〜夢物語〜

 「ただいま」

 マリスと別れ、私は家へと戻った。

 「おかえり……! 大丈夫だったか?」

 お兄ちゃんの声はすぐに返ってきた。 

 「そんなに心配しなくても平気。ほら、どこも怪我してないでしょ?」
 
 「そっか。それなら良かった」
 
 お兄ちゃんはそう言って、急に私を抱きしめる。

 「ちょっと、なに急に」
 
 「いや、陽菜が無事でよかった。ずっと怖かったんだ。陽菜まで居なくなったら、俺はどうしようかと……」
 
 お兄ちゃんにこんなことを言わせてしまい、罪悪感でいっぱいになる。
 
 「らしくないこと言わないでよ。ほら、いつもの口の悪いお兄ちゃんはどこにいったの?」
 
 「今それ言うことじゃないだろ……」
 
 見た目は幻なのに、間違いなくお兄ちゃんの温かさを感じた。

 碧が自分の兄で良かったとつくづく思う。
 
 しばらくして、お兄ちゃんはようやく離してくれた。
 
 「ずっと玄関にいてもあれだから、ほら、早くリビングに入って」
 
 何故かお兄ちゃんは私を急かす。
 
 リビングのドアを開くと、そこにはご馳走が用意してあった。

 「どうしたの? この御馳走」
 
 「どうしたのって陽菜、明日は二十歳の誕生日だろ?だから俺なりに頑張って料理してみたんだ」
 
 「誕生日……」
 
 色々あって忘れていた。
 
 もうそんなに時間が経ったのか。

 「もう二年も経ったんだね」
 
 「あぁ。この二年で色々変わったよな」
 
 ……そうだよね。
 
 でも、その二年を変えてしまったのは紛れもない私だ。

 私の手で変えてしまった。
 
 「何暗い顔してるんだよ。ほら、冷めないうちに早く食べるぞ」

 「……うん。いただきます」
 
 相変わらず、お兄ちゃんの料理は不格好で、火が入っていないところもあった。
 
 それでも、心が込もっているのが伝わってくる。

 「どうだ?」
  
 「まぁまぁだね」
 
 「厳しいな」
 
 「まだ私の味を越せそうにはないね」
 
 「陽菜師匠厳しいな。どんなに頑張っても陽菜には追いつけないよ」
 
 「当たり前でしょ。お兄ちゃんに唯一勝てることなんだから、料理だけは譲れないよ」
 
 こんな日常が毎日続けば良いのに。

 こうやって毎日軽口を叩きあって、たまには妹らしく甘えてみるのも良いかもしれない。

 休みの日には二人で旅行にでも行きたかったな。
  
 「……美味しい」

 「ん? 何か言ったか?」

 「……ううん! 何でもない」

 でももう、後戻りはできない。

 夢から醒めて、現実へと戻らければならない。 
 
 「ご馳走様でした。片付けは私がするね」

 「いいよ。陽菜は休んどけ」

 「私がやりたいだけだから」

 「じゃあ……二人でするか」
 
 そう言って二人で片付けを始めた。
 
 「こうやって二人で台所に並ぶの初めてだよな?」
 
 「うん。なんか、家族って感じがする」

 「家族だろ。俺たちは」
 
 その言葉が心に染みる。

 そして、その言葉をお兄ちゃんの口から聞けたことが、何よりも嬉しかった。
 
 「……なぁ、やっぱりマリスになんか言われたのか?」
 
 「えっ。どうして?」
 
 「なんか、元気なさそうに見える」
 
 ……ダメだな。
 
 決心したのに、どうしても気持ちが揺らいでしまう。

 ちゃんと……予定通りに言うんだ。

 「いや、ちょっと疲れただけ。それよりもお兄ちゃん、明日時間ある?」
 
 「明日は何も予定入ってないな」
 
 「じゃあさ、行きたいところがあるんだよね。一緒に着いてきてくれない?」
 
 「良いな。外出も久しぶりだし。ちなみにどこに行きたいんだ?」

 「それは内緒!」
 
 「教えてくれてもいいだろ。ケチ」
 
 そんなやり取りが続く。

 きっとこれが、お兄ちゃんと過ごす最後の夜なのだろう。



***


  
 その日の私は、一睡もできずに朝を迎えた。

 最後くらい、ゆっくり眠りたかったな。
 
 「おはよう。今日は陽菜が作ってくれたんだな」

 私はいつもより早めに起き、朝食の準備をした。 
 
 「うん。久しぶりに腕をふるってみたの。早く食べて出かけよ!」

 私は、できるだけ明るく振舞った。
 
 「やっぱり陽菜の料理は最高だな。毎日食べたいくらいだわ」
 
 「ありがとね」
 
 でも、それはできない。
 
 今日でお兄ちゃんともお別れだから。

 そこから私たちは、他愛のないことを話した。

 今までの思い出を話したり、これからしたいことを話したり。

 私にとっては、どれも夢物語だったけど。 
 
 「準備できたぞ。本当に何も持たなくていいのか?」
 
 「うん。大丈夫だよ。じゃあ行こうか」
 
 そう言って、私はこの家に「さようなら」と、心の中で呟いた。



 「てか本当にどこに行くんだ?」
 
 「良いから良いから。着いてきて」
 
 こうやって騙しているなんて、なんだか心苦しいな。

 そんなことを思いながら、私たちはしばらく歩き続けた。
 
 「おい。本当にどこに向かってるんだ? だんだん人気(ひとけ)がなくなってきたぞ」

 「この先に絶景スポットがあるんだよね」

 「ホントかよ……」
 
 本当なわけない。

 この先には、美しい景色なんてない。

 「はいっ! 到着」
 
 「到着……って、本当にここなのか? 何もないぞ」
 
 その時の私は、きっとかなり酷い顔をしていたと思う。
 
 その時、お兄ちゃんが何かに気が付いたようだ。
 
 「おい! 陽菜、後ろ!」
 
 「そんな怖いものを見たかのような顔をして……。どうしたの? 」

 マリスだ。

 私の後ろに立って居るのは、マリスなのだろう。 
 
 「陽菜! こっちに来い!」
 
 それでも私は、立ち止まったままだった。
 
 「陽菜? 何してるんだ」

 「馬鹿だなぁ。キミは陽菜ちゃんに騙されたの」

 「嘘……だろ。なぁ、陽菜。何とか言ってくれよ」
 
 それでも、私は何も言わなかった。

 いや、何も言えなかった。

 「……陽菜!」

 「マリス!! 早く……。お願い」

 私はお兄ちゃんの言葉に被せるように叫んだ。

 これ以上長引けば、私の決心が揺らいでしまう。

 「え? あぁ、そうだったね」

 その時、辺りが強い光に包まれた。

 眩しくて、つい目を閉じてしまう。
 
 「一体何が起きたんだ……!」

 あぁ……お兄ちゃんだ。

 目を開けると、姿が戻ったお兄ちゃんが目の前に居た。

 私の横に居るのは、幻の姿をしたマリスだった。

 もう私が思い残すことは何もない。
 
 「ちゃんと元に戻ったみたいだね。陽菜ちゃんのお願いだから特別だよ?」
 
 「特別も何も、この身体は元々俺のものだ」

 「あぁ、そうだったね。さて、陽菜ちゃん。あとはよろしくね」
 
 そう言って、マリスは私の中へと取り込まれた。
 
 「あとはよろしくって……。陽菜! どういうことだ。説明しろ」

 お兄ちゃん……。

 今から私は、あなたに酷いことをします。

 自分の黒い気持ちを、全て打ち明けます。

 だけど、最後のわがままだと思って、私の話を聞いてください。