「不思議だね……暗い部屋に明かりが灯ると安心するって聞くけど、そんな感覚なのかな。線香花火がパチパチと燃える音を聞いてると心が安らぐの」

 火花が消えてしまう度に、新しい線香花火と取り替えて手に持つ郁恵。
 焦る必要のない穏やかな時間。ただ、郁恵の求めに応じて何度も火花が消えてしまうのを眺める。

 火花が散り続ける線香花火と郁恵の丸い瞳に映る花火とを同時に見つめる。
 郁恵はまるで魔法使いのように俺に色鮮やかな火花を放出させる花火の姿を見せてくれる。

「焚火に比べればこっちの方が手で握ってる分、ドキドキ感はあるけどな。
 郁恵が花火を好きになるとは、また驚かされたな」

「そうかな? 私はね、目が見えないから楽しめないだろうって決めつけられると、余計に気になっちゃうタイプなの」

「確かに……そういうところはあるな。実際、楽しんでる姿を見ると郁恵の興味の持ち方も正しいと思えて来る」

「でしょう? 楽しいことはみんなで共有できた方がいいよ。
 その方が差別も偏見もなくなると思うんだ」

 実感を持った郁恵の言葉をまた一つ噛み締める。
 前向きな姿を見せる郁恵のおかげで新しい発見をして、さらに俺は郁恵に魅せられてしまうのだった。

 非日常から日常へ、今日まで二人で暮らし、色んな言葉を掛け合い過ごしてきた。
 周りの助けもありながら、不自由なく暮らしていることが何よりも幸福なことだった。

 規則的に時を刻むように儚く炎が消え、また視界が暗くなる度に俺は線香花火を取り替えて火を付けた。

「私ね……オーストラリアにいた頃、お父さんとたまに焚火をしていたの」

 唐突に線香花火の方を見つめたまま郁恵は話しを切り出した。

「お父さんが言ってた。こうして焚火をしていると郁恵もみんなと同じだって。火を囲んで過ごす時間に感じられるものは皆等しいって」

「そうか……郁恵の親父さんは優しいな」

「そうだね、私と一緒にいる時はいつも優しくて思いやりがあるの。私はいつも詩人みたいなことを言うなぁって感心していたけど」

 父親との思い出話を披露する郁恵。
 確かに花火となると火遊びのイメージがあるが、線香花火に興じてると焚火をしているような感覚もある。
 キャンプファイヤーなどもそうだが、古くからある文化でリラックス効果を共有するのは悪いことではないだろう。


 そうして穏やかな砂浜での時間を過ごしていると、郁恵は密やかな歌声で絵本作りのヒントにもなっている”空飛ぶうさぎ”の歌を口ずさみ始めた。


 ――手をください…目をください
 ――足を……という人もあるけれど
 ――私は…見えないことなんか気にしない、目をくださいとは思わない
 ――でもひょっとして…私だって心の中では…そう思っているかもしれない


 子守歌のような優しい歌声が砂浜に響き渡った直後、郁恵は秘めた想いを語り始めた。

「見えないことが辛いって思ったことはもちろんある。
 見えた方が便利だなって思ったことだってたくさんある。
 でも、私は五感の全てを感じられる普通であることを羨ましいって思ったことはないよ。
 目をくださいって思ったことはないよ。

 人と会話して教えてもらうことで私はたくさんのことを知ることが出来る。
 触ったり、嗅いだり、想像したり、学んでいく事で往人さんとも同じように感じられるようになって、心が通じ合って愛し合うことだって出来る。

 だから、自分のことを不自由だなんて思ったりしないよ。
 こんなにもたくさん、色んな人から幸せを分けてもらえているんだから。

 だからね、うさぎが空を飛んじゃいけない理由なんてない。
 私もうさぎも、きっといつか広い大空へと飛翔して、入道雲を掻き分けてどこまでも遠く羽ばたいていける。
 そんな風に私は思うよ」
 
 俺も今日までに郁恵の口ずさむ歌を聞いて歌詞の内容は記憶していたが、郁恵は空飛ぶうさぎの歌詞になぞらえて自分の気持ちを言葉にしたようだった。

 完璧な人間がいないように、大抵の人間は常に自分には何か足りないことがあると思って生きているものだ。
 ないものねだりとも言えるが、それは満たされないからこそやってくる反動によって渇望を抱いてしまっているに等しい。

 才能や能力、人望……考えればキリがない。
 妬みや嫉妬、羨ましいという感情も、幸福を実感できないがゆえに歪んで生まれた感情で、誰かのようになりたいという願望だって誰もが一度は考えてしまう欲求だ。

 こうした負の感情を忌むべき感情と定め贖わなければならない罪として並べることも出来るが、それでは人は感情を持った生き物ではなくなってしまうだろう。

 罪は実害を持って初めて生まれるものだ。人の弱点を突いた陰湿なイジメは絶えず発生し、被害者を生んでいるが、それも人の持つ複雑な感情構造と無理解によって生まれている。

 大事なことは一人一人が持っている個性を知り、理解を深め合うことで、健常者と障がい者を分けて、対立構造を作ることではないと俺は思っている。

 願いは人それぞれ違う。
 そうしたものと、身体的に不自由であることとは決して無関係ではない。
 健康で不自由ない身体が欲しいと嘆く人も多くいるのは事実だ。

 しかし、現実はそう簡単に得られるものばかりでない。
 変わることが出来るか出来ないか、得られるか得られないか、それは金銭的問題や技術的問題によっても大きく異なる。

 車椅子や歩行器、補聴器など福祉用品の普及は進んでいるが、義手や義足は簡単に自分に合った物を手に入れられるわけではなく、盲導犬などのほじょ犬も個体数が限られ、希望者になかなか届けられていない現実がある。

 郁恵は目が見えなくても前向きに生きている。
 今の自分に満足して充実した日々を送っている。
 それは、一緒に暮らしている俺が良く知っていた。
 人を羨むことなく、人を妬むことなく、郁恵は明るく毎日を過ごしている。
 それはもしかしたら、多くの他者よりも満たされた毎日を送っているからと言えるのかもしれない。
 
 だからこそ……郁恵は他者への感謝を大切にして、自分らしく生きている。
 一人では叶えられない夢に向かって突き進んでいく。
 人からの信頼を裏切らないように懸命に生きようとしている。
 自分が恵まれていないとは思わない。
 不遇な扱いを受けているとは思わないのだ。
 
 そして、何よりも自分に出来る可能性を信じている。
 人から見られてしまう不自由さに負けないよう強く生きようとしている。
 俺にはそんな風に見えた。