かつてアストラルの世界はひとつの大きな大陸(コンタナ)で成り立っていました。そこにはさまざまな種族の生き物――人間、動物、魔獣、幻獣、それに魔族が住んでいました。そして大陸全体の魔力は、ひとつの存在により生み出され律せられていました。

 その存在こそが、クイーン・オブ・ギムレット。

 至高の秘石であるそれは、高度な意思を宿し、地底の洞窟から世界を俯瞰しているといわれています。大陸(コンタナ)に現存している精霊でありながら、いわゆる『神』と同格の存在らしいのです。そして魔族は古代からクイーン・オブ・ギムレットを崇拝し、それを守る役目を担っています。

 クイーン・オブ・ギムレットは大陸全体に根を張り巡らせ、いたる土地にギムレットを生み出してゆきます。ギムレットの魔力は土地を豊穣にし、多くの生き物を繁栄させました。

 けれど、すべての争いは、人間が魔法を発展させようとしたことから始まりました。

 それまで魔法は魔族と一部の人間――生粋(ギフテッド)の特権の能力でした。しかし人間はギムレットの魔力を用いて魔法を発動させることに成功しました。その成功を皮切りに、ギムレットを用いた魔法の開発は急速に進み、多くの魔法が生み出されました。

 誰もが魔法を使える世界。その実現を人間は渇望しました。けれどその結果、人間は大量のギムレットを求め、魔族と争いを起こすようになります。人間はクイーン・オブ・ギムレットさえも手中に収めようとしたのです。

 魔族は一丸となり人間に立ち向かいました。魔族は彼らが崇拝するクイーン・オブ・ギムレットを死守するためには命すら捨てる覚悟を持っていました。その覚悟は魔族の結束をより強固なものにしました。

 長い戦いの末、人間は魔族の反撃に屈し、大陸の隅に追い詰められました。

 クイーン・オブ・ギムレットは大陸の一部を引き裂き、追い詰めた人間を大陸(コンタナ)から切り離しました。さらには地中に眠るギムレットの魔力を発動させ、切り離した島を空へと飛び立たせたのです。

 そうして人間と魔族は完全に分断され争いは終結しました。それが浮遊島の歴史の幕開けです。

 以来、浮遊島は独自の分化を築き上げて発展し、大陸に留まる魔族は古代の文化を継承してゆきました。 

「――というわけなんだけど、頭の中は整理できたかな」
「へぇー、なるほどぉ」

 アージェはすこぶる納得したような表情でうなずいている。

「けれど近年、ギムレットを用いた魔法装置による航空技術が一般化したでしょ。だから大陸(コンタナ)の開拓が進んで、ふたたび魔族との衝突が起きるようになったのよ」
「なるほどな……魔法文化の発展が新たな戦いを呼んでいるのか」

 魔法は人間にとって永遠の憧憬であるに違いない。だからこそギムレット鉱脈の発見は英雄扱いされるのだ。浮遊島の世界はギムレットの獲得を中心に回っていると言っても過言ではない。

「今年の試験問題に出たでしょう。まさかぜんぜん知らなかったとか?」
「悪かったな、そのまさかだよ。試験が終わった後、セリアにも呆れられたよ」
「私、今、その時のセリアちゃんに共感を覚えたわ。彼女、苦労していたのね」

 リリコは仰々しくため息をついて天井を仰ぐ。

「ひでえ! セリアは気が強いけど、発言にはもう少し気遣いがあったぞ!」
「きみは私の部下なんだから立場が違うでしょ。己のふがいなさを真摯に受け止めなさい」
「部下? 正確に言うと下僕だな」
「そういう扱いが好きならお望み通り対応するけれども。もしかしてご所望?」
「そんなわけないだろ!」

 アージェはふと、リリコから浮遊島の歴史を聞いて思い出したことがあった。胸元からペンダントを取り出してリリコの目の前に掲げてみせる。つやつやとした淡青色に輝く宝石がはめられている。

「これ、じつはそのクイーン・オブ・ギブレットらしいんだ」
「え、冗談でしょ!?」

 疑念の表情で宝石の奥を覗き込む。紅色の拍動する核が見える。

「この宝石、中に女の子の魂を封じ込めているんだ。そんなの普通のギムレットでは無理だろ?」
「ほんとうに? これって『魂』だったの!?」

 リリコの瞳が大きく開く。その宝石を握りしめ、輝きのその先を凝視する。

「もしもそうだとすると――数か月前、グスタフがポンヌ島に攻め入った目的って、これのこと?」
「ああ、そうらしいんだ。っていうか、ポンヌで襲撃があったこと、リリコも知っているんだな」
「あたりまえよ、一時はそのニュースばっかりだったんだから。それよりもどうして戦力皆無のポンヌ島があの浮遊要塞を撃退できたのか、ずっと疑問だったのよ」
「それには深いわけがあって……」

 そうしてアージェはメメルが宝石の中で眠ることになった経緯を伝えた。リリコはこのうえなく真剣な表情でアージェの言葉に耳を傾けていた。

「そんなことがあったんだ……」

 聞き終わると申しわけなさそうな表情をしてひとこと。

「すまなかったな、セリアちゃんと接点を持つためとはいえ、そんな大切な物を奪ったなんて」

 グレイマン島を訪れた初日、ペンダントを奪われ、からかわれたことを思い出す。

「あの時は正直あせったけどな。でも手助けをしてくれたことには感謝しているから」
「きみは意外といいやつなんだな。セリアちゃんに付き添っているだけのクズかと思っていたのに、ほんとうは星屑かも」
「名言なんだか卑下しているんだか、リリコの価値観はわからなさすぎる」

 ふふっ、とリリコは口元を押さえて笑みを浮かべる。言うことは高飛車だが、なんとなく品格のある表情に思えた。

「でもその秘石、彼女の命を繋いでいるのなら、まさしくクイーン・オブ・ギムレットの欠片ということになりそうね」

 リリコは宝石を丁重にアージェへ返す。

「――そうなると、きみにたしかめておきたいことがあるんだけど」

 リリコはあらたまって切り出す。

「きみが魔法を覚えたい理由はいったい何なの?」

 アージェの答えに迷いはない。

「生命再生の魔法を発動させるためだ。たった一度でいいから」

 リリコはふたたび目を大きくして驚きをあらわにする。

「その子を生き返らせるために!?」
「もちろんだろ。それ以外に誰がいるっていうんだ」
「だけど、生命再生なんて実現できると思っているの?」
「わからない。それでも可能性がないわけじゃないと思っているよ」

 するとリリコはまじまじとアージェの顔を見、忍び寄るような言葉運びでこう告げる。

「かつて魔族が戦いで散った王を復活させるために、生命再生の魔法を成功させたことがあるらしい」
「まじか! それでどうなったんだ!?」
「王は復活を遂げたのだと、伝承として残っている。とはいえ、あくまで大陸がまだひとつだった頃の話だから信憑性には疑問があるけど」
「ちょっと待てよ、そんな魔法が存在するなら、実現しようと研究している魔法使いがいるはずだろ?」

 するとリリコは答えに窮して黙り込む。その実現可能性を裏付ける根拠がないのか、それとも何かを知っていて口を噤んでいるのか。

「リリコ、もしも知っていることがあったら俺に教えてほしい。頼む!」

 アージェが勢いよく頭を下げると、リリコは困ったように背を向けて窓に歩み寄る。夜空を眺めながら、湿っぽい雰囲気でぽつりとこぼす。

「もしも生き返らせられるものならば、私だってとっくにそうしているよ――」

 その時だった。怪鳥の金切り声が魔法学院に響き渡る。

「緊急避難! 緊急避難! 侵入者あり! 侵入者あり! 生徒たちは全員、中央ホールに避難せよ!」

 ウォンウォン、と不気味な地鳴りがして建物全体が振動し始めた。とたん、窓のガラスが激しい音を立てて砕け散る。それも学院すべての窓が立て続けに、だ。

「これは尖刃の調波(スカルペル・ハーモニー)!?」

 リリコは白銀のタクトを握りしめ緊張を浮かべる。

 アージェはそのタクトを見、リリコが部屋から慌てて飛び出してきたのを思い出した。あの時リリコは悪夢を見ていたのではなく、警戒心のアンテナを立てていたのだ。過剰とも思える反応は、常に危険と隣り合わせだという意味にほかならない。

「この学院は狙われているってことか。相手は誰なんだ」
「説明している暇はないから。生徒の安全が第一優先だけど、きみは生徒じゃないよね。私について来てくれないか」
「お……おう!」

 リリコは滑るように階段を駆け下りる。アージェも後を追った。

「でも周りには結界が張ってあったんじゃないのか?」
「つい先日、突然結界の効果が減弱したんだって。――言いたくはないけど、あの魔法を練習した日だよ」

 アージェは足を止めた。まさかと思った。

「……俺のせいなのか?」
「たぶんそうだ。ガーベラ先生が復旧していたけど、その隙を突かれたみたいだ」
「ちょっと待て、あの結界って学院長が作っていたのか?」
「そうよ。強大な魔力だから、力で破れる者なんていないはずなのに」
「すまない! まさかそこまで影響があるなんて思いもしなかったんだ」
「私に謝ってもなんの解決にもならないわ!」

 階下に降りると、建物の入り口には教師陣が身構えていた。ドンペルとラドラ、それにあとふたり。その向こう側には杖を構えた漆黒のローブ姿の男がいた。一歩前に出、ローブを脱ぎ捨てる。

艶めいた銀白色の髪、血を塗り込んだような深紅の唇、それに漆黒のタキシード。ドンペルが重々しく口を開く。

「帝の参謀長、ヴェンダール・ロッソだな」
「ほぅ、ご無沙汰しております。――軍の逃亡者、ドンペル・シュヴァルツワルト」
「帝の犬が、この魔法学院に何の用だ」

 ヴェンダールと呼ばれた男はせせら笑うように言い返す。

「反逆分子の巣窟である魔法学院。いずれ解体すべきと思って下見に来ましたが……まさかここまで無警戒だとは、よほど平和ボケしたのでしょう」

 たしかに淡く光る結界はいたるところに穴が開き、もはやその機能を有していない。

「まぁ、結界を張っていること自体、隠し事をしていると同義ですがね」
「当然じゃろう、なにせ魔法開発は極秘の技術も多いからの。――帰れ、おぬしに足を踏み入れる権利はない」
「ほら、そういう拒否的な態度がわれわれの疑念を掻き立てるのですよ」

 一触即発の緊張感の中、ガーベラがその場に姿を現した。

「ほう、反逆分子の元締めの登場でございますか」
「参謀長さん、私はあくまで中立の立場です。どちらの肩を持つことも致しませんが、腕試しをするのであれば住民を巻き込まないように」
「くくく、それはここの連中と一戦交える許可を下した、という意味ですな。これは光栄ですし、帝へのいい土産話になるというものです」

 紅の唇がぱっくりと開いて弓型にしなる。

「やり合うつもりなんですね」
「当然です、反逆分子を削れば帝もお喜びになるでしょう」
「勝てないと納得されたら、早々にお引き取りください」

 ガーベラが魔法を詠唱すると背後に巨大な水の魔神が出現した。同時に空から滝の幻影が辺りを囲み隔絶した空間を作り出す。ラドラが一歩前へと踏み出す。

「俺に任せろ! ――『装備全装填(フルキャスト・イクイップメント)!』」

 魔法を詠唱すると全身が漆黒の鎧に覆われる。右手には大剣が、左手には巨大な盾が現れた。魔法により具現化された装備は強靭かつ軽量で、魔法戦士の戦闘力を最大限に引き出せる。

「裏切り者の魔法戦士、ラドラ・ホーラか。受けて立とう。――『辛味の槍(スパイシー・スピア)!』」

 ヴェンダールの背中から多数の触手が生み出される。それはラドラに狙いを定めると鋭く変形し、躊躇なく一直線に突き刺してくる。すかさず盾で弾き返すが、触手は隙を与えず連続攻撃を仕掛ける。ラドラは防戦一方だ。

「ククク、魔法の力比べは楽しいものだな。しかしネバーショット・ネバーキルとはよく言ったものだ。攻撃を繰り出せない者に勝利などないのだからなぁ!」

 触手が束となり、巨大な掘削機を形作る。激しく回転しながらラドラの心臓を狙って加速する。

「諦めがつくよう、おまえの心臓を自慢の装備ごと打ち破ってくれるわ!」
「ふふっ、そうくるとはありがたいことだ」

 突然、盾の中央がぱっくりと大きな口を開く。ずらりと並んだ鋭い牙が触手にかぶりつき動きを封じた。盾が防具だという先入観を利用した反撃だ。

「ほぉ、これはたいそう行儀の悪い盾のようだ」
「いきなり噛みつくのは日常茶飯事だ。主と一緒でな!」

 ラドラはすかさず大剣を振り上げ、身動きの取れない触手を一刀両断した。触手はぶるると痙攣し、やがてその動きを止めた。

「ちまちまと一本ずつ切り落とすのは性に合わなくてな。人生ってやつは楽しようと思えばいくらでも楽できるもんさ」
「それが軍を裏切った理由なのか、ラドラ・ホーラよ」
「そう思いたければ思うがよい。不毛な戦いを続ける愚かな主の飼い犬はまっぴらだ。人間も魔族も命には限りがある」
「否定はしないでおこう。だが死は逃げる者を追うとも言うだろう。――その事実、身をもって納得してもらおうか」

 するとヴェンダールの影が分裂し、ゆらりと立ち上がる。五体の分身が築き上げられた。影は魔法銃を具現化させ、ラドラに狙いをすます。銃声が響くと同時にラドラの屈強な肉体が後方に弾かれる。魔法の銃弾が直撃したのだ。全身を覆うように盾を構えるが、今度は盾が弾かれ衝撃でバランスを崩した。

「近距離戦しか能のない魔法使いなど、凡庸な兵士と何ひとつ変わらないだろう!」
「だが俺は信じている。健全な肉体にこそ、健全な魔法が宿るってことを!」

 ラドラは見切りをつけて剣と盾を投げ捨てた。疾風迅雷の速さでヴェンダールとの距離を詰める。影が撃つ瞬間を予測し、銃を放つ直前に身を翻す。一発、二発と被弾するがラドラが怯むことはない。巧みに身体を捻り、被弾の入射角を浅くしているのだ。

「魔法戦士ってのは、全身が凶器なんだぜェェェ!」

 ラドラは拳を振り上げ、全身全霊でヴェンダールの腹に突き込んだ。
 ヴェンダールは爆音とともに吹き飛ばされ、その身は隔絶空間の壁に叩きつけられた。ずるずると滑り落ちる。壁には滝のような血の跡が残された。

 決着は一瞬だった。ラドラは苦悶の表情を浮かべる敵を見下ろして言う。

「ヴェンダールよ、これ以上無理をしたら死ぬぞ。手当なら施してやるから降参しろ」
「ふふ……これはひどく堪えた。さすがは屈強の魔法戦士だな」

 ヴェンダールは寝返りをして地面に仰向けになり、ラドラに向かって懇願する。

「肋骨が逝っちまったみたいだ。情けがあるなら丁重に運んでくれないか」

 ラドラは隔絶空間の外で待つ教員たちに手で合図を送る。ガーベラは隔絶空間を解除した。ドンペルら三人が駆け寄りヴェンダールを囲い込む。それぞれがヴェンダールの手足を握ってそっと持ち上げた。

 その時、ヴェンダールは、いびつな笑みを浮かべてつぶやいた。

「愚かだな。これで『発動条件』は満たされた」
「あ?」
「我が魔法は今、制約から解き放たれた! (あらわ)れろ、卑怯者の磔台(クラシフィック・オブ・カワーズ)よ!」

 ヴェンダールを中心とした地面に暗赤色の六芒星が浮き上がる。戦いの最中、触手で己を傷つけ血を滴らせて描いたものだ。

 魔力を含む血で支配された領域と、敵に囲まれ地に伏すという発動条件。その双方がそろった時、得られる効果は標準魔法の数十倍の威力を発揮する。

 六芒星が描かれた地面が巨大な岩盤となり重低音を轟かせて屹立する。強力な引力を宿したかのように、見えない力でラドラたちを引き寄せた。

「くっ、なんてことだ! 最初からこれが狙いだったのかッ!!」
 
 四人は岩盤に磔となり、身動きさえ取れなくなった。

「魔法は制約が大きいほど、その威力も増すからな。ただの手合わせと油断した時から、貴様らはすでに敗北していたのだ」

 ヴェンダールは悠々と立ち上がる。ダメージを受けたのは見せかけにしかすぎなかった。この展開はヴェンダールのシナリオ通りに違いなかったのだ。

 詠唱をすると宙に半透明な魔晶板が浮き上がる。中央ホールの光景が映し出された。

「くくく、これを見るがよい。おまえたちは肉体的な苦痛よりも先に、堪えがたい精神的苦痛に襲われることだろう」
「どういうことだ……?」
「己よりも若い命が散るさまを、ともに眺めようではないか」
「ま……まさかッ!」

 それからヴェンダールは愉悦の表情で魔法の詠唱を開始した。あらかじめ仕掛けた、地獄絵図を描く筆を発動させるために。