ロベルトと父親が色鮮やかなテントの露店に並び始めたとき、私は一つの事柄に気が付いた。それは、私と同じ同僚たちの存在だった。
皆、それぞれターゲットから少し距離を置いていたが、見る限り、このテントに向かって、少なくとも三人の同僚の存在を私は確認していた。
こういった場合に想定できるのは、このテントをきっかけに起こる突発的な大きな事故か、もしくはこのテントに向かって起こる突発的な大きな事件だ。
今の時代、起こりうる前者の事故ならば、食あたりだったり、火災などが考えることができ、後者ならば、テントに向かって並ぶ客の列に車が突っ込んだり、故意的に銃を乱射するような反社会分子の仕業が考えられる。
いずれにせよ、フィラデルフィアという街がいくら大都会だとはいえ、まったく同じ時刻、同じ場所に、私たちのような存在が一同に介することは珍しい。人が頻繁に戦争で命を失っていた時代に於いては、もっとたくさんの死の使いたちが一つ処に集まるのは珍しくなかったが。
ロベルトよりも後ろに並んでいた老人の陰から、同僚のスタンリーが顔を出し、私に声を掛けた。他にもいる同僚の気配を、やはりめずらしいことだと感じ取ってのことだろう。
「やあ、ジム。どうやら君のターゲット辺りを起点に、何かが起こりそうだな?」
「そのようだな。なぁ? 君は一体、此処で何が起こると思う?」
訊ねると、スタンリーは顔色一つ変えずに即答した。
「さぁ? でも間違いなく、私たちの職務の数だけ、人間が死ぬのは確かなことだ」
間違いなく、彼の言うことは正しいが、私はそれ以上、彼と言葉を交わそうとは思わなかった。
変わらず会話を弾ませる女性客たちの後ろで、ロベルトと父親はそわそわと前の客たちの数を数えていた。自分たちが列の先頭に行きつくまでにかかる時間を計っているのだろうが、そんなことは意味がないことだ。数えようと数えまいと、必要となる時間は変わることはない。人間とは不思議なことをするものだが、これは多くの人が決まってやる仕種のひとつでもあった。
ゆっくりと列が動き出すと、店から漂ってくる強烈に食欲をそそる匂いと期待に、ロベルトが父親に向かって叫ぶ。
「パパ! ごはん! パパ! 食べよう!」
「あぁ! そうだよ! ごはんだ!」
父親はロベルトを高く抱え上げ、テントの中で忙しそうに調理する男たちの姿を見せてやった。
「うまそうだな! もうすぐ、あのイタリア風チーズステーキにかぶりつけるんだぞ? 楽しみだな!」
そして再びロベルトを下へ降ろすと、父親は彼の手をしっかりと握った。
列が動き、露店の先頭へ向かうにつれ、テントの中で作業する従業員の二人にも、私たちと同じ死の使いが見守っているのに私は気付いた。そして、その内の一人にはアニーが付いている。彼女も私に気付いた様子で、私へと歩み寄ってきて言った。
「どうやら、この場所で何か起こるようね。私たちが一つの場所に集まるほどだから、もう後、僅《わず》かな時間よ」
「そのようだ。君のターゲットはあの彼か?」
私がテントの中で忙しそうに動き回る男を指差すと、彼女は肯いた。
「ルカと言う名の男よ。その隣の同僚のターゲットはリカルドと言う名前」
「なぁ? 君のターゲットはどんな男だった?」
質問すると、彼女は驚いて私の顔を見た。
「名前意外の情報など知らないわ。それに、彼がどんな男かだなんて、私たちが知る必要などないはずよ」
彼女の言葉が、どこか私の胸の内を苦しくさせる。
以前の私ならば、やはり彼女が答えた通りの返答をしただろう。
アニーにしろ、スタンリーにしろ、以前の私にしろ、彼等は与えられた職務を忠実に遂行しているのだ。しかし、今の私は以前のように、そして今の彼等のように仕事を熟していると言えるだろうか?
今の私は、明らかに人間に対して興味を持ち、そして彼等を理解したいと望んでいる。ヴァレリーの言葉を初めて聞いたあの日から、何か薄いもやのような物が私の心に覆いかぶさり、そしてケイトと話したあの日には、そのもやの正体がはっきりと具現化したように感じた。
死の使いである今の自分と、その掟に反して、彼等人間との関わりを断ち切りたくないという思い。気が付けば私は、人間が抱く『葛藤』という感情を内に秘めていた。
「ジム?」
思い詰める私の様子を、アニーが心配そうに伺っている。
「私のターゲットであるロベルトは、まだ四歳にも満たない子供なんだ」
私が話し始めると、アニーは黙って次の言葉を待った。
「彼は両親の愛情にも恵まれ、ここ数日監視している間だけでも、様々なことを経験し、そして学んでいる――」
「ジム? あなた一体何が言いたいの?」
アニーは私の真意が掴めずに、私の言葉を遮るように切り返した。
「彼はまだ、死という事象に対して、何の知識もなければ、何の理解もないんだ。彼はまだ、死そのものについて何も知らない」
私が訴えると、やはり彼女もスタンリー同様、顔色一つ変えることなく答えた。
「えぇ、そうね。それが彼の運命よ」
また私の心に、棘が刺すような痛みが走る。
そして私は再び思い知った。この心の痛みもまた、私がいつの間にか手にしていた新たな感情だということを。
「なぁ、アニー。なんとかロベルトの死を逸らすことはできないだろうか」
私がそう口にすると、アニーは怒りをあらわにした。
「ジム! あなたもわかってるはずよ! 私たちの仕事は、彼等の死を逸らすことではなく、彼等の魂を無事に冥界へと送り届けることよ!」
彼女の反応は初めからわかっていた。わかっていたはずなのに、私はもしかしたらと、アニーに対して淡い期待を抱いていた。
以前の私なら、そんなことを考えもしなかっただろう。この期待という感情――これも、彼等人間と接することで手に入れた物の一つだろうと私は思った。
「どうやら時間ね……」
アニーがロベルトを差した。彼等はいつの間にか列の先頭へと進んでいる。
「なぁ? このイタリア風チーズステーキってのは一体どんな物なんだ?」
父親が訊ねると、テントの男は説明を始めた。
「大きなタイガー海老に、ローズマリーの葉とパルメジャーノレッジャーノを細かく微塵切りにしたものをたっぷり付けて、パン粉を塗して、オリーブオイルを回しかけて焼くんだ! それを少し硬めのパンに挟むのさ」
男が説明していると、奥で調理していた別の男が叫んだ。
「おい、ルカ! 外のボンベを交換してくれ! コンロの火が一発消えちまったよ!」
調理する男は慌ただしく動き回っていた。別の同僚の視線が彼に注がれている。この男がリカルドという名前の男だろう。
「じゃあそれを二つくれ!」
父親は財布を取り出し、紙幣をカウンターの上に置いた。そのとき、自分の側にいたはずのロベルトが近くに見当たらないことに気付いた。
「ロベルト? どこ行った!?」
ロベルトは露店の真横に置かれた、数本のガスボンベの陰にいた。
今まで嗅いだことのない匂いがロベルトの足元から漂っている。ボンベに繋がる劣化したホースの僅かな裂け目から感じるガスの勢いと、そして不思議な匂い。そこへ、テントの脇からボンベを交換するためにルカが慌てて飛び出した時だった。
テントをめくり上げたすぐ足元にいたロベルトに気付かずに、ルカはロベルトに躓き、そして倒れ込んでいく。
運悪く、彼の左手に引っかかった大きな別ボンベのホースは、ボンベごと、ロベルトの上へと倒れ込んでいった。
ボンベが地面に接触した瞬間、チカチカと白い光が無数に広がって行き、そしてロベルトはこう思った。
「きれい……」
ロベルトがその光に魅入っていた刹那に、彼に起こるすべての出来事は終わった。そして、そのテントの周りにいる人々に起こる出来事が始まった。
乾いた爆発音がマーケット内に響き渡る。マーケットを歩く人々は、驚きのあまり身動きを止めた。すぐに続いて再び複数の爆発音が響くと、大小様々な金属片や石が、放たれた矢のように、そこにいた人々を襲った。テントは大きな火柱を上げてすでに炎上を始めている。
悲鳴を上げながら逃げ惑う者に、恐怖のあまり動けない者、人々の流れに押し潰され、踏み付けられる者。そして炎に飲み込まれる者。裂けたホースの切れ目から顔を覗かせた悪魔が、この場所に這い出て小さな地獄と化したように私の目には見えた。
「みんなはどうしたの?」
ロベルトが私の手を握りながら、不安そうに私を見上げる。
「大きな事故があったんだ。その事故によって、皆、傷付いている」
傷付き、泣き叫びながら逃げ惑う人々を見ながら、ロベルトは悲しそうな顔をした。
「じゃあ、急いでお医者さんに行かなきゃ! みんな、治るんでしょ?」
「あぁ、治る者もいれば、治らない者もいる」
ロベルトは驚いてま私の顔を再び見上げて言った。
「治らない人もいるの⁉」
「あぁ、医者でも治せない者もある。例えば、君みたいに肉体の損傷が激しい者は、医者でも治すことはできない」
私の意見が不服なのか、ロベルトは私を拒絶するように目を逸らすと、再び事故の様子を見つめた。
「ロベルト、そろそろ私たちは行かねばならない。君がこれから行くべき所へ」
「そこはどこなの? ここから遠いの? パパやママ、お姉ちゃんと離れるのは嫌だよ!」
ロベルトの言葉に私は驚いた。彼は本能的に自分の死を知っているように感じ取れたからだ。もしそうでなければ、彼の口から家族と離れるのは嫌だなどと言う言葉は出てこない。
「ロベルト、もし君がここに留まれば、事故で死んだその悲しみに捕われて、やがて君は自我を失い、負の塊になってしまう」
「それでもパパたちから離れるのは嫌だ!」
ロベルトは私の手を振り払うと、私を激しく拒絶し、意地でも行かないという態度を示す。
「ロベルト‼ ロベルト‼」
倒れ込む人々やその場から逃げ出す人々の中から、ロベルトを探す父親の悲痛な叫び声が聞こえる。
「パパ⁉ パパ! ここだよ! ここにいるよ!」
ロベルトは必死に父親に向かって助けを求めるが、彼にはロベルトの声は決して届かないのを、私は知っている。
最初の爆発で、テントの中の男共々吹き飛ばされたロベルトは、その小さな体はバラバラになり、後から爆発で倒れて来たテントの下敷きになってしまっていた。
「ロベルト⁉ どこだ⁉ ロベルト!」
あの爆発から逃げ出すこともせずに、父親は人々の流れに逆らって最愛の息子を探す。まだ火の手は消えてはおらず、時折小さな爆発音も聞こえてくる。
「パパ! 僕はここだよ‼」
「ロベルト。残念だが君の声は彼には聞こえないんだ。それが死というものなんだ」
ロベルトの肩に手をやると、彼はその手を振り払って私を睨みつけた。
「うるさい! パパは絶対に僕を見捨てたりしない! パパは絶対に僕を見付けるんだ!」
そう叫ぶロベルトの目は、自分の発した言葉すべてを信じて疑わない者の目だった。
「ロベルト⁉ ロベルト? そこか⁉」
父親はそう叫ぶと、まるでロベルトの声に導かれるかのようにまっすぐとテント脇の瓦礫の元へと駆け付けた。そしておもむろに、まだ火の煙る高温の鉄屑や瓦礫を退かし始めると、やがて我を失ったような悲痛な叫び声で彼の名を呼んだ。
皆、それぞれターゲットから少し距離を置いていたが、見る限り、このテントに向かって、少なくとも三人の同僚の存在を私は確認していた。
こういった場合に想定できるのは、このテントをきっかけに起こる突発的な大きな事故か、もしくはこのテントに向かって起こる突発的な大きな事件だ。
今の時代、起こりうる前者の事故ならば、食あたりだったり、火災などが考えることができ、後者ならば、テントに向かって並ぶ客の列に車が突っ込んだり、故意的に銃を乱射するような反社会分子の仕業が考えられる。
いずれにせよ、フィラデルフィアという街がいくら大都会だとはいえ、まったく同じ時刻、同じ場所に、私たちのような存在が一同に介することは珍しい。人が頻繁に戦争で命を失っていた時代に於いては、もっとたくさんの死の使いたちが一つ処に集まるのは珍しくなかったが。
ロベルトよりも後ろに並んでいた老人の陰から、同僚のスタンリーが顔を出し、私に声を掛けた。他にもいる同僚の気配を、やはりめずらしいことだと感じ取ってのことだろう。
「やあ、ジム。どうやら君のターゲット辺りを起点に、何かが起こりそうだな?」
「そのようだな。なぁ? 君は一体、此処で何が起こると思う?」
訊ねると、スタンリーは顔色一つ変えずに即答した。
「さぁ? でも間違いなく、私たちの職務の数だけ、人間が死ぬのは確かなことだ」
間違いなく、彼の言うことは正しいが、私はそれ以上、彼と言葉を交わそうとは思わなかった。
変わらず会話を弾ませる女性客たちの後ろで、ロベルトと父親はそわそわと前の客たちの数を数えていた。自分たちが列の先頭に行きつくまでにかかる時間を計っているのだろうが、そんなことは意味がないことだ。数えようと数えまいと、必要となる時間は変わることはない。人間とは不思議なことをするものだが、これは多くの人が決まってやる仕種のひとつでもあった。
ゆっくりと列が動き出すと、店から漂ってくる強烈に食欲をそそる匂いと期待に、ロベルトが父親に向かって叫ぶ。
「パパ! ごはん! パパ! 食べよう!」
「あぁ! そうだよ! ごはんだ!」
父親はロベルトを高く抱え上げ、テントの中で忙しそうに調理する男たちの姿を見せてやった。
「うまそうだな! もうすぐ、あのイタリア風チーズステーキにかぶりつけるんだぞ? 楽しみだな!」
そして再びロベルトを下へ降ろすと、父親は彼の手をしっかりと握った。
列が動き、露店の先頭へ向かうにつれ、テントの中で作業する従業員の二人にも、私たちと同じ死の使いが見守っているのに私は気付いた。そして、その内の一人にはアニーが付いている。彼女も私に気付いた様子で、私へと歩み寄ってきて言った。
「どうやら、この場所で何か起こるようね。私たちが一つの場所に集まるほどだから、もう後、僅《わず》かな時間よ」
「そのようだ。君のターゲットはあの彼か?」
私がテントの中で忙しそうに動き回る男を指差すと、彼女は肯いた。
「ルカと言う名の男よ。その隣の同僚のターゲットはリカルドと言う名前」
「なぁ? 君のターゲットはどんな男だった?」
質問すると、彼女は驚いて私の顔を見た。
「名前意外の情報など知らないわ。それに、彼がどんな男かだなんて、私たちが知る必要などないはずよ」
彼女の言葉が、どこか私の胸の内を苦しくさせる。
以前の私ならば、やはり彼女が答えた通りの返答をしただろう。
アニーにしろ、スタンリーにしろ、以前の私にしろ、彼等は与えられた職務を忠実に遂行しているのだ。しかし、今の私は以前のように、そして今の彼等のように仕事を熟していると言えるだろうか?
今の私は、明らかに人間に対して興味を持ち、そして彼等を理解したいと望んでいる。ヴァレリーの言葉を初めて聞いたあの日から、何か薄いもやのような物が私の心に覆いかぶさり、そしてケイトと話したあの日には、そのもやの正体がはっきりと具現化したように感じた。
死の使いである今の自分と、その掟に反して、彼等人間との関わりを断ち切りたくないという思い。気が付けば私は、人間が抱く『葛藤』という感情を内に秘めていた。
「ジム?」
思い詰める私の様子を、アニーが心配そうに伺っている。
「私のターゲットであるロベルトは、まだ四歳にも満たない子供なんだ」
私が話し始めると、アニーは黙って次の言葉を待った。
「彼は両親の愛情にも恵まれ、ここ数日監視している間だけでも、様々なことを経験し、そして学んでいる――」
「ジム? あなた一体何が言いたいの?」
アニーは私の真意が掴めずに、私の言葉を遮るように切り返した。
「彼はまだ、死という事象に対して、何の知識もなければ、何の理解もないんだ。彼はまだ、死そのものについて何も知らない」
私が訴えると、やはり彼女もスタンリー同様、顔色一つ変えることなく答えた。
「えぇ、そうね。それが彼の運命よ」
また私の心に、棘が刺すような痛みが走る。
そして私は再び思い知った。この心の痛みもまた、私がいつの間にか手にしていた新たな感情だということを。
「なぁ、アニー。なんとかロベルトの死を逸らすことはできないだろうか」
私がそう口にすると、アニーは怒りをあらわにした。
「ジム! あなたもわかってるはずよ! 私たちの仕事は、彼等の死を逸らすことではなく、彼等の魂を無事に冥界へと送り届けることよ!」
彼女の反応は初めからわかっていた。わかっていたはずなのに、私はもしかしたらと、アニーに対して淡い期待を抱いていた。
以前の私なら、そんなことを考えもしなかっただろう。この期待という感情――これも、彼等人間と接することで手に入れた物の一つだろうと私は思った。
「どうやら時間ね……」
アニーがロベルトを差した。彼等はいつの間にか列の先頭へと進んでいる。
「なぁ? このイタリア風チーズステーキってのは一体どんな物なんだ?」
父親が訊ねると、テントの男は説明を始めた。
「大きなタイガー海老に、ローズマリーの葉とパルメジャーノレッジャーノを細かく微塵切りにしたものをたっぷり付けて、パン粉を塗して、オリーブオイルを回しかけて焼くんだ! それを少し硬めのパンに挟むのさ」
男が説明していると、奥で調理していた別の男が叫んだ。
「おい、ルカ! 外のボンベを交換してくれ! コンロの火が一発消えちまったよ!」
調理する男は慌ただしく動き回っていた。別の同僚の視線が彼に注がれている。この男がリカルドという名前の男だろう。
「じゃあそれを二つくれ!」
父親は財布を取り出し、紙幣をカウンターの上に置いた。そのとき、自分の側にいたはずのロベルトが近くに見当たらないことに気付いた。
「ロベルト? どこ行った!?」
ロベルトは露店の真横に置かれた、数本のガスボンベの陰にいた。
今まで嗅いだことのない匂いがロベルトの足元から漂っている。ボンベに繋がる劣化したホースの僅かな裂け目から感じるガスの勢いと、そして不思議な匂い。そこへ、テントの脇からボンベを交換するためにルカが慌てて飛び出した時だった。
テントをめくり上げたすぐ足元にいたロベルトに気付かずに、ルカはロベルトに躓き、そして倒れ込んでいく。
運悪く、彼の左手に引っかかった大きな別ボンベのホースは、ボンベごと、ロベルトの上へと倒れ込んでいった。
ボンベが地面に接触した瞬間、チカチカと白い光が無数に広がって行き、そしてロベルトはこう思った。
「きれい……」
ロベルトがその光に魅入っていた刹那に、彼に起こるすべての出来事は終わった。そして、そのテントの周りにいる人々に起こる出来事が始まった。
乾いた爆発音がマーケット内に響き渡る。マーケットを歩く人々は、驚きのあまり身動きを止めた。すぐに続いて再び複数の爆発音が響くと、大小様々な金属片や石が、放たれた矢のように、そこにいた人々を襲った。テントは大きな火柱を上げてすでに炎上を始めている。
悲鳴を上げながら逃げ惑う者に、恐怖のあまり動けない者、人々の流れに押し潰され、踏み付けられる者。そして炎に飲み込まれる者。裂けたホースの切れ目から顔を覗かせた悪魔が、この場所に這い出て小さな地獄と化したように私の目には見えた。
「みんなはどうしたの?」
ロベルトが私の手を握りながら、不安そうに私を見上げる。
「大きな事故があったんだ。その事故によって、皆、傷付いている」
傷付き、泣き叫びながら逃げ惑う人々を見ながら、ロベルトは悲しそうな顔をした。
「じゃあ、急いでお医者さんに行かなきゃ! みんな、治るんでしょ?」
「あぁ、治る者もいれば、治らない者もいる」
ロベルトは驚いてま私の顔を再び見上げて言った。
「治らない人もいるの⁉」
「あぁ、医者でも治せない者もある。例えば、君みたいに肉体の損傷が激しい者は、医者でも治すことはできない」
私の意見が不服なのか、ロベルトは私を拒絶するように目を逸らすと、再び事故の様子を見つめた。
「ロベルト、そろそろ私たちは行かねばならない。君がこれから行くべき所へ」
「そこはどこなの? ここから遠いの? パパやママ、お姉ちゃんと離れるのは嫌だよ!」
ロベルトの言葉に私は驚いた。彼は本能的に自分の死を知っているように感じ取れたからだ。もしそうでなければ、彼の口から家族と離れるのは嫌だなどと言う言葉は出てこない。
「ロベルト、もし君がここに留まれば、事故で死んだその悲しみに捕われて、やがて君は自我を失い、負の塊になってしまう」
「それでもパパたちから離れるのは嫌だ!」
ロベルトは私の手を振り払うと、私を激しく拒絶し、意地でも行かないという態度を示す。
「ロベルト‼ ロベルト‼」
倒れ込む人々やその場から逃げ出す人々の中から、ロベルトを探す父親の悲痛な叫び声が聞こえる。
「パパ⁉ パパ! ここだよ! ここにいるよ!」
ロベルトは必死に父親に向かって助けを求めるが、彼にはロベルトの声は決して届かないのを、私は知っている。
最初の爆発で、テントの中の男共々吹き飛ばされたロベルトは、その小さな体はバラバラになり、後から爆発で倒れて来たテントの下敷きになってしまっていた。
「ロベルト⁉ どこだ⁉ ロベルト!」
あの爆発から逃げ出すこともせずに、父親は人々の流れに逆らって最愛の息子を探す。まだ火の手は消えてはおらず、時折小さな爆発音も聞こえてくる。
「パパ! 僕はここだよ‼」
「ロベルト。残念だが君の声は彼には聞こえないんだ。それが死というものなんだ」
ロベルトの肩に手をやると、彼はその手を振り払って私を睨みつけた。
「うるさい! パパは絶対に僕を見捨てたりしない! パパは絶対に僕を見付けるんだ!」
そう叫ぶロベルトの目は、自分の発した言葉すべてを信じて疑わない者の目だった。
「ロベルト⁉ ロベルト? そこか⁉」
父親はそう叫ぶと、まるでロベルトの声に導かれるかのようにまっすぐとテント脇の瓦礫の元へと駆け付けた。そしておもむろに、まだ火の煙る高温の鉄屑や瓦礫を退かし始めると、やがて我を失ったような悲痛な叫び声で彼の名を呼んだ。