帰り道、奈江は大野川にかかる彼岸橋で足を止めた。
欄干の前に立ち、川を眺める。両端から桜の枝が伸びる大野川は、幅の広くない小さな川だ。のぞき込めば、川底も見える。10年前と何も変わっていない。
あの夏の日、奈江はマメと一緒に橋の中ほどで、遥希が来るのを待っていた。そのとき、一人のおじさんを見かけた。
普段から人通りの多い橋ではないから、見慣れない顔のおじさんが、欄干から身を乗り出してきょろきょろとする姿は記憶に残った。
その姿を3日続けて見かけたとき、奈江が「いつもいるね」と遥希に言うと、彼も気になっていたのか、おじさんに声をかけた。
「何か困りごとですか?」
丁寧な口調ではあるが、あきらかにいぶかしそうな遥希が突然話しかけても、おじさんは落ち着いていた。
清潔感のあるシャツ、乱れのない髪に、穏やかな笑み。優しそうな人だ。奈江はそう思った。どことなく、おとなしい父親に似た雰囲気が、警戒心を弱めさせたのは間違いない。
「いつもここを通る子たちだよね」
と、おじさんが確かめるように言うから、奈江はうなずく。
「あるものを探しているんだよ」
「あるものって?」
遥希が尋ねた。
「どうにもあきらめきれない大切なものを探していてね」
おじさんはおもむろに身をかがめると、シェードとマメを交互に見つめる。
「賢そうな顔をしてるね。君たちの鼻なら見つけ出せるかな?」
なんて、冗談まじりに笑う。動物に対して優しい笑顔を見せられる人は信用できる。何より、慎重な性格のマメも、おじさんを怖がったりしなかった。
今思えば、あのおじさんが信用できる人かどうかなんてわかりっこないのに、奈江は力になれるならなりたいと思うお人好しだった。
「俺でよければ、力になります」
遥希も、困ってる人を見過ごせない正義心の持ち主だった。
「じゃあ、話だけ聞いてくれるかい?」
おじさんは迷ったようだが、結局、そう言った。どちらかというと、お節介な高校生に付き合ってくれた。そんな印象だった。
奈江は申し訳ないような気持ちになったが、おじさんが身の上話を始めると、すぐになんとかしなきゃという思いにかられた。遥希もまた、親身に耳を傾けていたから、気持ちは同じだっただろう。
「三ヶ月ほど前にね、学校帰りの息子が、橋のたもとで交通事故に巻き込まれそうになったんだよ。さいわい、息子はすり傷程度で助かったんだが、ランドセルにつけていた御守りがなくなってしまってね」
「御守りって、交通安全の?」
奈江が尋ねると、おじさんはうなずいた。
「妻が息子のために買った大切な御守りでね。私たちの結婚指輪が中に入れてあるから、どうしてもあきらめきれなくてね」
「どうして結婚指輪を?」
今度は遥希が尋ねると、おじさんは困ったような顔をした。言い出しにくかったのだと思う。
「妻は息子が小学校に上がる前に亡くなったんだ。息子が好きな紺色の御守りを宮原神社で買って、ランドセルにつけたその日に倒れてね、そのまま……」
「え……」
奈江が戸惑うと、大丈夫だよ、というように、遥希は優しい目をした。
「病気だったんだ。妻は覚悟していたんだろう。だから、御守りに指輪を入れた」
「息子さんを近くで守りたかったんですね」
遥希は淡々とそう言う。どこか他人事で、空々しい言い方だった。
奈江は兄ばかり可愛がる母親が苦手だった。子供のために、という親の行動を上手に受け止めたことがない。もしかしたら、遥希もそうなのかもしれないと思った。おじさんもそんな心の機微に気づいたようだが、優しさからか、触れずにうなずいた。
「そうだね。妻が息子を守ってくれたんだろう。だから、御守りはあきらめてもいいとは思うんだが……」