「この間、買った本は読んだ?」
椅子に並んで腰かけると、秋也が尋ねてくる。
「しっかりとはまだなんですけど、アールヌーボーの時代は高級志向なだけあって、もう二度と出て来ないんじゃないかって思うぐらいの素敵な作品ばかりですよね」
「そうなんだよ。何か気になる工芸作家はいた?」
「あっ、それなんですけど、ティファニーもあるんですね。もしかして、階段のところにあったステンドグラスのランプって、ティファニーですか?」
生成りのカーテンの方を奈江が指差すと、秋也は「ああ」と笑顔になる。
「覚えてた? あれは、本物じゃないけどね。ティファニー調ではあるよ。早坂さん、気に入ってたよね」
秋也こそ覚えていたのだ。以前、キッチンでコーヒーをごちそうになったとき、2階へ続く階段の昇り口に飾られたステンドグラスのランプに見とれていたのを。
「本物はないんですか?」
「残念ながら」
「そうなんですか……」
とても高級なランプだけど、もしかしたら、吉沢らんぷにならあるかもしれないと期待していただけに、ほんの少しがっかりしつつ、奈江は秋也の用意してくれた本を手に取る。
「それは、ジャポニズムとアールヌーボーの関係を解説した本だね」
秋也はそう言って、表紙を開く奈江の横顔を楽しそうに眺める。
「日本と関係性が強いんですよね? 一冊読むと、あれもこれもって、気になることが増えちゃいますね」
「勉強、好きなの?」
奈江は本から顔をあげて、首をかたむける。
「好き……っていうか、癖みたいなものかもしれないです」
「癖?」
意外な返事だったのか、秋也は目を丸くする。
「母が教育熱心だったので、小さな頃からとにかく検定を受けるようにって育ったんです。検定が目的っていうより、目標があれば、どう頑張ればいいかわかるでしょっていうような、入門的な感じではあったと思うんですけど」
「じゃあ、何かを勉強しようとなったら、まずはやってみるって感じが身についてるんだ? 頑張り屋なんだね、早坂さんは」
「そんなことは、全然。……勉強は全然得意じゃなくて、人より時間がかかっちゃうんです」
そうやって育ったのは、奈江だけではない。もちろん、兄も同じだ。兄は検定も資格もスムーズに合格するタイプだったが、奈江は違った。同じ兄妹なのにこうも違うのかと揶揄されるぐらいには、その差は歴然だった。
奈江は実績をゆっくりとしたスピードで積み上げるしかできなくて、母が思うような結果を出せたことはなかったし、頑張り屋だねなんて褒められたこともなかった。
「人と比べる必要はないと思うけどさ、俺、頑張ってる人は好きだよ」
秋也は羨ましいぐらい素直で、ストレートに言葉を伝えてくれる。
どうしたら、こんなにまっすぐな感情を持つ人になれるのだろう。羨望と憧れの目で、奈江は彼を見つめる。
初対面のときは目を合わせるのも苦手だったけど、今は何も怖くない。彼が自分を傷つけないことはわかっているし、愛情のある優しい眼差しには心が温まる。
「猪川さんに好きって言ってもらえると、自分を好きになれる気がするんです」
彼が素直だから、自分もそうなれるかもしれない。そんな優しい錯覚をくれる人だ。
「じゃあ、俺たち、お互いに高め合っていけそうだよな」
「高め合うって?」
秋也はこちらに身体を向ける。自然と奈江も彼と向き合う。
「たとえば、この人とはいろんな価値観が合うから結婚したいって思って夫婦になったとき、お互いは同程度だと思うんだよ。でもさ、人は成長するだろ? 片方が成長するのに片方が変わらないでいたら、いつかほころびが出るんじゃないかって思うんだ。だから、お互いに成長していける人が好きだし、そういう人と結婚したいって思うよ」
「結婚願望があるんですね」
「一生独身でいたいとは思ってないかな。早坂さんは結婚を考えたことはある?」
「私は……」
奈江は目を伏せて、しばらく黙り込む。
やはり、彼と恋人関係になったら、結婚がちらつく日は来るのだろう。ただ、秋也の結婚観を垣間見たら、自信がますますなくなった。彼はずっと成長していける人だ。自分がそれについていける自信がない。
「私は」
「うん?」
秋也はいつもより優しく目尻を下げて、こちらを見つめてくる。奈江の言葉を辛抱強く待ち、どんな言葉であろうとも受け止めようとしてくれているみたいに。だから、奈江はいつも素直に胸の内が明かせるのだと思う。
椅子に並んで腰かけると、秋也が尋ねてくる。
「しっかりとはまだなんですけど、アールヌーボーの時代は高級志向なだけあって、もう二度と出て来ないんじゃないかって思うぐらいの素敵な作品ばかりですよね」
「そうなんだよ。何か気になる工芸作家はいた?」
「あっ、それなんですけど、ティファニーもあるんですね。もしかして、階段のところにあったステンドグラスのランプって、ティファニーですか?」
生成りのカーテンの方を奈江が指差すと、秋也は「ああ」と笑顔になる。
「覚えてた? あれは、本物じゃないけどね。ティファニー調ではあるよ。早坂さん、気に入ってたよね」
秋也こそ覚えていたのだ。以前、キッチンでコーヒーをごちそうになったとき、2階へ続く階段の昇り口に飾られたステンドグラスのランプに見とれていたのを。
「本物はないんですか?」
「残念ながら」
「そうなんですか……」
とても高級なランプだけど、もしかしたら、吉沢らんぷにならあるかもしれないと期待していただけに、ほんの少しがっかりしつつ、奈江は秋也の用意してくれた本を手に取る。
「それは、ジャポニズムとアールヌーボーの関係を解説した本だね」
秋也はそう言って、表紙を開く奈江の横顔を楽しそうに眺める。
「日本と関係性が強いんですよね? 一冊読むと、あれもこれもって、気になることが増えちゃいますね」
「勉強、好きなの?」
奈江は本から顔をあげて、首をかたむける。
「好き……っていうか、癖みたいなものかもしれないです」
「癖?」
意外な返事だったのか、秋也は目を丸くする。
「母が教育熱心だったので、小さな頃からとにかく検定を受けるようにって育ったんです。検定が目的っていうより、目標があれば、どう頑張ればいいかわかるでしょっていうような、入門的な感じではあったと思うんですけど」
「じゃあ、何かを勉強しようとなったら、まずはやってみるって感じが身についてるんだ? 頑張り屋なんだね、早坂さんは」
「そんなことは、全然。……勉強は全然得意じゃなくて、人より時間がかかっちゃうんです」
そうやって育ったのは、奈江だけではない。もちろん、兄も同じだ。兄は検定も資格もスムーズに合格するタイプだったが、奈江は違った。同じ兄妹なのにこうも違うのかと揶揄されるぐらいには、その差は歴然だった。
奈江は実績をゆっくりとしたスピードで積み上げるしかできなくて、母が思うような結果を出せたことはなかったし、頑張り屋だねなんて褒められたこともなかった。
「人と比べる必要はないと思うけどさ、俺、頑張ってる人は好きだよ」
秋也は羨ましいぐらい素直で、ストレートに言葉を伝えてくれる。
どうしたら、こんなにまっすぐな感情を持つ人になれるのだろう。羨望と憧れの目で、奈江は彼を見つめる。
初対面のときは目を合わせるのも苦手だったけど、今は何も怖くない。彼が自分を傷つけないことはわかっているし、愛情のある優しい眼差しには心が温まる。
「猪川さんに好きって言ってもらえると、自分を好きになれる気がするんです」
彼が素直だから、自分もそうなれるかもしれない。そんな優しい錯覚をくれる人だ。
「じゃあ、俺たち、お互いに高め合っていけそうだよな」
「高め合うって?」
秋也はこちらに身体を向ける。自然と奈江も彼と向き合う。
「たとえば、この人とはいろんな価値観が合うから結婚したいって思って夫婦になったとき、お互いは同程度だと思うんだよ。でもさ、人は成長するだろ? 片方が成長するのに片方が変わらないでいたら、いつかほころびが出るんじゃないかって思うんだ。だから、お互いに成長していける人が好きだし、そういう人と結婚したいって思うよ」
「結婚願望があるんですね」
「一生独身でいたいとは思ってないかな。早坂さんは結婚を考えたことはある?」
「私は……」
奈江は目を伏せて、しばらく黙り込む。
やはり、彼と恋人関係になったら、結婚がちらつく日は来るのだろう。ただ、秋也の結婚観を垣間見たら、自信がますますなくなった。彼はずっと成長していける人だ。自分がそれについていける自信がない。
「私は」
「うん?」
秋也はいつもより優しく目尻を下げて、こちらを見つめてくる。奈江の言葉を辛抱強く待ち、どんな言葉であろうとも受け止めようとしてくれているみたいに。だから、奈江はいつも素直に胸の内が明かせるのだと思う。