魔法学院の生活が始まった。一日は朝礼で始まり、その日の予定や注意事項が伝えられる。それから生徒らは授業へと移る。

 魔法の授業は、魔法論理だけではなく、魔法使いとしての常識や倫理、魔法書解読のための語学など多岐に及ぶ。

 授業の時、生徒たちは蛇の模様をあしらったヘッドバンドを装着させられた。眠ると締め上げるえぐい仕様である。教師からは間違ってもこれを装着した者に睡眠魔法をかけてはならないと念を押されている。魔法が切れたとしても、二度と目覚めない姿になってしまうと聞いて、生徒たちの背筋が凍りつく。

 実習では多種多様な実技訓練があり、生徒たちは興味のある分野を選択できた。常に複数の教員が監督し各々の魔法発動に目を光らせている。なぜなら新たに習得する魔法は制御が利かないことが多く、思わぬ事故に発展しうるからだ。事実、炎の魔法が暴発し、大火事になりかけたことがある。それでも被害が最小限だったのは、同時に別の学生が水の魔法を暴発させたからだった。

 昼休み、セリアは赤髪お団子の女の子、ルイーズと並んで昼食をとっていた。ふたりは流れ出したニュースに目を奪われる。食堂に掲げられた魔晶板には、長い白銀の髪をなびかせる華麗な女性の肖像画が映っていた。

『二年前に行方不明となったアナスタシア王女の行方については依然不明なままです。中央都市の軍は総力を上げて捜索していますが――』

 セリアはグレイマン島を訪れた時、街中で同じようなニュースが流れていたことを思い出す。ルイーズにとっては聞き飽きたニュースのようで驚く様子はない。

「王女様、ほんとにどこへ行っちゃったんだろ。これだけ見つからないっていうことは、やっぱり魔族に攫われたのかなぁ。さすがの『帝』も心配で眠れないんだろうなぁ」

 ルイーズは寮でセリアとルームシェアをしている女の子で、性格は明るく行動力もある。グレイマン島出身で幼い頃から魔法に慣れ親しんでいるだけに、使える標準魔法(コモンセンス)のバリエーションは生徒の中でも群を抜いていた。

「へー、王女様って、どれくらいの年齢の方なの」
「知らないの? 今年、二十歳になるはず。あんな美人に育っちゃったから狙われたのよ。セリアも気をつけてね」
「へ? なんでわたし?」

 すっとんきょうな顔をして自分の顔を指さすセリア。ルイーズはセリアの耳元に唇を寄せ、声が漏れないように手のひらで隙間を覆う。

「聞いちゃったんだけど。男子の中で一番人気なんだって、セリア」
「冗談でしょ?」
「冗談でそんなこと言って面白い? れっきとした事実よ」

 すると三人の男子生徒がふたりに歩み寄り、ひとりがセリアの目の前に盆を置いて腰を据える。残りのふたりはその男を挟むように隣に座った。

 真ん中の男は黄色い髪で宝石のピアスをつけ、気取った雰囲気。左にはひょろっとした男で、右にはずんぐりした男。ルイーズが「あら、ブリリアン様ごきげんよう」と挨拶をすると、ブリリアンと呼ばれた気取り屋の男は、ふっと鼻息で答えてセリアに視線を移した。

「はじめまして、セリア・フォスターさん。僕はブリリアン・ビリンゴ。出身は彼らと同じ、パルメザソ島だ」

 そう言って左右の男を指さす。パルメザソ島は貿易や金融を生業としている富裕層だらけで、多数の優秀な教師を擁している。そのため難関とされる魔法学院の合格率は浮遊島の中でナンバーワンである。

「わたしの出身はポンヌ島よ」
「以後お見知りおきを。それにしても素敵な瞳をしている」

 見つめられて手を差し出される。気が進まないものの握手をすると、ぐいと無理やりたぐり寄せられた。顔と顔の距離が急に近づく。

「ポンヌ島っていうことは、俺のこと、もう知っているんじゃないか?」
「知っている、ってどういう意味?」

 鈍い反応を察してか、ずんぐりとした男のほうが、「ブリリアン様はこの前の『スカイ・グライダー本戦』で三位に入賞した実力者なんだぞ!」と猛烈にアピールをする。続いてひょろっとした男のほうが「ポンヌで予選会やったの、覚えてないか?」と付け足す。

 ブリリアンは「そんな大したことのない戦歴、わざわざ言わなくてもいいって!」と言って、わざとらしくふたりの男の胸を叩く。筋書き通りであろうやり取りにセリアは呆れてため息がもれる。

 けれど疑問に思ったことがあったので、それとなく尋ねる。

「もしかして予選で二位だったけど、繰り上げで本戦に出場できたってこと?」

 一瞬、表情がこわばったが、すぐさま白い歯を見せて平静を装う。

「あっ、ああ、まあな。無名の女の子に僅差で先を越されたが、どうせビギナーズラックだろ。本戦に出れば俺のほうがいい成績を残せたに決まっているさ。その子、おおかた自信がなかったから本戦を棄権したんだろうな」

 その言い訳じみた主張にセリアは確信を得る。

 ――やっぱりポンヌ島の予選に参加し、メメルちゃんと競った相手だ。あの後、ポンヌ島に起きた襲撃のことも、メメルちゃんが命がけでみんなを守ったことも、このひとは何も知らないんだ。

 セリアは能天気な金持ち息子に怒りが湧いてきた。けれどあくまで同級生の男子だし、悪意があるわけではない。気持ちを鎮め通常路線の会話を繋ぐ。

「へぇー、すごく活躍しているんだね。わたしも空を飛んでみたいなぁ」

 セリアは教員からの忠告を受け、自身が生粋(ギフテッド)であることを隠している。だから魔法で空を飛べることも秘密だ。

「いつか僕が教えてあげるよ。楽しみに待っていてくれないか。――おっと、それからお近づきの印にいいものを見せてあげるよ」

 ブリリアンはセリアから手を離すと、自慢げにその手を開いて小声で魔法を詠唱する。すると手のひらの上に小さな炎の玉が浮き上がる。

「じつは僕、炎の魔法使いの生粋(ギフテッド)なんだよね。なかなかセクシーだろ?」
「へぇ~、驚いた! わたし生粋(ギフテッド)の魔法使いなんて、会ったことなかったから」
「たいしたことないけどな。へへっ」

 面倒な相手だなぁと思いつつ、同級生だからと気を遣って笑顔を保つ。本心ではその火をさっさと風の魔法で吹き消したかった。

「あっ、そうだ。わたし午後の実習の準備があるから失礼しますね。素敵な炎の魔法使いさん」

 そう言い残してすっくと席を立ち、食事のトレイを持って流し台へと向かう。背中に熱を帯びた視線を向けられている気がした。

 ルイーズも急いで片付けを済ませ、早足でセリアを追いかけ隣に並ぶ。「今のブリリアン様の態度、絶対セリアのこと気に入っているよ!」と小声で囁く。

 セリアは本心と真逆の微笑を浮かべて見せた。

 食器の片付けをしていると、その向こう側から声をかけられた。食器洗いをしている最中のアージェだった。アージェはアイコンタクトでセリアにここに留まるように伝える。セリアも視線で返事をする。

 裏方のアージェは、ほかの生徒にはセリアとの関係を秘密にしている。馴れ合いの交流は避けるように言われていたし、能力を隠し通すことも魔法学院にとどまる条件だった。

「ルイーズ、わたし用があるから先に戻っていて」
「えっ? もしかしてブリリアン様のこと待っているの? デートの約束でもするの?」
「それは話が行き過ぎだって。でもそうなったら必ず伝えるね」
「うわぁ、セリアもけっこう本気なんだぁ。こりゃあ、あたしはただのお邪魔虫になっちゃうね。頑張って~♪」

 ルイーズが去ったのを見届けてからアージェに話しかける。するとアージェは意外なことを口にした。

「セリア、もしかしてさっき話していた男、スカイ・グライダー予選会でメメルと競った奴じゃないか?」
「えっ、聞こえていたの?」
「いや、見覚えがあっただけだ。それよりも隣のひょろっとした奴が問題でさ」
「隣の奴、って?」
「あいつ、メメルを魔法で撃ち落とそうとした奴だ」
「!?」
「ポンヌ島には外界に繋がる地下道があるだろ? 競技期間中は立ち入り禁止だけど、守衛を買収して侵入していたんだ」
「まさか、そんなことをしていたなんて……」

 セリアは競技の途中でアージェが用を足すと言って姿を消したことを思い出した。まさかその時、そんな攻防が繰り広げられているなんて想像だにしなかった。ふつふつと怒りが湧いてくるが、その矛先が向くのは卑怯な戦略を取ったパルメザソの連中だけではない。アージェの貢献を知らなかった自分自身に対しても、だ。

 その苛立ちがセリアに刹那の決意をさせる。きびすを返し、早足でブリリアンの元に向かう。気づいたブリリアンは両手を広げ、持ち前の笑顔でセリアを迎えた。

「セリア、僕に言い残したことがあったのかい? 個人的な約束ならウェルカムだよ」

 けれどセリアは黙ったままブリリアンの胸ぐらを掴み上げると、平手で力の限り、頬をひっぱたいた。

 ぱぁーん、と派手な叩打音が食堂に響く。ブリリアンの顔が潰れたように歪んだ。

 ブリリアンは背後のテーブルとともに倒れ込み、一瞬、白目を向いた。食堂に悲鳴が上がる。セリアは倒れたブリリアンに馬乗りになった。

「卑怯者! ライバルを撃ち落としてまで勝とうとするなんて、風乗りの風上にも置けないわ! そのくせ負けたんだから、偉そうに本選出場したとか言わないでよね! あんたなんか、一生かかってもメメルちゃんには勝てっこないんだから!」

 セリアは拳を握りブリリアンの顔面に照準を絞る。その瞳に容赦の二文字はなかった。憔悴したブリリアンは慌てて両腕で顔を庇う。

「待ってくれ、僕はそんなことしてないぞ! ――はっ、まさかスオル!」

 ひょろっとした男のほうに視線を向けると、スオルと呼ばれた男は顔面蒼白で言い訳をし始めた。

「だっ、だって、ブリリアン様は勝つに決まっていましたけど、不運に見舞われることは誰にだってあります! 俺は盤石の体制を構築して――」
「おまえ、何言っているんだ! それじゃまるで僕が卑怯な手段を使えと指示したみたいじゃないか!」
「何をやっているんだ!」

 騒ぎを聞きつけて現れたのは教員のひとり、ラドラ・ホーラだった。状況を察し、魔法で具現化させた三日月刀をふたりに突きつける。

「いかなる理由があろうとも、暴力沙汰は謹慎の対象だ。先に手を出したのはどちらだ」

 誰も答えなかったが、セリアはみずから正直に自分だと告白した。ブリリアンから身を引きラドラ・ホーラに向かって頭を下げる。

「セリア・フォスターか。俺はシュヴァルツワルト先生ほど情が深くはないから言い訳は聞かん」
「ホーラ先生、ご迷惑をおかけしてすみません」

 セリアはうつむいていたが、けっして自分の行いが間違いだとは思っていなかった。両親の死を経験して以来、大切な人を傷つけようとする者は容赦しないと心に決めていた。

「きみの事情は知っているが、その感情を抑えられるようにならなければ魔法を学ばせるわけにはいかない」
「能力と性格は別ではないですか? そこに正当な理由があるなら教えてください」
「理由か。――大陸で魔族と戦っていた時、直情的だった仲間はみんな死んだ。猪突猛進は死神を呼ぶものだ。それでも納得しないか?」

 セリアはラドラ・ホーラの突き刺すような視線に閉口するしかなかった。命懸けの戦いを知るもののひとことには、はかり知れない重みがあったのだから。