***
清倉中学校を訪問するのは初めてのことで、右も左もわからない。折りたたみのテーブルと、いくつもの紙袋をさげる未央に気づいたたこ焼きやのおじさんが、あっちあっちと校舎の南を指さすから、ありがたいことに体育館へは迷わずたどり着けた。
雑貨屋のおばさんに、おまんじゅう屋のおじさん、アクセサリー屋のおねえさんと、見知った店主たちにあいさつをしながら体育館へ入っていくと、黄色のテープに囲われたブースで朝晴が待っていた。
「八坂さん、こっちこっち」
そう言いながら、朝晴は駆け寄ってくる。
「今日は浴衣ですか。よくお似合いです」
「ええ、お祭りですから。あっ、大丈夫ですよ」
テーブルをつかむ彼にそう言うが、紙袋まで持ってくれる。
「荷物はこれだけですか?」
「はい。長机とパイプ椅子は用意してくださると聞いていたので」
「机二つと椅子は四つでよかったですよね。昨日のうちに運んでおいたのでばっちりです」
本来は前日に下見に行かなければいけなかったのだが、未央は店を開けるわけには行かず、来られなかった。代わりに、朝晴が準備してくれたようだ。
「何から何までありがとうございます」
早速、ブースに折りたたみテーブルを広げてくれる彼に礼を言う。
「無理に誘ったのは俺ですからね、このぐらいは」
「お忙しいんじゃありませんか? あとはひとりでやれますから」
「準備ができたら行きますよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
親切を断ったところで、行ってくれそうにない。ここはすんなり好意を受け入れた方がいいだろうと判断して、紙袋の中から取り出した切り絵の材料を朝晴に渡す。
それらを折りたたみテーブルの上に置きながら、切り絵の見本を見つけた彼は「へえ」とつぶやく。
「風鈴ですか」
「ほかに、花火とひまわりと」
「夏の風物詩ですね」
「生徒さんたちには気に入った図柄をひとつ選んで作ってもらおうと思ってるんです」
インテリアスタンドを長机に乗せ、切り絵の風鈴を飾りつける。花火とひまわりは額に入れて立てて置く。
「子どもたちでも簡単に作れそうなデザインになってますね。八坂さんがデザインを?」
「どんなデザインがいいかなぁって悩んで、出来上がったのは昨日なんです」
「そんなに真剣に悩んでくれたんですね。子どもたち、知ったら喜ぶだろうな。やっぱり八坂さんをお誘いしてよかったですよ」
「来年もやられるなら、もっとはやく準備しますね」
「来年も出てくれますか。楽しみだな。おや、そのイヤリングも切り絵ですか?」
朝晴は何かとめざとい。浴衣もさらりと褒めてくれたし、観察力の高い人なのだろう。
「こういうの好きな子もいるでしょう? 少しでも楽しんでもらえたらと思って」
花柄のイヤリングに指で触れると、彼はそっと目を細める。あまり彼のことはよく知らないが、時々、ハッとするほど艶めいた表情を見せる。まるで、意図的に魅力を引き出すかのような笑顔には、教師という職業には似つかわしくない何かを感じる。
「井沢さんはずっと教師をされてるの?」
彼の振る舞いには教師らしくないものがある。別の職業の経験があるのではないか。以前から感じていた違和感の正体を見つけるように尋ねる。
「教師になったのは、三年前なんですよ」
やっぱり。思ったより、最近の話で驚く。
「それまでは何をされてたの?」
「東京でイベントコーディネーターをしてました。清倉に越してきてから、昔とった杵柄で教員になったんですよ」
「そうだったんですか。それで、お祭りの主催も。慣れておいでなんですね」
「好きなんですよ、何かをアドバイスするのって」
「先生向きでもあるんですね。清倉を選んだのは、暮らしやすいいい場所だから?」
「祖母の家があるんですよ。小さなころは家族でよく泊まりに来たものです。今は妹と祖母の三人で暮らしてます」
未央も東京での生活から離れたくて清倉へやってきた。彼にも何か事情があって、ここへ来たのかもしれない。興味本位で尋ねてしまったが、何も隠す様子なく笑顔で話してくれる彼にはホッとする。
「妹さんがいらっしゃるんですね」
「しぐれっていいます」
「雨の時雨ですか?」
「名前はひらがなですけどね、雨つながりで、切り雨さんとはご縁がありそうだなって前から思ってました」
そんなふうに親しみを感じてくれていたなんて全然知らなかった。
「ぜひ、お会いしてみたいです。しぐれさんによろしくお伝えください」
「ありがとう。しぐれも喜びますよ。あんまり、同世代の友人がここにはいないから」
ほんの少しまぶたを伏せた朝晴だったが、ハッとしたように体育館の入り口の方へ視線を向ける。腕章をつけた青年が朝晴の名を呼びながら、こちらへ向かって手招きしている。
「どうぞ、行ってください」
「困ったことがあったら、本部に連絡ください。またあとで、様子見にきますから」
彼は早口でそう言うと、軽やかな足取りで駆けていった。
清倉中学校を訪問するのは初めてのことで、右も左もわからない。折りたたみのテーブルと、いくつもの紙袋をさげる未央に気づいたたこ焼きやのおじさんが、あっちあっちと校舎の南を指さすから、ありがたいことに体育館へは迷わずたどり着けた。
雑貨屋のおばさんに、おまんじゅう屋のおじさん、アクセサリー屋のおねえさんと、見知った店主たちにあいさつをしながら体育館へ入っていくと、黄色のテープに囲われたブースで朝晴が待っていた。
「八坂さん、こっちこっち」
そう言いながら、朝晴は駆け寄ってくる。
「今日は浴衣ですか。よくお似合いです」
「ええ、お祭りですから。あっ、大丈夫ですよ」
テーブルをつかむ彼にそう言うが、紙袋まで持ってくれる。
「荷物はこれだけですか?」
「はい。長机とパイプ椅子は用意してくださると聞いていたので」
「机二つと椅子は四つでよかったですよね。昨日のうちに運んでおいたのでばっちりです」
本来は前日に下見に行かなければいけなかったのだが、未央は店を開けるわけには行かず、来られなかった。代わりに、朝晴が準備してくれたようだ。
「何から何までありがとうございます」
早速、ブースに折りたたみテーブルを広げてくれる彼に礼を言う。
「無理に誘ったのは俺ですからね、このぐらいは」
「お忙しいんじゃありませんか? あとはひとりでやれますから」
「準備ができたら行きますよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
親切を断ったところで、行ってくれそうにない。ここはすんなり好意を受け入れた方がいいだろうと判断して、紙袋の中から取り出した切り絵の材料を朝晴に渡す。
それらを折りたたみテーブルの上に置きながら、切り絵の見本を見つけた彼は「へえ」とつぶやく。
「風鈴ですか」
「ほかに、花火とひまわりと」
「夏の風物詩ですね」
「生徒さんたちには気に入った図柄をひとつ選んで作ってもらおうと思ってるんです」
インテリアスタンドを長机に乗せ、切り絵の風鈴を飾りつける。花火とひまわりは額に入れて立てて置く。
「子どもたちでも簡単に作れそうなデザインになってますね。八坂さんがデザインを?」
「どんなデザインがいいかなぁって悩んで、出来上がったのは昨日なんです」
「そんなに真剣に悩んでくれたんですね。子どもたち、知ったら喜ぶだろうな。やっぱり八坂さんをお誘いしてよかったですよ」
「来年もやられるなら、もっとはやく準備しますね」
「来年も出てくれますか。楽しみだな。おや、そのイヤリングも切り絵ですか?」
朝晴は何かとめざとい。浴衣もさらりと褒めてくれたし、観察力の高い人なのだろう。
「こういうの好きな子もいるでしょう? 少しでも楽しんでもらえたらと思って」
花柄のイヤリングに指で触れると、彼はそっと目を細める。あまり彼のことはよく知らないが、時々、ハッとするほど艶めいた表情を見せる。まるで、意図的に魅力を引き出すかのような笑顔には、教師という職業には似つかわしくない何かを感じる。
「井沢さんはずっと教師をされてるの?」
彼の振る舞いには教師らしくないものがある。別の職業の経験があるのではないか。以前から感じていた違和感の正体を見つけるように尋ねる。
「教師になったのは、三年前なんですよ」
やっぱり。思ったより、最近の話で驚く。
「それまでは何をされてたの?」
「東京でイベントコーディネーターをしてました。清倉に越してきてから、昔とった杵柄で教員になったんですよ」
「そうだったんですか。それで、お祭りの主催も。慣れておいでなんですね」
「好きなんですよ、何かをアドバイスするのって」
「先生向きでもあるんですね。清倉を選んだのは、暮らしやすいいい場所だから?」
「祖母の家があるんですよ。小さなころは家族でよく泊まりに来たものです。今は妹と祖母の三人で暮らしてます」
未央も東京での生活から離れたくて清倉へやってきた。彼にも何か事情があって、ここへ来たのかもしれない。興味本位で尋ねてしまったが、何も隠す様子なく笑顔で話してくれる彼にはホッとする。
「妹さんがいらっしゃるんですね」
「しぐれっていいます」
「雨の時雨ですか?」
「名前はひらがなですけどね、雨つながりで、切り雨さんとはご縁がありそうだなって前から思ってました」
そんなふうに親しみを感じてくれていたなんて全然知らなかった。
「ぜひ、お会いしてみたいです。しぐれさんによろしくお伝えください」
「ありがとう。しぐれも喜びますよ。あんまり、同世代の友人がここにはいないから」
ほんの少しまぶたを伏せた朝晴だったが、ハッとしたように体育館の入り口の方へ視線を向ける。腕章をつけた青年が朝晴の名を呼びながら、こちらへ向かって手招きしている。
「どうぞ、行ってください」
「困ったことがあったら、本部に連絡ください。またあとで、様子見にきますから」
彼は早口でそう言うと、軽やかな足取りで駆けていった。