"ごめん、電車で先行くね"

 次の日の朝、私は早起きをして一人で電車に飛び乗ることに成功した。
 メールを送り、窓側の席に座る。
 電車は人が少なく、目的の駅に着くまで寝ようと目を閉じたが、肩を軽く叩かれ目を開けた。

「青山!?」

 一瞬固まってしまったが、青山はもともと電車通学であることを思い出した。

「やっぱり菜穂ちゃんだ。どうした? 今日電車?」

「……うん」

「早い通学だね?」

「それは、青山も一緒じゃない?」

「俺は実行委員の片付けがあるんだ。準備もあってしばらく教材室に出入りしなきゃならない」

「教材室? 何それ、あったっけ?」

「一階にあるんだよ。小道具がいっぱい置いてあるんだ。てか菜穂ちゃん、樹はどうしたの?」

 そう聞かれ、私は青山からゆっくり目をそらす。

「何、喧嘩した?」

「……してないよ」

「本当?」

「本当」

「本当かな……」

と言いながら青山は私の隣に座る。

「じゃあさ、これはなんなの?」

 私に見えるように青山は自分の携帯の画面を見せた。
 私は携帯の画面を見る。

 青山のバーカ
  青山のアーホ
 青山のハーゲ

「何、これは!」

 青山に怒られ、また目をそらす。

「……気持ちを吐き出す場所が欲しくて」

 私が口ごもると

「俺に当たらないでくれる? どうせ樹が何かやったんだろ? 俺、心当たりがないもん」

 青山が即答した。

「う、痛いところつくね。あはは……」

 電車から流れる景色に目をやり、笑ってごまかした。

「菜穂ちゃんは何で最近樹のこと避けてるの?」

「ん?」

「嫌いなわけじゃないんでしょ?」

「まぁ……」

「何か理由があるの?」

 私は青山を見る。

「……内緒」

とだけ答えると

「内緒にするなら、メールの『バーカ』とか『アーホ』も内緒にしといてくれない? 『ハゲ』は間違ってるし」

と返ってきた。

「あはは……だね」

「ま、いいや」

 青山は軽くそっぽを向くと鞄の中を探り、何故かランチバックを取り出して私の膝の上にのせた。

「何これ?」

 ランチバックを両手で抱えるように持ち、青山を見る。

「菜穂ちゃん今日朝ごはん食べてないでしょ。あげる」

 見抜かれていたことに、私は驚いた。

「青山はイケメンだったんだね」

「イケメンって、菜穂ちゃんのイケメンは樹だろ? 菜穂ちゃんは樹が好きだもんね」

「……は!?」

「あれ。今日は分かりやすい反応するね。いつもは分かりにくいんだよ。樹なんてあげるとか、あれはただの幼馴染みだとか言って」

 青山は何だか楽しそうで、私は少し腹が立った。

「……変なこと言わないでくれる? あと、ちょっと黙ってくれる?」

 笑いを堪える青山に、私はまた目をそらして窓の外を見た。

――

 学校に着くと青山は教材室に行き、私は一人で教室へ向かった。思ったよりも早く着いたので、教室に誰もいないと思ったが、小絵だけいた。

「あれ? 菜穂早いね」

 小絵の机の上には楽器ケースが置いてあるのが見える。中身が見えなくても何が入ってるか想像がついた。

「サックス!」

 小絵に近づくと、小絵は私に見えやすいようにケースの向きを変えサックスを見せてくれた。小絵がサックスを弾くことは元々知っていたが、実物を見るのは初めてだった。

「凄い……格好いい」

「でしょ?」

 小絵は嬉しそうに笑う。

「これには思い入れがあるの」

「思い入れ?」

「私さ、テーマパークでサックスを初めて見たって言ったじゃん?」

 私は頷く。小絵の過去の話を思い出す。
 まだ私と知り合う前、小絵が中学一年の頃、Sakura(さくら) amusement (アミューズメント) park(パーク)と言うテーマパークでパレードを見たらしい。そのパレードは、車が何台も通るような大きなパレードではなく、テーマパーク内の一部の道端で行っていた小さな演奏会だったそうだ。その演奏会でサックスに一目惚れをしたと話していた。

「私、叫んだんだよね」

「叫んだ?」

「演奏会終わってそのサックス弾いてる人が他の人と退場しようとする中でガードマン振り切って『私もその楽器をやるにはどうしたらいいですか!?』って。そこにいる全員が一斉にこっちを見たわ」
 その話は、私は初めて聞いた。頷きながら小絵の話を聞く。

「今となってはとんだ恥だよ。けど、あの時は必死だった。サックスも当時はよく分かってなかったし。でもそのサックスを弾いていた男の人は振り向いて、私の声に反応して近づいてきてくれて『僕は最初にあのサックスを弾いたから、練習してみたらどうかな?』って型番を教えてくれたの。〈アルトサックスAL-五〇〇〉それがこのサックスなの」

 自分のサックスを指差し、小絵は照れくさそうに笑った。

「凄いな」

 話も素敵だし、小絵って格好いいなと思った。

「なるせっていうんだ」

「なるせ、さん」

「サックスを教えてくれた彼の制服についてたネームプレートにローマ字で書いてあったの。Naruseって。……また会いたいんだけど無理だよね。名字しか分からないし、歳は若く見えたけど、それだけじゃ見つからないよね……あんな広くて人の多い場所で」

 小絵は遠くを見つめてそう言った。そして、小絵はすぐ気持ちを切り替えるように息をつく。

「ま、それでも私は練習して、あのテーマパークで働くけどね」

「そうなの?」

「うん、絶対!」

 小絵は満面の笑みを見せた。それを見ているとまっすぐな気持ちの小絵が微笑ましく、少し羨ましくなった。

「たまにね、菜穂を見てると悲しくなるくらいに羨ましくて、嫉妬する時があるの。菜穂は二村がいつも側にいるもんね。大切な人が側にいてくれる。一方の私は一目惚れで、相手は今どこにいるか分からなくて、はっきりとした名前も知らないからさ」

「え……」

「あ、重く受けとめないでね。全然大丈夫だから」

 小絵が言った時、私は思い出す。授業後、樹と帰ろうとした時に感じた小絵の寂しげな違和感。あれは小絵がなるせさんを思い出していたのだと納得する。
 なるせさんの年齢は分からないけど、私と樹が一緒に帰るように、小絵もなるせさんと一緒に帰り道を歩けたらいいと思っていたのだろう。
 そう思うと、私は今とても贅沢をしているのだろう。

「そういえば菜穂、二村どこ行ったの?」

 小絵は、私が樹と一緒に登校してきたという前提で話をしている。

「さ、さぁ?」

「さぁ? ってどういうことよ」

「あお、やまなら教材室にいるけど」

「何で青山が出てくるの?」

 それはごもっともな意見です……! と思いながら私は俯く。何とかこの話題から切り抜けようとしたが、変な感じになってしまった。でも、俯いたまま目だけ動かして小絵を見ると、小絵は何も気にしていない様子だった。そして小絵は少しはっとして思い出しながらこう言った。

「何かさ、この早い時間に集まるのってさ、入学式の時みたいだね」

「ん?」

「ここに入学した時にさ、この早い時間でこの教室に最初にいたメンバーがこの四人だったよね」

「入学式……」

 それを聞き、私は思い出す。
 入学式の日。
 樹と一緒にこの教室入ると、小絵は一番乗りで一人、席に座っていた。

「今日から宜しくね」

なんて話を三人でしていると、すぐに青山が

「俺のクラスあったー」

なんて独り言を言い、陽気にやってきて、四人ですぐに打ち解けることができた。
 小絵がサックスをやっていること、樹の夢がシンガーソングライターであること、音楽一家に生まれ、音楽に興味のない青山が親の勧めで学校に入学したこと、海が見えるという理由だけでここに入学した私の話をその時にみんなで話し合った。

「トランプしたよね」

 小絵が言うと、私はすぐに思い出す。あの日、青山が自分の家から持ってきたトランプを見せて、初対面の私たちに『やろ!』と誘ってきた。
 トランプなんてみんながもうちょっと打ち解けてからじゃないと盛り上がらないのでは? と思ったが、実際は意外に盛り上がって、今では楽しい思い出だ。

「何だかもう懐かしく感じるね」

 私が言うと

「そうだよね。まだ一週間くらいしかたってないのにね」

 小絵が笑って言った。

「二村は最初の頃から変わらないね」

「ん?」

「クラスでは平然な態度でいるけど、二村は真っ直ぐに菜穂を見てる気がする」

 小絵は、私の目を見て話す。

「そうかな? まあ、幼馴染みだしね。気は使ってくれてるかもね」

 私は考えながら言う。考えていると、ふと何故か昨日の樹の部屋でのことが甦り、私はそれを追い払うように首を振った。小絵は、それに少しの違和感を感じながらも深くは気に止めていない様子だ。

「いいな、本当に」

「……あげようか、樹」

 私が言うと

「気を使ってくれたところ申し訳ないけど、あんたね、私はともかく他の人にそれ言い続けるとマジで誰かに取られるからね? ただでさえ二村は昨日の歓迎会で人気になってるんだから」

 小絵は静かに怒った。私がそれをごまかすように笑うと、小絵はさらに眉を寄せて、黙って私を見た。
 そこへ教室にクラスメートの子が何人か登校してきて、小絵はふと時計をみた。

「今日は練習やめとこう」

「……ごめん、私邪魔したよね?」

 申し訳なく小絵を見ると、小絵は首を振る。

「私は菜穂と話して楽しかったよ。それに一日朝練しなかったくらいで私の腕は落ちないよ。ナメないでくれる?」

 冗談混じりにそう言ったので、私は笑った。

「朝ごはんでも食べよう」

 小絵がケースを閉じてそう言ったとき、私は青山にもらったサンドイッチを思い出す。

「私もそうする」

 小絵の前の自分の席に座り、鞄の中を覗いて、青山のランチバックを取り出したとき、鞄から何かが飛び出してコロコロと転がり、小絵の足元で止まった。

「何か落ちたよ?」

 小絵がそれを拾った。白色の小さな丸型のケースである。ケースを見ながら小絵はそこに書かれている英語を読む。

「サ、プ、リ、メント? 菜穂、ダイエットでもしてるの?」

 小絵はケースを私に渡してくれた。

「……女子はダイエットするでしょ?」

 私は青山のランチバックを自分の机の上に置き、振り向いてそのケースを受けとる。

「それ効果ある?」

「んー? どうかな……始めたばかりだから」

 私は小絵にそう言って笑いながらケースをすぐに鞄にしまった。

「嘘、私にも教えてよ! てか菜穂ダイエット必要あるの?」

「小絵こそいらないでしょ?  ……でも私はダイエットとか言っても、今から朝ごはん沢山食べるけどね」

「あ……まあ、いいじゃん? 朝ごはん大事だよ」

なんて言いながら、二人で笑っていた。その時だ。

「あ、二村だ」

「え……?」

 他のクラスメートに混じって、樹が登校してきたのは。
 教室に入ってきたところで私と目が合うと、樹はまっすぐと、私の席までやってきた。座っている私と向かい合わせで立ち、強かな目でこっちをみている。私はさっと目をそらす。

「お、おはようございます……」

少し吃りながら言うと、樹は私の机にあるランチバックの持ち手部分を片手で掴み、じっと見てから、また私を見た。

「青山とは、一緒に来たわけだ?」

「そ、それは……電車で会ったから」

 何故分かったんだろう? と、内心驚く。

「ふーん」

 樹は私から目をそらさない。私は、ちらっと樹を見上げてからまた目をそらすと、樹は覗きこむように私を見た。

 私は樹を見ないようにまた違う方向にゆっくりと顔を背ける。
 無言の攻防戦は、何度か続いた。

「何やってんの、あんたたちは」

 小絵はカレーパンの袋を開けかけた手を止め、半分呆れている。
 樹はため息をつき、私との戦いをやめ、青山のランチバックを私の机の隅に置いた。
 私は樹と視線を目を合わせずにいたが、彼が私の机の上に何かを置いたのが気になり、それを手に取った。
 樹が置いたのは名刺だった。

「株式会社 Civilization Music……」

 ドクンと胸が高鳴る。
 もう一度確認してみる。
 この会社の名刺が、今何故ここにあるのかと、私は驚いて樹を見る。

「オーディションの日が早まったんだ」

「……え?」

「昨日の一年生歓迎会にたまたま、その会社の人が見に来てたんだったんだって。目に止めてくれたみたいで……一週間後、個別でオーディションを受けることになった」

「一週間後?」

「そう」

「今日決まったの?」

「うん。さっき林原先生に会って、職員室行ったらその会社の人がいて、少し話しをして決まった」

「え!? 凄いね樹、良かったね!!」

 私は完全に、顔がにやけてしまっていた。

「まだ、オーディションだけどな?」

 一気に嬉しくなった。オーディションだろうとスカウトを受け、樹にチャンスが巡ってきたことに代わりはない。
 樹も微笑んでいた。

「凄いね、二村。こんな大手が個別にオーディションなんて、なかなかしてもらえないよ」

 小絵は、私と樹のその会話を聞き、後ろの席から立ち上がり、私の持つ名刺を覗きこんでいた。

 そこに青山が戻ってきた。
 持っていた鞄を、廊下側の一番前の自分の席に置くと、こっちにやってきた。

「樹ー。良かった、いた!」

「ん?」

 樹は、不思議そうに青山を見た。

「ねえねえ、青山。二村スカウト受けたんだって。スカウトしてきたところCivilization Music だって」

 青山は小絵からその話を聞き、きょとんとしている。そして、樹を見た。

「おめでとう、樹」

「ありがとう。青山のお陰で……」

「教材室が、ピンチなんだ」

「……え?」

「さあ、行くぞ」

 青山は、樹の背中の襟をつかむと、そのまま歩き出す。

「え、ちょっと……は!?」

 樹は抵抗しながらも、青山に若干引きずられながら、教室を出ていった。

「あーあ」

 小絵が呟く。私はその姿を見た後笑って、もう一度名刺を視線を落とす。
 私は喜びを噛み締めていた。