「クックドゥードゥルドゥー! 面接による実技試験を開始します!」

 壁から半身を突き出した怪鳥が高らかに声をあげる。

「なお、待機時間中に魔法を用いた場合は不正行為として不合格になります。それではダーシュ・アスタルカはルームA、セリア・フォスターはルームB、シン・パムルートはルームCへ――」

 受験生がひとりずつ個室へと呼び込まれてゆく。セリアは緊張した面持ちで立ち上がりルームBへと向かう。

 足を踏み入れたのは漆黒の壁で覆われた無機質な小部屋。入ると同時に扉に魔力の結界が張られる。壁にかけられたいくつかの淡い蝋燭だけが頼りとなる、不安定な視界。

 その奥に見えた顔は――あの初老の紳士、ドンペル・シュヴァルツワルト。不敵な笑みを浮かべている。

 まさか、こんなにも早く裏切り者を見つけ出せるとは予想だにしなかった。しかも閉ざされた空間で対峙できるとは、願ってもないチャンス。

 だが、同時に大きな不安が押し寄せてくる。敵意を悟られたら返り討ちに合うかもしれない。なにせ相手は相当な実力者に違いないのだから。

 けれど面接試験という名目の絶好のチャンスを、逃すわけにはいかない――。

「ようこそランブルス魔法学院へ。――では、名前を確認させてもらいたい」

 ドンペルはセリアの素性に気づいているのかいないのか、手元の書類を蝋燭で灯して問いかける。

「セリア・フォスターです」

 相手の表情は微塵も動かなかった。喉元まで声が出かかる。「あなたが裏切って見殺しにした空挺軍の魔法使い、バルト・フォスターとエオリア・フォスターの娘です」と。

生粋(ギフテッド)に違いないのだね?」
「はい。風魔法が使えます」
「ほかには?」
「ギムレットがあれば基礎的な魔法は発動できます。小さな物を浮かせる、消す、燃やすなど」
「ならば実技試験の内容は――『逃亡者の捕獲』とする」
「はいっ、承知しました!」

 ふたりは同時に立ち上がる。ドンペルがステッキを掲げて魔法を詠唱すると、周囲の壁が膨張するように遠ざかり、床が盛り上がり岩石や木々の姿を作り出す。広大な夢幻の森が形成された。

 ドンペルは左足を机の上に乗せて、自身の太腿を指さした。そこにはカラフルな組紐が巻かれている。

「五分以内に私を捕らえ、左足に巻き付いたこの紐を奪うがよい」
「それがわたしに課せられた実技試験ですね」

「うむ、だが遠慮は無用だ。試験中の事故について責任は問われない。実力を最大限、発揮してもらうためにな」

 はじめて意思を宿したかのように、紳士の口元が非対象に吊り上がる。おぞましいと思うと同時に、全身が武者震いを起こす。

 けれど、実技試験という名目で復讐が正当化されるなんて最高の条件だ。中央都市を去ることになった8年前から、絶えず魔法を鍛え抜いてきた甲斐があった。ただ、この日のために。

 凍りつくような静寂の中、天蓋に飾られた時計の針の音だけが響き渡る。試験は始まっていた。セリアは覚悟を決めて口元を引き結び、魔法を詠唱する。

 ――『風の遊歩道(ウインド・ブロムナート)!』

 両脚に風が宿り、セリアの身体を宙に浮かせる。黒く長い髪が怒りを宿して舞い上がる。同時にドンペルも詠唱を開始していた。

 ――『百騎夜光(ハンドレッド・ナイト・ナイト・ライト)!』

 ドンペルの隣に凛々しい白馬が現れる。乗り込むと白馬は前足で大地を蹴り上げいなないた。

「さあ、お主の実力が『虚』であるか『実』であるか、儂に見せてみるがよい!」

 白馬は一気に駆け出して森の奥へと姿を消した。セリアは纏う風の威力を強めて森の中を飛翔し後を追う。

 すると突然、前方から頭の大きさほどもある岩石の一群が飛んできた。岩石は次から次へとセリアを襲う。

「くっ、罠かッ……!」

 神経を集中して避け続けるが、前へ進むことができない。避けきれず、そのひとつがセリアの右肩をかすめた――と思ったが、なんの感触もなくすり抜けてゆく。

 どうやら足止めのための虚像(・・)のようだ。だけどほんとうにそうだろうか? もしかすると――。

 ――『微風の旋律(ブリーズ・トゥーン)
 
 穏やかな気流がセリアの前方に巻き起こる。幻覚であれば風が乱されることはない。

 すると突然、空気の流れが不自然に歪む。慌てて身を翻すと、岩石が服をかすめて引き裂いた。

 ――やっぱり実像(・・)が混ざっていた。

気づかなかったらどうなっていたかと思い、全身の肌が粟立つ。

 岩石の群れが去ってゆく。ドンペルの姿はすでに見えなくなっていた。上空を仰ぐと天蓋の時計は容赦なく時間を刻んでいる。

 カチ、カチ、カチ……。

 迷ってなどいられないと思い、森の中を縫うように飛翔しながらドンペルの行方を追う。しばらく進むと馬が鼻を鳴らす音が聞こえた。身を隠して様子をうかがうと白馬が木陰で毛繕いをしていた。

 この側にいるかも――そう思って神経を尖らせ、そろりそろりと白馬に近づく。

「――甘いな」

 突然、背後から地鳴りのような声がした。背筋が凍りつく。

「相手が逃げているものだと固定観念の虚像(・・)にとらわれ、背中を留守にするとは甘すぎるぞ!」
「くっ……!」

 振り向きドンペルの姿を捉えると同時に魔法を発動させる。

 ――『風刃(ウインドブレード)!』

 左足に巻かれている組紐に狙いを定め風の刃を放つ。

「ハッハー、速度は申し分ないが、攻撃が単調すぎる! それでは海鳥すら落とせんぞ!」
「なにを偉そうにっ! じゃあこれならどうだ!」

 セリアは発動速度を最大限に生かし風の刃を連打する。だが、ドンペルは年不相応な身軽さで宙を舞い、刃を避けきった。

「そんな粗削りな芸では、老いた儂にさえ通用せんぞ。誇り高き風を操る魔法一家の末裔とは思えん!」
「!!」

 そのひとことに、セリアの脳裏でもつれていた疑問の糸が解きほぐされる。

 この男はわたしがフォスター家の娘だと知っていた。そうだとすれば、裏切った相手の家族という危険分子を放置しておくわけがない。だから魔法学院を受験すると知った時、嬉々として迎え入れようとしたに違いない。

 ここで痛めつけて実力の差を見せつければ、復讐の芽を摘むことができると。

「わたしの素性を知っていたのね! それに、あなたを恨んでいることも!」
「そうさ、大陸に挑んだ魔法空挺軍の唯一の生き残り、裏切り者のドンペル・シュヴァルツワルト。それが儂の実像(・・)だ」

 ドンペルが真顔で目を細めると、鋭い刃のような雰囲気が醸し出される。

「それに言ったろう? 試験中の事故の責任は問われないと。それは儂も同じだ」
「最初からわたしの試験を担当して陥れる気だったのね!」

 セリアは怒りで目を血走らせる。

「いやはや、復讐の鬼と化した娘の姿をバルトとエオリアが見たらどう思うだろうな」
「あんたがお父様とお母様の名前を気安く呼ぶな! わたしはあんたを許さない!」
「ほぅ、どうやってこの儂を成敗するつもりだ?」
「そんなの、実力行使に決まっているわ!」

 ――『風刃(ウインドブレード)!』

 ふたたび風の魔法を幾重にも重ねて発する。狙いは足だけに絞らなかった。だが、ドンペルは軽々と攻撃をかわし、かすらせることもままならない。

「無駄だと言ったろう、学習能力がなさすぎるぞォォォ!」
「それはどうかしらね」

 セリアは指を立てて空中に幾何学的な模様を描く。すると風刃は命を宿したかのように進路を変え、ドンペルを囲んで宙に停滞した。

「これなら逃げられない。覚悟しなさい!」
「ふっ、風を放つだけではなく、導けるようになったとは。一端の風使いになったな、セリア・フォスターよ」
「黙れ!」

 風刃がいっせいにドンペルを襲う。しかし、それでもドンペルの表情に焦りの色はない。視界に映り込んですらいないというのに、すべての刃の位置と動きを見切って避けてゆく。

「逃げるなら、逃げられない距離まで詰め寄ってやる!」

 纏う風を加速させ、すばやくドンペルの懐に飛び込もうとする。だが突然、体が拘束されたように動かなくなる。いつのまにか足元から蔓が伸び、セリアの足や体に巻きついていた。

「うかつだったな。虚像の中の実像を見抜けないようでは、戦いの土俵にすら立てておらんということだ」
「くっ……!」
「それでは儂は時間切れまで高みの見物とするか。おしおき(・・・・)は不合格が確定した後、じっくりとな――」

 ドンペルが指を鳴らすと白馬が駆け寄ってくる。悠然と白馬に跨り森の中へと去って行った。

「待てっ!」

 急いで絡みつく蔓を断ち切ったが、相当に時間を浪費した。上空を眺めると時間は残り一分を切っていた。

 カチ、カチ、カチ……。

 結局は夢幻の空間で翻弄されるばかりで、完全に相手のほうが上手だった。けれどこの実技試験、何かが釈然としない。

 ――ドンペルはわたしの動きや放つ魔法の軌道を完全に掌握していた。視えていないはずなのに、どうしてそんなことができるのだろうか?

 ――それに、わたしを叩きのめすのであれば、今すぐにだってできるはずだ。だけどそうしないどころか、いまだにわたしを遠巻きにしている。

 ――もしかしたら、わたしはまだ試されているのではないか?

 考えてみれば、ドンペルは言葉の中に虚実(・・)を含めていた。もしかすると、今まで追っていたドンペル自体が虚像(・・)なのではないか? それに気づけということなのか? そう仮定すれば――実像(・・)はこの空間を俯瞰できる場所に存在するはず。

 もう一度、天蓋を見上げる。時計の針はあと三十秒を切っていた。

 カチ、カチ、カチ……。

 その光景を眺めるセリアの脳裏に一縷(いちる)の可能性がよぎる。

 ――そうだ、ドンペルは今でもわたしを見張っているに違いない。たとえ姿が視えなくても。

 セリアは呼吸を整え、魔法の詠唱を始める。今まで数えきれないほど詠唱を練習してきた魔法。ドンペルを仕留めるためだけに鍛え上げてきた、一撃必殺のその技を。

 拳を握り固め、高速の気流を腕に纏う。その腕を天蓋に向かって突き上げた。

 ――『昇爆の風(ライジング・バースト)ォォォ!』

 魔法は周囲の空気を編み込んで巨大な竜巻を形成する。天に向かって気流の渦が勢いよく伸びる。渦は天蓋の時計を直撃し、円盤を粉々に砕き飛ばした。

 砕け散った破片は一度飛散しかけたが、ぴたりと空中で動きを止める。ふたたび集まり、時計とは異なる輪郭を形成してゆく。

 そこに現れたのは紛れもなくドンペル本人だった。夢幻の空間の頂をゆったりと浮遊している。

「ふっ、よく気づいたな。だが残り時間を知っておるのか?」
「まだ終わってなんかいない! 風よ、その男を束縛して!」

 さらに放った竜巻が分裂しドンペルの四肢と顔面に巻き付く。抵抗はおろか魔法の詠唱すら許さなかった。セリアは勢いそのままに相手を操り、木の幹に縛り付けて動きを完全に封じた。

 間髪入れず風刃を発動させる。セリアの頭上にはまばゆい光の刃が形成された。尋常ならざる回転速度のせいで、光の粒子が風の空間に閉じ込められて輝いているのだ。

「お父様とお母様の仇、ここで果たさせてもらう! 覚悟なさい、裏切り者のドンペル・シュヴァルツワルトッ!」
「流石だと誉めざるを得ないな、フォスター家の娘よ」

 ドンペルは不敵な笑みを浮かべたまま、そっとまぶたを閉じた。

 残り時間、あと十秒――。

 眩く光る風刃がドンペルの左脚めがけて放たれた。戦いから逃げたその脚の一本を、容赦なく切り落とすために。

 だがセリアが風刃を放った瞬間、それはまるで息を吹きかけたろうそくの炎のように視界から消え去った。

「なっ!?」

 どうして魔法が忽然と消滅したのか、セリアはすぐさまその理由に思いいたる。そんなことをやってのける人物は、アストラルの世界でひとりしか知らない。

 背後を振り返ると、そこにはアージェの姿があった。セリアに向けた手の先には魔法の残滓が立ち込めている。

「アージェ! どうして邪魔をするの!? 二度とない復讐のチャンスなのよ!」

 セリアは思わず叫んでいた。だが、アージェは眉ひとつ動かさずセリアを見つめたままでいる。するとアージェの背後からひょこりと小柄な女の子が姿を現した。リリコだ。

 リリコはセリアを制し、ドンペルの目の前に仁王立ちになる。ドンペルは想定外の侵入者に目を丸くしていた。

「ドンペル、尋常ならざる魔力を感じたから、ただごとじゃないと思ってお邪魔させてもらったわ」
「リリコ殿、どうして儂の結界を破ることが――」
「そういう魔法を使える受験生がいたのよ。それも偶然、セリアさんの次の順番でね」

 リリコがアージェを振り返る。アージェは正直に答える。

「はい。彼女が異変に気づいたみたいで、扉を開けようと必死だったから力を貸したんです」
「まさか……」

 茫然としたドンペルをリリコが叱責する。

「まさかセリアさんがあなたの亡き友人の娘さんだったなんてね。私に彼女の誘導を頼むなんてよほどの事情があると思ったから引き受けたけど……その理由が彼女に復讐させる(・・・・・・・・)腹づもりだったなんて驚いたわ」
「「えっ!?」」

 セリアもアージェも、はっとなってリリコに目を向けた。

「ドンペルはひとりだけ生き延びた自分が許せなかったんでしょう? セリアさんに心から謝罪したかったんでしょう?」
「くっ……黙っていて申しわけございません!」

 ドンペルは奥歯を噛み締めてその場にひれ伏す。セリアを煽っていたのは、あえてセリアの復讐心を燃え上がらせるためだった。

「セリア・フォスターよ! 儂はバルトとエオリアを救えなかったことを、あまりにも無力であったことを今でも後悔し続けているッ! だが、生き延びてしまった以上、身を賭しておぬしにふたりの死の真相(・・・・)を伝える義務があるのだ!」
「お父様と、お母様の、死の真相……?」

 セリアはドンペルの口から出た意外な言葉に目を見張る。ドンペルは立ち上がり、襟を正すと神妙な面持ちでセリアと向き合う。いつのまにか夢幻の空間はその姿を失い、もとの”ルームB”へと戻っていた。

「もしも儂の言葉を信じてもらえるなら、どうかこの『記憶の水晶』が映し出す場面の意味を考えてほしい」

 ドンペルの手は透明な水晶を握りしめている。その手を壁に向けると水晶がぼんやりと光り出し、霞んだ映像を壁に投影する。

 そこに映されたのは、セリアの記憶にしまい込まれている、懐かしい両親の姿だった。