心配げに覗き込むファルサーに、アークは何事もなかったような顔を向ける。

「君こそ、大丈夫かね?」
「え……、あ、はい、なんでもありません」

 改めて問われて、ファルサーは首を振った。
 たぶん、気の迷いのようなものだったのだろう。
 虐げられるばかりだった自分が、なにもかもを肯定してくれるアークと過ごす時間の中で、そんな奇妙な幻覚を見てしまったのだ。

「ねえ、ディザート。どうやったら僕の気持ちを、正確にあなたに伝えることができるんでしょう?」

 アークを想う気持ちは、ファルサー自身でさえ極端に相反していると思ったし、それを言葉にして伝えることなど、到底不可能だ。
 自分がどんなにアークを傷付けたくないと思っていても、必ず最後は裏切ることになる。
 けれどこの止めようもない感情の迸りや、結果必ずアークの期待には応えられずに傷付けることになろうとも、自分の気持ちは変えられないことを、どうしても伝えたかった。
 そんなファルサーの苦悩に、アークは簡潔な返事をした。

「君の考えていることなんて、口に出さなくても私は知ってるよ」
「本当に…?」
「ああ、解ってる。君が私をどれほど大事(だいじ)に想ってくれているか、君を失ったあとの私の心情を慮って、どれほど苦悩しているかも」

 やや酷薄にも思えるあの鋭い視線で、アークはファルサーの顔を見る。

「ディザート……」
「そんな顔をするな。これは私が自分で選択した結果でしかない。君が後ろめたさを感じる必要など無い」

 アークの両手がファルサーの頬を包み、薄く柔らかい唇が、しっとりと触れてくる。
 本当に全ての気持ちを読み取られていると、ファルサーは思った。
 アークからキスをして欲しいと、思っていたからだ。
 ファルサーがアークにキスを返すと、アークが言った。

「そんなことをしたら、君は一生後悔するだけだ」
「え…」

 ファルサーの心を過ぎった気の迷いまでも、アークは見透かしていた。

「君は今、君に与えられた使命を放棄してしまいたいと考えた。だが、それをしたら、君は必ず後悔を覚える」
「しかし、明日の危険は回避出来ます」
「それでどうするのかね? 時が経てば故郷に残してきた母親のことも気掛かりになるだろう。君の矜持も傷付くだろう。死が訪れた時に、君の手に残るのは後悔だけになる。私に、そんな姿を見届けろと、君は言うのか?」

 アークの言葉の、全てが真実だった。
 生まれながらの剣闘士(グラディエーター)として人格も感情も否定され、理不尽な討伐を押し付けられた。
 それでも、今でも自分はそのちっぽけな矜持を握りしめて、手放すことが出来ないままだ。
 アークにこれほどまで魅了されたのも、元を辿ればそれが理由なのだから。
 透明な青い瞳が、心の奥底までを鋭く見透かしてくる。

「こんな時に、こんなことを思うのは、おかしいのかもしれません。あなたが僕の気持ちを察することができると言うなら、もう感じ取っていると思います。でも、僕はどうしても、自分の言葉であなたに告げたい。僕が、あなたを愛しているということを」
「その言葉の意味を、私はたぶん正確に理解出来ないと思う」
「それでも、構いません。あなたは僕の好意を受け入れ、僕の無礼を許してくれました。僕を尊重し、僕の人格を肯定してくれた。もし僕が奇跡的にドラゴンの元から生きて戻って来られたら、僕は王に国外追放を願い出ます。僕の全てを、あなたに捧げたい。例えそれがあなたの時間の中のほんの一瞬であったとしても、僕はあなたに "幸せな時間の記憶" を残してあげたい。あなたを取り巻く孤独の中で、心の慰めになるような時間をあなたに残したいです」

 ファルサーは、その目線でアークの全てを愛でているようだった。
 髪を梳く指先の感触が、不思議なほどアークを夢見心地にする。
 しかしファルサーは解っていない。
 最後には、彼の言葉の全てが欺瞞になってしまうということを。
 そして、アークはそれを知っていた。