デートの約束をしたのに、八月三十一日になっても町田涼真は現れなかった。いや、あの日、七海の誕生日に花火をして以来、二度と姿を見ることはなかった。
 涼真のことは、すでに友達に確認してまわった。
 町田涼真なんて人は、この学校には存在しない。二年三組にも、同じ学年にもいない。後輩や先輩を頼って何度も確認したが、誰も町田涼真を知る人はいなかった。
 嘘を付いていたのか。でも、同じ学校の制服を着ていた。意味がわからない。一体、なにが起こっているのか。
 夢から醒めたみたいに、日が経つにつれて町田涼真がどんどん薄くなっていく。どんな声だったか、顔のパーツはどうだったか、わからなくなっていった。
 涼真と入れ替わるように姿が見えなくなった六花も、もう現れない。急に、ひとりぼっちにされたみたいな気分だった。
「それは、白昼夢症候群だった可能性が高いですね」
 気持ちがふさぎ込み、心配した両親が病院を受診させたことで、七海は初めて自分が病気を患っていたと知らされた。
「十七歳になると消えてしまうので、おそらくそうなんじゃないかと思います」
 担当した橋本先生は、七海を心配してしばらく休むことを提案したが、七海は必要ないと断った。
 六花も涼真も、自分が寂しさから生み出した白昼夢だったとしたら、あれはなんだったのかともう悩む必要はない。
 そう思えた。
 変わりたかった。自分の夢も口にできないような自分の人生を、ひとり孤独に歩んでいくのかと思うと、怖かった。
 でももう、必要ない。私はひとりでも、歩んでいける。六花がいなくても、涼真がいなくても、生きたい人生を目指していける。
 七海は思い切って両親に将来の夢のことを話した。反応は、七海が思っていた通りだった。「そんなの将来の夢とは言えない」「歌手として活躍できる人間が、この世界にどれだけいるのかわかっているのか」「夢を見すぎだ」と言われた。それでも、七海はもう構わなかった。
 しかし、勉強だけはきっちりやった。歌手を目指すために歌のレッスンを始めたが、両親に認めてもらうためにはそれだけではダメだとわかっていた。そのおかげで、七海は難関大学に合格し、法律の道へ進んだ。
 並行して、SNSを通じて音楽活動をひたすら続けた。それでも、時々あの夏の日を思い出した。夢の中で恋をした、同じ十六歳だった少年のことを。
 もう、声も顔もうろ覚えになってしまったけれど、それでもあの少年のことは忘れられなかった。
 二十一歳になって、SNSで投稿していたある一曲が話題になった。七海も驚くほど瞬く間に拡散され、あちこちで配信された。

 ――この花火が消えたら、この恋も終わる。
 ――結ばれるだけが運命じゃない。
 ――だけど、
 ――結ばれる運命がよかった。
 ――届かない。
 ――消えゆく言葉を私は紡いでいる。
 ――逢いたい。
 ――逢いたいよ。
 ――また同じ夏を探している。

『消えた花火』は、七海が夢見た少年とのひと夏を思い出して書いた曲だった。この夏で、七海はあの夏から四年の月日が流れていることに気づいた。
 陽炎が踊るように揺れた暑い夏。河川敷。橋の下。
 川のせせらぎと、空になった瓶ラムネ。燃え尽きた花火。
 夏の匂いを嗅ぐと、七海は少しだけあの夏を思い出せた。

 ――この花火が消えたら、この恋も終わる。

 そういえば、この花火が消えたら、この恋も終わるって、少年が歌っていたような気がする。
 懐かしい河川敷を歩きながら、七海は遠い夏を思い返す。
 八月三十一日。少年は、きょうが誕生日だと言っていた。

 ――この花火が消えたら、この恋も終わる。

 不思議と、少年のお世辞にも上手とは言えない歌が、生ぬるい風に乗って運ばれてきたような気がした。
 揺らめく陽炎の中、声の主が見えた。河川敷の橋の下で、小さく口ずさむように歌っている。
 そこには、夢で見たままの少年――町田涼真がいた。青いシャツに黒いパンツ、白いスニーカー。心の声を綴ったノート。初めて会った日と同じ姿の涼真だった。