私の母は若くして『翠皇』という最高位の階級を与えられた、類稀な才能を持つ軍の魔法使いだった。それでいて強い意志と慈愛の心を共存させる凛としたひとだった。誰からも憧れのまなざしを向けられるような高嶺の花。

 どんな男性の誘いも軽くあしらい、ひたすら戦いの中に身を置いていた。けれど唯一、心を開いたのが軍の同僚である父だった。母は父と恋に落ちて結婚し、そして私が生まれた。

 けれど魔族との戦争のせいで、父は若くして命を落としてしまった。まだ幼かった私は父のことをよく覚えていないけれど。
 
 葬儀の日、喪服に身を包み嘆き悲しんでいた母に手を差し伸べたのが帝だった。清楚で可憐な所作、魔法使いとしての才覚、そして生まれ持った美貌。そんな最強の女性の壊れそうな姿は、いともたやすく帝を虜にしたらしい。

 そして母は帝の求愛に対し首を縦に振った。たぶん、私の将来を案じてのことだったのだと思う。

 母は四魔元素の属性をすべて発動させることのできる、きわめて稀有な魔法使いだった。だから女性なのに軍の指揮官として抜擢された。その才能を引き継ぐ私が戦いに利用されないはずはない、そう懸念したからだろう。私が王女になれば、そんな危険の中に身を置くことにはならないのだから。

 だけど戦いに明け暮れ、強力な魔法を使い続けた代償は大きかった。母は魔力の残滓に侵蝕され、命を削られていた。

 体がいうことをきかなくなり、もう長く生きられないと宣告されると、帝――お父様はまるで世界が滅んだかのように絶望した。

 そんな時、新たに軍の指揮官となったのがヴェンダールだった。彼は『女王様を生き返らせられるかもしれない』とお父様に入れ知恵をし、死の直後の母を氷の魔法で凍結して封印した。魂を閉じ込めておくための処置だとヴェンダールは言っていた。

 そしてお父様とヴェンダールは総力を上げて生命再生の魔法の開発に乗り出した。

「ということは、生命再生の魔法はほんとうに可能なのか!?」

 話を理解したアージェは同じ願いを追う者の存在に驚きを隠せない。しかも再生の対象がリリコの母親だということにも。

「魂を失った死者を蘇生させることは魔法の常識として不可能に違いない。けれど生命再生は条件さえ揃えば可能だと考えられているらしい」
「条件、か。いったいどんな……」
「それは私にもわからない。けれど帝が大陸に存在する『クイーン・オブ・ギムレット』を捜しているのは、その秘石が生命再生の鍵となるからのはず」
「やっぱり言い伝えはほんとうなのか」

 アージェは胸元からペンダントを取り出してまじまじと眺める。核は相も変わらず規則的に拍動している。メメルの魂が生かされている証拠だ。

「それは『クイーン・オブ・ギムレット』の欠片だから、本体を特定する羅針盤の役目をするはずだ。同種の魔力は互いに引き合うといわれているから」
「だから浮遊要塞のグスタフはこの欠片を狙っていたのか。本体を見つけ出すために」
「そういうことだと思う」
「やっぱり盗まれないように気をつけないと。――あっ、話が逸れたな。どうしてリリコは帝都を抜け出したのかっていうところだったよな」
「うん、それなんだけどね――」

 リリコは本題の続きを語り始める。

 そしてある時、ついに精鋭部隊(クーケンス)が大陸で『クイーン・オブ・ギムレット』を見つけ出した。絶えず場所を移動するらしく、奇跡の巡り合いの瞬間だと言われている。その構成員にはヴェンダールとラドラが含まれていた。

 けれど『クイーン・オブ・ギムレット』の場所を特定した裏には、魔族に対する想像を絶する拷問があったらしい。魔族にとって秘石は自らの命を懸けても守ろうとするものだから、そう簡単に口を割るはずがない。

 その所業を見かねたラドラは魔族をヴェンダールから救おうとした。ラドラはヴェンダールと精鋭部隊を退け、見返りとして『クイーン・オブ・ギムレット』の欠片を手にすることができた。

 けれどその羅針盤である欠片を軍に持たせたら、戦いはより熾烈になり、多くの犠牲者が出るとラドラは予見した。だからラドラは軍から逃亡し、自身が信頼できる魔法博士にその石を託した。

「それがメメルのお父さんだったのか……」

 ヴェンダールがラドラを『裏切り者の魔法戦士』と呼んでいた意味が理解できた。同時に秘石をめぐる争いが、アージェとメメルをこの場所に導いたと思えた。不思議な運命に、ぶるりと身が震える。

 リリコの話はさらに続く。

 母が封印され、残された私は形骸化した王女にすぎなかった。アストラルの飾り物として存在しさえすればよかった。

 事実、お父様は連れ子の私などまるで相手にはせず、召し使いと教育係に任せっきりだった。ただ、社交的な建前として帝王学を学ばせ、魔法を学ばせ、礼儀を学ばせた。家族としての触れ合いはいっさい持とうとしなかった。いつも冷たい視線を向けられていた。

 けれど齢を重ねると、お父様の私を見る目はしだいに変わっていった。まるで亡くなった母を重ねるように見られている気がした。親子とは違った感情を含んだ視線が私には耐えられなかった。

 その理由の察しはついていた。生命の再生には、生きた肉体の鋳型(いがた)が必要だからだ。

 そう聞いてアージェははっとなった。

「まさかリリコは、母親の魂の器として利用される、ってことなのか!?」
「母の肉体が蝕まれて命を失ったのだから、そう考えるのが妥当だと思う。百年以上、魔法の肉体の研究をしている魔女でさえ、いまだ再生を成功させてはいないと聞いている」
「そんな……」

 軍が必死に王女を探していた理由がわかった。魔晶板に連日映し出されるのも、アストラル全土に情報提供を呼びかけているようなものだった。リリコは綺麗な素顔に憂いを浮かべてみせる。

「私が私でいられるのは、クイーン・オブ・ギムレットが見つかるまでだ」

 これから先、リリコは帝の支配下に置かれ、生命再生のために飼われる『素材』でしかなくなる。そのさだめに抗うだけの力を、アージェは持っているはずもなかった。それでもメメルを救うための旅路は、リリコを救う道にも繋がるはずだと信じたい。

 リリコは窓に歩み寄り、窓枠に頬杖をついて外を眺める。

「もうすぐこの魔法島で一番好きな時間が訪れるんだ。よかったら一緒に見ない?」
「好きな時間って……何か特別なことが起こるのか?」
「それは見てのお楽しみだって」

 そう言ってウィンクし、窓際の隣の空間を指さす。ここに来てという意味だ。アージェは黙ってリリコに並び空虚な夜景に視線を送る。

「月光が消ゆる夜の、時が移ろう刹那の五分間。散りばめられた魔法が昇華するんだ」

 魔法島ではさまざまな魔法の残滓が混在している。魔法は高い密度で集中すると、干渉を避けるために自然に淘汰される性質がある。

 それはもっとも魔法の効力が弱まる時間に起きること。みずからの存在を確かめるように、輝いて消えてゆくのだ。

 街の中が、ぽっぽと明るく色づく。赤、黄、緑、そして青。淡い光が一面に広がり街を照らし出すと、光は長い尾を描きながらゆっくりと空に昇っていく。数多の光が、天を目指して輝き消える夜。

 はじめて目にした壮麗な光景に、アージェは息をするのも忘れて魅入ってしまう。

「なんて美しいんだ……」
「でしょう?」

 まるで自分の宝物を見せたような自慢げな表情だ。

「もう見られなくなっちゃうけどね」
「……そうなんだよな。最後になっちゃうんだよな」
「お母さんにも見せたかった光景だよ、うん」

 リリコ自身、できることなら母に会いたいはずなのだ。けれど生命再生の成功はリリコの消失と同義だ。以前にリリコが「もしも生き返らせられるものならば、私だってとっくにそうしているよ」と口にしたのは、母親を思い出してのことだった。

「でも、アージェ君とふたりでこの光景を見られたこと、一生忘れないよ。――それに、もしも私が私でなくなっても、きみだけは覚えておいて、この記憶を消さないでほしいんだ」
「悲しいことを言うなよ。いつか俺がリリコを助けるから」
「そっか。期待しないで待っているよ」

 帝が生命再生の研究を進めていたとは驚いたが、同時に総力を挙げても実現できていないという事実に、その難しさを思い知らされる。それに他人の肉体を利用して生命を再生するなんて、神を冒涜する罪深い行為だと思えてならない。

 ――俺はほんとうにメメルの生命を再生することができるのだろうか?

 迷いを抱きつつ夜空を眺めていると、耳のすぐ横でリリコの息遣いを感じた。次の瞬間、頬にやわらかい感触と熱を覚えた。驚いて振り向くと、すぐ目の前にひどく赤らめたリリコの顔があった。

「あ、と、えーと……俺たち、友達、だよね?」

 何をされたのか悟って胸が高鳴り動揺する。同時にリリコは慌てて身を引き目の前で手を振った。

「あっ、今のはね、ただのお礼ね! きみの頑張りに対する感謝のしるしだからね! 他意はないからね! っていうか私は王女であなたは平民。だから変な勘違いもご法度よ!」

 派手な身振りでひとり劇場を繰り広げるリリコの姿が滑稽で、アージェは思わず吹き出してしまった。

「見た目は王女様でも、中身はやっぱりリリコのまんまなんだよなぁ」
「それ、なんだか馬鹿にされている感じ! アージェ君、私を貶めたら重罪だよ?」
「リリコに捕まっても、今まで奴隷扱いだったから変わりなさそうだけど」

 火照る顔のまま、緊張を和らげて子供っぽく笑うリリコ。

「こんなに面倒見てあげたっていうのに奴隷とか言わない!」
「ははっ、嘘だって。俺にとってリリコは先生で、妹みたいでもあって、しかも大切な友人だ」

 リリコの顔がぱっと花開く。

「ずっと、そう思ってくれると嬉しいよ」
「ああ、何があっても、ずっとそうだ」
「それなら誓いの握手でもしようか」

 リリコが上目遣いで恥ずかしそうに手を差し出す。アージェはにかっと笑ってその手を取った。手を握りしめたまま、ふたりは外へと向き直る。

 残りわずかとなった時間を惜しむように、輝く魔法の光に視線をもどす。終焉に向かう夜空の舞台は光の共演がなおさら華々しい。アージェは穏やかな波音の声で囁く。

「リリコ。いつか自由を取り戻したら、ここから一緒に同じ景色を眺めよう。約束だ」
「アージェ君、私、そんな日を夢見ているよ。ほんとうに――」

 夜は滔々と更けていく。希望と不安と喜びと悲しみと。

 心の中に沸き起こる、さまざまな感情を光の空に織り交ぜながら――。