青と白の境界に浮かぶ旅客機の飛行艇は徐々に速度を落としてゆく。旋回すると金属の表面が太陽の光になぞられる。客席からは魔法の街の景色が一望できた。

街はなだらかな丘陵の上に広がっており、色とりどりの屋根や塔がところ狭しと立ち並んでいる。人々の姿が風景のいたるところに散りばめられていた。ポンヌ島よりも鮮やかで活気ある島の姿に、アージェとセリアは目が釘付けになる。

 ここは魔法島として知られるグレイマン島。中央都市方面に向かって飛行艇で丸二日。アージェにとっては、はじめての島外への旅となる。

 島の中央には天を穿つほどの高い円錐形の建物がそびえ立ち、頂では光が色を変えながら点滅している。魔法通信塔の役割を担っているその建物こそ、アージェとセリアが志望する『ランブルス魔法学院』。そして魔法学院を中心として行なわれる魔法開発が、グレイマン島の経済を支えている『特産品』でもある。

 ふたりは魔法を学ぶため、学院への入学を目指してポンヌ島からやってきた。

 いや、やってきたのは三人(・・)と言うべきか。

「メメル、見てみなよ。あれが俺らの挑戦する魔法学院だ!」

 アージェは首にかけたペンダントを窓に掲げて嬉しそうな顔をする。ペンダントの中にはメメルという名の少女の魂が込められていた。孤児院の仲間だったが、ポンヌ島の襲撃で散った少女だ。彼女を甦らせるため、アージェの魔法を学ぶ旅がここから始まるはずなのだ。

 ただし、あくまで受験に合格すれば、の話である。

 飛行艇はゆっくりと降下し始める。町の上空に近づくと、空気中に魔力が満ちているのを感じた。町の人々も飛行艇に気づき、手を振ったり歓声を上げたりしていた。彼らは来客を歓迎しているが、魔法による治安の管理が行き届いているからこそ、警戒する必要がないのだ。

 飛行艇は島の一角にある航空広場へ着陸した。そこにはさまざまな島からの飛行艇も停まっていた。同年代の若者と、その親と思われる人々の姿があった。魔法学院を受験する挑戦者たちである。孤児であるアージェとセリアは肩身が狭いと思ったが、そんなことはもとより覚悟してのことだ。

 降りると風がやわらかく吹き抜ける。広場には鳥や蝶が飛び交っていた。島の雰囲気を味わうアージェとは対称的に、セリアは早足で坂を下りていく。

「セリア、そんなに急ぐことないだろ」
「今はこの島の繁盛期よ。まずは街で宿泊所を確保しないと」
「あ、そうか。そうだよな」

 アージェは急ぎ足でセリアの後を追う。

 繁華街に向かって歩いていくと、道路には幾何学的な模様の石畳が敷かれていた。見上げると星座をかたどった屋根が目に入る。いたるところに据え置かれた彫刻。いずれも魔法の匂いを感じるので、街全体が魔法による管理下にあるように思えた。

 街角には魔晶板が掲げられており、映像と音声に変換された最新の情報が映し出される。

『空挺軍が大陸で新たなギムレットの鉱山を発見しました。発見者のカルロス・ネメウス氏は鉱山を護る魔族を――』
『新たな地で行われたスカイ・グライダーの優勝者には豪華な飛行艇とギムレット一年分が贈呈され――』
『王女の行方はいまだ手がかりが掴めな今まです。発見者の褒賞金の額はさらに上がり――』

「すげえ! ひとと風景が紙のようだ!」

 はじめて目にしたアージェは驚きをあらわにした。

「ポンヌ島では見たことなかったからねぇ。でも中央都市じゃ一家に一台あるんだって」
「ほへぇ……俺は古代の遺物だったのか」
「はやく環境の違いに慣れなくちゃね。さあ、時間がないから行くわよ」

 最初は物珍しさに心が踊っていたが、しばらくするとその心境は一変した。あらゆる宿をあたってみたが、どこにも空きがないのだ。

「ここいらはみんな満員御礼さぁ。オレらにはありがたいことだがな」
「今からじゃ取れないだろうねぇ。なにせ魔法学院の受験期だし」
魔法通信網(マジック・ネットワーク)では、ぜんぶ赤だね」

 焦りが募り、ふたりの不安が色濃くなっていく。けれど空きは見つからない。しだいに空の色は橙へ、そして群青へと塗り替えられてゆく。

「どうしよう……」

 アージェは野宿など苦にならないが、女子のセリアまでそうさせるわけにはいかない。
 路地裏で座り込み途方に暮れていると、背後から声をかけられた。

「ねえ、お兄さんたち、もしかして泊まるところ探しているの?」

 振り向くとそこには少女がひとり。メメルよりもずっと(いとけな)く見える。銀髪のショートボブに丈の短い艶めいたドレス。ロイヤルパープルの瞳が薄闇の中でもひときわ輝いていた。あたりを見回すが、保護者らしき者の姿はない。

「まあね、でもなんとかするよ。それより暗くなるから女の子がひとりで出歩くのは危ないと思うな」
「他人に気を遣うほど余裕あるの? 計画性がない時点できみのほうが危ないと思うけどね」

 上目遣いで呆れたような顔をする。少女らしからぬ高飛車というか、達観した態度が気に障る。けれど宿泊先があるのか尋ねたということは――。

「もしかしてきみ、泊まれるところ知っているの?」
「まぁ、あると言えばあるんだ」

 得意そうな顔で少女は答えた。もしもそうなら渡りに船だと思い条件を尋ねる。すると少女はアージェの胸元を指さしてにやりとした。

「その服に隠れているペンダント、見せてくれたら考えてあげる」

 少女は服の下の宝石に気づいているようだ。魔力を感知できるということは、つまり――アージェと同じく生粋(ギフテッド)の魔法使いに違いない。躊躇したが、隣にちらと視線を向けるとセリアは小さく首を縦に振る。応じて、という意味なのは明白だ。なぜなら、この機を逃したら宿泊所を見つけられないかもしれないのだから。

「見せるだけでいいのか?」
「そそ、たったそれだけのことだよ」
 
 悪意の気配はないので、魔力を有するアイテムに興味を持ったのだろうと察する。だが、さすがにこれが『クイーン・オブ・ギムレット』だとは思いもしないはず。

 胸元からペンダントを取り出してネックレスを外し、少女の目の前に掲げてみせる。

「ふぅ~ん、綺麗な宝石だねぇ。それに中で何か動いているね。――あ!」

 何かに気づいたように空を仰ぐ少女。つられてアージェもセリアも少女の視線を追った。その瞬間――腕からするりとネックレスが抜き取られる感覚があった。視線を戻すと、そこにネックレスはない。

 虚を突かれた。少女は即座に身を翻して路地の奥へと駆けてゆく。思いのほか足が速い。すぐさま角を曲がって姿を消した。

「しまった、油断した!」
「わたしに任せて!」

 セリアはすぐさま手のひらを前方に掲げて魔法を詠唱する。

 ――『風の遊歩道(ウインド・ブロムナート)!』

 魔法使いの家系に生まれたセリアは、ギムレットがなくとも魔法を発動させることができる。アージェと同じ生粋(ギフテッド)の魔法使いである。セリアは風を操る魔法を使えるのだ。

 風魔法はその名の通り、発動がきわめて早い。上昇気流が両足に巻き付き、ふたりの身体を宙へと舞い上げる。路地を滑るような勢いで突き進み、少女が曲がって消えた角で鋭く方向転換する。

「どこだ、どこに行ったッ!!」

 ところが――。

「ここだよぉー」

 少女は角を曲がったすぐの、レンガ造りの塀に悠々と座っていた。勢いあまって通り過ぎたふたりは急停止の勢いで宙を三回転した。セリアは身を翻して着地したが、アージェはバランスを崩して背中から地面に落下した。痛みに悶え、芋虫のような情けない姿を少女にさらす。

「あははっ! 思ったとおりになったぁ~!!」
「このっ……からかいやがってッ!」

 見上げると少女は人差し指にネックレスを引っ掛けてくるくると回し弄んでいる。ほいっ、と無造作に投げてアージェに宝石を返す。アージェは慌ててそれを受け止めた。

「こんなに価値のありそうな物、狙われるに決まっているじゃない。もっと慎重にならないとだめだって!」

 どれほど価値を理解しているのかは不明だが、少女の目つきは自信と確信に満ちている。両腕を組んでアージェに説教を始めた。まるで子供をしつけるような口調で。

「ここは魔法の島だよ? 生粋(ギフテッド)の魔法使いだってうじゃうじゃいるんだよ? もちろん、善い奴も悪い奴もね。だからそのへんの宿に泊まったら、朝日とともに絶望を拝むことになるよ?」

 たしかに秘石(メメル)が内包する魔力は尋常ではない。素直に不用心だったと反省せざるを得なかった。

「でもよかったじゃん。記念すべき最初の罠が、善良で可愛い女の子でさ」
「はい、おっしゃる通りです。――で、そこまで言うなら妙案があるんだよな?」
「まあね。――私の仕事場に案内するから」

 そう提案し、返事も聞かずにきびすを返して歩み出した。アージェたちに選択の余地がないと知ってのことだろう。『仕事場』ということはなんらかの手伝いをさせられそうだが、不本意でもふたりは従うしかない。

 少女は裏道を縫うように歩く。しばらくすると大通りに出、視界が広がった。たどり着いたのは――。

「じゃーん! ここが私の仕事場でーっす!」
「「ええっ!?」」

 少女の広げた両手の向こう側に屹立する巨大な建物。それはまさに、これから挑戦すべき関門である魔法学院だった。夜にしか目に映ることのない、幻想的な七色の光が円錐形の建物をすっぽりと包み込んでいる。

「結界が張ってあるから悪意のある者は受け付けないんだよ。ここなら安心でしょ」
「あなた、いったい何者なの……?」

 セリアは疑問と不安をない交ぜにした表情で少女に尋ねる。すると少女はにかっと白い歯を見せて親指を立てた。

「あたしはリリコ。この魔法学院の管理人よ!」
「「管理人!?」」

 いや、管理人に見知らぬ来訪者を立ち入らせる権利などあるはずがない。セリアの直感が働く。この少女は間違いなく魔法学院の重要人物なのだと。

「というわけでよろしくね、アージェ君にセリアさん」
「ああ、世話になるな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ふたりは丁重に頭を下げたが、すぐさまセリアがアージェに耳打ちをする。

「ねえ、わたしたちの名前、口に出したっけ」
「そういえば――」

 一瞬、背中がぞわりと冷たくなる。たしかに、アージェは少女の前でセリアの名前を口にした記憶はなかった。

 それどころか思い返せば路地裏で勢い余って回転した時、リリコは「思った通りになった」と言っていた。セリアが風の魔法使いだということを知っていたはずだ。ということは――。

「リリコ、きみは最初から俺らをマークしていたんだな」
「気づくのが遅いよ、アージェ君」

 足を止めて振り向き、さらりと答える。

「ただし、私はあくまで魔法学院の職員のひとり。それ以上詮索するなら、しっぽを巻いてポンヌ島に逃げ帰る運命を覚悟しておきなさい」

 有無を言わさない態度に、アージェは閉口するしかなかった。けれど隣のセリアは毅然とした態度で言い返す。

「詮索するつもりも媚びるつもりもないわ。リリコさんの気遣いが無駄にならないように、実力で入学を勝ち取るから」

 強気のセリアに対して、リリコは薄く笑いながら受け流す。

「まぁ、あなたは受かると思うな。生粋(ギフテッド)の合格率は高いし、非の打ちようがない名家の末裔だから。でも、油断はしないでね。――セリア(・・・)フォスター(・・・・・)さん」

 セリアは紅色の口を引き結び表情をこわばらせる。

 この少女は間違いなく、何らかの目的があってわたしを誘導しているはずだ。でも、どうして魔法学院の人物が辺境地の受験生に干渉しているのだろうか。

 不可解な謎が疑念となって波紋のように心の中に広がってゆく。

 リリコは困惑するセリアをただ、澄んだ瞳の真顔でじっと見つめ返していた。