そしてふたりは別々の道を進んでゆく。アージェは一泊の休息を取ってから、森の小道へと足を踏み入れていった。
飛行艇を乗り継いでようやっとヴェルモア島にたどり着いた。最後の航路は気流が乱れる場所を通るため天候が崩れやすい。結局、嵐に見舞われて三日遅れの運行となった。
乗客はほとんどが冒険者、それも採掘道具をふんだんに携えており、新たな宝を発掘して一攫千金を狙わんとする者ばかり。だから運航の遅れにいらついて怒鳴るものも多かった。だが――。
「命知らずなのは構わねえが、文句を言う奴に帰りの切符は渡せねぇ。お宝を抱えたまま島でくたばるんだな」
旧式の飛行艇を操縦する眼帯と無精髭のいかつい船長は、冒険者の不平不満をことごとく一蹴した。
到着したヴェルモア島の港町は、切り開いた広場に木造の店を立ち並べたこぢんまりとした集落だ。冒険に必要な備品や採掘道具を売る道具屋、壁が剥がれて隙間風が吹き込む宿屋、それに冒険者が拠点として集う酒場が数件。
酒場には柄の悪そうな輩が巣食っている。トサカのような髪型をした者、金属のアクセサリーがうるさい革鎧の者、それに酒樽を枕にして大いびきをかく者。ひとりで足を踏み入れれば絡まれることうけあいの無法地帯。
しかも切り盛りしているのが世を捨てたような老夫婦なので、ひとたびもめ事が起きれば冒険者間で処理するしかない。
けれど、その中に不似合いな人物がひとり。
メイド服を纏い、エメラルドグリーンの髪を頭の上で束ねている、アージェと同じくらいの年齢の女性。大きな革袋を携えて、酒場の隅の椅子に腰を据えている。
気づかれないように、それとなく女性の顔を確かめる。絶妙なバランスで描かれる顔の輪郭の中、爛々と光るダークグリーンの瞳、まっすぐに通る鼻筋、それに鮮やかに浮き出る真紅の唇。凛とした姿勢のまま、ゆっくりと酒場の冒険者たちを見渡していた。
きれいなひとだと、アージェは素直に感じた。もしも神がひとを造形するなら、こんな姿にするのではないかと思えるほどに。
その女性が立ち上がると同時に、酔っぱらいのひとりが絡んできた。
「お嬢ちゃん、こんなところにひとりで来ちゃ危ないんじゃねえか。俺がボディーガードを引き受けてやろうか? もちろんつきっきりでな。へへへ……」
「結構です、お引き取りください!」
その女性が毅然と言い返すと、酔っぱらいは露骨に不機嫌になる。
「てめぇ、人の親切を何だと思ってやがるんだ!」
するとほかの冒険者が酔っぱらいを静止する。アージェはその様子を遠巻きに見ていた。
「おいやめろよ。おまえみたいな奴が冒険者の品格を落とすんだぜ」
「なんだてめぇ、収穫なしの腹いせかよ! 革袋の中、すっからかんだろう?」
「おまえは頭がすっからかんだろうが! せめて獣の餌になって、この島の役に立ったらどうなんだ!」
口論を機に、冒険者たちが次から次へと加勢し小競り合いを始めた。しまいには白熱して互いに胸ぐらを掴み、殴り合いに発展する始末。
テーブルは派手な音を立てて倒れ、グラスが割れて床に散乱する。殴り飛ばされた冒険者がその上に倒れ込み、あたりは血の海と化した。
その隙を突いて、ひとりの男がメイド服の女性を捕まえていた。どうやら魔法使いのようで、草の蔓を具現化させて女性を縛り上げている。
「へへへ……こいつはいい収穫だァァァ!」
「やっ……やめてッ……!」
「黙れ! ここにはどうせ軍の警護隊なんかいねえんだ。俺らにとっちゃ天国の極みだぜ」
男はメイド服の女性の口を押さえて店の外に引きずり出し、森の中へ連れ込もうとする。ところが突然、女性に巻きついていた蔓が黒い霧に覆われて消失した。女性はすかさず身を翻して男の手から逃れた。
「あっ、ああっ! 俺の魔法が消えた!?」
直後、疑問符を浮かべた男の頭がガツンと鈍い音を発した。男は白目を剥いてその場に倒れこむ。背後から姿を現したのは黒髪の青年、アージェだった。両手で薪を握りしめている。
「大丈夫ですか?」
「えっ、ええ……助けていただいてありがとうございます。魔法を解除してくださったの、あなたなんですね」
「そうです。でも、とにかくこの場を離れましょう」
アージェは修羅場と化した酒場からこっそりと荷物を回収し、静まった商店街の裏通りへと逃げ込んだ。呼吸が落ち着いたところで道端に腰を下ろして女性に話しかける。
「はあぁ……。この島、はじめて来ましたけど、大変なところみたいですね」
「はい、なにせ冒険者ばかりですからね。警備もないですし、いつもはらはらさせられます」
そう言いながらも、女性はさほど動揺していないように見えた。もしかしたら絡まれるのは日常茶飯事なのかもしれないとアージェは察した。
「私はプリマと申します。御主人様のおつかいで買い出しに来ていたところなんです」
女性の力では持ち運ぶのが難しそうなほど、荷物の詰まった革袋。その女性――プリマが気の毒に思えた。
「俺はアージェ。荷物を運ぶの、手伝いましょうか?」
プリマは迷いなく首を横に振る。
「荷物運びのことならご心配なさらないでください。じつは荷物を軽くする魔法があるので」
そう言うとプリマはポケットから小瓶を取り出した。中にはきらめく砂と文字の書かれた羊皮紙が詰められている。
「粉末状にしたギムレットと、詠唱した魔法を文字化した紙が入っていて、開くと魔法が発動するんです」
「へぇ、そんな魔法の使い方もあるんですね」
開いてギムレットの粉末を荷物にふりかける。すると荷物は重力を失ったかのようにゆらゆらと地面の上で揺れ始めた。持ち手を掴んでみると、拍子抜けするほどたやすく持ち上げられた。
「うわぁ、なんて便利な魔法なんだ!」
「ふふっ、アージェ様は生粋の魔法使いなのに、魔法に驚かれるんですね」
プリマは手のひらを口に当てて小さく笑う。
「いや、俺のは魔法を消すだけなので芸がないですし、応用も利かないですし……」
いくらプリマを助ける役に立ったとはいえ、ほかの魔法と比較されると引け目を感じずにはいられない。苦笑いを浮かべるアージェを、プリマはきょとんとした顔で見ている。
「ところでアージェ様はどうしてこの島に来られたのですか?」
「ああ、俺は魔女の棲む古城があると聞いてやってきました。もし知っていたら、その場所を教えてもらえませんか」
プリマの肩が、ぴくんと跳ねる。
「それは……魔女様にお会いしたいということですか?」
「はい、お願いしたいことがあって。どうしても力を貸してもらいたいんです」
そう答えると、プリマは少しだけためらいを見せてから答える。
「それでしたら、あの森の小道を抜けて行けば半日ほどで着くと思います。――ただし、その道は人を選びます。アージェ様は、それでも魔女様に会いたいのでしょうか」
アンドレアが言っていた『魔女に会う資格を有するのは若くて生気みなぎる生粋の魔法使い、それもひとりで訪れなければならない』という制約を思い出す。プリマの言うことは間違いないなとアージェは確信を得た。
「そのために来ているのですから。ほんとうにありがとう」
有意義な手がかりを得たアージェはプリマに感謝の意を伝えて立ち上がる。
「そうですか……それではくれぐれもお気をつけください」
「あなたもです、遅くならないうちにその御主人様の元に帰らないと」
「おっしゃる通りですわ」
そしてふたりは別々の道を進んでゆく。アージェは一泊の休息を取ってから、森の小道へと足を踏み入れていった。