「ありがとうございます。母も天国で喜んでいると思います。美桜さんがずっと母の絵を褒めてくれていること」

 回想することはあっても、もう瘡蓋になって痛むことのない話題であるはずなのに、母親の話しになるとつい表情が強張って構えてしまい、真面目に答えてしまう自分がいた。

 普段は冗談半分にからかって来ることの方が多いのに、いつになく感傷的になるようなことを美桜さんは口にした。

 母親が亡くなったのはもう四年も前のことだ。すっかり過去になってしまっていることを再認識して、そろそろ意識するのを止めたい頃なのに、それが未だに出来ない自分がいる。

「それはもう、何時になったって親しみを持って見るわよ。
 知っている風景なのに、深愛さんの絵を見た後だと、全然見る風景の価値観が変わってしまうもの」

 テーブルクロスを掛けて、風で飛ばないように荷物を上に置く。
 いつもの表情の上に哀愁を覗かせる美桜さんがすぐそばまで迫る。
 もう母の新作をその目に焼き付けることは出来ない。
 責められているわけではないのに、心がちくりとした。

 俺の母、桜井深愛(さくらいみあ)は印象派の絵画を好んで描いた。
 それも京都や奈良、神戸といった日本人にとって身近な風景を。
 その一つ一つに、春夏秋冬を意識した繊細で精巧に季節感を捉えた心に訴えかけて来る美しさがあったのをよく印象付けられている。

 時に燃え盛る街のように赤々とした紅葉の薫る清水(きよみず)油絵具(あぶらえのぐ)で描き、時に飛沫を上げるような勢いのある(あお)に覆われた琵琶湖(びわこ)の風景を水彩絵の具で描いた。

 想像力を掻き立てられるそれらは一瞬の奇跡のように、そこにある存在をまさに印象的に表現して見せていた。

 物語によって聖地を生み出し、風景の価値を昇華させてきた時代の流れの中で、母はその足で歩き、キャンバス上に今一度その風景の価値を映し出して見せた。

 人はそうして、自然の中にある平時の変わらぬ風景に感謝し、慈しむことを覚えた。ここにいる美桜さんや俺もその一人だった。
 
「”自然を愛し大切にするためには、自然の美しさを感じられるものでなければなりません。

 それは写真だけではなく、様々な角度から表現することが必要だと思うの。

 だから、こうして目の前にある風景を切り取って絵の具で描くことで、より鮮明に自然な風景の美しさを実感することが出来るのよ”

 そんなことを母は隣で高々に口にしていました」

 写真はシャッターを切るのは人間だが、出力するのは全て機械だ。
 人の手が加えられれば加えられるほど、そこにはこの美しさを届けようとする意志と愛情が宿る。
 より時間をかけて描き込んでいくことで、人の持つ願いを込めることが出来ると母は言っていた。

「……深愛さんらしい心に響く言葉ね。羨ましいわね、あれだけの絵が生まれる過程を楽しめたなんて」
 
 そう言いながら、空を見上げ、遠くを見るような表情を浮かべる美桜さん。
 滲み出る淋しさを隠せない様子でため息を付いたのを俺は見逃さなかった。
 
「何度も言いましたけど、そうでもないですよ。
 母は最初に絵を教えてくれた師匠のような存在です。
 永遠に超えられない壁があまりに近くにあったんですから、勘弁してほしいですよ」

 絵を描けば描くほど母の作品の技術力の高さを実感し圧倒される。
 基本的なデッサン力だけでなく、表現力や作品性まで、何もかもが俺の作品の価値を小さく印象付け、劣等感を植え付けていく。
 幼い頃の童心に戻すことがもし出来ればいいか、そうはなれない以上、同じ画家の道を歩んでいる身としてたまったものではない。

 母は色を教えてくれるという、それだけではない存在であり続けているのもそうだが、俺は師匠の下で絵を描きながら今も母の幻影を追い掛けているのかもしれない。

「確かに、往人君はよく深愛さんの話をしたら浮かない顔を浮かべていたわね」
 
 初めて会った日、もう五、六年も前のことだが俺の桜井という名字を見て当てずっぽうで母の名前を出した美桜さん。
 嘘を付くわけにはいかず、正直に話した結果、俺は喫茶さきがけの面接に合格を果たした。
 私情が過ぎるだろうと俺は呆れ果てたが、美桜さんはそんなことは気にすることなく、相変わらずの気さくな話しぶりで俺を迎え入れた。

 ”深愛先生の息子さんなら信用できるわ。だから、自分の持っている障がいのことを、わざわざ気にしなくても大丈夫よ。私を信じなさい”

 履歴書を見ただけで弾いてしまう面接官も多い中で、美桜さんは何も心配はいらないと俺を真っすぐに見ていた。
 その頃の俺は面接のイロハだってまともに知らずにいたが、それでも俺は自分の居場所を手に入れた。

 そして、母が亡くなった今でも美桜さんは俺の心配をしてくれている。
 面倒見がいい人と言えばそれまでだが、美桜さんは本気で母の風景画が好きでたまらないのだ。実際に墓参りに来ている姿を目にした時、それを実感したものだ。