橋本先生は、涼真が行くと「体調はどう?」とふんわり訊ねた。
「その、きょうは先生に訊きたいことがあって」
「ええ、なんでもどうぞ」
 短い黒髪を耳にかけ、また微笑む。相変わらず笑う目が細くなって招き猫みたいだった。
「白昼夢症候群で見る幻覚は、十七歳になる前に治まることってあるんですか?」
「ええ、それは個人差があるからね。もう見えなくなったの?」
「いえ、その……相変わらず猫と祖母は見えるんです。でも、この一週間の間にまた別のものが見えるようになって、それが突然二日くらい前から見えなくなってしまって」
「……なるほどねぇ」
 橋本先生はうーんと首を捻り「そういうこともあるかもしれないわね」と答えた。
「白昼夢とはいえ、所詮は夢だから、夢をコントロールする方が難しいと思うの。見たい夢って、見られないでしょ?」
「まぁ、確かにそうですけど……」
「なにか、引っかかっていることがあるの?」
 橋本先生は「なんでも聞いて?」と畳みかけて来た。
「実は、猫と祖母には触れられないんです。空気を触るみたいに、掴めないし触れられないんですが、最近見られなくなったものには触れることができたんです。だから、それが不思議で」
 涼真はそう言ってから「それは夢ではないですね」という言葉を待っている自分に気づいた。今でもまだ、七海が白昼夢だなんて信じられないのだ。
「リアルな夢って見たことある? 夢の中の出来事なのに、痛かったり苦しかったり。それと同じで、触れた感触が本物みたいに感じることもあると思うの」
「それじゃあ、やっぱりあれも白昼夢症候群の症状ってことなんですね……?」
「おそらくは、そうじゃないかな」
 そう言って、橋本先生はノートパソコンの画面を閉じた。
「実はね、私も昔、同じ病気に罹ったことがあるの」
「え? 先生も?」
 ええ、と橋本先生は頷く。
「本当に、不思議な体験だった。今思い返しても、夢だったのかなって」
 思い出しているのか、ふふっと嬉しそうに微笑む。その笑顔からは、悲しい思い出ではなさそうに見えた。
「世の中には、まさかそんなことがって思えるような不思議な出来事がある。本当だと思ったら、少しワクワクするしね。それに、まだ涼真さんは十七歳になっていないので、また見えるようになる可能性もある」
「本当ですか?」
「断言はできません。ただ、可能性としてはないとは言えないってことね」
 涼真は少しだけ気持ちが前を向くのを感じた。
 もしかしたら、また会えるかもしれない、村山さんと。
 そしたら、小説を読んでもらわなくちゃ。約束、したんだから。
「ありがとうございました!」
 涼真は元気よくお礼を言うと、病院を後にした。外で待っていた亮介は「どうだった?」とすぐに訊ねて来た。
「夢だから、触れられた気がすることもあるだろうって。夢は自分でコントロールできないから、見えなくなってもまた見えるかもしれないって、先生は言ってた」
「そうか。俺も、もう少し探してみるよ」
「え? 村山さんを?」
「だって、夢じゃない方がいいだろ?」
 白い歯を見せて笑う亮介に「そうだね」と涼真も頷いた。