母は帰り、運転する車の中で「信じられない医者だったわ」と一言、こぼした。
 少し窓を開けると、暑い風が涼真の髪を揺らす。車内のエアコンもすぐには涼しくならない。帰る頃にはちょうど快適な温度になっているだろう。
 ラジオから最近SNSで話題になっている曲が流れる。

 ――この花火が消えたら、この恋も終わる。

 音楽にあまり興味のない涼真でさえ、よく知る曲だった。
 切ない恋の歌。哀しげに語りかけるような女性の声。
 ラジオでもテレビでもショッピングモールでも、あちこちで流れる今流行りの曲。
 ちょっと聞き飽きたかも。
 涼真は恋なんて無縁だと、ラジオを消した。
「なんで消すの。私、聴いてたのに」
 母が頬を膨らませ、文句を言う。
「え、聴いてたの?」
「聴いてたよ。ほら、つけて」
 仕方なく、涼真は再びラジオを付けた。

 ――結ばれるだけが運命じゃない。
 ――だけど、
 ――結ばれる運命がよかった。

 河川敷がキラキラと輝く。平日の正午。太陽の光を一身に受けている。
 車の中からぼんやりと眺めていると、川沿いをひとりの高校生が歩いているのが見えた。少し遠目ではっきりとはわからないが、彼女は同じ学校の制服を着ていたような気がした。
 さぼり、か。
 自分もさぼりに近いけど、と思いつつ視線を変える。
 空は青く、ナツの瞳と同じ色だった。
 涼真の表情がほころぶ。
 帰ったら、ナツはまだ窓辺で日向ぼっこをしているだろうか。
 涼真は自分にしか見えないとしても、ナツが家にいることが嬉しかった。

 ――届かない。
 ――消えゆく言葉を私は紡いでいる。

 中学生の頃、涼真はクラスメイトの数人からいじめを受けていた。それがきっかけで、元々誰かと仲良くすることが得意ではなかった涼真は、完全に不得意になってしまった。それは高校二年生になった今も変わらない。
 好きなことは読書。一日中、涼真は読書に時間を費やした。誰にも言えなかった将来の夢は、小説家になること。唯一、亡くなった祖母だけには伝えていた。あと、猫のナツにも。涼真が紡ぐ物語は、誰に読まれることもなく、ただ自分の中に閉まってあるだけだった。誰かに読んでもらうことが怖い。知っている人でも、知らない人でもその恐怖は同じだった。
 どうせ、誰にも認めてもらえない。僕が書いた物語なんて、誰かに読んでもらう価値もない。
 そう思っているはずなのに、涼真はひたすら物語を紡ぎ出していた。言葉が身体の奥底からじわじわと湧き上がってくる。
 
 ――逢いたい。
 ――逢いたいよ。
 ――また同じ夏を探している。

 ラジオから流れる曲が変わった。今度は今流行りのアイドルグループの曲だ。
 消えゆく言葉を私は紡いでいる。
 涼真の頭の中で、そのワンフレーズだけが頭の中で繰り返し流れ続けた。