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魔法を解いてと願い出たメメルは、相も変わらぬ笑顔を浮かべている。悲しいほど純朴で、澄んだ笑顔だった。アージェの表情は崩れ、涙がこぼれてきた。
「いっ、いやだ! だってそんなことをしたらメメルは――」
この戦場は間違いなく、メメルの中に封じられた強力な魔力を暴走させてしまう。その破壊の力に、メメルの肉体が耐えられるはずがないのだ。
けれどメメルは穏やかな表情で首を横に振る。
「あたしはきっと、この時のために生きてきたんだよ」
メメルはそっとアージェの顔に触れる。指紋のない指だ。ささいな魔力の暴走を繰り返すうちに、メメルの指紋はほとんど消失していた。食事の時に手を滑らせる失敗もそれが原因だった。アージェは弾かれたようにメメルを抱きしめた。
「それ以上は何も言うな! 死ぬなら俺だって一緒だ!」
「ううん、あたしはじゅうぶん幸せをもらえたよ。――だから今度はあたしがアージェとみんなを守る番なんだ」
みずからアージェの腕をほどき、その手を握ってそっと閉じる。振り向くと戦禍はさらに激しさを増していた。恐怖におびえる孤児たちの泣き声が痛いほど耳に刺さる。
アージェは兄貴分として、孤児院の子供たちも守ってやらなくちゃいけない。そして皆が生き残るための道は、ひとつしか残されていない。
もう、迷ってなんていられなかった。涙を拭い、覚悟を決めて指先を立て、メメルのひたいにそっと触れる。
「お願いだメメル、みんなを救ってくれ――」
――『魔禁障・解《ディスペル》!!』
ぱん、と弾けるような音がして、メメルの全身の皮膚が震えた。
魔法の解除とともに、メメルの肌が淡青色の光を発し始める。しだいに全身が強く輝いて熱を帯び、纏う服が焼け焦げた。背中には翼が現れ、頭上に大きく広がってゆく。
まるで戦いの天使のようだと、アージェには思えた。
メメルは翼をはためかせ、風に乗って空に舞い上がる。街を襲う小飛龍の群れに狙いをつけ、その中へと飛び込んでいった。気づいた小飛龍を操る魔導士が数体、メメルに向き直り照準を合わせる。龍の口内に蓄えられた焔が急激に膨れ上がる。
「ガッハー!!」
メメルは身を翻し、吐き出された炎の弾を見事にかわす。メメルの体内の光が両手に集中し、指先に光の矢を具現化させてゆく。ひとたび腕を振るうと矢嵐が放たれ、飛龍を操るギムレットを貫いてゆく。ギムレットが弾け飛ぶと、飛龍は正気を取り戻し怒りの雄叫びをあげた。
制御の利かなくなった飛龍は首を左右に大きく揺さぶり、魔導士を振り落とす。解き放たれた龍は空の彼方へと消え去ってゆく。メメルはたったひとりで迫りくるすべての小飛龍を片付けるにいたった。
兵隊を失った浮遊要塞は高度を下げ、島の上空を陣取る。円盤の中央にある制御核が煌々と光り出した。巨大なエネルギーの塊が形成され、密度を高めてゆく。いくつもの浮遊島を破壊した浮遊要塞の最大兵器、『天の鉾』を発動させたのだ。
「あれはッ! メメルを捕らえるため、島を消滅させて逃げ場を奪う目論見だッ!」
「そんなっ!!」
アージェとセリアは絶望の叫びをあげる。グスタフはメメルこそが『秘石』なのだと気づいたに違いない。
だが、メメルは強大な敵の城に臆してなどいなかった。翼を大きくはためかせ、その制御核へと狙いを定める。ためらうことなく速度を上げ、制御核へと飛び込んでいった。
まるで夜空を彩る流れ星のような、一閃の美しい光の矢となって。
「メメル――――ッ!!」
アージェの叫び声と同時に、矢が、核を射抜いた。硝子が割れるような破壊音が響き、夜空は目もくらむほどに眩しく輝いた。制御核が粉々に砕け散ったのだ。
雲に投影されたグスタフの顔が醜く歪む。映像に亀裂が走り、どろりと溶けるように空から消えた。浮遊要塞は制御を失い、白煙を上げながら海に向かって落下してゆく。まるで木の葉が風にさらわれてゆくように。
空に浮かんだメメルの肉体は、まばゆい光を撒き散らしながら自壊してゆき、ついに夜空に溶け込むように姿を消してしまった。
ふたたび訪れた夜の中、浮遊要塞の水没する音が響き渡る。だが、勝利の音色がアージェの耳に届くことはない。
「うう……メメル……メメル――ッ!」
自身の無力さに打ちひしがれ、地に突っ伏して嗚咽をあげるアージェ。寄り添うセリアも目に涙をためていた。
「アージェって、いっつもメメルちゃんを護っていたんだね……」
「だけど、俺が……俺がメメルを……ッ!」
アージェはひたいを地面に叩きつけて己を責める。アージェの痛々しい姿を見かねたセリアは、その背中をひたすら強く抱きしめた。
「メメルちゃんはみんなのことが大切だったから、覚悟を決められたんだよ、きっと」
「あいつ、ひとりで格好つけやがって……」
火の手は収まり、立ち上る白煙は風に流されていく。ポンヌ島の街に夜の静寂が戻ってくる。頭上には夜空が広がり、星の瞬きが戻ってきた。
「あれ……?」
空を見上げたセリアは、ふと、瞬きのない光をひとつ見つけた。見つめていると、まるで散る花弁のようにゆったりと地面に向かって落ちてくる。
「ねえ、アージェ、もしかしてあの光って……」
涙を拭って見上げると、その光はアージェに向かって落ちているようだった。まるで帰るべき場所を探し求めるかのように。光は距離を縮め、ついにはアージェの目前に到達した。はらりと庭の芝生の上に横たわる。
それは手の中にすっぽりと収まってしまうほどの、楕円形をした淡青色の宝石。アージェはその光を拾いあげて手のひらに乗せる。目を凝らして光を覗き込むと、光は心臓を模したかのような、拍動する『種』を内包していた。目にしたふたりは驚いて顔を見合わせる。
「これ、もしかして――」
「ああ、きっとそうだ――」
これこそは紛れもなく、秘石『クイーン・オブ・ギムレット』。それも、メメルの『魂』そのものを呑み込んでいる。
メメルの心臓として命を支え続けた秘石は、肉体を失ってもなお、メメルを生かし続けている。そうすることが生命を司る秘石としての宿命なのかもしれない。かすかな希望の光がアージェの心を灯す。
アージェはその石を握りしめ、拳を胸に押しあてた。決意を固めて立ち上がり、メメルが消えた夜空を見上げる。
「セリア、俺も魔法学院を目指すよ。そして絶対になってやる。史上最高の魔法博士に」
セリアはアージェにそっと寄り添い、思いのたけを打ち明ける。
「だったらわたし、あなたの手伝いをさせてもらうわ。同じ未来を描くなら、いろんな色があった方が、鮮やかな未来を描けるでしょ?」
アージェはセリアと顔を見合わせる。ふたりは口元を引き結んでうなずいた。
生命を宿す肉体の再生など、誰も成し得たことのないことだ。生涯を費やしても、成功することはないのかもしれない。よしんば成功しても、どんな形の再会になるかなんて想像がつかない。
けれどアージェは思う。人間の可能性は無限大だ。
だって人間は、大切なひとのためにいくらでも泣くことのできる、素晴らしい生き物なのだから、と。
アージェは美しき秘石に語りかける。
「メメル、俺と一緒に旅をしよう。広い世界を見にいこう。そしてたくさんの夢を見よう――」
輝く秘石の中で、メメルは安らかに眠っている。果てのない冒険の先、ふたたび巡り会える日を夢見ながら――。
そうしてアージェの旅は始まりの鐘を打ち鳴らす。
けれどその時のアージェは、自身とメメルを巡る運命の歯車がアストラルの運命を揺るがすことになろうとは、つゆほどにも思っていなかった。
魔法を解いてと願い出たメメルは、相も変わらぬ笑顔を浮かべている。悲しいほど純朴で、澄んだ笑顔だった。アージェの表情は崩れ、涙がこぼれてきた。
「いっ、いやだ! だってそんなことをしたらメメルは――」
この戦場は間違いなく、メメルの中に封じられた強力な魔力を暴走させてしまう。その破壊の力に、メメルの肉体が耐えられるはずがないのだ。
けれどメメルは穏やかな表情で首を横に振る。
「あたしはきっと、この時のために生きてきたんだよ」
メメルはそっとアージェの顔に触れる。指紋のない指だ。ささいな魔力の暴走を繰り返すうちに、メメルの指紋はほとんど消失していた。食事の時に手を滑らせる失敗もそれが原因だった。アージェは弾かれたようにメメルを抱きしめた。
「それ以上は何も言うな! 死ぬなら俺だって一緒だ!」
「ううん、あたしはじゅうぶん幸せをもらえたよ。――だから今度はあたしがアージェとみんなを守る番なんだ」
みずからアージェの腕をほどき、その手を握ってそっと閉じる。振り向くと戦禍はさらに激しさを増していた。恐怖におびえる孤児たちの泣き声が痛いほど耳に刺さる。
アージェは兄貴分として、孤児院の子供たちも守ってやらなくちゃいけない。そして皆が生き残るための道は、ひとつしか残されていない。
もう、迷ってなんていられなかった。涙を拭い、覚悟を決めて指先を立て、メメルのひたいにそっと触れる。
「お願いだメメル、みんなを救ってくれ――」
――『魔禁障・解《ディスペル》!!』
ぱん、と弾けるような音がして、メメルの全身の皮膚が震えた。
魔法の解除とともに、メメルの肌が淡青色の光を発し始める。しだいに全身が強く輝いて熱を帯び、纏う服が焼け焦げた。背中には翼が現れ、頭上に大きく広がってゆく。
まるで戦いの天使のようだと、アージェには思えた。
メメルは翼をはためかせ、風に乗って空に舞い上がる。街を襲う小飛龍の群れに狙いをつけ、その中へと飛び込んでいった。気づいた小飛龍を操る魔導士が数体、メメルに向き直り照準を合わせる。龍の口内に蓄えられた焔が急激に膨れ上がる。
「ガッハー!!」
メメルは身を翻し、吐き出された炎の弾を見事にかわす。メメルの体内の光が両手に集中し、指先に光の矢を具現化させてゆく。ひとたび腕を振るうと矢嵐が放たれ、飛龍を操るギムレットを貫いてゆく。ギムレットが弾け飛ぶと、飛龍は正気を取り戻し怒りの雄叫びをあげた。
制御の利かなくなった飛龍は首を左右に大きく揺さぶり、魔導士を振り落とす。解き放たれた龍は空の彼方へと消え去ってゆく。メメルはたったひとりで迫りくるすべての小飛龍を片付けるにいたった。
兵隊を失った浮遊要塞は高度を下げ、島の上空を陣取る。円盤の中央にある制御核が煌々と光り出した。巨大なエネルギーの塊が形成され、密度を高めてゆく。いくつもの浮遊島を破壊した浮遊要塞の最大兵器、『天の鉾』を発動させたのだ。
「あれはッ! メメルを捕らえるため、島を消滅させて逃げ場を奪う目論見だッ!」
「そんなっ!!」
アージェとセリアは絶望の叫びをあげる。グスタフはメメルこそが『秘石』なのだと気づいたに違いない。
だが、メメルは強大な敵の城に臆してなどいなかった。翼を大きくはためかせ、その制御核へと狙いを定める。ためらうことなく速度を上げ、制御核へと飛び込んでいった。
まるで夜空を彩る流れ星のような、一閃の美しい光の矢となって。
「メメル――――ッ!!」
アージェの叫び声と同時に、矢が、核を射抜いた。硝子が割れるような破壊音が響き、夜空は目もくらむほどに眩しく輝いた。制御核が粉々に砕け散ったのだ。
雲に投影されたグスタフの顔が醜く歪む。映像に亀裂が走り、どろりと溶けるように空から消えた。浮遊要塞は制御を失い、白煙を上げながら海に向かって落下してゆく。まるで木の葉が風にさらわれてゆくように。
空に浮かんだメメルの肉体は、まばゆい光を撒き散らしながら自壊してゆき、ついに夜空に溶け込むように姿を消してしまった。
ふたたび訪れた夜の中、浮遊要塞の水没する音が響き渡る。だが、勝利の音色がアージェの耳に届くことはない。
「うう……メメル……メメル――ッ!」
自身の無力さに打ちひしがれ、地に突っ伏して嗚咽をあげるアージェ。寄り添うセリアも目に涙をためていた。
「アージェって、いっつもメメルちゃんを護っていたんだね……」
「だけど、俺が……俺がメメルを……ッ!」
アージェはひたいを地面に叩きつけて己を責める。アージェの痛々しい姿を見かねたセリアは、その背中をひたすら強く抱きしめた。
「メメルちゃんはみんなのことが大切だったから、覚悟を決められたんだよ、きっと」
「あいつ、ひとりで格好つけやがって……」
火の手は収まり、立ち上る白煙は風に流されていく。ポンヌ島の街に夜の静寂が戻ってくる。頭上には夜空が広がり、星の瞬きが戻ってきた。
「あれ……?」
空を見上げたセリアは、ふと、瞬きのない光をひとつ見つけた。見つめていると、まるで散る花弁のようにゆったりと地面に向かって落ちてくる。
「ねえ、アージェ、もしかしてあの光って……」
涙を拭って見上げると、その光はアージェに向かって落ちているようだった。まるで帰るべき場所を探し求めるかのように。光は距離を縮め、ついにはアージェの目前に到達した。はらりと庭の芝生の上に横たわる。
それは手の中にすっぽりと収まってしまうほどの、楕円形をした淡青色の宝石。アージェはその光を拾いあげて手のひらに乗せる。目を凝らして光を覗き込むと、光は心臓を模したかのような、拍動する『種』を内包していた。目にしたふたりは驚いて顔を見合わせる。
「これ、もしかして――」
「ああ、きっとそうだ――」
これこそは紛れもなく、秘石『クイーン・オブ・ギムレット』。それも、メメルの『魂』そのものを呑み込んでいる。
メメルの心臓として命を支え続けた秘石は、肉体を失ってもなお、メメルを生かし続けている。そうすることが生命を司る秘石としての宿命なのかもしれない。かすかな希望の光がアージェの心を灯す。
アージェはその石を握りしめ、拳を胸に押しあてた。決意を固めて立ち上がり、メメルが消えた夜空を見上げる。
「セリア、俺も魔法学院を目指すよ。そして絶対になってやる。史上最高の魔法博士に」
セリアはアージェにそっと寄り添い、思いのたけを打ち明ける。
「だったらわたし、あなたの手伝いをさせてもらうわ。同じ未来を描くなら、いろんな色があった方が、鮮やかな未来を描けるでしょ?」
アージェはセリアと顔を見合わせる。ふたりは口元を引き結んでうなずいた。
生命を宿す肉体の再生など、誰も成し得たことのないことだ。生涯を費やしても、成功することはないのかもしれない。よしんば成功しても、どんな形の再会になるかなんて想像がつかない。
けれどアージェは思う。人間の可能性は無限大だ。
だって人間は、大切なひとのためにいくらでも泣くことのできる、素晴らしい生き物なのだから、と。
アージェは美しき秘石に語りかける。
「メメル、俺と一緒に旅をしよう。広い世界を見にいこう。そしてたくさんの夢を見よう――」
輝く秘石の中で、メメルは安らかに眠っている。果てのない冒険の先、ふたたび巡り会える日を夢見ながら――。
そうしてアージェの旅は始まりの鐘を打ち鳴らす。
けれどその時のアージェは、自身とメメルを巡る運命の歯車がアストラルの運命を揺るがすことになろうとは、つゆほどにも思っていなかった。