森の生きとし生ける物は全て、その息を潜めてしまっているのか、木々の騒めきしか聞こえては来ない。鳥達のさえずりも、獣の呻きや遠吠えも無い魔の森はかつてない程、静まり返っていた。
封印が解かれ蘇った竜は、我が身に圧し掛かっていた大石を翼の一凪ぎで払い落した。軽々と飛び散った石は周辺の地面に、その重みで音を立ててめり込んでいた。
自由になった身体を確かめるように、一歩また一歩とゆっくりしたペースで地上に向けて進み、その黒く大きな翼を羽ばたかせることができる場を求めていた。
ギルドで聞いた遺跡の場所を目指して、ジークは森の中を駆け抜けていた。先導するように前を走るトラ猫は、徐々に近付く強い気配に背中の毛を一筋逆立てている。
竜が完全に覚醒し終えるまでに辿り着かないと勝算はない。長い眠りから覚めた竜がその力を取り戻せば、ジーク一人では時間稼ぎにもならないだろう。
森を駆けながら背に羽織っているのは、魔導師のローブ。シュコールに来てから買い直した安い冒険者仕様ではなく、グランに居た時に仕立てた上質の物だ。防炎効果のある糸で織られているローブは、果たして竜の吐く炎に耐え得るのだろうか。
木々を掻き分け草を蹴散らして走りながらも、頭に思い浮かべたのはつい数時間前に過ごした広場でのこと。温かい日差しを受けながらベンチに座って猫と食べた肉串と、ケラケラと笑うリンの笑顔。
――竜を倒さなければ、街から人が消える。
脅威が存在する街に留まる理由はない。森に近い街ほど寂れ、壊滅していくだろう。
走っている最中に左足に当たった魔剣がカチリと音を立てる。まだ鍛錬中の身だが、場合によっては接近戦も覚悟しなければ――。
そう思った時、ティグが速度を落としてジークを振り返った。古代竜がいる遺跡はすぐそこだ。
一旦、立ち止まり、目の前を遮っている木の枝を押し上げる。人為的に森の中に開かれた空間に石造りの遺跡がそびえ建っていた。所々に蔦が這い、倒れた円柱が転がってはいたが、かろうじて建築物だったという面影は残していた。
ただ、その中央の床は丸く抜け落ち、地下の空洞――封印の間が露見していた。その中に竜の姿はない。
「――!!」
先に気付いたのはトラ猫だった。シャーという威嚇音を喉から出し、縞模様の翼を目一杯広げて遺跡の後ろを睨みつけている。尻尾の先までも毛羽立たせていた。
朽ちかけた遺跡の影から姿を現したのは、漆黒の竜。全長十メートルはあろうかという体躯に、その倍の大きさの翼を携えている。これが上空を飛べば、大きな影となって下にいるものを脅かすことだろう。
「ティグ、行くよ!」
「にゃーん」
こちらの気配に気付く前に、第一撃を放とうと猫と並んで竜の前に出る。
魔鳥に放った時よりも鋭く大きい風の刃をジークが竜に向けて撃つのと同時に、ティグも光の塊を放った。鋭利な刃が暴れ狂うような竜巻が竜の身体を包み、眩しいくらいに光る。
二つの巨大魔法が合わさり、森の中を激しい地響きがこだました。
光が消えた後も変わらずその場に佇んでいた竜は、羽を広げた猫と魔導師をその赤く血走った眼で見据えていた。バサリとその翼を一凪ぎしてから、低く呻くような声を上げ、口を開いて尖った歯を見せたかと思うと、ジーク達めがけてブレスを吐いた。
その炎の勢いは凄まじく、咄嗟に張った結界の中まで伝わってくる灼熱に、ジークはローブで身を護るのが精一杯だった。結界の周辺に生えた草や木が黒焦げになっているのが目に入る。
――すでに竜は完全に覚醒してしまっていた。
炎を吐く竜に太刀打ち出来るとは思えなかったが、両掌を重ねると魔力を集中させる。ジークの手から放たれた力は紅蓮の炎となって竜の身体に纏わり付くと、さらに一段高く燃え上がった。連続して撃ち続けると、燃え上がる炎で竜の姿が見えなくなった。
次いでティグも光の塊を連続で撃ち、白い水蒸気のような物が竜の身体から上がっているのが見えた。
「ダメか……」
攻撃は致命傷にはならない。動きを一瞬止めるくらいしかできていない。
魔法が効かないのならと、腰の魔剣を抜いて竜の元に駆け寄る。青味を帯びた銀の刃を腹部に向けて振り下ろすが、漆黒の鱗が張り付いた太い前脚で払われてしまった。
すぐに体勢を立て直して、ならばとその腹の下に潜り込み、鱗の隙間を狙って剣を縦に突き刺す。そして、魔剣に魔力を注ぎ込んだ。剣を媒体にして身体の中に直接魔法を打ち込んでみるが、漆黒の竜はジークの身体を容易く前脚で振り払った。
吹き飛ばされたジークは全身を地面に強く叩きつけられ、衝撃で息が出来ない。
倒れ込んだままのジークを赤い眼で追いかける竜に、ティグは先程よりも大きな光の塊を撃ち付けた。すると、魔導師に向いていた赤い視線は縞模様の猫の姿を追い始めた。
「ティグ……」
また猫に助けられたと、ジークは拳を強く握って息を整える。ティグに向かって炎を吐こうとしているのが見えて、猫の周囲に結界を張る。結界から跳ね返った灼熱は離れた場所にいるジークのところまで届いて来た。桁違いの炎の威力に、勝てる気はしない。
封印が解かれ蘇った竜は、我が身に圧し掛かっていた大石を翼の一凪ぎで払い落した。軽々と飛び散った石は周辺の地面に、その重みで音を立ててめり込んでいた。
自由になった身体を確かめるように、一歩また一歩とゆっくりしたペースで地上に向けて進み、その黒く大きな翼を羽ばたかせることができる場を求めていた。
ギルドで聞いた遺跡の場所を目指して、ジークは森の中を駆け抜けていた。先導するように前を走るトラ猫は、徐々に近付く強い気配に背中の毛を一筋逆立てている。
竜が完全に覚醒し終えるまでに辿り着かないと勝算はない。長い眠りから覚めた竜がその力を取り戻せば、ジーク一人では時間稼ぎにもならないだろう。
森を駆けながら背に羽織っているのは、魔導師のローブ。シュコールに来てから買い直した安い冒険者仕様ではなく、グランに居た時に仕立てた上質の物だ。防炎効果のある糸で織られているローブは、果たして竜の吐く炎に耐え得るのだろうか。
木々を掻き分け草を蹴散らして走りながらも、頭に思い浮かべたのはつい数時間前に過ごした広場でのこと。温かい日差しを受けながらベンチに座って猫と食べた肉串と、ケラケラと笑うリンの笑顔。
――竜を倒さなければ、街から人が消える。
脅威が存在する街に留まる理由はない。森に近い街ほど寂れ、壊滅していくだろう。
走っている最中に左足に当たった魔剣がカチリと音を立てる。まだ鍛錬中の身だが、場合によっては接近戦も覚悟しなければ――。
そう思った時、ティグが速度を落としてジークを振り返った。古代竜がいる遺跡はすぐそこだ。
一旦、立ち止まり、目の前を遮っている木の枝を押し上げる。人為的に森の中に開かれた空間に石造りの遺跡がそびえ建っていた。所々に蔦が這い、倒れた円柱が転がってはいたが、かろうじて建築物だったという面影は残していた。
ただ、その中央の床は丸く抜け落ち、地下の空洞――封印の間が露見していた。その中に竜の姿はない。
「――!!」
先に気付いたのはトラ猫だった。シャーという威嚇音を喉から出し、縞模様の翼を目一杯広げて遺跡の後ろを睨みつけている。尻尾の先までも毛羽立たせていた。
朽ちかけた遺跡の影から姿を現したのは、漆黒の竜。全長十メートルはあろうかという体躯に、その倍の大きさの翼を携えている。これが上空を飛べば、大きな影となって下にいるものを脅かすことだろう。
「ティグ、行くよ!」
「にゃーん」
こちらの気配に気付く前に、第一撃を放とうと猫と並んで竜の前に出る。
魔鳥に放った時よりも鋭く大きい風の刃をジークが竜に向けて撃つのと同時に、ティグも光の塊を放った。鋭利な刃が暴れ狂うような竜巻が竜の身体を包み、眩しいくらいに光る。
二つの巨大魔法が合わさり、森の中を激しい地響きがこだました。
光が消えた後も変わらずその場に佇んでいた竜は、羽を広げた猫と魔導師をその赤く血走った眼で見据えていた。バサリとその翼を一凪ぎしてから、低く呻くような声を上げ、口を開いて尖った歯を見せたかと思うと、ジーク達めがけてブレスを吐いた。
その炎の勢いは凄まじく、咄嗟に張った結界の中まで伝わってくる灼熱に、ジークはローブで身を護るのが精一杯だった。結界の周辺に生えた草や木が黒焦げになっているのが目に入る。
――すでに竜は完全に覚醒してしまっていた。
炎を吐く竜に太刀打ち出来るとは思えなかったが、両掌を重ねると魔力を集中させる。ジークの手から放たれた力は紅蓮の炎となって竜の身体に纏わり付くと、さらに一段高く燃え上がった。連続して撃ち続けると、燃え上がる炎で竜の姿が見えなくなった。
次いでティグも光の塊を連続で撃ち、白い水蒸気のような物が竜の身体から上がっているのが見えた。
「ダメか……」
攻撃は致命傷にはならない。動きを一瞬止めるくらいしかできていない。
魔法が効かないのならと、腰の魔剣を抜いて竜の元に駆け寄る。青味を帯びた銀の刃を腹部に向けて振り下ろすが、漆黒の鱗が張り付いた太い前脚で払われてしまった。
すぐに体勢を立て直して、ならばとその腹の下に潜り込み、鱗の隙間を狙って剣を縦に突き刺す。そして、魔剣に魔力を注ぎ込んだ。剣を媒体にして身体の中に直接魔法を打ち込んでみるが、漆黒の竜はジークの身体を容易く前脚で振り払った。
吹き飛ばされたジークは全身を地面に強く叩きつけられ、衝撃で息が出来ない。
倒れ込んだままのジークを赤い眼で追いかける竜に、ティグは先程よりも大きな光の塊を撃ち付けた。すると、魔導師に向いていた赤い視線は縞模様の猫の姿を追い始めた。
「ティグ……」
また猫に助けられたと、ジークは拳を強く握って息を整える。ティグに向かって炎を吐こうとしているのが見えて、猫の周囲に結界を張る。結界から跳ね返った灼熱は離れた場所にいるジークのところまで届いて来た。桁違いの炎の威力に、勝てる気はしない。