〜初めまして〜

 「……ここは?」

 気が付くと私は、真っ暗な空間に居た。 
 
 「私はちゃんと死ねたのかな」
 
 何も見えない。

 辺り一面が闇に包まれている。

 その時、小さな声が聞こえた。

 「どうして……。どうしてだよ」

 それは、マリスの声だった。

 暗くて何も見えなかったけど、確かにマリスがそこに居る。

 「……マリス。そこに居るんでしょ? 姿を見せてよ」 

 マリスはゆっくりと姿を現した。

 そこに居たのは、気味の悪い笑顔を浮かべた男でもなく、憎らしい姿をした男でもなく、ただ私と同い年くらいの青年だった。
  
 「ボクを裏切ったのか?」

 マリスは今まで聞いたことのない弱々しい声で私に問いかける。

 今までなら、「何被害者ヅラしてしてるの」と、思っていただろう。

 もしくは「まだ何かを企んでいるの?」と、思ったかもしれない。

 でも、そんな恐怖は感じなかった。

 私はマリスの正体に気が付いたから。
 
 「どうしてそう思うの? 私は別にお兄ちゃんを殺したいとは一言も言っていない。一番憎い人を消したいって言っただけだよ」
 
 「それが陽菜ちゃんだって言うの?なんで……。どうしてだよ! ボクは別に、陽菜ちゃんに死んでほしかったわけじゃない。ボクは陽菜ちゃんに幸せになってほしかっただけだ。陽菜ちゃんだけは、生き続けてほしかった!」
 
 「ねぇ、マリス。マリスなら分かるでしょ? 私は幸せにはなれない。だって罪を犯してしまったから」
 
 「そんなことない! 陽菜ちゃんが嫌いな人さえ居なくなれば、陽菜ちゃんは幸せになれたんだ!」

 マリス……。

 それじゃあ私は幸せになんてなれないの。
 
 「もう分かってるんでしょ? ただ、認めたくないだけ。この言葉を言ったのはマリスだよ。でも、確かにマリスは私よりも現実を受け入れたくないのかもね」

 マリスはきっと、この言葉を待っていたのだと思う。

 自分が何者か、私に気付いてほしかったんだよね。
 
 「だってマリスは……私自身から生まれた存在だからね。私の中の黒い感情によって生まれたんだよね」
 
 「……」

 マリスは何も言わない。

 きっとそれは、肯定を表しているのだろう。
 
 「"Malice(マリス)"意味は悪意。だから、あの裏路地にいたんだよね? ずっとずっと、そこで待ってたんだよね? あの場所は、私の心の奥深く。私が自分の黒い感情に蓋をして、気付かないふりをしていた。だから私の中の悪意はどんどん強くなっていった」
 
 しばらく続いた沈黙を破ったのはマリスだった。

 「本当は……ボクだって愛されたかった。どうして陽菜ちゃんはボクを避けるのかって、ボクを嫌うのかってずっと思ってた。だから一人で暗闇にいるのは寂しかったんだよ? でも、あの日、陽菜ちゃんがボクのところに来てくれた。本当に嬉しかった。ようやくボクのことも見てくれるのかって思ったから」
 
 「でも結局、私は逃げてしまった」
 
 「うん。でもボクはこのままじゃ嫌だった。だから八神幻として陽菜ちゃんの前に現れた。でも君の隣には碧が居た。ボクは陽菜ちゃんから信頼されている碧が羨ましくて仕方がなかった」
 
 「だから入れ替わったの?」

 「別に入れ替わる必要なんてなかった。それなら八神幻として傍に居れば良かったから。でも、ボクは思ってる以上に碧に嫉妬してたみたいでさ、気が付いたら碧と入れ替わってたんだ」

 「……そうだったんだ」
 
 「でも、陽菜ちゃんは罪を犯しちゃったよね。だから、陽菜ちゃんが辛くならないように、傍に居ようって決めたんだ。陽菜ちゃんの悪意、憎しみ、苦しみ。全部、ボクが受け取ればいいって思ってた。それも全部ボクのわがままだったけど」
 
 「だから私は何も覚えてなかったんだ……。でも、自分の存在をないものにしてほしくないからMaliceって言葉を残したんだね」

 「うん。ごめんね。いや、ごめんで済む話じゃないか。結局陽菜ちゃんとの生活が楽しくて、碧と仲良くしたら嫉妬しちゃうし、陽菜ちゃんが追い込まれれば、その分ボクが陽菜ちゃんの役に立てるから嬉しいって思ってしまった。なのに、最後は自分が愛されていたことを認めたなくて、陽菜ちゃんに酷いことを言ってしまった。ボクは、とことん悪意に溢れた人なんだって思うよ。いや、人じゃないか。そもそもボクは存在しないんだもんね」

 マリスの気持ちも、今初めて知った。
  
 「私こそ、誰かに愛されたいって思ってたのに、自分は自分のことを愛そうとしなかった。例え醜い感情でも、それを含め自分自身なのに。自分の心に蓋をして、愛される努力をしなかったのは私自身だったの」
 
 やっぱりマリスは私から生まれた存在だ。
 
 私たちは、どこまでも似ている。

 「ねぇ……もしもボクたちが普通に出会えていたら友達になれたのかな?お互い、道を間違えることなく幸せになれたのかな」
 
 マリスのその質問は、簡単に答えが出るものではなかった。

 「……どうだろうね。でも、結局私は私だから。私の意思で犯した罪だから、私が変わらなければ幸せになれなかったんだよ」
 
 全ては自分が犯した罪。

 だから私は、罰を受けなければならない。
 
 「ねぇ、マリス。私は天国には行けない。地獄に行くべきなんだよ。だから私と一緒に地獄に行かない?」

 まさかマリスにこんなことを言う日が来るなんてね。

 「……あぁ。もちろんだ。どんな場所でもボクは陽菜ちゃんについて行くよ。ボクたちは永遠に一緒だからね」
 
 「永遠、ね……。じゃあさ、これからずっとマリスって呼ぶのも悪いし、私がなにか新しい名前を付けてあげる!」

 私にとってマリスは、もう悪意でもなんでもないし、このままそう呼び続けるのも申し訳なかった。
 
 「え? いいよそんなの」
 
 「ちゃんとした名前があった方が、友達って感じがするでしょ?」

 「友達……か。うん。じゃあお願いする」

 ようやくマリスが笑顔になった。
 
 「んーどうしようかな。私が陽菜だから……日向とか?」
 
 「そんな輝かしい名前ボクには似合わないよ」

 そう言いながらも、どうやら気に入ったみたいだ。 
 
 「いいのいいの。これから試練が待ち受けてるんだから、名前くらい輝いてないと」

 「そうかなぁ……」

 「ほら。また、ここからやり直そ?」

 そう言って手を差し出す。

 「初めまして。黒崎陽菜です」

 「初めまして。……八神日向です」

 そう言ってマリス、いや、日向は私の手を握った。

 その手は、初めて会った時の時の冷たさはなく、まさに、お日様のように暖かかった。
 
 この世界は醜い感情で溢れている。
 
 でもそれ以上に、美しい感情で溢れている。

 その美しさを見つけるのは自分自身。
 
 しかし私は、その美しさに気付けないだけでなく、自分自身の手で壊してしまった。

 だから、私はこの世界とお別れしなければいけない。
 
 私が愛していた、愛すべき世界にサヨナラという言葉を残して。

 私と日向は、手を繋いだまま、地獄へと続く道を歩き出すのだった。