〜最初の異変〜

 その日は、近くの図書館に行って勉強をしていた。

 休日は、場所を変えて勉強するというのが私のスタイルだった。

 しかし、どうにも今日は集中できない。

 「……あれ、私寝ちゃってたのかな」

 一時間ほど勉強をしていると、いつの間にか眠ってしまったようだった。

 受験が近いというのに、なかなか気が引き締まらない。

 こんな私が嫌になる。   

 それよりも、なんだか悪い夢を見たような気がする。

 この状態で勉強を続けても意味がない。

 そう思った私は、まだ数時間ほどしか勉強をしていないが、家へと帰ることにした。

 家に近付いてくると、何やら辺りが騒がしい。

 その時、私の横を消防車が通り過ぎた。

 私は嫌な予感がした。

 急いで家に電話をかける。

 「……お願いだから出て!!」   
 
 しかし、いくら待っても電話は繋がらなかった。

 私は急いで家へと向かう。

 家に着くと、そこには衝撃的な光景が広がっていた。

 「……嘘、でしょ」

 目の前には大きな炎と煙が広がっていたのだ。

 私は急いで側へと駆け寄る。

 「何をしてるんですか! 危険です! 離れてください!」

 消防隊員の声が響く。 

 「でも……! 中に家族が居るかもしれないんです!」

 「この炎では中に入れません。まずは、火を消すことが優先です」

 そんな……。

 それまで待たないといけないってこと?

 「……陽菜!」

 その時、お兄ちゃんの声が聞こえた。
 
 良かった……。

 お兄ちゃんは無事だ。
 
 「家が燃えてるって連絡があったんだ。一体何があったんだ?」

 「……分からない。帰ってきたら家が燃えていて……。みんなと連絡もつかないし、何が何だか分からないよ……」

 どうして急に火事なんか起きたのだろう。

 少しずつ炎が小さくなってきた。

 それとは裏腹に、不安な気持ちは大きくなる一方だった。

 「隊長! 中に人が居ます!」

 「えっ……?」

 人ってまさか……。

 隊員が連れ出してきたのは四、五十代の男女と中学生の女の子だった。

 彼らは、間違いなく私たちの家族だった。

 「この方々のご家族ですか?」

 「……はい」

 「残念ですが、既に亡くなっております……」

 そんな……。

 確かに、家族が憎いと思ったことがあったけれど、死んでほしかったわけじゃない。

 家族との生活が当たり前に続いていくと思っていたのに、そんな考えは一瞬にして崩れてしまった。

 ただでさえ受け入れ難い状況なのに、追い討ちをかけるように衝撃的なことを知らされる。
 
 「ご家族の方かね?」

 警察の方が私たちに声をかけてきた。
 
 「はい。そうです」

 何も言えない私の代わりに、お兄ちゃんがそう答える。 
 
 「この度は、誠にご愁傷様です」

 その言葉を聞き、一気に辛い現実が押し寄せてきた。

 「亡くなられた方は、黒崎達也さん、美咲(みさき)さん、莉子さんで間違いないですか?」

 「……はい」

 「お二人がご無事なのは何よりです。近所の方から通報がありましたが、お二人はこの時間はどちらへ?」

 「俺は、大学に行ってました。妹は図書館で勉強をしていました」

 「図書館で勉強……。間違いありませんか?」

 「……はい」

 でも、どうしてそんなことを聞くのだろう。

 まるで、事件の捜査みたいだ。

 もしかして……

 「あの、刑事さん。これは事故じゃないんですか?」

 「おい、陽菜!」

 突拍子もないことを聞いているのは分かる。

 しかし、事故でここまで大きな火になるのだろうか。

 刑事さんは、苦しそうな表情をしていた。  

 「……恐らくこれは放火でしょう」

 その言葉が重くのしかかる。

 それってつまり、家族は殺されたということじゃない。
 
 「そんな……! 事故の可能性はないんですか?」

 「ないとは言いきれませんが、ゼロに等しいかと」 

 「どうして……!」

 流石のお兄ちゃんも取り乱している。
   
 「一つ質問ですが、"Malice(マリス)"という言葉が現場に残されていました。聞き覚えはありますか?」

 マリス……?

 どこかで聞いたはずなのに、思い出すことができない。

 「……分かりません」

 「そうですか。今のところ、これが犯人を特定する為の唯一の証拠です。何か思い出したら、何でも話に来てください」

 「……はい」

 私たちは、ボロボロとなった家の前に立ちすくんだ。

 どうやっても、この事実が受け入れ難い。

 「……ウッ」

 その時、激しい眩暈に襲われた。

 「陽菜……? 陽菜! 大丈夫か!」

 目の前が真っ暗になる。

 私まで倒れちゃうとか、本当に情けない。

 「……ちゃん! ……陽菜ちゃん!」

 「……げ、ん?」

 お兄ちゃんの姿しか見えないけれど、そこに幻も居るの?

 あぁ……。

 嫌な姿を見せちゃったな。

 幻だって、この悲惨な光景は見たくないだろう。

 そこで私の意識は途切れてしまった。

 これが夢ならば、どれ程良かっただろう。

 私が過ごしていた時間が、全て夢であってほしいと何度願ったことか。

 しかし、これは紛れもない現実だった。

 私たちが生きているのは、日常さえも簡単に奪ってしまう世界。

 やはり、そんな理不尽なことが溢れかえっている世界が、私は大っ嫌いだ。



***



 「続いてのニュースです。昨夜、住宅が燃えていると近隣の住民から通報がありました。現場から三体の焼死体が見つかっており、検証の結果、黒崎達也さん五十歳、美咲さん四十七歳、莉子さん十三歳と断定しました。火元特定には至っておらず、警察は放火の可能性も含めて捜査を続けています」

 「……あ」

 ニュースを観ていると、お兄ちゃんが傍に来てテレビの電源を切った。
  
 「観るな。陽菜が辛くなるでしょ」️

 「……そうだよね」
 
 それでもやっぱり、気になってしまう。

 突然こんなことになるなんて、思ってもいなかったから。

 不幸中の幸いだったのは、保険金が下りたことと、私たちが働くまでの間を十分に賄える財産が残っていたことだ。

 その為、立派ではないけれど、一軒家を買うことができた。 

 「大学どうするんだ? 変えてもいいんだぞ」

 確かに、親に言われて桜庭大学を目指していたんだもんね。
  
 だけど……

 「今更変える気はないよ。ずっと、桜庭大学しか目指してなかったんだから」

 それより、尊敬していた人が死んでしまったのに、あまりにも冷静なお兄ちゃんに驚いた。

 家族を三人も失ったと言うのに、普段と変わらな過ぎじゃない?
 
 そんなことを聞いてみると、
 
 「確かに尊敬はしていた。でも、起きてしまったことはしょうがないじゃないか。それに、これからは気を張らなくていいと言うか……。いや、別に嬉しいわけじゃないけど、ただ、少しプレッシャーはあったからな」

 という返事が返ってきた。

 医者を目指している以上、死は何度も経験するだろうから、そんなに不思議なことじゃないのかな?

 でも、本当に殺される理由が分からなかった。

 確かに、私はあまり家族と仲が良くなかったけど、周りからの評判は良かった。

 明るくて、近所の人気者の莉子。

 優しくて、料理上手のお母さん。

 そして、研究熱心で真面目なお父さん。

 近所の人たちからは、そんなイメージを持たれていた。

 何か前触れがあったわけじゃないのに……。
  
 「警察も動いているんだから、そんな気にしないの。陽菜は受験が近いんだから、そっちに集中しろ」

 お兄ちゃんの言葉に静かに頷く。

 この時の私は、まだ知らなかった。

 この事件はこれから起こる悲劇の幕開けに過ぎないということを……。