「ファルサー!」

 アークの声に、ハッとなる。
 奇妙な現象に気を取られて、ドラゴンを不用意に近付けてしまった。
 左右のどちらに避けることも出来ずに後退り、岩壁が背に当たる。
 迫るドラゴンは、怒りの隻眼でファルサーを睨みつけてくる。
 大きく開いたドラゴンの口を、咄嗟に両手で押さえ、取り落としたグラディウスが地面に当たる硬い音が響く。
 後ろの壁で左足をしっかりと踏ん張り、両手に渾身の力を込めて右足を踏み出した。
 ドラゴンがファルサーの力に押し負けて、ズルズルと後ろに下がっていく。
 それもまた、あり得ないことだった。
 自分の身になにが起きているのか、全く解らない。
 身体を捻って、四足動物を転ばせる。
 追い込まれた壁際から、走り出る。
 慌てて走り出てしまって、グラディウスを拾い損ねたのが手痛い。
 ドラゴンは予想よりも早く身を起こし、構えて口を開くと、ブレスを吐き付けてくる。
 それを何度か躱し、ファルサーはなんとか回りこんで、グラディウスを取り戻そうと考えた。

 攻撃的に前に出てくるかと思えば、何かを恐れているのか、後ろに下がる。
 ドラゴンの行動は、最初に怒りで襲いかかってきたものとは、少し違っていた。
 ようやくグラディウスを掴んだ時、ファルサーはドラゴンが恐れて下がったのでは無いことに気付く。
 ブレスによって熔解した岩が、言葉通り溶岩の川を形成していた。
 アークが言っていた「言語は(かい)さないが、知能は高い」という言葉が、脳裏を過る。

 尾っぽを地面に叩きつけ、勢いを付けてドラゴンは前脚を跳ね上げた。
 その二足で立ち上がったような格好から、一気に身体を打ち下ろす。
 おおぶりな攻撃なので命中率は低いが、破壊力は想像を絶する。
 打ち下ろされた瞬間の衝撃は、咄嗟に動くこともままならぬ程に地面が振動する。
 その一瞬の隙に、ドラゴンは素早く身を翻し、振り回した尾でファルサーの横っ腹を打った。
 息も出来ない程の衝撃のあとに、身体が空に飛ばされる浮遊感。
 肩から地面に落ちたが、落とされた先は溶岩の川だった。
 落ちる直前、さすがにこれで一巻の終わりかと思ったが、想像と違って熱した泥に突き落とされたような、少しの息苦しさを感じただけだった。
 どうやらアークの(じゅつ)が、またしても身を守ってくれたらしい。
 むしろ、硬い地面に叩きつけられるよりも状況は有利で、体に感じた温度はかなり高かったが火傷もしていなかった。
 しかしそこで、なまじ安心したのが命取りになった。

「ファルサー!」

 再び聞こえたアークの声に、ファルサーが顔を上げた時。
 目の前にあったのは、ドラゴンの腹だった。
 大振りの一撃が、頭上にある。
 三本の鉤爪が、目一杯開かれているのが、不思議なほどハッキリと見て取れた。
 思考は真っ白になり、もう逃げることも反撃することも出来ずに立ち竦む。
 すると先程、ドラゴンの尾に打ちのめされたファルサーの横っ腹を、再び何か強烈な一撃が打ち据えた。
 だがその一撃にはドラゴンの尾ほどの破壊力は無く、ただファルサーをその場から数歩動かしただけだった。
 その数歩で、ファルサーはドラゴンの強烈な一撃を避けることが出来た。
 しかしファルサーをよろめかせた衝撃の(ぬし)に気付いた瞬間、ファルサーは言葉にならない声で絶叫していた。