「若い人に人気のあるタイプだとか」

 しげしげとバイクを眺める朝晴にそう言う。

「数年前に爆発的な人気が出た機種ですよ。これは、30年以上前に発売されたヴィンテージバイクを再現したやつですね。ネオクラシックバイクって言いますが、いまだに人気があります」
「詳しいんですね」
「あっ、いや、これと同じ型に乗ってたやつを知ってるだけですよ。何度かここを通ってたのに、全然気づかなかったな」

 後頭部をせわしなくなでる彼のあたまの中には今、さまざまな思いがめぐってるように見える。

 同じ型のバイクに乗っていたのは、しぐれの別れた彼氏だろう。だから、彼女はこのバイクをデザインした切り絵にこだわっている。なぜこだわるのか、その理由をきっと彼は知っている。それなのに、切り雨へ行く途中にあるバイク屋に展示されているのを見過ごしていた自分への困惑。そんなものが彼の表情に透けて見える。

「商店街によく来られるようになったのは、ここ最近でしたよね」

 だから、しぐれの彼氏が乗っていたバイクと同じものとはすぐに気づけなかったんじゃないだろうか。

「しぐれがそう言ってましたか?」

 朝晴は少し驚いた表情をした。

「東京にいつか戻れるよう、休みの日には東京へ行ってご準備されてるとか」
「……しぐれ、そんな話まで」

 一瞬、彼は絶句したが、観念したように吐き出す。

「ここへ引っ越してきたころは、たしかにそんな気持ちでいましたね」
「三年前でしたよね、こちらへ来られたのは」
「しぐれ、車椅子で驚いたでしょう」

 うなずいた彼は、あっさりとそう切り出した。

「引っ越してこられたのは、お身体のことがあったから?」
「そうです。四年ほど前にバイク事故に遭ってしまって」
「お付き合いしてた方が、ライダーだったそうですね」
「ほんとうにいろいろ話したんですね、しぐれは」

 あきれと感心をないまぜにしたような表情で彼は続ける。

「しぐれは高校時代、レストランでアルバイトしてたんですよ。そこで出会った青年と短大に進んでから交際が始まったようです。なかなか真面目な青年で、俺も安心してたんですけどね、バイクの旅行はやめるように忠告するべきだったと、今でも後悔してるんですよ」
「それじゃあ、旅行中のバイク事故で?」
「単独事故で青年は大けがをしましたが、しぐれはさいわいなことに打撲ですみました」

 面食らって、未央は尋ねる。

「打撲ですか?」
「ええ、しぐれのけがは大したことありませんでした。ですが、青年のけがを見たショックからか、一時的にまったく動けなくなってしまったんです。2週間ほどでようやく身体が起きるようにはなったものの、足だけはどうしても動かなくて、それ以来、歩けなくなったんですよ」
「じゃあ……」

 当時を思い出したのか、疲れた表情で彼はうなずく。

「いろんな病院を回りましたが、どこへ行っても異常は見つかりませんでした。医師の話では、心因性の運動障害だろうと」
「そうだったんですね……」
「自然豊かな場所でのんびり過ごせば少しは良くなるかと思ってここへ越してきたんです。しぐれはおばあちゃんっ子で、祖母も快諾してくれたので」
「それで、井沢さんもご一緒に?」
「父が仕事の関係でアメリカに行ってまして。母も帯同してるんですよ。両親が日本へ帰ってくるまでは俺が面倒みようと思って、思い切って転職しました」

 イベントコーディネーターを辞め、清倉へ引っ越してきた理由を語る彼は、後悔のない清々しい顔をしているが、前職への未練がないとは、未央はどうしても思えない。

「ご両親はいつ日本へ戻られるご予定なんですか?」
「5年と聞いているので、来年ですね」
「来年には井沢さんは東京へ?」
「あ、いやいや、今は違いますよ。しぐれも東京へ戻る気はないでしょうし、俺も清倉の生活が気に入っているので、両親の都合に関係なく、引っ越すつもりはありません。八坂さんはどうなんですか?」
「私もずっと清倉で暮らすつもりでいます」
「そうですか。それはよかった」

 朝晴は心底ほっとしたような笑みを浮かべる。しぐれには同世代の友人がいないと心配していたから、安心したのかもしれない。

「大変な状況ですけれど、しぐれさん、助かってよかったですね。実は私、友人を交通事故で亡くしているんです。ほんとうに、助かってよかったです」
「そうでしたか……」

 言葉少なにあいづちを打つ朝晴の目には、同情のようなものが浮かんでいる。

 生と死の境目には大きな隔たりがある。大切な人が傷つくという、同じような経験をした者同士とはいえ、その重さは違うのだろう。あの人の死は、やはり朝晴には理解しがたい世界で起きたことなのだと実感してしまう。

「ごめんなさい。私の個人的な話をしてしまって。それじゃあ、そろそろ」

 逃げるようにあたまを下げ、この場を離れようとした。

「あっ、八坂さん」

 あわてて、彼が呼び止める。

「何か?」
「自転車を預けてくるので、一緒にカフェへ行きませんか?」
「カフェですか?」
「駅の方に新しいカフェができたんですよ。しぐれが気兼ねなく行けるのか、見てこようと思いまして」

 いつもそうやって、しぐれのために下調べをしているのだろうか。力になりたいとは思うが、必要以上に朝晴と過ごすのも違う気がして、未央は手もとを見下ろす。

「メロンを買ったので、今日は……」
「じゃあ、切り雨さんにおじゃましてもかまいませんか?」

 それでは、カフェへ誘ってきた理由がわからなくなる。まだ一緒にいたいのだと、はっきり言われた方がすっきりするだろうとは思ったが、彼にそんな気があってもなくても、未央は戸惑わずにはいられない。

「定休日ですので」

 言葉を選びながらそっとお断りすると、朝晴はあいまいな笑みを浮かべた。