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ブリリアンはひとり授業を抜け出して街をさまよっていた。
「ったく、スオルのやつ余計なことしやがって。まるで僕が企てたみたいに思われちまったじゃないか」
セリアとは違ってなんの罰も受けなかったブリリアンだったが、これからどんな目で皆に見られることになるのか、想像するだけで思いやられた。
「くそっ、この僕の珠玉の頬を叩くなんて信じられない! ポンヌの田舎娘がっ!」
ひっぱたかれた左の頬はいまだに痛みが残っている。
けれどセリアの罵倒する顔が脳裏から離れない。胸にくすぶる感情は恐怖でも嫌悪でもなかった。褒められ煽てられるのが日常だったブリリアンにとって、心をえぐられるような叱責は、経験したことのない強烈な刺激だった。まるで落雷にも匹敵するような、全身を麻痺させるような衝撃。
「あの……田舎娘め……」
腫れた頬をもう一度触ってみる。痛みの奥に、恍惚感を伴う熱を宿しているように感じた。奇妙な感覚をなぎ払うように首を横に激しく振る。
「おまえなんて二度と相手にしないからな! 相手にしてほしかったらおまえから謝ってみろ! 僕の前に服従して『友達になってください』って懇願してみろ! 仲良くなったらとびきり熱い魔法を見せてやるからな!」
想像の中で得意げにセリアとのやり取りを繰り広げていたブリリアンだったが、素に戻ると同時に自身がみじめになり肩を落とす。
「……絶対、嫌われたよな」
ふと、疑問に思ったことがあった。あの時、どうしてセリアは急に豹変したのか。
記憶の糸をたどると、食器を片付ける時に誰かと話していたようだった。ルイーズではない。流し台の向こうにいた男。確か入学試験で不合格を言い渡され、それでも未練がましく居着いている、下働きの男だ。
真相を察し感情の導火線に火がつく。
「くっそ、あの黒髪の男がスオルの情報を流したんだな! ということは、あいつもポンヌ島出身ってことか。まさかセリアと深い関係なのか……?」
湧き起こる苛立ちを抑えられず、もらった魔法の杖を街路樹に叩きつける。
「くっ! 僕は皆が憧れる生粋だ! こんな飾り物の杖なんかなくたって強いんだ! 大陸の魔族なんか一瞬で焼き殺せるに違いないんだ!」
ギムレットを使って魔法修練するくらいなら、自身の持ち得る力で一目置かれたい。だが、魔法学院では生粋の能力は評価の対象とはならないと念を押されている。
「驚くような魔法が使えれば、みんな僕のことを認めるはずなのに……」
そうつぶやいた瞬間――。
「くくっ、負の感情を処理しきれないようだな」
耳元で低く威圧的な声が響いた。驚いて隣を振り向くと、ローブを纏い、フードで顔を隠した男の姿があった。近づく気配すら感じることができなかった。
「何者だ、おまえっ!」
三日月のようにしなる赤黒い唇。それだけが暗いフードの中に浮き上がっている。
「ブリリアン、きみにちょっとだけお願いがあるんだ。聞いてもらえないかなぁ」
やわらかな口調に警戒心が薄れる。悪意を抱いているようには思えなかった。
「……僕のことを知っているのか」
「そりゃあそうさ、きみはあの貿易商の息子さんだからね」
ブリリアンはそのひとことで、この男が父の知り合いのひとりなのだろうと察した。なぜなら父の取り巻きには、ブリリアンに近づいて媚びを売るものが多くいたからだ。わざわざグレイマン島まで来るなんて、よほど恩を売りたいんだな、としか思わなかった。おかげで損なわれた自尊心が回復した気がする。
「皆があっと驚くような魔法を、きみにプレゼントさせてもらいたいんだ。呑んでくれるかい?」
悪い話じゃない、むしろ歓迎すべきことじゃないか。逡巡の必要すらないと思い目を輝かせる。
「なんだ、そんなことならいくらでも『呑む』よ。ところで親父とはどんな関係で、プレゼントの魔法ってどんな――」
尋ねる途中、男の唇が裂けるように開き、愉悦を伴う声がもれた。
「――くくく、言ったな、『呑む』、と」
腕が蛇のようににょろりとローブの下から這い出し、ブリリアンの口を塞いだ。指は骨張っていて細長く、爪は鋭い。その手は異物を握っていた。
ブリリアンの口腔内に異物が押し込まれた。欠けた石片のように硬く、鋭い何か。それも、手のひらから溢れるように、次から次へと。
「うぐ、むっぐ……!!」
「これで魔法学院の皆が驚くことうけあいだ。――意地悪な受諾!」
聞いたことのない魔法だった。魔法が発動すると、ブリリアンの摂食器官は自身の意識とは無関係に操られて波打ち、その何かを腹の底に落とし入れてゆく。呼吸筋は麻痺して息ができない。顔面蒼白になり白目を剥くブリリアン。ついに気を失い、その場に崩れ落ちた。
男は笑みを浮かべて身をかがめ、ブリリアンの耳元で囁く。
「なぁに、魔法学院に何が起きようとも、きみは悪くないから安心したまえ。私のことは自白の魔法でも思い出せないよう、しっかりと記憶を消しておいてやるからさ」
男はブリリアンの頭部に向かって魔法を詠唱した後、悠々とその場を立ち去っていった。まるで旅先の街を散策したかのような満足げな様子で。
ブリリアンはひとり授業を抜け出して街をさまよっていた。
「ったく、スオルのやつ余計なことしやがって。まるで僕が企てたみたいに思われちまったじゃないか」
セリアとは違ってなんの罰も受けなかったブリリアンだったが、これからどんな目で皆に見られることになるのか、想像するだけで思いやられた。
「くそっ、この僕の珠玉の頬を叩くなんて信じられない! ポンヌの田舎娘がっ!」
ひっぱたかれた左の頬はいまだに痛みが残っている。
けれどセリアの罵倒する顔が脳裏から離れない。胸にくすぶる感情は恐怖でも嫌悪でもなかった。褒められ煽てられるのが日常だったブリリアンにとって、心をえぐられるような叱責は、経験したことのない強烈な刺激だった。まるで落雷にも匹敵するような、全身を麻痺させるような衝撃。
「あの……田舎娘め……」
腫れた頬をもう一度触ってみる。痛みの奥に、恍惚感を伴う熱を宿しているように感じた。奇妙な感覚をなぎ払うように首を横に激しく振る。
「おまえなんて二度と相手にしないからな! 相手にしてほしかったらおまえから謝ってみろ! 僕の前に服従して『友達になってください』って懇願してみろ! 仲良くなったらとびきり熱い魔法を見せてやるからな!」
想像の中で得意げにセリアとのやり取りを繰り広げていたブリリアンだったが、素に戻ると同時に自身がみじめになり肩を落とす。
「……絶対、嫌われたよな」
ふと、疑問に思ったことがあった。あの時、どうしてセリアは急に豹変したのか。
記憶の糸をたどると、食器を片付ける時に誰かと話していたようだった。ルイーズではない。流し台の向こうにいた男。確か入学試験で不合格を言い渡され、それでも未練がましく居着いている、下働きの男だ。
真相を察し感情の導火線に火がつく。
「くっそ、あの黒髪の男がスオルの情報を流したんだな! ということは、あいつもポンヌ島出身ってことか。まさかセリアと深い関係なのか……?」
湧き起こる苛立ちを抑えられず、もらった魔法の杖を街路樹に叩きつける。
「くっ! 僕は皆が憧れる生粋だ! こんな飾り物の杖なんかなくたって強いんだ! 大陸の魔族なんか一瞬で焼き殺せるに違いないんだ!」
ギムレットを使って魔法修練するくらいなら、自身の持ち得る力で一目置かれたい。だが、魔法学院では生粋の能力は評価の対象とはならないと念を押されている。
「驚くような魔法が使えれば、みんな僕のことを認めるはずなのに……」
そうつぶやいた瞬間――。
「くくっ、負の感情を処理しきれないようだな」
耳元で低く威圧的な声が響いた。驚いて隣を振り向くと、ローブを纏い、フードで顔を隠した男の姿があった。近づく気配すら感じることができなかった。
「何者だ、おまえっ!」
三日月のようにしなる赤黒い唇。それだけが暗いフードの中に浮き上がっている。
「ブリリアン、きみにちょっとだけお願いがあるんだ。聞いてもらえないかなぁ」
やわらかな口調に警戒心が薄れる。悪意を抱いているようには思えなかった。
「……僕のことを知っているのか」
「そりゃあそうさ、きみはあの貿易商の息子さんだからね」
ブリリアンはそのひとことで、この男が父の知り合いのひとりなのだろうと察した。なぜなら父の取り巻きには、ブリリアンに近づいて媚びを売るものが多くいたからだ。わざわざグレイマン島まで来るなんて、よほど恩を売りたいんだな、としか思わなかった。おかげで損なわれた自尊心が回復した気がする。
「皆があっと驚くような魔法を、きみにプレゼントさせてもらいたいんだ。呑んでくれるかい?」
悪い話じゃない、むしろ歓迎すべきことじゃないか。逡巡の必要すらないと思い目を輝かせる。
「なんだ、そんなことならいくらでも『呑む』よ。ところで親父とはどんな関係で、プレゼントの魔法ってどんな――」
尋ねる途中、男の唇が裂けるように開き、愉悦を伴う声がもれた。
「――くくく、言ったな、『呑む』、と」
腕が蛇のようににょろりとローブの下から這い出し、ブリリアンの口を塞いだ。指は骨張っていて細長く、爪は鋭い。その手は異物を握っていた。
ブリリアンの口腔内に異物が押し込まれた。欠けた石片のように硬く、鋭い何か。それも、手のひらから溢れるように、次から次へと。
「うぐ、むっぐ……!!」
「これで魔法学院の皆が驚くことうけあいだ。――意地悪な受諾!」
聞いたことのない魔法だった。魔法が発動すると、ブリリアンの摂食器官は自身の意識とは無関係に操られて波打ち、その何かを腹の底に落とし入れてゆく。呼吸筋は麻痺して息ができない。顔面蒼白になり白目を剥くブリリアン。ついに気を失い、その場に崩れ落ちた。
男は笑みを浮かべて身をかがめ、ブリリアンの耳元で囁く。
「なぁに、魔法学院に何が起きようとも、きみは悪くないから安心したまえ。私のことは自白の魔法でも思い出せないよう、しっかりと記憶を消しておいてやるからさ」
男はブリリアンの頭部に向かって魔法を詠唱した後、悠々とその場を立ち去っていった。まるで旅先の街を散策したかのような満足げな様子で。