朝晴が指定したのは、駅前ビルの2階にある洋風レストランだった。

 未央が清倉へ引っ越してきたころ、ここにはオープンしたばかりのカフェが入っていた。駅前には入れ替わりの早い店が多く、商店街に定着できた切り雨は幸運だった。

 今さら、公平と結婚して東京に戻るなんてできない。そう思うのは、仕事が順調だからでもある。しかし、本当に好きな相手だったら、切り雨と引き換えにその人を得るだろうか。また裏切られるかもしれないのに。そう考えてしまうのは、文彦の裏切りにまだ傷ついているからだろう。

「未央さん、お待たせしました。注文はまだ?」
「私もさっき来たところなんです。いつもお忙しそうですね」

 スーツ姿で現れた朝晴は、「充実してますよ」とにこりとすると、ネクタイをゆるめながら、未央の目の前へと腰をおろす。

「昨日はあれから、公平さんでしたっけ? ふたりで話を?」

 注文を取りに来たウェイターにパスタを頼んだあと、朝晴はさらりと本題に入ってきた。

 どんなふうに切り出したらいいだろうと迷っていた未央にはありがたかったが、彼のあいまいにはしたくないという意思表示にも感じられて、戸惑ってしまう。

「驚かれたでしょう?」
「そうですね。まさか、兄がダメなら弟と、なんていう結婚は想像してませんでしたので」
「公平さんは自分を責めてるんだと思います。少しでも気持ちをなぐさめたくて、私との結婚を望んでるんじゃないかと」
「責めてるとは?」
「文彦さんが亡くなったのは、ご自分のせいだと思ってるんです」

 しかし、これから先も、真相はわからないだろう。文彦は運転中に電話に出るような人ではなかった。あのとき、普段しないことをしてしまうぐらい追い詰められていたなら、その責任は未央にもある。そして、自分を追い詰めるようなことをした文彦本人にも。

「そうなんですか?」

 未央は首を横にふる。

「誰のせいでもないと思っています」

 運命だった。そう思えるならそう思いたい。誰に左右されたわけでもない、悲しい事故だった。文彦がもう還らないなら、そうであってほしいとすら思っている。

「文彦さんが生きていたら、公平さんは未央さんとの結婚を望まなかったんでしょうか?」
「きっとそうだと思います。彼は違うって言うかもしれないですけど」
「ずいぶん、好かれてるんですね」

 朝晴はおかしそうに目を細めて、くすりと笑う。

 深刻になりすぎないよう、わざと茶化したのだろう。そういう気づかいのある優しさに、未央は心惹かれる。

「敬愛だと思いますけど」
「なるほど。未央さんを尊敬する気持ちはわかるような気がしますよ」
「そうですか?」
「俺は違いますけどね。一人の女性として、魅力的だなって思ってますから」

 さらりと告白するから、未央はあわててまぶたを伏せる。

 朝晴はどうしたいのだろう。婚約者がいるとわかっていても、まだ抱きしめたいと思ってくれてるだろうか。

「正直、昨日は邪魔されたような気分で、つい、未央さんが親しく話す彼に冷たくしてしまいました。もう一度チャンスがもらえるなら、抱きしめてもよかったのかどうかの返事をください」
「いま、ここで?」
「はい」

 あまりにもまっすぐな目を向けてくるから、未央は恥ずかしくなって目もとに指をあてる。

「……あまり、困らせないでください」
「チャンスがあるときは、期待してもいいっていうことですね」
「そんな勝手な……」

 あきれてしまうが、違うとも言えない。いい雰囲気になったら抱きしめてもいいなんて、それではあまりにも軽薄すぎる。だけど、はっきり言えないのは、優柔不断な自分の方。行動的な朝晴には、もどかしいのではないだろうか。

「はっきり言いたい気持ちもあるんですが、あっさり断られたくもないんですよ。悪あがきです」

 朝晴は照れくさそうに後ろ頭をなでる。

「ごめんなさい。今はまだ、考えられなくて」
「公平さんと結婚するからですか?」

 神妙にする彼の前で、未央は居住まいを正す。

「八坂と財前、両家が納得している話ですから、少し時間をくださいと、公平さんには伝えました」

 公平との結婚は自分の一存で決められないことでもある。受けるにしろ、断るにしろ、両家のプライドを守りながら進めないといけない。

「考える余地があるんですね」
「私は八坂の娘として育ちましたから」
「八坂の娘であることは、未央さんにとって重要なことなんですね?」
「はい、そうです」

 未央がはっきりとうなずくと、朝晴もわかってくれたように、静かにうなずいた。