舞台から降りた私はフェロッソの身体に頬擦りをして再びリードを掴んで立ち上がった。
晶子さんからお褒めの言葉を受け取り、他の演奏者の演奏を聴きながら、私は時折、隣に立つ晶子さんと立ち話を交わした。
「晶子さんはオーストリアのウィーンで暮らしているんですね。私は大学に入る前の四年間をオーストラリアで過ごしていたんですよ」
「それはちょっと面白いわね。オーストリアとオーストラリア。
とっても名前が似た地名で知らない人が聞いたら誤解されてしまいそうね」
一文字違いの二つの地名。
インド洋と太平洋に囲まれたオーストラリアはオセアニアで最大の国土面積を誇る国家だが、オーストリアは中央ヨーロッパにあるドイツ語圏の国で、佐藤さん夫婦が暮らすオーストリアの首都ウィーンはモーツァルト生誕の地でも有名だ。
オーストラリアで有名なものと言えば、コアラやカンガルーなどの動物や世界最大の珊瑚礁であるグレートバリアリーフ、巨大な一枚岩のエアーズロック(ウルル)などで、そうした豊かな自然が魅力に上がるだろう。
お洒落さではヨーロッパには当然負けてしまうので、四年間暮らしている私としては、愛着はあるが複雑な心境になった。
私的にはコアラやニュージーランドに生息するキーウィなど絶滅危惧種の動物が多いことが印象に残っていて、そういった動物と触れ合う機会に恵まれていることは良いところだと思っている。
「そういえば、ホットな情報によると郁恵さんは現在、愛しの彼氏さんと同棲生活を送っているとか。今後は結婚することも視野に入れているのかしら?」
「そ、そんなまだそこまで考えていませんが……前向きに検討したいと思っています……」
初めて恋人が出来たもの同士、往人さんとの関係はお互いの気持ちを尊重しながら大切に考えていきたいという気持ちが強く、結婚まではまだまだ意識が回らない自分がいた。
つい結婚なんてワードが飛び出したことで恥ずかしさのあまり気が動転してしまう私。
そんな私の反応を見てクスクス笑いを浮かべ「初々しい反応ね」なんて余裕いっぱいのコメントを口にする晶子さん。
夫婦で仲良くここにやって来たところからも二人の円満さが際立ち、美男美女カップルと昔から言われていたらしいことも知っている身としては、ガイドヘルパーとやってきた私はちょっと肩身の狭い気分になった。
「私ってば普段は四方晶子って名乗ってるでしょ?
本当は結婚してるから佐藤晶子っていう方が正しいのよ。
でも、佐藤さんはちょっとありきたりが過ぎるから、なかなか名乗っていきづらいのよね」
調子を良くする晶子さんはそんな身の上話をしてきた。
そういえば、五百年後には日本人全てが佐藤性になるなんて都市伝説みたいな話もあるくらい佐藤という名字は広く普及している。
「私が佐藤の名字を名乗ることになるんだったら、隆之介は一億人の佐藤を統べる存在にならないといけないわね!」
「それは流石に滅茶苦茶過ぎないか……?」
晶子さんの話しの脱線ぶりに耐えかねて隣に立つ旦那さんの隆之介さんが呆れた調子でツッコミを入れる。
本当に仲の良さが伝わってくる二人の会話だった。
「ねぇ……? 今度はオーケストラと一緒に演奏してみないかしら?
私が参加してるオーケストラの定期演奏会があるの。
あなたのような魅力ある人に是非とも参加してほしいわ。
ゲスト出演って立ち位置だから学業の負担も少ないと思うから、検討してちょうだい」
別れ際、私に晶子さんは思わぬお誘いをしてくれた。
願ってもないお誘いだが、本当に自分でいいのかと迷いが生じた。
「私でいいんですか? 目の見えない私では実力不足ではないですか?」
自分の中にある不安を口にする。
プロのピアニストをしている晶子さんに比べれば、私は本当に素人だ。
保育士になりたいから、ピアノを真面目に練習してきたにすぎない、プロを目指して頑張っている人とは目的も違えば格も違う。
そんな私が……全盲の視覚障がいを持った私がプロのオーケストラと一緒に演奏することが相応しいとは思えなかった。
「そんなことないわ。あなたには人を魅了する力がある。
最初にあなたを見た人は過小評価するでしょうけど、そんな評価を覆すだけの実力をあなたはいつも見せてくれる。だからもっと聞かせて欲しいの。
今年開かれる定期演奏会はクリスマスイブの日よ。
覚えておいて前田郁恵さん。私はあなたの参加を熱望しているから」
晶子さんにここまでの言葉を掛けてくれるとは想像していなかった私は言葉を失った。
胸の高鳴りを抑えられない。
大きなホールでオーケストラと一緒に演奏する。
その夢の舞台へ上がる、楽しみでないわけがない。
参加したいに決まっている。
「少し、考えさせてもらえますか……?」
ドギマギしながら何とか返事を返す。
いつ会っても華麗な美しさで私を魅了してくれる晶子さんは今も変わらず尊敬の的だ。
即答できないまでも、期待を寄せてくれている晶子さんに私は少しでも応えたいと思った。
期待を寄せたまま「もちろんよ」と微笑みながら声を掛けてくれる晶子さん。
私は思わぬ誘いを受け、絵画展を後にすることになった。
晶子さんからお褒めの言葉を受け取り、他の演奏者の演奏を聴きながら、私は時折、隣に立つ晶子さんと立ち話を交わした。
「晶子さんはオーストリアのウィーンで暮らしているんですね。私は大学に入る前の四年間をオーストラリアで過ごしていたんですよ」
「それはちょっと面白いわね。オーストリアとオーストラリア。
とっても名前が似た地名で知らない人が聞いたら誤解されてしまいそうね」
一文字違いの二つの地名。
インド洋と太平洋に囲まれたオーストラリアはオセアニアで最大の国土面積を誇る国家だが、オーストリアは中央ヨーロッパにあるドイツ語圏の国で、佐藤さん夫婦が暮らすオーストリアの首都ウィーンはモーツァルト生誕の地でも有名だ。
オーストラリアで有名なものと言えば、コアラやカンガルーなどの動物や世界最大の珊瑚礁であるグレートバリアリーフ、巨大な一枚岩のエアーズロック(ウルル)などで、そうした豊かな自然が魅力に上がるだろう。
お洒落さではヨーロッパには当然負けてしまうので、四年間暮らしている私としては、愛着はあるが複雑な心境になった。
私的にはコアラやニュージーランドに生息するキーウィなど絶滅危惧種の動物が多いことが印象に残っていて、そういった動物と触れ合う機会に恵まれていることは良いところだと思っている。
「そういえば、ホットな情報によると郁恵さんは現在、愛しの彼氏さんと同棲生活を送っているとか。今後は結婚することも視野に入れているのかしら?」
「そ、そんなまだそこまで考えていませんが……前向きに検討したいと思っています……」
初めて恋人が出来たもの同士、往人さんとの関係はお互いの気持ちを尊重しながら大切に考えていきたいという気持ちが強く、結婚まではまだまだ意識が回らない自分がいた。
つい結婚なんてワードが飛び出したことで恥ずかしさのあまり気が動転してしまう私。
そんな私の反応を見てクスクス笑いを浮かべ「初々しい反応ね」なんて余裕いっぱいのコメントを口にする晶子さん。
夫婦で仲良くここにやって来たところからも二人の円満さが際立ち、美男美女カップルと昔から言われていたらしいことも知っている身としては、ガイドヘルパーとやってきた私はちょっと肩身の狭い気分になった。
「私ってば普段は四方晶子って名乗ってるでしょ?
本当は結婚してるから佐藤晶子っていう方が正しいのよ。
でも、佐藤さんはちょっとありきたりが過ぎるから、なかなか名乗っていきづらいのよね」
調子を良くする晶子さんはそんな身の上話をしてきた。
そういえば、五百年後には日本人全てが佐藤性になるなんて都市伝説みたいな話もあるくらい佐藤という名字は広く普及している。
「私が佐藤の名字を名乗ることになるんだったら、隆之介は一億人の佐藤を統べる存在にならないといけないわね!」
「それは流石に滅茶苦茶過ぎないか……?」
晶子さんの話しの脱線ぶりに耐えかねて隣に立つ旦那さんの隆之介さんが呆れた調子でツッコミを入れる。
本当に仲の良さが伝わってくる二人の会話だった。
「ねぇ……? 今度はオーケストラと一緒に演奏してみないかしら?
私が参加してるオーケストラの定期演奏会があるの。
あなたのような魅力ある人に是非とも参加してほしいわ。
ゲスト出演って立ち位置だから学業の負担も少ないと思うから、検討してちょうだい」
別れ際、私に晶子さんは思わぬお誘いをしてくれた。
願ってもないお誘いだが、本当に自分でいいのかと迷いが生じた。
「私でいいんですか? 目の見えない私では実力不足ではないですか?」
自分の中にある不安を口にする。
プロのピアニストをしている晶子さんに比べれば、私は本当に素人だ。
保育士になりたいから、ピアノを真面目に練習してきたにすぎない、プロを目指して頑張っている人とは目的も違えば格も違う。
そんな私が……全盲の視覚障がいを持った私がプロのオーケストラと一緒に演奏することが相応しいとは思えなかった。
「そんなことないわ。あなたには人を魅了する力がある。
最初にあなたを見た人は過小評価するでしょうけど、そんな評価を覆すだけの実力をあなたはいつも見せてくれる。だからもっと聞かせて欲しいの。
今年開かれる定期演奏会はクリスマスイブの日よ。
覚えておいて前田郁恵さん。私はあなたの参加を熱望しているから」
晶子さんにここまでの言葉を掛けてくれるとは想像していなかった私は言葉を失った。
胸の高鳴りを抑えられない。
大きなホールでオーケストラと一緒に演奏する。
その夢の舞台へ上がる、楽しみでないわけがない。
参加したいに決まっている。
「少し、考えさせてもらえますか……?」
ドギマギしながら何とか返事を返す。
いつ会っても華麗な美しさで私を魅了してくれる晶子さんは今も変わらず尊敬の的だ。
即答できないまでも、期待を寄せてくれている晶子さんに私は少しでも応えたいと思った。
期待を寄せたまま「もちろんよ」と微笑みながら声を掛けてくれる晶子さん。
私は思わぬ誘いを受け、絵画展を後にすることになった。