「お元気でしたか? 未央さんは」
改めて、というように、公平は尋ねてくる。きっと、心は落ち着いたか? と聞いたのだろう。
「おかげさまで。清倉での生活にもすっかり馴染んでいます」
にっこりとほほえむと、彼も気安い笑顔を見せる。
「八坂のおじさん、すぐに根をあげて帰ってくると思ってたみたいですよ。未央さんに会えなくて、ちょっとさみしそうでしたね」
「店が忙しくて、時間がないものですから」
そう言うと、公平はちょっと笑う。
「それはただの言い訳だろうって、おじさんが言ってましたよ。清倉行きを猛反対したから怒って帰ってこないんだって、思ってるんじゃないかな」
もともと気苦労の多い父だけれど、娘の婚約がだめになって、ずいぶん、老いたのかもしれない。そんな愚痴まで、公平にするなんて。
「だから、公平さんと結婚して東京へ戻るようにって、父が言ったの?」
やんわりと切り出したが、父を非難したように聞こえたのかもしれない。公平はあわてて首を横に振る。
「そうじゃないよ。結婚したいって言い出したのは、俺だから。八坂のおじさんは、結婚なんてしなくていいから、未央さんに東京に戻ってきてほしいんだよ。切り絵を本格的にやりたいなら、自宅にアトリエを作ればいい。おじさんの人脈があれば、いくらだって展覧会は開ける。そう思ってるよ」
「それでも、公平さんとの婚約を許したんでしょう?」
文彦の浮気で未央がどれほど傷ついたか、父は知っている。けれど、結局のところ、父は財前との縁組を望んでいるのだろう。
失望を顔に浮かべる未央に気づいて、公平は否定する。
「おじさんは俺に考え直すように言ったよ。でも、俺が何度も頭を下げたんだよ。未央さんや兄さんのためにも、お互いの家族のためにも、結婚したいって思ってるから」
「……結婚は難しいです」
未央は首を振って、息をつく。そんな答えじゃ納得できない。
「どうして? 俺とじゃ、兄さんを思い出すから無理?」
「違います。公平さんは結婚したいわけじゃないでしょう?」
間髪を入れずに否定すると、彼は途方にくれる表情をした。
「そんなことないよ……」
「全部、他人のためで、あなたのためにという理由はなかったから」
「それは、あたりまえだから言わなかっただけだよ。もちろん、俺のためでもある。兄さんと結婚する人だってわかってても、あなたが好きだった。だから、兄さんの浮気が許せなくて、とことん調べてやろうって気にもなった。未央さんに関心がなかったら、兄さんの浮気なんて調べなかったよ」
愛する人のために始めたことが、兄を失うことにつながるとは、当時は思ってもなかっただろう。後悔してるんじゃないだろうか、公平は。淡い恋心はそのままにしておけばよかったと。
いや、恋なのかもわからない。未央は公平から恋情を感じたことはなかった。尊敬する兄の愛した婚約者だからこそ、未央は憧れの対象だったのではないだろうか。
「財前のご両親は反対してないの?」
「驚いてるけど、反対はしてない。未央さんでなくてもとは思ってるかもしれないけど、俺の気持ちは理解してくれてると思う」
文彦のことは、ご両親からも謝罪を受けた。すぐに浮気相手のあの人を本社から異動させたのは、ご両親の償いだっただろう。
しかし、大切な跡取りである息子を失った今は、未央が浮気を許していたらこんなことにはならなかったと思っているかもしれない。少なくとも、何もなかったように振る舞えるほど、月日はまだ文彦を失った悲しみを癒せていない。
「ご両親は内心では反対してると思います。私と結婚しても、文彦さんを思い出して、公平さんもご両親も苦しいですよ」
「どうあっても苦しいと思う。むしろ俺は、兄さんの死を分かち合える人だから、未央さんと結婚したいと思ってる」
「公平さんはまだ、文彦さんの死に傷ついてるんですね」
未央は静かにそう吐き出す。今は何を言っても引き下がらないだろう。それがわかったから、父も婚約の話を了承したのかもしれない。
改めて、というように、公平は尋ねてくる。きっと、心は落ち着いたか? と聞いたのだろう。
「おかげさまで。清倉での生活にもすっかり馴染んでいます」
にっこりとほほえむと、彼も気安い笑顔を見せる。
「八坂のおじさん、すぐに根をあげて帰ってくると思ってたみたいですよ。未央さんに会えなくて、ちょっとさみしそうでしたね」
「店が忙しくて、時間がないものですから」
そう言うと、公平はちょっと笑う。
「それはただの言い訳だろうって、おじさんが言ってましたよ。清倉行きを猛反対したから怒って帰ってこないんだって、思ってるんじゃないかな」
もともと気苦労の多い父だけれど、娘の婚約がだめになって、ずいぶん、老いたのかもしれない。そんな愚痴まで、公平にするなんて。
「だから、公平さんと結婚して東京へ戻るようにって、父が言ったの?」
やんわりと切り出したが、父を非難したように聞こえたのかもしれない。公平はあわてて首を横に振る。
「そうじゃないよ。結婚したいって言い出したのは、俺だから。八坂のおじさんは、結婚なんてしなくていいから、未央さんに東京に戻ってきてほしいんだよ。切り絵を本格的にやりたいなら、自宅にアトリエを作ればいい。おじさんの人脈があれば、いくらだって展覧会は開ける。そう思ってるよ」
「それでも、公平さんとの婚約を許したんでしょう?」
文彦の浮気で未央がどれほど傷ついたか、父は知っている。けれど、結局のところ、父は財前との縁組を望んでいるのだろう。
失望を顔に浮かべる未央に気づいて、公平は否定する。
「おじさんは俺に考え直すように言ったよ。でも、俺が何度も頭を下げたんだよ。未央さんや兄さんのためにも、お互いの家族のためにも、結婚したいって思ってるから」
「……結婚は難しいです」
未央は首を振って、息をつく。そんな答えじゃ納得できない。
「どうして? 俺とじゃ、兄さんを思い出すから無理?」
「違います。公平さんは結婚したいわけじゃないでしょう?」
間髪を入れずに否定すると、彼は途方にくれる表情をした。
「そんなことないよ……」
「全部、他人のためで、あなたのためにという理由はなかったから」
「それは、あたりまえだから言わなかっただけだよ。もちろん、俺のためでもある。兄さんと結婚する人だってわかってても、あなたが好きだった。だから、兄さんの浮気が許せなくて、とことん調べてやろうって気にもなった。未央さんに関心がなかったら、兄さんの浮気なんて調べなかったよ」
愛する人のために始めたことが、兄を失うことにつながるとは、当時は思ってもなかっただろう。後悔してるんじゃないだろうか、公平は。淡い恋心はそのままにしておけばよかったと。
いや、恋なのかもわからない。未央は公平から恋情を感じたことはなかった。尊敬する兄の愛した婚約者だからこそ、未央は憧れの対象だったのではないだろうか。
「財前のご両親は反対してないの?」
「驚いてるけど、反対はしてない。未央さんでなくてもとは思ってるかもしれないけど、俺の気持ちは理解してくれてると思う」
文彦のことは、ご両親からも謝罪を受けた。すぐに浮気相手のあの人を本社から異動させたのは、ご両親の償いだっただろう。
しかし、大切な跡取りである息子を失った今は、未央が浮気を許していたらこんなことにはならなかったと思っているかもしれない。少なくとも、何もなかったように振る舞えるほど、月日はまだ文彦を失った悲しみを癒せていない。
「ご両親は内心では反対してると思います。私と結婚しても、文彦さんを思い出して、公平さんもご両親も苦しいですよ」
「どうあっても苦しいと思う。むしろ俺は、兄さんの死を分かち合える人だから、未央さんと結婚したいと思ってる」
「公平さんはまだ、文彦さんの死に傷ついてるんですね」
未央は静かにそう吐き出す。今は何を言っても引き下がらないだろう。それがわかったから、父も婚約の話を了承したのかもしれない。