お互い持ち寄った花火は、一瞬で灰になってしまった。最後に残したのは線香花火だった。
「線香花火には、火をつけてから火の玉が落ちるまで、四段階あるんだって」
 涼真は昔テレビで観た花火の話を思い出しながら言った。
「あ、それ聞いたことあるかも」
「蕾、牡丹、松葉、散り菊って名前があるらしい」
 へぇ、と七海は一本線香花火に火をつけた。小さな花が咲いたと思えば、まだ小さかった火の玉がぽとりと地面に落ちる。
「あーあ、もう落ちちゃった」
 頬を膨らませ、残念そうな声を出す。
「そうだ、せっかくだから、最後まで火の玉が落ちなかった方の言うことを、なんでも聞くっていうのはどう?」
「え? なんでそんなこと」
「だって、ただ線香花火やるだけじゃつまらないでしょ? いいじゃん、遊びで」
 別にそれだけでも十分楽しいんだけどな、と涼真は小さくつぶやいた。
「じゃあ、せーので火つけてよ?」
「わかった」
 七海は張り切った様子で指揮を執る。
 小さな蕾がどんどん膨らんで、パチっと花が咲く。ひとつ、ふたつ、みっつと少しずつ増えていく花たち。
「そういえば、線香花火が最後まで落ちなかったら願いが叶うって聞いたことがあるけど……」
 涼真は途中で話すのをやめた。隣でしゃがみ、小さな子どものように手で風を避け、必死に線香花火を守っている七海に目を奪われた。
 綺麗だ。
「あ、落ちた」
 涼真の火の玉は、パチパチと無数に花を咲かせてあっという間に散っていった。
「私の勝ち!」
 やったぁ、とわかりやすく喜ぶ七海。涼真はそれを見て笑った。
「それで、村山さんの願いはなに?」
 僕に叶えられる願いだよね? と念を押す。
「うーん、まだ思いついてないんだよね」
 眉を歪めながら笑う七海に、涼真はほっとした。
 夜の河川敷は昼間よりも静かで、川の流れる音は昼間に聴く音とは違う気がした。
「実はきょう、誕生日なんだ」
「ええ? きょう?」
 そんな大切な日に、どうして僕なんかと河川敷で花火なんてしているのだろう、と涼真は不思議に思った。
「きょうで、十七歳か」
 七海は独り言のように言うと、燃えた後の花火を手で持ったままため息をついた。
「僕も八月が誕生日なんだ。お互い、夏生れなんだね」
「そうなの? 八月何日?」
「八月三十一日」
「えー、夏休みの最後の日なんだ。なんか、微妙だね」
 微妙ってなんだよ、と涼真は笑う。
「そっかぁ、八月三十一日が誕生日かぁ」
 燃え尽きた花火をバケツの中に放り投げると、七海は立ち上がって「よし」と腰に手をあてた。
「願い事、決めた」
「……なに?」
 恐る恐る七海に訊ねる涼真。
 どうか簡単な願い事でありますように、と心の中で願う。
「八月三十一日、私とデートしてくれない?」
「……え?」
 一瞬で頭の中が真っ白になった。誰かに背後から殴られたんじゃないかと疑いたくなるほど、頭がくらくらする。
 頭が真っ白になるってこういうことか、と同時に納得した。
 デート?
 デート、デート、デート。
 真っ白な頭の中で、デートというたったひとことが延々と続く。
 デートがなにかもわからなくなる。涼真はゲシュタルト崩壊を起こしていた。
「い、言っとくけど、拒否権はないよ?」
 少しだけ口を開けたまま固まる涼真に、七海は言った。
「あの……僕なんかと……デートしてもいいの?」
 乾ききったカサカサの喉から、ようやく言葉が出て来た。
「なんで?」
「なんでって……」

 ――変わりたいと願ってしまった。

 不意に、七海が歌っていた曲のフレーズが頭を過る。
 そうだ。七海と会ったときも、変わりたいと少なからず願っていた。
 そして涼真は頷く。
 デート、したい。村山さんと、デートがしたい。今までの自分にはありえない展開だけど、できるなら、デートしたい。
「じゃあ……デート、しよう」
 情けないほど小さな声で、しかも震えていた。
 七海は笑って「そもそも、町田くんに拒否権はないよ」と答えた。
 青春小説みたいな、そんな恋愛がこの先に待っているのかもしれない。
 馬鹿みたいに恥ずかしくなりながら、涼真は胸を高鳴らせる。この花火は、そんな夏のはじまりなのだ、と。
 しっかり花火を片付けて、涼真と七海は「またね」「じゃあね」と河川敷で別れた。毎日会っているのだから、あしたもまたここで会うのだろう。
 そう思って、涼真は帰った。

 しかし翌日、七海は河川敷に現れなかった。
 日曜だから、来なかったのかもしれない。家族で誕生日を祝っているのかも。
 そう思い、涼真はひとり河川敷の橋の下で、七海が教えてくれた曲を聴きながら、静かに読書をした。でも本当は、読んでいる文章の一文字も頭に入って来なかった。
 もしかしたら七海がやって来るかもしれないと、その日は一日ずっと河川敷で待っていた。
 月曜日。毎日カンカン照りの猛暑日が続いていたが、きょうは朝から雨だった。
 涼真はそれでも河川敷の橋の下へ行く。
 雨だからだろうか、七海の姿はきょうもなかった。
 僕はなにか間違ったことを言っただろうか。
 信じられないほど楽しかった花火の日、ふたりで話した言葉のひとつひとつを真剣に思い出す。無意識に七海を傷つけてしまったのかもしれないと、涼真は焦っていた。