アージェとセリアが生徒たちのたむろするホールに戻ると、皆の視線がいっせいにふたりを捉える。
 襲撃の日以来、英雄を迎えるような羨望のまなざしで見られ続けていたが、そんな扱いはふたりの性には合わない。むしろ忘れてほしいとさえ思っていた。

 突然、ひとりの男が前に飛び出してふたりを睨みつけた。ブリリアンだ。彼はすでにガーベラとアンドレアから「謹慎処分、なおかつその間は下働きをすること」と伝えられていた。だからアージェは自分に不満をぶつけるつもりでは、と察した。

「ブリリアン、あんな目にあったのに、まだやりあうつもりなのか?」

 アージェは拳を握りしめ臨戦態勢で身構える。ところがブリリアンは歯ぎしりを立てながら勢いよく床にひざまずいた。

「僕は恥ずかしいっ! まさかセリアがあれほどの生粋(ギフテッド)だとも知らずに、ちゃちな魔法を自慢していたなんて! それに僕の落ち度が原因で起こした不祥事を、おまえらふたりに救われたなんて! 生涯で最大の黒歴史だッ!」

 ブリリアンにはブリリアンなりの挫折があったようだ。けれどこの反省具合なら補佐役を任せられそうだとアージェは安堵した。

「だけどおまえら、あの息の合わせ方はなんなんだよ! いったいどういう関係なのか教えろよ!」

 アージェは、ブリリアンはやっぱりセリアに気があるんだなと気づく。それならアージェにも言い方っていうものがある。

「ああ、同じ屋根の下に住んでいたんだけど。血は繋がっていないけどな」
「た……他人なのに、おなじやねのした、だとぉ……」

 面白いほど露骨に狼狽するブリリアン。けれどセリアはアージェの悪戯心に気づいて訂正を加える。

「アージェ、それは誤解を与えるわ。――わたしたちはふたりとも、ポンヌ孤児院で一緒に育ったのよ。もう八年になるわ」
「なっ……孤児院で一緒に暮らしていたのか! くうっ、うらやましい……」
「孤児院生活って、そんなにうらやましがられるものなのか? おまえ、もしかして親にひどい扱いを受けていたのか?」

 からかい半分で憐みの表情を作るアージェ。

「そういう意味じゃねえっつってんだよ!」

 顔を紅潮させて拳を床に叩きつけるブリリアン。鼻っ柱をへし折られた後の姿はなんとも痛々しい。

「ただ、僕はこのままじゃ自分が許せないッ! おまえの下働きでもなんでもするから、この学院にかじりついて絶対に強くなってやるッ! ――そうだセリア、僕に活を入れてくれ! 左の頬をひっぱたかれたが、まだ右が残っている!」

 そう言って立ち上がり、顔をずいとセリアに差し出す。

「ちょっと、わたしはそこまでするつもりはないわよ!」

 セリアは手のひらで押し返して拒否するが、ブリリアンが引き下がることはない。

「きみに叩かれた日から、僕の心のバランスが狂ってしまったんだ! だから、どうしても反対側も叩いてほしいんだ!」

 さらにセリアに迫るブリリアン。爛々とした期待のまなざしが痛い。性格的にも痛すぎると思ったセリアだが、なだめられるものではなさそうだ。こうなったらやるしかない、と意を決す。

「じゃあ、建前程度っていうことで――」
「さあこい、セリア!」

 そうして左の手のひらを大きく振りかぶる。その瞬間、セリアの視線がきゅっと鋭くなった。

 パァーン!

 頬を叩く心地よいサウンドがホールに響き渡る。

 打たれたブリリアンは強烈な反動で飛ばされ、全身を回転させながら積み上げられた机と椅子の中へと突っ込んだ。机が音を立てて崩れ落ちる。

 セリアははっとなってその手で口元を押さえた。

「あっ、思わず風魔法を込めちゃった!」

 皆が慌てて机と椅子を取り除き、ブリリアンをその中から引きずり出して救出する。ブリリアンは裏返った声でうめき声を上げる。

「あう、あうう……セリアァァァ……♡」

 ブリリアンは怒ってなどいなかった。むしろその衝撃を心から望んでいたようだ。

なぜなら彼は、天にも昇るほどの恍惚の笑みを浮かべていたのだから。