賑やかさが続く神社には千個以上の色鮮やかな風鈴が長い境内に飾られている。一つ一つに人々の願いが書かれた短冊が付けられぶら下がっている姿は幻想的な光景に映って見え、眺めているだけでも満足できる壮観さだ。
郁恵は「願いなら十個くらいはすぐに思い浮かんじゃうから困っちゃうね」と舌をちょろっと出して微笑み、短冊には”大切な人と絵本を完成させる”と最終的に直筆で願いを書き留めていた。
以前、郁恵は点字学習に慣れてきたことで不自由することは少なくなったが、直筆でも上手に文字を書けるようになりたいと話していた。
目の見えない郁恵が習字を習うのは容易なことではないが、郁恵はペンを握り短冊に願いを込めて一生懸命に書いて見せた。簡単な漢字であれば書けるまでに成長していて、見ているだけで努力がひしひしと伝わってくるものだった。
―――派手なドラマなんていらない。私は往人さんとどこまでもこんな穏やかな日々を過ごしていたいな。
ある日の夜、ベッドの上でそんな風に声を漏らした後、郁恵は一緒に絵本を描きたいと夢を語るように初めてその願いを口にした。
それは、古くは病院生活をしていた頃からの願いだったようで、絵が描ける俺と共同制作をしたいと提案してくれた。
「往人さんなら出来るよね? 私の願い、叶えてくれるよね?」
度重なる縁があり、絵を描ける俺とこうして出会えたからこそ、願いを口にすることが出来たのかもしれない。俺は郁恵の想いを受け止めることにした。
風鈴が飾られたライトアップされた神社で、短冊を手にしみじみと訴えかける郁恵。
そんな姿を目の前にして、断る選択肢は毛頭なかった。
「それが郁恵の願いだって言うなら、やらないわけにはいかないな」
「そうだよ、その意気だよ。私、往人さんのためにもなるって思うから。一緒に頑張ろう、お話しはもうしっかり考えてあるんだから」
快い俺の返答を聞くと胸を張って無邪気に喜ぶ郁恵。
絵本の内容は以前、ベッドの上でぼんやりと聞いた範囲で覚えている。
それは、誰よりも自分自身と向き合ってきた目の見えない郁恵にとって大切なものになることは間違いなかった。
「気が早いな……郁恵はどんな絵本が好きなんだ?」
児童文学をオーディオブックで聞いている姿は何度も見ていたが、絵本となると見覚えがないこともあり、俺は聞いた。
「うーんとね、マッチ売りの少女や白鳥の湖の絵本が好きかな……。
まだ小さい頃に、お父さんが枕元に絵本を持ってきて眠くなるまで読み聞かせてくれたことがあったの。
お父さんの声で聴いた物語はとても穏やかで心に染み行くようだった。
声を聞くだけでイメージが絵に浮かんできて……。
だから、そういう記憶はちゃっかり覚えてるんだ……」
参考までに知っている絵本について聞いてみたが、十九世紀に活躍した童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンの『マッチ売りの少女』に郁恵が好きだと言っていたチャイコフスキーがバレエ音楽を作った『白鳥の湖』か……。
あの父親が読んでくれたとの話だが、郁恵にピッタリなチョイスに感じた。
昔の頃から好みは大きく変わっていないのだろうと思った。
そして、絵本の話しで盛り上がった後、身体を起こした郁恵は自分の作りたい絵本についてのアイディアを口にしたのだ。
”往人さんは空飛ぶウサギって歌は知ってる?
ねぇ、それをテーマにして絵本を描いてみない?”
切なる願いを口にした夜の日の言葉がその時の幸せそうな笑顔を浮かべる郁恵の姿と共に脳裏に蘇る。
既に頭の中にはっきりとしたアイディアが出来ている様子で郁恵は俺に聞いた。
盲学校に通っている頃にその歌は聞いたことがあったが、随分と前の記憶で一部の歌詞までしか覚えていなかった。
「お話しは私が考えるからね。
タイトルはもう決めてるんだ。
往人さんの描いた絵本、沢山の人に見て欲しいな。
自主出版することは出来るでしょ? 書店で置いてもらえるかは分からないけど、きっと何とかなるよ。
私が声を吹き込んで、オーディオブックにすることも出来ると思うから。
来年からは保育士試験もあって就職活動もしなくちゃならなくなる。
今以上に忙しくなって、余裕がなくなって来ると思う。
だから、これが最後のチャンスかもしれないって思うんだ。
往人さん……私の願いを一緒に叶えてくれる?
きっと、お互いに将来のためにもなると思うから」
あの時の郁恵の姿と今、目の前で願いを込めて風鈴に短冊を付ける可憐な浴衣姿の郁恵が重なる。
絵を描く俺の負担が大きいことも分かっていながら、新たな目標に向かって進んでいこうとする郁恵。
俺もまた前へ進んでいく決意を新たにした。
「往人さんはどんな願いを書いたの?」
風鈴に短冊を付け終わると満足そうに聞いて来る郁恵、そんな郁恵に俺はこう言葉を返した。
「大切な人を幸せにするために、立派な絵描きになる」
「往人さん、それは素敵な願いだね」
「まだ師匠に遠く及ばないけどな」
微笑み郁恵の言葉を聞き、俺の胸は自然と高鳴った。
郁恵と出会い、一緒に過ごす中で母親を亡くした喪失感は乗り越えられてきた。
だから、これからはもっといい絵描きになりたい俺は思うのだった。
郁恵は「願いなら十個くらいはすぐに思い浮かんじゃうから困っちゃうね」と舌をちょろっと出して微笑み、短冊には”大切な人と絵本を完成させる”と最終的に直筆で願いを書き留めていた。
以前、郁恵は点字学習に慣れてきたことで不自由することは少なくなったが、直筆でも上手に文字を書けるようになりたいと話していた。
目の見えない郁恵が習字を習うのは容易なことではないが、郁恵はペンを握り短冊に願いを込めて一生懸命に書いて見せた。簡単な漢字であれば書けるまでに成長していて、見ているだけで努力がひしひしと伝わってくるものだった。
―――派手なドラマなんていらない。私は往人さんとどこまでもこんな穏やかな日々を過ごしていたいな。
ある日の夜、ベッドの上でそんな風に声を漏らした後、郁恵は一緒に絵本を描きたいと夢を語るように初めてその願いを口にした。
それは、古くは病院生活をしていた頃からの願いだったようで、絵が描ける俺と共同制作をしたいと提案してくれた。
「往人さんなら出来るよね? 私の願い、叶えてくれるよね?」
度重なる縁があり、絵を描ける俺とこうして出会えたからこそ、願いを口にすることが出来たのかもしれない。俺は郁恵の想いを受け止めることにした。
風鈴が飾られたライトアップされた神社で、短冊を手にしみじみと訴えかける郁恵。
そんな姿を目の前にして、断る選択肢は毛頭なかった。
「それが郁恵の願いだって言うなら、やらないわけにはいかないな」
「そうだよ、その意気だよ。私、往人さんのためにもなるって思うから。一緒に頑張ろう、お話しはもうしっかり考えてあるんだから」
快い俺の返答を聞くと胸を張って無邪気に喜ぶ郁恵。
絵本の内容は以前、ベッドの上でぼんやりと聞いた範囲で覚えている。
それは、誰よりも自分自身と向き合ってきた目の見えない郁恵にとって大切なものになることは間違いなかった。
「気が早いな……郁恵はどんな絵本が好きなんだ?」
児童文学をオーディオブックで聞いている姿は何度も見ていたが、絵本となると見覚えがないこともあり、俺は聞いた。
「うーんとね、マッチ売りの少女や白鳥の湖の絵本が好きかな……。
まだ小さい頃に、お父さんが枕元に絵本を持ってきて眠くなるまで読み聞かせてくれたことがあったの。
お父さんの声で聴いた物語はとても穏やかで心に染み行くようだった。
声を聞くだけでイメージが絵に浮かんできて……。
だから、そういう記憶はちゃっかり覚えてるんだ……」
参考までに知っている絵本について聞いてみたが、十九世紀に活躍した童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンの『マッチ売りの少女』に郁恵が好きだと言っていたチャイコフスキーがバレエ音楽を作った『白鳥の湖』か……。
あの父親が読んでくれたとの話だが、郁恵にピッタリなチョイスに感じた。
昔の頃から好みは大きく変わっていないのだろうと思った。
そして、絵本の話しで盛り上がった後、身体を起こした郁恵は自分の作りたい絵本についてのアイディアを口にしたのだ。
”往人さんは空飛ぶウサギって歌は知ってる?
ねぇ、それをテーマにして絵本を描いてみない?”
切なる願いを口にした夜の日の言葉がその時の幸せそうな笑顔を浮かべる郁恵の姿と共に脳裏に蘇る。
既に頭の中にはっきりとしたアイディアが出来ている様子で郁恵は俺に聞いた。
盲学校に通っている頃にその歌は聞いたことがあったが、随分と前の記憶で一部の歌詞までしか覚えていなかった。
「お話しは私が考えるからね。
タイトルはもう決めてるんだ。
往人さんの描いた絵本、沢山の人に見て欲しいな。
自主出版することは出来るでしょ? 書店で置いてもらえるかは分からないけど、きっと何とかなるよ。
私が声を吹き込んで、オーディオブックにすることも出来ると思うから。
来年からは保育士試験もあって就職活動もしなくちゃならなくなる。
今以上に忙しくなって、余裕がなくなって来ると思う。
だから、これが最後のチャンスかもしれないって思うんだ。
往人さん……私の願いを一緒に叶えてくれる?
きっと、お互いに将来のためにもなると思うから」
あの時の郁恵の姿と今、目の前で願いを込めて風鈴に短冊を付ける可憐な浴衣姿の郁恵が重なる。
絵を描く俺の負担が大きいことも分かっていながら、新たな目標に向かって進んでいこうとする郁恵。
俺もまた前へ進んでいく決意を新たにした。
「往人さんはどんな願いを書いたの?」
風鈴に短冊を付け終わると満足そうに聞いて来る郁恵、そんな郁恵に俺はこう言葉を返した。
「大切な人を幸せにするために、立派な絵描きになる」
「往人さん、それは素敵な願いだね」
「まだ師匠に遠く及ばないけどな」
微笑み郁恵の言葉を聞き、俺の胸は自然と高鳴った。
郁恵と出会い、一緒に過ごす中で母親を亡くした喪失感は乗り越えられてきた。
だから、これからはもっといい絵描きになりたい俺は思うのだった。