ランブルス魔法学院の合格発表が終わった後、すべての教員は会議室に集められ、試験の反省会が執り行われた。その中にはリリコの姿もあった。

 入学試験実行委員長の役を請け負っているのは魔法戦士であるラドラ・ホーラ。魔法使いらしからぬ屈強な肉体を持ち合わせている。

 魔族との戦いに携わること十数年。前線に立ちながらも生き延びることができたのは、類稀なる双方の才覚を駆使できたからにほかならない。

「今年の合格者は48名。例年とほぼ同数でしたが――うち生粋(ギフテッド)は4名のみと不作でした。ですが、それぞれが異なる四元魔素の属性に従ずる魔法使いだったとは不思議な因果を感じさせます」

 生粋(ギフテッド)の魔法は自然界から魔力を授与して発動させるため、「地・水・火・風」のいずれかの四元魔素を魔力の源泉とする。その源泉の種類が「属性」となる。セリアは「風」、ドンペルは「地」の生粋(ギフテッド)である。

「例年同様、生粋(ギフテッド)の生徒にはその能力を秘匿にするよう伝えますか」

 教員のひとりが確認の意味を込めた質問をする。

「そのつもりです。無論、最終的な判断は個々に任せますが、あえて隠さないものもいるかもしれません」
「それでも構わないでしょう。魔法使いとして自立した際には、すべての判断の責任は自身が負うことになりますから」

 その点に関して異論を唱える者はいなかった。だが次の瞬間、ラドラ・ホーラの表情が曇る。

「ですが今回は不測の事態がありまして……」

 しばしの沈黙が訪れる。その場に集うものの脳裏に浮かぶ考えはひとつの疑念に集約されていた。

「……いまさら不合格者に話を戻すのも気が引けるのですが、シュヴァルツワルト先生の話はほんとうなのでしょうか」

 一同の視線がドンペルに集まる。ドンペルが重々しく口を開いた。

「はい、『彼』はたしかに魔法を消す能力を発動させました」

『彼』の特異な能力を目にした面接官はドンペルだけである。ほかの教員は皆、眉唾ものの話だと思っているのか、怪訝そうな顔をしている。

 だが目撃者はもうひとりいた。リリコだ。雰囲気を察したリリコが挙手をして自身の見解を述べる。

「私は発動の瞬間を目撃しましたが、あの特性は『四元魔素』のいずれにも属さない、いわゆる『虚』の魔法だと思います」
「まさか! 『虚』の魔法は古代魔法ですぞ! 大陸(コンタナ)の魔族を最後に、その魔法の伝承はついえたはずです」

 ラドラ・ホーラは勢いよく立ち上がり主張した。その存在を否定できる自信は、前衛として魔族と数多の戦闘を経験してきた者だからこそだ。

「ところで筆記試験はどうでしたか。知識のスコアとしては合格点に及ばなかったと聞いていますが」

 採点を担当した別の教員が手を挙げる。

「じつは知識ではなく、『彼』の能力について面接でたしかめる必要があると思ったため通しました。これを見ていただきたいのですが」

 魔法を唱えると卓上に太ったカエルを模した置物が出現する。頭は底の浅い皿のような形をしており、眠るように目を閉じている。

「これは今年から導入された魔具、『我魔証人』です」
「ああ、物品の品質鑑定だけでなく、魔法の残滓を測定可能なものですね」
「はい。たとえばこれは最高点をマークしたセリア・フォスターの答案用紙ですが」

 折りたためられた答案用紙を『我魔証人』の頭の皿に据える。すると『我魔証人』の目がかっと開き、瞳が青く染まった。躯体は紫に変色し、舌が天井に向かってするすると伸びてゆく。

「ふむ、舌はほぼ天井を向いていますね。――魔法に対する知識は申し分ないようです」
「青の瞳――つまり風属性の生粋(ギフテッド)なのは間違いないでしょう」
「そしてよりも紫――指先に宿る魔力の残滓は、たゆまぬ努力の賜物。けっして才能に溺れる者ではありません」

 客観的な評価は申し分ない。誰もがうなずける一次試験合格の判定。

「便利な世の中になったものですね。これも時の流れでしょうか」

 ガーベラが穏和な口調でそういう。先進的な魔具を用いなければ、たった数時間で全員の採点を終えることは不可能だ。かつて一次試験の採点は丸二日を要していた。

「『我魔証人』の評価は我々も信頼しています。それだけに、『彼』の答案に対する異例の反応をどう解釈してよいのか、誰も判定できなかったのです」

 セリアの答案用紙が取り除かれ、『彼』のものに置き換えられる。手にした教員の指先がかすかに震えていた。

 頭に載せた瞬間、舌がずるりと下がる。

「むぅ、魔法に対する知識は付け焼き場でしょうな」

 体躯はじわりと緑色に変化した。

「ほう、魔法の鍛錬についてはぎりぎり及第点といったところで、さほど目を見張るものではありませんな」

 だが、瞳には暗赤色が混ざり込み、しだいに深い黒へと変化していった。その瞳は光を失い、まるで底の知れない闇を覗いているようだ。教員たちからどよめきが上がる。

「何だ、この禍々しい色はッ! これを魔法として認められるか!」
「『虚』の能力を持つ者など、闇の存在と同類項だ! 開発した魔法を無に帰してしまうかもしれない危険な存在だ!」
「こんな能力は魔法に対する冒涜といえようぞ! グレイマン島から追放すべき!」

 大勢はその奇怪な能力を怖れ、非難し、拒絶した。けれど立ち上がり果敢に言い返す者がいた。ドンペルだ。

「『彼』は逆上するセリア・フォスターから私を救おうとした誠実な人間です。『彼』の能力の是非についての疑問はありますが、それは彼の人格を否定するものではありません」

 リリコもすぐさま後に続く。

「もとを正せば、『彼』は私に手を貸して不合格になったんです。本来の能力を鑑みれば再試験の対象とするべきではないでしょうか」

 多少なりとも『彼』を知るリリコは『彼』を危険人物だとは認識していない。だが、ここにいる教員全員が異様な魔法の特性を受け入れるはずなどなく、反論は必至だった。

「あなたは危険性を認識していないのですか? それとも蠢惑の魔法にあてられたのですか?」
「『彼』の不合格が妥当な判断だとは思えない、そう言いたいだけです!」
「もしもその能力を悪用されたら、魔法学院はひとたまりもありませんぞ!」
「そんなことは絶対にさせません。私が保証しますし、万一の場合は責任を取らせていただきます!」
「あなたは責任の取り方など、まるでご存じない立場だったではないですか!」
「みなさま、静粛に!」

 混沌とする論争を諫めたのは、ほかでもなく学院長のガーベラだった。

「『彼』の扱いについてはこの私に一任していただけないでしょうか」

 皆、ぴたりと黙り込む。なぜならガーベラの背後には魔法によって具現化された魔人の姿があったからだ。

 本気を出せばこの魔法学院を破壊してしまうほどの魔力を有する、青色の肌をした水の魔人。それに戦いを挑む愚者は、この教員の中にいるはずもない。

「『彼』については、合格も入学も認めません。――ただし、『彼』が望めば学院の裏方として働いてもらいたいと思っています」

 リリコの表情がさっと青くなる。それとなくガーベラの意味するところの察しがついてしまった。

「裏方としての働き手って、もしかして……」
「はい、あなたの『補佐役』です。無論、『彼』をどう扱うかは、リリコさん次第ということにいたします」

 その場の教員は皆、反論を通り越し、言葉を失っていた。まさか危険人物を最年少のリリコに託すとは想像だにしなかった。

「それから、シュヴァルツワルト先生の処罰ですが――」

 ガーベラの視線がドンペルに向けられる。ドンペルは背筋を伸ばして身構えた。

「――それは『彼』の能力の由来を突き止めるという、重要な任務を背負っていただくという処罰です」

 目を二倍にして驚きを示すドンペル。提案は意外なものだったが、誰もが知りたがるそれを断る理由はひとつもない。

「はっ! その処罰、甘んじてお引き受けいたします!」

 ドンペルは口元を引き結び、ガーベラに向かって深々と頭を下げた。