セリアは8年前、ポンヌ孤児院に連れて来られた時のことを思い出していた。

 両親は戦争で命を落とし、面倒を見てくれた執事も職を手離した。見知らぬ地で知人はひとりもいない。裕福な家庭で幸せな毎日を送っていたのに、突然、孤独と生きる苦しみの中に取り残された。

 ポンヌ島の岸壁から海を見下ろし、両親のもとへ行きたいと何度思ったことだろう。ドンペルへの復讐心が足を踏みとどまらせていたが、絶望が気力を奪う日も幾度となくあった。セリアの命は、いつ崩れ落ちるかわからない不安定な瓦礫に支えられているようなものだった。

 落ち込み口を閉ざしたままのセリアだったが、たったひとり、そんな少女に歩み寄る者がいた。それがアージェだった。

「あのさぁ、セリアにひとつだけ、お願いがあるんだ」
「お願い……って、なによ」

 思えばアージェのお願いは、いつだって不思議な優しさの裏返しだった。

「セリアの親ってどんな人だったのか教えてくれないか」
「お父様とお母様のこと? いやよ!」

 セリアは即答で断る。

「なんでだよ、けち!」
「けちじゃない! 忘れたいからに決まっているでしょ!」
「はぁ? 親ってのは忘れたいって思える存在なのかよ」
「そうじゃないってば! つらい気持ちを忘れたいの。あなたにはわからない?」
「大切だからそう思うんだよな。だったらなおさら知りたくなる俺の気持ち、わからないか?」
「傷をえぐるような詮索、やめてよね!」

 声を荒らげるセリアとは対照的に、アージェは落ち着いた声で続ける。

「……俺にはもともと親なんていないんだ。だから親っていうのがどんな存在なのか、セリアに聞きたいと思ったんだ」

 アージェに家族がいなかったことを、セリアはその時はじめて知った。同じ天秤の上で量れる悲しみではないのに、むきになってしまった自分が恥ずかしい。

 逡巡したものの、アージェの気持を汲むならそれでもいいかな、と自身に妥協を許す。

「いいわ。ちょっとだけ自慢になっちゃうけど、不機嫌にならないでね」
「なるわけねえだろ、俺から頼んだことだからさ」

 その一幕をきっかけに、セリアは塞いだ記憶の扉を開き、両親との思い出を旅し始めた。脳裏に浮かぶのは両親の笑顔ばかり。もう二度と戻ることのない時間は、セリアの幸せを願う言葉で満ち溢れていた。

 思い出をアージェに語るたび、両親が望んでいることは何なのか、セリアの心中に明瞭な輪郭が描かれる。

『セリア、魔法は本来、戦いの武器なんかじゃない。誰かを幸せにするためにあるんだ。だから魔法を上手になりたければ、まずは誰よりも自分自身を幸せにしてあげなさい』

 両親はセリアの幸せを一番に望んでいたからこそ、そんな心構えを持たせたに違いない。

 アージェとの語らいの中で両親の思い出を甦らせたセリアは、涙を見せながらも、少しずつ前を向けるようになっていた。何年もかけて、ようやっと笑顔を取り戻せるようになった。

 思い返せば、アージェはセリアの悲しみを吐き出せる場所になろうとしてくれていたに違いなかったのだ。