空の彼方に巨大な影が現れたのは、試合の中止が公表されてから5日後のことだった。

 重低音を響かせ、紅の光彩を点滅させながら島の近隣の空を占拠する。まるで未知の魔法技術から生み出されたかのような、巨大な漆黒の円盤状の城塞。その姿が厚く覆われた雲の隙間に見え隠れする。アストラルの精鋭部隊すら震え上がらせる『浮遊要塞』に違いなかった。

 円盤の中央には人間の大きさほどもあるギムレットがはめ込まれている。その制御核が浮遊要塞の原動力である。

 夜空に浮かぶ灰色の雲に、ギラギラと目を輝かせた男の顔が投影された。噂に聞く、浮遊要塞の総帥グスタフ。要塞の音響増幅装置から地鳴りのような声が轟く。その声は島中を震撼させた。

「皆の者よ、よく聞け。おまえたちの政府は我々に不可侵条約を持ちかけた。我々は『秘石』を要求したが、政府はその条件を叶えることができなかった。だが、寛容な我々は政府の提案を呑むことにしたのだ。『秘石が存在する島の献上』という提案を、な。――秘石を隠し続けた罪の対価として神罰を受けるがよい」

 政府は浮遊要塞から島々を守るために、この辺境地を切り捨てることを選択した。そういうことだった。だから政府の援軍など、期待できるはずもない。

 島の住人は空を占拠する要塞を見上げ茫然とするしかなかった。孤児院ではマザーたちが泣き出す子供たちを慰めていたが、マザー自身も憔悴を隠すことなどできない。

「アージェ……こんな形でわたしたちの未来が奪われるなんて……」

 気丈なセリアですら絶望に打ちひしがれていた。「ひとたび戦争が起きればお先真っ暗」という、アージェが口にしたひとことが的中してしまったのだから。

「覚悟するがよい、愚民どもよ!」

 ついにグスタフの号令で一方的な侵略が開始された。浮遊要塞の側面が裂けるように口を開け、そこから数多の小飛龍が放たれる。ポンヌ島の住宅街めがけて急降下し、次々と炎の玉を吐き出してゆく。街は燃え、火の粉が空に舞いあがる。恐怖の叫び声がポンヌ島に溢れ返った。

 龍は大陸にしか存在しない神獣であり、強固な意志を持ち、人間に服従することはない。だが、攻撃の兵器として用いられるということは――間違いなく魔法で操られている、ということを意味する。

 事実、飛龍の眉間にはギムレットを装填した刀が突き刺さっていた。魔導士たちが背中に乗り、精神を操る魔法で龍の意識をコントロールしているのだ。

「あいつら、なんてむごいことを……」

 アージェが空を見上げると、雲に映るグスタフは目を見開き大口を開けていた。

「叫べ叫べ叫べェェェ! 秘石を差し出せないなら、償いとして貴様ら全員の命を差し出せェェェ!!」

 激しい警報が鳴り響く。人々は泣き叫びながらひたすら炎の海から逃げ続ける。孤児院の子供たちは皆、龍に襲われる街を目にして言葉と涙を失う。街を包む炎が雲を照らして空が紅く染めあがった。

 浮遊要塞の圧倒的な支配力の前では、アージェはきわめて無力だった。貧弱な│生粋《ギフテッド》など、戦争の前では何の役にも立たないと、自身の無能さを責めたくなった。

 いや、アージェだけではない。誰もが絶望を突き付けられ、正気を失っている。

 けれど、ひとり。たったひとりだけ、なにくわぬ顔をしている者がいた。メメルだ。メメルは打ちひしがれるアージェのそばに歩み寄り、耳元でそっと囁く。

「――ねぇ、アージェ。あたしにかけた魔法を解いてもらえないかな」

 そのひとことにアージェは瞳を二倍にして驚きをあらわにした。

「メメル、それって……」

 震える声を喉から絞りだしたアージェに向かって、メメルはやわらかい笑顔を向ける。

「うん、今までありがとね。だから今度はあたしの番だよ、アージェ」

 メメルが考えたこと――それは、メメル自身に封じ込められた魔力の開放だった。