「2、3日前みたいです。倒して壊したみたいなんですけど、直りそうですか?」

 奈江の話にあいづちを打ちながら耳を傾ける青年は、電球を取り外すと、ふたたび、シェードの中をのぞき込む。

「倒したのはあんまり関係ないかもね。ソケットが原因な気がするよ。もうずいぶん変えてない?」

 そうなのか、と拍子抜けする奈江は、思っていたよりすぐに直りそうだ、と胸をなでおろす。

「買ってから、電球以外は一度も変えてないと思います」
「じゃあ、寿命かもしれないね。きっとソケットだろうけど、ほかのところもきちんと確認するから、お預かりしていいかな?」
「どのくらいかかりそうですか?」
「1時間もあれば。ここに、名前と連絡取れる電話番号だけ書いてもらっていい?」

 預かり証と書かれた用紙とボールペンを渡される。フルネームと携帯番号を書き込むと、青年は「早坂さんね」と言い、早速、作業台の椅子に腰かけた。

「修理が終わったら連絡入れるよ」
「ここで待っててもいいですか?」

 そう尋ねると、青年は不思議そうな顔をする。

「いいけど、退屈するなら出てもらってかまわないよ」
「待つのは気にならないんです」

 何もしない時間が、奈江はわりと好きだ。けれど、スポーツマン風の彼には、何もせずにじっとしているなんておかしく思えたのだろう。あきれたような表情をしつつ、入り口の方を指差す。

「そこにある椅子に座ってていいよ」

 奈江は言われるがままに、木製のスツールに腰かけた。そのまま、壁際に並ぶビンテージランプを一つずつ眺めていく。

 多くは、さまざまな形をしたテーブルランプだ。ガラスシェードには花や植物の模様が入っている美しいものばかり。おそらく、芸術品に疎くても知っている人の多い、アールヌーボー時代の作品だろう。

 その中で、棚の端に置かれたテーブルランプに目が止まる。何がどう、ほかと違うのか、それを問われてもうまくは答えられないが、どうにも心惹かれる佇まいをしたそれが、気になって仕方ない。

 奈江はそのランプの元へ歩み寄ると、目線を合わせるようにかがみ込む。模様のないガラスシェードは、柔らかみのあるすずらんの形をしている。華々しいわけでもなく、地味なわけでもない。哀愁漂う儚さの中に強さも感じられる不思議な作品で、どうにも目が離せなくなる。

「それ、気に入った?」

 しばらく眺めていると、作業の手をとめた青年が話しかけてくる。

「ほかのものと違う気がして……」
「へえ。わかるんだ?」

 感心する彼だけれど、茶化すようでもある。漠然とそう感じるだけで、ほかのものと何が違うのかわからない奈江にとっては、彼の真意が読めない。

「おいくらぐらいするものなんですか?」
「それは、3万」

 ビンテージランプは高価な印象があったが、思っていたよりもお値打ちだ。薄給の奈江でも手が届きそうと思えるような。

 ほかと違う感じがしたのは安いものだから、というなら、それに心惹かれた自分の目が節穴な気がして恥ずかしくなる。

「意外とお手頃な価格なんですね。即決では買えないけど」

 とは言え、安いと飛び付ける値段でもないからそう言うと、青年はおかしそうに目を細める。

「埋もれた才能っていうのかな。そいつは無名作家の作品なんだよ」
「有名な作家さんの作品じゃないんですね」

 だから、お手頃な価格なのだ。ほかのものと遜色のない美しさがあるのに、価値とはわからないものだ。

「そのガラスシェードは、1900年代の作品に間違いないんだよ。だけど、誰が制作したのかはわからない。その上、どこかでベースが付け替えられたみたいで、芸術的な価値は低い。でもさ、現代的な細工と相まって、すごく魅力的だろう?」

 確かに言われてみれば、繊細な葉の模様のついた金属製の台は、滑らかな曲線を描き、可愛らしいすずらん型のシェードを支えていて、その調和の取れた姿には、凛とした優美さがある。

「本当にすごく綺麗ですよね。明かりをつけたら、どんな感じになるんですか?」
「つけてみる?」
「いいんですか?」
「気に入ったなら、売ってあげるよ。今なら、半額」

 たいそうな大盤振る舞いだ。

「でも、売らないんじゃ?」
「これだけはいいんだ」

 青年はそう言って、ランプを手に取ると、作業台に運ぶ。

 スイッチが入ると、奈江は息を飲むようにして、明かりを灯すランプを見つめた。淡いオレンジの黄昏色は、ふんわりと優しい色味。見るものの心を穏やかにするような。このランプは、いろんな人の手を渡りながら、その人たちの心を癒してきたのだろう。そんな歴史まで感じられる。

 しばらくじっと見つめていた奈江だが、視線を感じて目をずらす。黄昏色の奥で、こちらを見つめる青年と目が合う。

 奈江は人と目を合わせるのが得意ではない。どきりとして、あわてて目をそらす。

「これも、フランスまで行って買い付けてきたんですか?」

 沈黙を裂くように尋ねた。

「そうだよ。最後の買い付けで出会ったんだ」

 神妙な口調で、彼はそう言う。

 店主の吉沢が買い付けた最後の作品だとしたら、とても大切なものではないだろうか。

 しかし、これだけは売ってもいい、と青年は言った。もしかしたら、店主が買い付けた作品ではないのかもしれない。だとしたら、考えられるのはひとりだけだ。

「あのー、こちらに吉沢遥希さんって息子さんがいらっしゃいましたよね。息子さんは買い付けはやらないんですか?」

 気になって尋ねてみると、青年は意外そうに眉をあげる。

「遥希を知ってるんだ?」
「はい。最近はずっとお会いしてないんですけど。遥希さん、お元気ですか?」
「そうか。知らされてないんだね。残念だけど、遥希は亡くなったよ」

 そう言うと、彼は小さく息をついた。