〜小さな違和感〜

 大学に入学してからも、事件の捜査は続いていた。

 なかなか証拠が見つからずにいた中、大学内ではある噂が流れるようになった。

 それは、お父さんと御影教授に関する噂だった。

 二人は同じ学部の教授で、関わる機会も多かった。

 しかし、二人は仲が良い方ではなく、時々言い争うこともあったそうだ。

 内容は研究に関することがほとんどだった。 

 「あれ。そこに居るのは哀れな黒崎教授のご息女じゃないか?」

 その時、冷ややかな声が聞こえた。

 「……御影教授」

 「どうしてここに居るんだ。ここは医学部エリアだぞ」

 あ……。

 本当だ。

 考えごとをしていたら、いつの間にかこっちまで来ていたようだ。

 「でも、違う学部の生徒が医学部エリアに入っていけないルールはありませんよね」

 その時、御影教授が顔をしかめたのが分かった。

 ヤバっ。

 ストレート過ぎたかな。

 「……はぁ。親も親なら子も子だな。なんだ、その態度は。失礼だとは思わないのか」

 失礼なのは教授の方でしょ。

 しかし、そんなことは流石に言えなかった。

 「……すみません。では、失礼します」

 こういう場合、素直に謝るのが正解だと思った。

 それに、早くここから立ち去った方が良いだろう。

 「黒崎教授も可哀想だよなー。研究が認められた最中に殺されたんだもんな。あ、でもあの研究って盗用したものだったか」

 「……は?」

 「元々は私がまとめた論文だったのにな。まぁ、陽菜さんにとっては良かったんじゃないか? 犯罪者の娘よりかは、被害者の娘の方が同情心得られるもんな」

 ……この人は何を言っているの。

 わざと私に聞かせているよね。

 「でも誰が殺したんだろうな。黒崎教授はパワハラしてたって噂もあったから、被害者の誰かの恨みを買ったんだろうな。ほんと、最期まで可哀想な人だよ」

 「何を言って……!」

 「御影教授と陽菜? 何してるんだ?」

 ……お兄ちゃん。

 危なかった。

 つい、教授に掴みかかるところだった。

 そんなことをしたら、それこそ噂になってしまうじゃないか。

 「く、黒崎くん? 今の聞いて……」

 「何の話だ?」

 御影教授がたじろいでいる。

 教授も、大学で有名なお兄ちゃんの顔色は伺ってるってことか。

 でも私にはあんなことを……。

 完全に差別じゃん。

 「それより、俺陽菜に用事あったんだよね。ちょうど良かった。教授、陽菜を連れてってもいいですか?」

 「あ、あぁ……。構わないさ」

 ここまであからさまに差別をされると、怒りというより呆れた気持ちの方が強くなる。

 御影教授を残して、私とお兄ちゃんはその場を離れた。

 「お兄ちゃん、私に用事って何?」

 「え? あぁ、そんなものないよ。陽菜困ってたみたいだから」

 気付いていたんだ。

 「あの……さ、さっきの話聞いてた?」

 「教授もそんなこと聞いてたよな。なんか聞かれたらマズイことでも話してたのか?」

 お兄ちゃんは、聞かなかったふりをしているの……?

 それとも、本当に聞こえなかった?

 お兄ちゃんはお父さんのことを尊敬していたから、もしあの話を聞いていたのなら怒り狂ってただろうな。

 じゃあやっぱり聞こえなかったんだ。

 「ちょうど良かった。君たち、少し話を聞かせてくれるかな?」

 その時、刑事さんが声をかけてきた。

 名前は、白井(しらい)さんと言った。

 お父さんの家での様子や大学での様子を聞きたかったそうだ。

 私たちは場所を移し、事情聴取を受けることになった。



 「では、どちらから話を聞こうかな」

 「俺が最初に話します」

 「分かった。じゃあ陽菜さんは少しここで待機してくれ」

 「分かりました」

 お兄ちゃんはどうして一人で話そうとしたのだろう。

 別に一緒でも良かったんじゃないかな。

 私は、お兄ちゃんが何を話すのか気になり、悪いと分かりながらもドアに耳を当てて二人の会話を聞いた。
  
 「……父のことは尊敬していました。でも、それは父親として。世間からすれば、まさに完璧な人に見えたと思います。でも、実際は違います。父は完璧を求めるあまり、自分の理想を相手に押し付けようとしました。論文を全然認めてもらえないと言う学生も居ました。俺もそういうことがありました。だから、少なからず恨みを持つ人もいると思います」

 「他の学生からは評判が高かったみたいだけどね。厳しいけれど、黒崎教授が担当した生徒は良い論文になると言われていましたよ」

 「……さっきのは、あくまで俺のイメージです」
  
 「あなたは教授を尊敬しているそうですが?」

 「それとこれは話が別です。自分は、ただ事実を言ったまでです」

 「……そうですか」

 お兄ちゃんが私と同じ気持ち?

 お兄ちゃんは、いつも「父さんは厳しいけれど、それも父さんなりの優しさだ」と言っていた。

 だから、それが本心だと思っていたのに。

 それが嘘だったってこと?

 こちらに向かってくる足音が聞こえたので、私は慌ててその場を離れた。

 「ありがとうございました」

 「貴重な意見、参考にする。次は陽菜さんに話を聞いてもいいかな?」

 「……はい」

 一体、何を話せばいいの?

 お兄ちゃんのように、素直に自分の気持ちを伝えれば良いのかな。

 「すみません。陽菜はまだ気持ちの整理ができていないみたいで、今日は控えさせてもらって良いですか?」

 「……え?」

 「不安にさせたくないんです」

 刑事さんは何かを考えているようだった。

 「分かった。もし、何か話せるようになったら、その時は話を聞かせてほしい」

 「ありがとうございます」

 「じゃあ陽菜、帰ろうか」

 その声は、普段のお兄ちゃんに戻っていた。

 もしかして、さっきのはお兄ちゃんなりの優しさだったのかな。

 モヤモヤした気持ちを抱えたまま午後の講義を受けた。

 そんな状態で集中できるわけもなく、ただ時間が過ぎるのを待つことしかできなかった。



 「昼間のことだけどさ」

 「うん」

 家に帰った途端に、急にお兄ちゃんが昼の話題を持ち出す。

 「陽菜、聞いてたよね?」

 まさか、バレていたの?

 音を立てないように気を付けていたのに。

 「盗み聞きはダメでしょ」
 
 「……ごめんなさい」

 「謝らなくていいよ。別に怒ってるわけじゃないから」

 それなら良かったのだが。

 バレたのならしょうがない。

 私は思い切って、気になっていることを聞いてみることにした。

 「ねぇ、あの時話してたことって……」

 「あ! 今日は俺が夕飯作る日だよな? 陽菜は少し休んでな」

 話をそらされた……?

 やっぱり、今日のお兄ちゃんは何か変だ。

 でも、何がおかしいのかは上手く言葉に表せなかった。 

 お兄ちゃん、一体私に一体何を隠しているの?



***



 一ヶ月も経てば、大学生活もだいぶ慣れてきた。 

 いつも通り講義を受け、昼ご飯を食べようとしていたところを幻に引き止められた。

 「陽菜、ちょっといいか?」

 「うん。大丈夫だよ」
 
 「じゃあ、食堂でご飯を食べながら話すか」

 私たちは食堂へと向かった。 

 「なんて言えば良いか分からないから単刀直入に聞くけど、昨日警察が取り調べに来てたよな?」

 ある程度予想はしていたが、やっぱりその話か。
 
 「噂になっちゃうよね」

 「なんて答えたんだ?」

 なんて答えたって言われても……。

 「私は何も話してないよ。お兄ちゃんが代わりに答えてくれた」

 「黒崎が……。なんて言ったか分かるか?」

 「お父さんが誰かの恨みを買っていたかもしれないって」

 「は? アイツそんなこと言ったのか? そんなこと全然思ってないぞ?」

 なんでこんなに気にしているのだろう。

 それよりも……

 「ちょっと言い方がよく分からないんだけど」

 「あぁ、わりぃ。俺はそう思わないって意味だ。黒崎教授、結構慕われてたぞ?」

 「でも、幻ってお父さんに会ったことあったっけ?」

 「オープンキャンパスで何度かな。模擬授業も面白かったし、よく学生からも声をかけられてたよ」

 「そんなに授業面白かったのに、結局心理学部を選んだんだ」

 「……え。まぁ、心理学部の模擬授業ももちろん受けたさ。てか陽菜って意外と鋭いんだな」

 「意外とって何よ」

 「ごめんごめん」

 まぁ、大学選びはそんな感じだよね。

 私だって、お父さんやお兄ちゃんが医学部だったのに、心理学部を選んでいるわけだし、特に深い理由はないのだろう。

 「でもまぁ、実際どうだったかは本人にしか分からないところあるからな」

 「それはそうだね。でも、もしかしたらお兄ちゃんの言ってることも正しいのかもね。ずっと一緒に生活してきたわけだし」  

 「ずっと一緒ねぇ。陽菜はその話どう思う?」
 
 正直、私のお父さんに対するイメージはほとんどお兄ちゃんと同じだ。

 しかし、幻はお兄ちゃんのことを尊敬しているみたいだから、間違ってもそんなことは言えなかった。

 「……分からない」
 
 「家族なのに分からないのかよ」

 「家族でも分からないことはあるの。てか、ずっと思ってたんだけど、なんでお兄ちゃんのこと呼び捨てなの?一応二歳年上なんだけど」

 軽い気持ちで聞いてみたつもりだった。

 「……陽菜には悪いけど、俺アイツのことあんまり好きじゃないんだ」

 「……え?」

 予想外の答えに戸惑ってしまう。 

 理由を聞こうにも、そんな雰囲気ではなく、謎が深まるばかりだった。



 講義が終わり、私と柚葉は大学近くのカフェに来ていた。 

 「そういえば、一つ気になることがあるんだけど、なんで家が燃やされたのかな?」

 「言われてみれば確かに。お父さんだけを狙ったのなら、一人だけ殺せば済む話じゃない?」

 「いやいや、急に怖いことを言わないでよ。でも確かに、あの家を燃やす必要があったのかな。ほら……美咲さんと、莉子ちゃんも亡くなったわけでしょ? 一人だけを狙ったと言うよりは、黒崎家を狙っていたとしか思えないんだよね」

 お父さんの周辺だけ、調査がされているイメージがあったから気が付かなかったけれど、お母さんや莉子は、殺される理由が全く分からない。

 近所からの評判は良かったから。
  
 「家族全員……ってことは、私やお兄ちゃんも巻き込まれていた可能性があるってこと?」

「それは分からない。そもそも陽菜ちゃんの家族は有名だし、その分良い思いをしない人も居たのかもしれないね。でも、私の知る限りは評判が良くて、恨みなんて買わなさそうだけど」

 「うーん」

 そうなのかなぁ。
 
 「ていうか、あの時、陽菜ちゃんは家に居なかったんでしょ? 碧先輩は大学で論文を書いていたって聞いたけど、陽菜ちゃんは何をしてたの?」

 「図書館で勉強をしてたはずだよ。……多分」
 
 「多分って……。自分のことでしょ。陽菜ちゃんってそんなに記憶力悪かったっけ?」

 「いや、良い方だと思うんだけどな。早めの認知症とか?」

 「私の見立てではそんなことないから安心して。とにかく、今一番調べる必要があるのは、御影教授と黒崎教授の関係性でしょ。そこはもう警察に任せるしかないね」
 
 御影教授、か。

 確かに、御影教授はお父さんに対して敵意を持っているように感じる。

 彼が犯人だとすれば、動機は十分にある。

 しかし、それを証明するためには情報が足りない。

 それに、なんだかこの事件はそんなに単純な話ではないような気がした。